551.目には目を
――武聖の絶技は恐ろしい。
なぜならば予兆がないからだ。
これが魔法であれば、威力が高ければ高いほど、逆に魔力の高まりによって察知が容易になる。魔力に敏感な種族ならなおのことだ。
たとえ【隠蔽の魔法】を使って隠れていたとしても、強力な魔法を行使すれば隠蔽が破られてしまうため、この原則は崩れない。
だからこそ、武聖の絶技の奇襲性の高さが際立つ。
極まった武聖は音すら置き去りにする。気づいたときには致命傷を負わされているか、死んでいるかのどちらかだ。
そしてそんな武聖の中で、最も奇襲性が高いのが――弓聖だ。
弓聖『三羽烏』アタールの卓越した視力は、壁上に一瞬、姿を現した
(だが、再び一瞬でも姿を見せれば――)
ただ、二つ名の由来を語ると、大抵の者は『一矢で三羽を射抜いた』と思いがちだが、実は違う。
アタールが矢筒から抜き取った矢は――三本。アタールは同時に三本の、致命的な威力の矢を放つことができるのだ。……一矢で直線上の三羽のカラスを射抜くのと、三本同時に放って別々のカラスに命中させるのと、どちらが難しいかは議論の余地があるが。
ともあれ、アタールは同時に三本の矢をつがえ、バークレッツ峡谷関門の壁上へ目を凝らす。
(あれほどの術の使い手、限りなく純血に近いハイエルフと見た……)
あの『聖女』リリアナの再来を思わせる神話級の奇跡――嫌な予感がする。まさか、第七魔王子が逃がした『聖女』が、再び戦場に舞い戻ったとでもいうのか?
(しかしリリアナでさえ、あれほどではなかったぞ……!)
同胞たちを根こそぎ焼き尽くした、あの光の矢の雨。『聖女』リリアナも大概ではあったが、流石にあそこまで凶悪ではなかった。直感的に武聖としての能力を最大限に引き出して逃げた自分さえ、執拗に追尾してきた恐るべき魔法――
なりふり構わずに逃げた。心の底から恐ろしかった。この、百戦錬磨の弓聖が、子どものように恐怖に顔を歪めて逃げ回ったのだ! ほんの一瞬の逃走劇だったが、数十年分の恐怖を味わったように思える。
お陰で生き延びることはできたが――雪辱は果たさねばならない。
(あのリリアナをも上回る脅威、必ずや討ち取ってみせる……!)
しかし驚異的な再生力を誇るハイエルフが相手では、眉間あるいは心臓に矢を撃ち込んだ程度では、仕留めきれるかわからない。
では、急所を同時に射抜けば?
眉間、心臓、そして詠唱を阻害するために喉。これら全てを同時に射抜けば、流石のハイエルフでも生命維持は不可能だろう。
そしてアタールは、その三箇所を同時に射抜くことができる弓聖だった。
(次に顔を出したとき――)
それがお前の最期だ。いつでも矢を放てるよう、三本の矢をつがえた独特な構えを取るアタール。
待つ。最上の機会を。
全神経を研ぎ澄ませ、バークレッツ峡谷関門全体を視界に収め、あのハイエルフが再び顔を出す瞬間に備え続ける。
(――来た)
動きを感じた。先ほどと違う位置だ。だがあのハイエルフだと直感し、確信した。反撃を警戒して場所を変えたのだろう。
(無駄だ! 討ち取る!!)
研ぎ澄まされた殺意を胸に、アタールは弦を引き絞る――
『――おお! なんと見事な野生の導きだろう!!』
そしてその攻撃を、予兆がないはずの武聖の絶技を、放たれてすらいないそれを、オディゴスはいとも容易く察知していた。
『これは――リリアナの眉間と喉と心臓を狙っているね! なんともはや!』
感心し、感嘆し、感激した。まさか定命の者に、これほどまでの精度の『導き』が可能だったとは――!
『これだから現世は面白い。これだから定命の者はたまらない!』
ひとり大興奮のオディゴスだったが。
『――しかし困ったぞ』
喜んでばかりもいられない。これほどまでの『導き』、ぜひ成就させてあげたい。だがこれを見逃したら、おそらくリリアナは死んでしまう。永い永い時を経て、ようやく見つけた契約者だ。それだけはなんとしても回避せねばならない。
だからといって、リリアナが要望したわけでもないのに、
『【私の信念に反する……!】』
まさに自縄自縛だが、たとえ心身をバキバキに折られようとも、この信念だけは決して曲げるわけにはいかなかった。そうでなければオディゴスは、オディゴスでなくなってしまう。
『私としては、導きを成就させながらも、リリアナが死なないようにするしかない、というわけか……』
そのための最適解を、オディゴスは一瞬で導き出した。
『――リリアナ! 夜堕ちがまだ生き残っている』
沈思黙考から抜け出し、リリアナに告げる。先ほどの、『夜堕ちどもの場所を教えてちょうだい』という望みが、まだ有効であると解釈した。
「えっ!?」
今まさに、眼下の雑魚魔族に矢を撃ち込もうとしていたリリアナが、ギョッとしたように顔を上げる。【案内】の絶対的な誘導を信じていたため、まさか討ち漏らしがいるなど思いもよらなかったのだ。
案内の魔力に導かれるがままに、地平の彼方を見やるリリアナ。
(――馬鹿な、気づかれた!?)
そして今まさに矢を放とうとしていたアタールもまた、リリアナがこちらを見たことを認識していた。
かたや隔絶した視力で。
かたや導きの魔力で。
ふたりの射手の視線が交錯する。
目と目が、合う。
(――それがどうした?!)
気づいたところで、もう遅い!
「射抜くッ!」
「【
アタールとリリアナ、ほぼ同時に矢を放った。いや、アタールの方が僅かに早い。
そしてその瞬間、
「えっ!?」
『これしかなかったんだ』
意表を突かれるリリアナの眼前、空中に跳び上がったオディゴスは、ひょいと肩でもすくめていそうな調子だった。
『私のわがままと信念が招いた事態だ。どうか気に病まないでほしい。私は君のことが何よりも大切なんだ、我が愛しの契約者よ。だから――』
瞬きほどの間に、オディゴスの圧縮された思念が叩きつけられる。
何を言っているのか。理解が追いつかないリリアナ。
――そこへ、異次元の加速を見せた三本の矢が。
水蒸気の尾を引いて、音すらも置き去りにして。
届く。
狙うは、リリアナの眉間、喉、心臓。
その線上に、オディゴスという『壁』が――立ちはだかる。
リリアナの目の前で。
オディゴスが粉砕された。
「オディ――」
そしてリリアナが悲鳴を上げる間もなく。
杖の壁を食い破った矢が、唸りを上げて襲いかかる――
「やった……!」
アタールは快哉を叫んだ。ハイエルフの弓を打ち砕き、狙い違わず、三本の矢が標的に突き立つのが――はっきりと見えた。着弾の衝撃で殴り倒されたかのように、吹き飛ばされるハイエルフ。
(確かに急所に当てたぞ……!)
正真正銘、アタールの全力の絶技だ。それを三箇所、全て致命的な部位。あれを食らって生きていられる生物がいるとは思えない。
達成感と、心地良い疲労感に包まれるアタール。
そんな彼に――眩い光が、迫る。
ハイエルフの矢だ。太陽の如き光の魔力が凝縮された、灼熱の奔流。
(……これは無理だな)
盤上の駒を見下ろすかのように、自身の状況を淡白に判断するアタール。弓聖として全力最大の矢を放った直後だ。一呼吸置かねば再び絶技は使えない。
その一呼吸の間に、あの矢は当たる。逃げられない。
だが、それでもいい。夜エルフ族全体には、他にもまだ弓聖がいる。しかしあのハイエルフは替えが効かないだろう。あの『太陽』そのものと言っても過言ではない、夜エルフの宿敵を仕留められたなら――
あの『太陽』を射落とせたなら。
(己の命など安いものよ)
眩い光に目を細めながら、口の端を吊り上げるアタール。
「ハッハッハッハ……!」
光の矢が着弾し、全てが白く染まった。
「ハッハッハ……ハッハッハッハッハ――!!」
体中の血液が沸騰するような激痛が襲う。それでもアタールは笑っていた。意識が途切れるまで笑い続けていた。
満足だった。
†††
「リリィ! リリィ――ッ!!」
取り乱したオーダジュの声が聞こえる。
リリアナが意識を失っていたのは一瞬だった。眉間に受けた衝撃のせいだ。
「
遅れてやってきた鈍い痛みに叫ぶが、声がかすれて出づらい。とりあえず、ぐいっと眉間に刺さっていた矢を引っこ抜くリリアナ。微妙に脳にも刺さっていたかもしれないが、どうやら頭蓋骨で止まっていたらしい。
リリアナ生来の再生力、そしてオーダジュの癒やしの奇跡もあってすぐに、傷は塞がった。そして気付いたが、どうやら喉にも矢が突き立っていた。こちらも引っこ抜くと、ピュッと血が吹き出てからすぐに止まる。極太の矢、そりゃ痛いはずだ。
しかも上体を起こすと、胸にまで矢が刺さっているのが見えて、あまりの念の入れようにリリアナは苦笑してしまった。見事に肋骨の間を縫った矢は、チクリと先端が心臓に刺さっていたようだ。
「リリィ!? 大丈夫か……!?」
「ええ、なんとか。危なかったわね」
全ての矢を抜き取って、こともなげにリリアナは答えた。瞬く間に傷は癒やされて消えていく、跡形もなく消え去ってしまう。
しかし――あとほんの少しだけ、矢が深く刺さっていたら。そう考えると今さらのようにゾッとする。脳、喉、心臓。全てが致命的な部位。弓聖の狙撃だ、生きているのが奇跡としか思えない――
奇跡?
いや、違う、これは必然だ。なぜなら――
何か大切なことを忘れている。衝撃でクラクラしていた頭が、霧が晴れるように明瞭な思考を取り戻していって。
リリアナは気付いた。
石造りの床の上に、無惨にも折り砕かれ四つの破片になったオディゴスが、ただの木の枝みたいに転がっていることに。
「……オディゴス!!」
悲鳴を上げた。彼が身を呈して矢の威力を殺してくれたのだと、理解したから。
だからこそ三箇所の急所に弓聖の狙撃を受けながらも、自分は生き永らえたのだ。
「そんな! なんてこと!!」
慌てふためいて、顔をくしゃくしゃにして、リリアナはオディゴス――だったものに、震える手で触れるのだった。
『痛ァァァァァめっちゃくちゃ痛いぞこれは!! ああ痛い! 痛いな~これは凄く痛いぞ痛い痛い!! こんなに痛いのは前回アンテンデイクシスと喧嘩してへし折られて以来かなぁ~~ああ~~~~~痛ッ! なんで私はいつもこうなんだ! もうちょっとなんとかならなかったのかなぁ~~~しかし信念が! あ~~~痛い痛い!』
指が触れた瞬間、オディゴスの心の声が流れ込んできた。
「オディゴス!?」
そういえば彼は杖である前に悪魔だ。悪魔は死んだら魔力が暴走して吹っ飛び、跡形もなく消えるはず……
『ああ、リリアナ! よかった無事のようだね!! しかし私はちょっと今、余裕がないというか、みっともない状態だから! すまないね!! イテテテ!!』
「あ、あなたも無事……ではないけど、ちゃんと生きてるのね!! よかった! よかったぁ!!」
ぶわっと目に大粒の涙を浮かべるリリアナ。
『ははっ、言っただろう?』
オディゴスは痛みでプルプルしながらも、小さく笑った。
『私はこう見えて――かなり頑丈なんだ』
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オディゴス『魔神の一撃に比べれば軽い軽い(震え声)』
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