548.満天の星、満開の花


 リリアナの視界に、案内の魔力の『みち』が浮かび上がる。


 それは――まっすぐに敵の本陣へと続いていた。


 総大将はどうやら後方に控えているらしい。戦争バカの魔族らしく、最前線まで出張ってきているのではないかと期待したが、そこまで甘くはなかったか。


(……けっこう遠い)


 ぺろっと唇を舐めるリリアナ。こんな緊張感に襲われるのは何年ぶりだろう。


(相手が上位魔族であることを考えると、なかなか厳しいわね)


 一般に、魔法の射程はそれほど長くない。


 魔力というものは、術者から離れれば離れるほど、物の理と世界そのものの魔力の干渉を受け、散り散りになってしまう。


 それをどうにか、少しでも遠くまで届かせられないか――魔法の射程の延長は、人類が長い戦いの歴史の中で絶えず追求してきたテーマだ。


 結果的に有効とされる解決策は、


 ①触媒を用いる

 ②魔力そのものを強める

 ③魔力に『殻』を与える


 以上の3つだ。



『――触媒というのは、呪術で用いられる手法かな? 定命の者は、敵の髪や爪を用いて魔法や呪詛の効果を高めようとする、と聞いたことがあるよ』


 オディゴスが、リリアナにしか聞こえないように直接脳内に語りかけてきた。


(そうね、そんな感じ。まあ、超遠距離からでも効果を発揮することがある呪詛は、そもそも射程の概念の例外ではあるんだけど)


 戦闘用の呪詛は弓矢よりも短い距離しか飛ばないのに、不幸や病魔をけしかける呪詛はなぜか遠距離でも効いたりする。ちなみに聖教会では年がら年中魔王を呪い続けているらしいが、彼我の魔力差がありすぎて全く効く気配がない。


 逆に、魔王が本気を出して呪えば同盟圏の人族の王くらいなら呪い殺せそうなものだが、別にそこまでする必要がないのでしないという皮肉な状況にある。


(いずれにせよ、私たちに触媒は必要ない。だって――)

『導きがあるからね! 違いない!!』


 オディゴスがご満悦で、リリアナの手の中でぷるぷると震えている。



『――そして魔力量も充分だ、そうだろう?』


 ②の、魔力そのものを強めるという解決法。


 石を力いっぱい投げれば、適当に投げるよりも遠くへ飛ぶ。魔法もそれと同じで、凄まじい魔力を込めて放てば、多少散り散りになっても充分な効果を発揮する。


 つまり力技。


 圧倒的な力は大抵の問題を解決する。


 そして問題が解決するなら、それで正解なのだ。


(オディゴスのおかげで、ここ数日だけでもびっくりするほど魔力が育ったわ)


 案内に次ぐ案内で、リリアナの魔力は面白いように育った。アレクも『アンテと契約した直後はどんどん魔力が強くなっていってビビった』とこぼしていたが、その気持ちがよくわかる。


 リリアナは人化の魔法を使って普通の森エルフになりすましているが――弱体化した今の状態でさえ、すでに8年前魔王城に殴り込んだときの魔力を超えつつある。


 ……こんな調子で魔族どもも魔力を育てているのだから、それは同盟軍が苦戦するのも無理はない。


 その一端を担っていたのが、手の中の杖と考えると複雑な心境にはなるものの、だからこそ魔王国に今はもうオディゴスがいないという事実が重みを増す。



(最後に……解決策③は、私たちエルフ族も得意とするところ)


 懐から、小さな木の実を取り出すリリアナ。


 呪詛や魔法が世界の魔力に吹き散らされてしまうなら、それに負けないよう『殻』を与えればいい、という発想だ。


 その『殻』は、別の魔法であったり、物体であったりする。森エルフが用いる精霊魔法やイザニス族の伝声呪、死霊術の霊体などは前者に、ドワーフの武具など魔法の品々が後者に相当する。


 極端な話、特殊な効果を持つドワーフの武具を投擲すれば、それは『魔法』を遠距離まで届かせるのと同じことになる。


(私たちエルフは、それを弓矢でやる)


 かつては、木々を伐採するドワーフ族を安全に殺すための手段だった。


 ドワーフ族はそれに対抗して重装甲を身にまとい、エルフ族はいかにして鎧をブチ抜くか、何百年にもわたってそれだけに心血を注いできた。


 人族の弓と違って、森エルフの弓は装甲を貫くためにある……!


 その研鑽の成果を、闇の輩相手に遺憾なく発揮してやろうではないか!


『そんじょそこらの魔族に、私たちが引けを取るとは思えないね! 数多の魔族を導いてきた私が言うのだから間違いない』


 オディゴスが太鼓判を押し、『さあ!』とリリアナに促す。


「ええ――ただし今回はあなたもけっこうキツいわよ!」


 魔力をみなぎらせながら、リリアナは緊張を打ち払うように笑ってみせる。



 ――敵の本陣に控える総大将を、いかにして遠距離から撃ち抜くか?



 その答えは、力技だ。



 オディゴスと矢にめちゃくちゃ魔力を注ぎ込んだ上で、自らも全力で身体強化し、張りがクソ強くなったオディゴスを腕力の限界まで引いて、導きで誘導した超強力な矢を叩き込む。



あなたを、思いっ切り引くわ……! 折れないでねっ!」

『大丈夫! 私はこう見えてかなり頑丈なんだ! アンテンデイクシスと喧嘩しては何度もボコボコにされてきたからね……!』


 魔神と喧嘩とは、何とも豪気で頼もしい話ではないか! リリアナは思わず、強がりではなく笑った。


 ――やろう。やってみせよう。


「爺や! 手伝って!」

「心得た!」


 背後に控えていたオーダジュが、ゆったりとした旋律を口ずさみながら、その手にきらきらと光る魔力の竪琴を生み出した。壁上の他の兵士たちが「いったい何を……?」と訝しげにしているが、気にしない。


 リリアナもオーダジュに合わせて鼻歌を歌う。その旋律を耳にして、何人かの森エルフ弓兵が「まさか」と目を見開いた。


「【神話ミトロジア再演・レプリカ――】」


 指で摘んだ木の実に、リリアナはふぅっと生命の息吹を注ぎ込む。


「【――天恵セレナム・繁茂オブシトゥス】」


 木の実が、発芽する。


 みるみる育っていく。芽が枝に変わり、螺旋を描きながら真っ直ぐに伸びていく。枝はシャフトに。葉は矢羽に。根は鋭く尖った鏃に。


 膨大な力を吹き込まれた実が、瞬く間に生ける矢と化した。


「【神話再演】……!?」

「それもあんなに軽々と……」

「魔力制御も只者じゃないぞ!」


 周囲の森エルフたちが驚愕している。本来、【天恵セレナム・繁茂オブシトゥス】は、味方を祝福し、呪詛を退ける『場』を展開する術だ。見渡す限りの荒野を、草木が生い茂る森エルフの領域に変えてしまうほどの強大な奇跡。


 それをリリアナは、


 一度ひとたび力を解き放てば、それは爆発的に生長するだろう――


「爺や、支えて」


 生ける矢をつがえる。オディゴスに蔦が絡みつき湾曲させていく。オーダジュがすかさずリリアナの背中に手を当て、癒やしの力を流し込んだ。


 リリアナの細腕に血管が浮き出るほど力がこもり、ぎりぎりと音を立てながら弓を引き絞っていく――凄まじい張力、弦を引く指が千切れそうなほどだ! 


『ハッハッハ! これはなかなか凄い負荷だ! しかし予感がある、素晴らしい導きがこの果てに待っている!!』


 そして負荷を一身に受けるオディゴスは、悲鳴を上げるどころか上機嫌。歯を食い縛ったリリアナも、辛うじて口の端に笑みを浮かべた。


「【神話ミトロジア再演・レプリカ――】」


 雲ひとつない星空へ。


「【――暁光天泣ステラ・プルヴィオ】」


 全身全霊の力を込めて、矢を放つ。



 カァンッ! と快音は高らかに、一条の光が打ち上がった。



 バークレッツ峡谷関門へ進撃していた魔王軍も、何事かと空を見上げる。



 夜空を裂いて、弧を描く光――



「――ん?」


 きらっ、と視界に瞬いた『それ』を。


 セキハンクスもまた、流れ星か何かかと思った。


 だが違った。


 ひゅぅぅぅん、と。


 風切音とともに、光が視界に大写しになる。


「なにッ」


 咄嗟に【受容】の魔力をみなぎらせ、『それ』を受け止めた。ズドンッと胸に重い衝撃、息が詰まる。


(なん……だこれは! 矢!?)


 ほのかに光り輝き、みるみる葉を茂らせる枝に、目を白黒させるセキハンクス。


 じりじりと光が肌を焼いてきて鬱陶しいが、防御が間に合ったらしく、胸にかすり傷を負った程度で痛みはほとんどない。


(まさか、城壁からここを狙撃したのか?)


 驚嘆しながら、バークレッツ峡谷関門へと目を向ける。


 全くやってくれる。この矢に秘められた魔力は相当なものだ、当てずっぽうに放ったわけではあるまい。ここにいるセキハンクスを狙った一撃としか思えない……!


 しかし強大な魔力がこもっていたことが、逆に仇となった。今やセキハンクスの【受容】の力により、込められた魔力が養分となりつつある。これが弓聖の一撃だったならこうはいかなかっただろう。


(それにしてもどうやって俺の位置を? 狙って当ててきたのも脅威だが……)


 ――面白い。


 セキハンクスは獰猛に笑った。


「よかろう……俺への挑戦とみなすぞ!」


 新たな敵手、新たな試練。


 セキハンクスは快くそれを【受け容れた】。


「フフフ……公爵へ至るにはぴったりの手柄になりそうだ!」


 これほどの弓と魔法の使い手、さぞかし高位の森エルフに違いない。ドワーフの国で森エルフ狩りに洒落込むことになろうとは意外だったが、相手にとって不足なし。


 胸に突き立った矢を引き抜き、セキハンクスは意気揚々と前線へ向かおうと――


「…………?」


 抜けない。


 ぐっ、ぐっと引っ張っても、胸に刺さった矢が抜けないのだ。


「なん、だ……?」


 痛みはない。せいぜい毛皮の服を貫いて、その下の鎖帷子に鏃が引っかかった程度だと思っていたのだが。


 まさか先端に粘着性の何かでも貼り付けてあったのか……?


 そんなことを考えながら、訝しげに胸元を開いたセキハンクスは、ギョッとした。


「バカな……!!」



 ――



 枝はセキハンクスの胸に深々と突き立ち、体内へと根を下ろしつつあったのだ!


「なっ、なんだこれは! ふざけるな!!」


 明らかに肉が抉られているのに、不気味なほどに痛みがない。


 だから気づくのが遅れた!! 


 慌てて引き抜こうとするセキハンクス。だがどんなに力を入れても抜けない、恐ろしいほどに頑丈な枝だった。


(バカな!? 俺は侯爵だぞ……?!)


 しかも【受容】の権能でさらに強化されているというのに! こんな細い木の枝を抜くことはおろか、引き千切ることさえできないというのか!?


「クソっ」


 ドワーフ製の携帯型の槍を展開し、穂先で切り取ってしまおうとする。


「ッ!?」


 痛い! なぜか枝を傷つけると鋭い痛みが走った。まるで――まるで、それが自分の体の一部であるかのように――!


「~~~~!!」


 ゾッと怖気に襲われて、セキハンクスの顔が歪んだ。もぞ、と喉奥に違和感を感じ、カハッと咳き込むと葉っぱが出てきた。


「ふ……ふざけるなッ! こんなもの!!」


【この痛みを受け容れる】……! 自らの手を切り裂いたと思えばいい! 力任せにブチッと枝を切り取って忌々しげに地面に叩きつけるセキハンクスだったが、その瞬間、自分が恐ろしい過ちを犯したことに気づく。


 ――枝を切り取っても、体内に潜り込んだ根は手つかずだった。


 そして枝を切り取った程度では――生長が止まらない。


「はッ、はぁッ、はぁぁッ!!」


 息が苦しい。肺や心臓に猛烈な違和感。枝が、根が、絡みつきつつあるのだ。胸を掻きむしるが何の意味もない、今すぐに自ら胸を切り裂いて、同化された内臓ごと根を引き抜くしかない、セキハンクスが生き延びる道はただそれしかなかった――!


「ぁあぁぁッッ!!」


 だが、それに気づいたときには、もう遅すぎた。


(バカなッ! こんな……こんなことで、俺は!!)



 体内を侵食されるのも、そしてそれが原因で斃れるのも――



 そんな結末、とてもじゃないが、受け容れ――



(――ッダメだ!! 考えるなァァァ!!)



 必死に思考をかき消そうとしたが、「ごハァッ」と口からまとめて花びらや葉っぱが飛び出してきて。



 ――こんなもの、【受け容れられるわけがない!!】



 



 その瞬間、【受容】の加護が、強化が、効力を失う。



「ごッ……ァァァッ! ぉァァァ――ッッ!!」


 セキハンクスの魔力が一気に弱まり、抵抗されることがなくなった【奇跡】が爆発的にその効果を発揮した。


 セキハンクスの口から木の枝が飛び出し、みるみる生長していく。ボコッ、ドグンッと異様な音を立てて、体のあちこちからも次々に枝が飛び出す――


【天恵繁茂】。本来、広い範囲を制圧する聖域が、たったひとつの種に押し込められ、今やセキハンクスを養分として芽吹き、花開き、



 森を形作ろうとしている。



「ァがァァァァ――ッ! ォアアァァァ――ッッ!」


 喉や肺に枝葉が満ちているせいで、ろくに呼吸も出来ず、小さなかすれ声しか出せない。そしてセキハンクスが『拒絶』した瞬間、体内を抉られる痛みが今さらのように襲いかかってきた。


 内側から清浄なる光で焼かれ、骨肉を抉られ、壮絶な痛みに襲われながら半狂乱でのたうち回る。


「閣下……? 閣下!!」


 近くの天幕から、異変に気づいた夜エルフメイドが顔を出し、セキハンクスの凄惨極まる姿、そして離れていても肌をチリチリと焼く光に「ひいッ」と悲鳴を上げた。



 サウロエ族が誇る若き将は、体の内側から突き出した若木により、胴体をずたずたに引き裂かれつつあった。



「ァ……ッあ! ……だ……ァァッ!」


 血の涙を流しながら、セキハンクスが夜エルフメイドへ手を伸ばす。その手も、蔓草に覆われ、爪の間から葉が伸び、『腕』から『枝』へと変えられていく。


「だ……す、げ…………!」


 溺れる者が藁をも掴もうとするかのように、木っ端のメイドにかすれ声で助けを求めたセキハンクス――その両目が、ブワッと新緑に覆われた。



 ――芽吹く。



 ブチッ、ミチチッと生々しい音を立てて、聖なる木は魔族の身体を突き破り、その芳醇な血と魔力を吸い取りながら、ぐんぐんと伸びていった。


「ひぃぃぃぃっ! 熱ッ、熱いィィィッ!!」


 聖なる木が放つ光に焼かれた夜エルフメイドは、その鉄面皮も剥がれ落ちて、肌から煙を立ち昇らせながら転がるようにして逃げていく。


 雲ひとつない夜空の下、燐光を放つ若木は、星明かりを浴びながら立派に大地に根を下ろし、すくすくと枝葉を広げ、ぷくっと蕾をつけて。


 そのまま、美しく光り輝く無数の花を咲かせた。


 花びらが夜風に舞い飛ぶ、幻想的で美しい光景――


「…………」


 その根本、養分として貪られ続ける、魔族のむくろにさえ目を瞑れば。




 魔王国侯爵、セキハンクス=サウロエ。




 森エルフの一矢により、討死。




          †††




「……当たったかしら?」


 城壁の上、リリアナは首を傾げた。


(オディゴス、敵の総大将はどこ?)


 再び、導きの魔力が奔る。


 その『路』は、眼下――バークレッツ峡谷関門に迫りつつある、魔族の一団へと続いていた。


 敵の本陣ではなく、足元に『総大将』がいる。


 ああ。どうやらちゃんと仕留められたらしい。


『魔王軍はあれでも指揮系統がしっかりしているそうだからね!』


 総大将が死に、副将へと権限が引き継がれた――少なくとも、【案内】の権能はそのように判断した。


「爺や、やったわ!」

「さっすがですじゃ姫――リリィ!!」


 オーダジュがうっかり姫様と呼びかけて慌てて訂正する。老練な彼らしくもない、おそらく望外の成果に浮かれずにはいられないのだろう。


 フフッ、と微笑んだリリアナは、胸元のポケットへと手をやった。



 ――新たにひとつ、木の実を取り出す。





 今の一撃で、体力も魔力もかなり消耗した。



 だが。



 それを補って余りあるほど。



 リリアナは成長していた。






 ――魔王軍の悪夢が始まる。



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