547.油断大敵


 ――陽が沈んだ。


 日中、体を休めていた魔族たちが続々と天幕から姿を現す。


「っしゃぁ、戦だ戦!」

「今日はもっと首級あげるぞ~!」

「つっても人族とか獣人族とかばっかりでよぉ」


 息巻く魔族戦士たちだったが、これみよがしに溜息をつく者もいた。


「雑魚すぎて面白みがねえんだよなぁ」

「全くだ。歯ごたえがなくてつまらん」

「もっと強敵と戦いたいもんだなァ!」


 ガッハッハ、と大笑いして、獣人や夜エルフの使用人たちを顎で使い、身支度を整え食事を摂る魔族たち。


「うむ、今日もいい天気だな」


 そんな元気な配下たちの姿を見ながら、自らも天幕から顔を出したセキハンクス=サウロエは、晴れ渡った星空を見上げて「うーんっ」と伸びをした。


 清々しい心地だ。


 皆、士気旺盛。初日のドワーフ砦の崩落で地獄を見たことなどけろりと忘れてしまったかのように、戦意に満ち溢れている。


 ――というより実は因果関係が逆で、あの惨状を見ても平気だった者と、自らは特に被害を受けなかった者しか、ここにはいないのだ。


 ドワーフの重金属系の毒矢に侵された者たちは、すでに後方へ移送されている。報告によると、夜エルフたちの懸命な手当てもむなしく、苦しみ抜いて息を引き取る者も少なくないのだとか。


(嘆かわしいことだ)


 しかし、それよりももっと嘆かわしいことがある。


 砦の崩落や、ドワーフとの白兵戦で負傷した戦士の中には、転置呪で肉体的にはすっかり回復したにもかかわらず、体の震えが止まらない者、戦いに出るのが恐ろしくなってしまった者などもいるのだ!


 なんたる惰弱!!


 魔族の戦士としてあるまじき醜態だ。木っ端の弱小部族ならともかく、サウロエ族の中にすらそのような惰弱者がいたことは誠に嘆かわしい。


 砦の最深部に生き埋めにされた状態から、自力で地表まで這い上がってセキハンクスとしては、たかが崩落に巻き込まれて死にかけた程度で弱音を吐くなど、甘え以外の何物でもなかった。


 セキハンクス直々に出向いてその惰弱な性根を叩き直してやろうとしたが――


(あれはもうダメだな、使い物にならん)


 思い出すのも忌々しいとばかりに舌打ちするセキハンクス。突然不機嫌になった主人にビクッとする夜エルフメイド。


『サウロエ族の誇りはないのか!?』

『戦えない魔族に何の価値がある!?』

『そんな体たらくで父祖に顔向けできるのか!?』


 ――殴ろうが罵倒しようが、震えて謝るばかりで見るに堪えない醜態だった。


『すいません、すいません……でも、体が動かないんですぅ……!』


 あまりの情けなさに怒りを通り越して失望したセキハンクスは、件の惰弱者を戦場から叩き出してやった。負傷者とともに後方へ移送だ。


(まったく、一族の恥晒しめが……)


 崩落した砦に生き埋めにされても、立派に生き残ったのだから、それを誇ればいいようなものを。体が震えて戦えないとはどういう了見だ? 思い出すだに腹が立つ。


 一般の魔族的価値観では、話題にするのもはばかられるような醜態だ。サウロエ族の本陣でも、あのような惰弱者の存在は『なかった』ことにされている。故郷に戻されたところで、もはや居場所はあるまい。


 ただ、部下たちの話を聞く限りでは、砦崩落の生存者の中には、そのように心が折れてしまった者も少なくないらしく、コルヴト族も似たような惰弱者に頭を悩ませているのだとか。


(あの砦、怯懦を招く呪いでも仕込まれていたのか? ……しかし俺は何も問題がなかったからな。心が弱い奴だったというだけの話か)


 フン、と鼻を鳴らすセキハンクス。


 惰弱な者は魔族にあらず。奴らはこのまま誰にも見向きもされず、魔王国の歴史の闇に追いやられ、忘れ去られていくだろう――


「叔父上」


 と、鈴の鳴るような――と形容するには、少しくぐもった声がかけられた。


「よう、スピネズィア」


 いつものように獣人の荷物持ちを連れたスピネズィアが、もぐもぐとハムの塊を丸ごとかじりながら歩み寄ってくる。


(相変わらず凄まじい食いっぷりだな――)と、スピネズィアひとりの食料消費についての報告書が脳裏をよぎるセキハンクスだが、頭から打ち消した。大丈夫だ。まだまだ軍団の物資には余裕がある。


「調子はどうだ?」

「すこぶる快調。叔父上は?」


 ぼりぼりとサラミをかじりながら、スピネズィア。ちなみに豪快な食べっぷりだが、スピネズィアはカッチリと武装を固めており、いつでも戦場に出られる構えだ。


(あんなに食べた直後に体を動かしたら、胃が痛くなりそうなものだが……)


 スピネズィアいわく、『ここ十数年、満腹になったことはない』とのことで。まあ平気なのだろう。


「俺もやる気に満ち溢れているぞ」


 獰猛に笑って答えたセキハンクスは、視線をスピネズィアから、遥か前方にそびえ立つ城壁へと転じた。


「あの関門――なかなかに歯ごたえがありそうだ」


 そうだ、惰弱者のことなんか今はどうでもいい。


 それよりも眼前の攻撃目標をどう落とすか、だ。



 バークレッツ峡谷。



 そこには、『谷』という単語から受ける印象よりも遥かに雄大な景色が広がっている。もともと、大陸北部は山々が連なり起伏に富んでいるが、バークレッツ峡谷のように、険しいふたつの山脈が並行に走り長大な峡谷が形成された例はないだろう。


 実際、谷間にはこの北部方面軍がすっぽりと収まる程度の横幅がある。だからこそフェレトリア王国の大動脈――オプスガルディア大街道が走っているわけだ。


 そしてあのそびえ立つ関門! 魔王軍の侵攻を見越して、十年単位で増築を繰り返してきたシロモノらしい。もちろんドワーフ製で、月明かりを受けて鏡のようにまっさらな城壁が輝いている。魔王城に見慣れたセキハンクスをして、圧巻と言える光景だった。


 昨日、鎧袖一触に突破した国境付近の防衛拠点とは格が違う。オプスガルディア領攻めはここからが本番、あの関門が主菜メインディッシュと言えるだろう。


 ただ、逆にあの関門が陥落してしまえば、あとは障害らしい障害もなく領都ガルディアまで一直線だ。同盟軍としてはここが落ちると後がない。バークレッツ峡谷関門に立てこもる前に、少しでも魔王軍の戦力を削っておきたいという思惑があったのだろうが――


 実際のところ、その見立ては甘いと言わざるを得ず、逆に同盟軍側が無惨に敗走する羽目になった。


(しかし、あの敗走がなければ、我らもここまで追撃しなかったかもしれんな)


 ふと、そんなことを思うセキハンクス。


 昨夜は散々に同盟軍を追い立てたわけだが、報告によると、首級はそれほどあげられていないらしい。死兵となった剣聖や勇者の一団がまとめて討ち取られたくらいのものだ。あとは雑兵ばかり――


 そしてこうやってバークレッツ峡谷関門の前に堂々と布陣したからには、今さら転進するのも魔族の沽券に関わるというもので。


「……今回も力押し?」

「うむ!」


 小首をかしげたスピネズィアの問いに、セキハンクスは潔くうなずいた。


「一応予備戦力で迂回も試みるが、あの山頂のドワーフ砦が鬱陶しいな」


 両側の山脈にドワーフの砦がそれぞれ守りを固めている。迂闊に山登りなんてした日には、山頂から何が転がり落ちてくるかわからない。


 下手に小細工を弄するよりも、真正面からブチ抜いた方が手っ取り早いし、清々しいというものだ。


「ただ、また生き埋めにされるのは御免だからな。吸血鬼どもを偵察に放っておいた。地下に妙な仕掛けがあれば、事前に破壊させようと思ってな」

「それは名案ね」


 燻製卵を次々に口に放り込みながら、スピネズィアがニコリと笑った。


「ん!」


 おかわりを要求して手を伸ばすが――


「姫様、もう無いです!」


 腰巾着の獣人がすっからかんになったリュックを見せる。


「気が利かないわね! なくなる前の補給しなさいよ!」

「ヤバいと思って取りに行かせたんですけど、まだ戻ってないんですよぉ……!」

「……あら、なんだか喋るお肉があるわ。食いでがありそう」

「ヒェッおれも取りに行くんでご勘弁を~~~!」


 全身の毛を逆立てた猫獣人が、矢のようにすっ飛んでいく。


「ふぅ。まあそういうわけだから、あたしもぼちぼち行ってくるわ、叔父上」


 ジジッ、とボン=デージの腹部をファスナーを閉めながら、スピネズィアが肩をすくめて言った。


「おう、武運を祈るぞ! しっかり手柄を稼いでこいよ!」

「叔父上も! 強敵に巡り会えるといいわね!」

「ハッハ、違いない。前回はちと消化不良だったからな……」

「あたしもたまには消化不良になりた~い……」


 一瞬で膨れた状態から真っ平らになった腹を撫でながら、スピネズィアは軍団の最前列へとのんびりとした足取りで歩いていった。


「……さて、頃合いか」


 魔族戦士たちも部族ごとにぞろぞろと集まり、攻撃の準備は整ったようだった。


 セキハンクスは手を掲げ、攻撃開始の号令を――


「閣下。ご報告したいことが……」


 ――かけようとした矢先、夜エルフ猟兵が駆けつけてくる。


「……どうした」


 気勢を削がれた心地で、少し面倒に感じながら応じるセキハンクス。「はっ」と直立不動の姿勢を取った夜エルフ猟兵は、絞り出すように。



「実は――威力偵察に出た猟兵一個中隊が、全員、帰還しておりません」



 ……あまり穏やかではない話だ。



「全員か」

「はっ。それも新兵の少ない古参の部隊です。不測の事態が起きたとしても、伝令のひとりやふたりは寄越すでしょうし、よほどのことがない限り、誰も戻ってこないとは考えづらく。全滅……とは、思いたくはありませんが」


 夜エルフ猟兵は、相変わらずの鉄面皮だが、どこか口調が苦々しかった。


「敵方に思わぬ伏兵がいる可能性がございますので、念のため、ご報告をと」

「ふむ、なるほど」


 今の今まで報告が遅れたのは、ギリギリまで帰還を待っていたのかもしれない。偵察に出た猟兵がひとりも戻らず、具体的な情報な何もありません、では格好がつかないし、仮に自分が指揮官だったなら報告を上げるのも恥と感じただろう。


 ただ、それを握り潰して、のちのち伏兵の存在が明らかになれば、もっと面倒なことになるのは目に見えている。


「警戒するに越したことはないな。よくぞ報告してくれた」

「はっ……」


 下がっていい、と手で示すセキハンクスに、ホッとした様子で一礼して去っていく夜エルフ猟兵。


(……ま、大方、森エルフの弓兵隊とでも鉢合わせしたのだろう)


 その背中を見送りながら、肩をすくめるセキハンクス。


 一応、形だけねぎらっておいたが、内心では全く重視していなかった。


 セキハンクスは、使用人・諜報員としての夜エルフの能力は高く評価していても、戦闘面では弓聖を除いて、あまり大したことがないと思っているからだ。率直に言って雑魚だと感じている。


 一個中隊が全滅したと聞いても、雑魚が全滅したというわけの話。



 まあ、そりゃあ、そういうこともあるだろう。



 雑魚なのだから。



(日暮れ前の威力偵察、こちらが優勢だからといって油断してヘマを打ったか)


 たかだか猟兵一個中隊が未帰還なことより、目の前の峡谷関門攻略に集中したい。セキハンクスの頭から、この件は早々に押し出されていく。


「さあて、あの関門は何日持つかな」


 腕組みしながら、不敵に笑うセキハンクス。


 規模でいうなら、初日の砦の方が遥かに小さかったが、あちらは守備兵が全員ドワーフ鍛冶戦士だった。


 対して、こちらの関門はデカくて立派だが、守備兵は人族や獣人族など下等種も多く、案外呆気なく陥落してしまうかもしれない。


「それとも、意外と手こずるか? ……フフ、それもまた一興」



 たとえ、何が待ち受けていようとも――



「【俺は受け容れるぞ……!!】」



 力強い魔力を滲ませながら、セキハンクスは改めて手を掲げた。



「全軍――攻撃開始!!」



 手を振り下ろす。



 オオオ――と勇ましい雄叫びを上げ、魔王軍がバークレッツ峡谷関門に殺到する。



 強敵が現れれば、そのときはまた自分が出張ろうなどと考えながら――



 セキハンクスは悠然と、配下の進撃を見守るのだった。








 …







 ……








 …………








 ……城壁の上。





「オディゴス」





 は、『弓』を構えながら問うた。





「――敵の総大将はどこ?」



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