543.追憶と時計


 レキサー司教は……さぞかし無念だっただろう。


 かの御仁は吸血鬼狩りに生き、吸血鬼狩りに死ぬとばかり思っていた。


『もしも不覚を取ったら、吸血鬼の毒牙にかかる前に、雷魔法を暴走させて吸血鬼もろとも自爆してやる』と豪語していたのを思い出す。


 そんなレキサー司教が、まさか、魔王子との戦いで命を落とすことになろうとは。


 人類の敵を討つという点で、吸血鬼狩りも魔族との戦いも違いはないのだが……


 その肝心の魔王子を討ち取ることができず、冥府でさぞかし悔しい思いをしておられるに違いない。アウリトス湖での速やかな吸血鬼討伐と、生存者の救助が快挙だっただけに、悔しさもひとしおだろう……


(そういえば……アウリトス湖といえば)


 そこでティーサンはふと思い出す。


 ツードイの街の聖教会に残されていた、レキサー司教の置き手紙。『極めて特殊な秘術の使い手と合流し、吸血鬼討伐の目処が立ったため先を急ぐことにした』と書いてあったが……


(『極めて特殊な秘術の使い手』、か……)


 なんだか、今回の件と重なるような。


 機密事項ゆえか、詳細は記されていなかったが。


「…………」


『アレクサ』という人物、まさかレキサー司教から勧誘されていたり――同一人物だったりしないだろうか?


(いや、まさかな)


 おそらくアウリトス湖で活躍したのは、吸血鬼を探知することに長けた秘術使いだろう。仮に吸血鬼の居場所を特定できたとしても、それを討伐するにはまた別の技能が必要だ。


 今回のアレクサなる人物は、むしろその速やかな討伐を得意としているように思える。崩落した坑道の奥深くに潜む吸血鬼なんて、どうやって一瞬で倒せるのか、伏して教えを請いたいほどだが……


 裏を返せばレキサー司教でなくても、ヴァンパイアハンターであれば誰だって勧誘の紙を渡してしまうはずだ。アレクサがそれを持っていてもおかしくはない。


(まあ、居場所の探知から討伐まで全てこなせる、そんな万能で都合の良い秘術なんて存在するわけがないからな……)


 万が一存在するなら是が非でもヴァンパイアハンターになってほしいものだ!


 レキサー司教だったら目の色を変えて、相手が王の隠し子だろうと勇者の名家だろうと構わず勧誘していたに違いない。


 そう考えると――ほろ苦い笑いがこみ上げてきた。


 懐かしむような、悼むような……


(司教……私もぼちぼち、そちらに行くことになりそうです)


 じりじりと傾いていく太陽を見上げながら、ティーサンは胸の内でひとりごちる。


 昼が――燦々と光の降り注ぐ人類の時間が、少しずつ削れていく。


 斜陽。そんな言葉を連想した。


 おそらく自分は、この戦いを生き残れないだろうとティーサンは考えている。


 吸血鬼狩りに特化した自分が、正規戦でうまくやれるかどうか。


 ……いや、正規戦の訓練しか受けていない勇者が、吸血鬼狩りに挑むようなもの。その逆と考えれば、いかに無謀かがわかる。


 早ければ数時間、せいぜい2日ももてば良い方だろう……


(もちろん、むざむざとやられるつもりはないが)


 レキサー司教よろしく、最後は敵の手にかかる前に、雷魔法を撒き散らして派手に散ってやろう。できることなら、魔族戦士か悪魔兵を2~3体は道連れにしてやりたいところだ……!


「ピタラ王国といえば香草酒が有名ですよね。俺、アレ好きなんですよ」

「ああ、その香草がよく採れるのがウチの村なんだよな」

「ええっそうなんですか!? ということはあの酒も飲み放題……!?」

「いや俺、酒弱くて全然飲めねえからありがたみがわかんねえんだよな」

「その見た目で酒弱いんですか?!」

「おいっ流石に失礼だぞ!」

「あっ申し訳ない……」

「ダッハッハ気にしねえよ! よく言われるんだ」


 相変わらずレイターと騎士たちは和気藹々としている。


 できることなら、この場にいる騎士を……


 いや、この国に生きる人々を、ひとりでも多く救えるのならば……


 その一助になれるのであれば、この身も命も惜しくない。


(戦果なし、は避けたいところだな)


 命の使いどころは見極めなければ。


 そうして立派な最期を迎えられたなら、きっと冥府でレキサー司教も褒めてくださることだろう。


 そして、も――


「…………」


 ぱちん、と懐中時計を開いたティーサンは、蓋の裏側に刻んだ日付――彼女の命日をそっと指先で撫でた。


 初恋のあのひとも……褒めてくれるだろうか。


 いかに吸血鬼狩りに身命をしたか、どれだけ戦果をあげたか熱弁したら。


 幼い頃、自分が花束を押しつけたときみたいに。


 また、困ったように、笑ってくれるだろうか……。




「――いかがなさいました、ティーサン殿」


 時計を確認しているように見えるティーサンに気づいたヴァレンティウスが、少し心配そうに声をかけてきた。


 またぞろ、何か用事でもあるのではないかと思っているのだろう。


「いえいえ」


 懐中時計を閉じながら、ティーサンは苦笑して答えた。


「――時計を見るのは癖のようなものでして」

「ティーサンは時間にうるさいからな」


 事情を知っているレイターが、辛気臭い空気にならないよう茶々を入れてくれる。


「ははっ、その割にはいつも遅れてばかりですが……」


 それに乗っかってティーサンがおどけると、朗らかな笑いが起きる。


「――いやあ、ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「それはよかった。こちら、もしよかったら干し果物と甘味です。前線でお疲れのときにでも、どうかご賞味ください」

「これはご丁寧に……ありがとうございます」


 ヴァレンティウスからお土産を渡され、頬を綻ばせるティーサン。


「レイター殿もお元気で!」

「ご武運を!」

「おう、皆さんも! 戦が終わったあとで一杯やろうや、俺は飲めないけど」


 すっかり騎士たちと打ち解けたレイターも手を振っている。


 当初の不安とは裏腹に、ふたりはとても清々しく、満足した気分でヴァレンティウスの天幕をあとにするのだった。


「気持ちの良い若者たちだったな」

「そうですね」


 使命感に燃える、未来ある若者たちだった。できれば彼らも――


「…………」


 騎士や兵士たちの天幕が立ち並ぶ中、思い思いの形で体を休める人々の間を、縫うようにして歩いていく。


 彼ら貴族や、騎士や従士たちは、無辜の民を守る剣であり盾である。


 しかし、聖属性の光を灯した者からすれば。


 彼らもまた、守るべき『人』なのだ。


「レイター」

「おう」

「最善を尽くしましょう」

「ああ」


 ティーサンの言葉に、苔むしたような髭面の大男、レイターもニカッと笑う。


「ここでやらなきゃ、レキサー司教に顔向けできないぜ」

「ですよね」


 ふたりして笑う。迷いのない、晴れ渡った空のような心地だった。



 ――そして。



 魔王軍の攻撃を数日は凌ぐと思われていたホーラック砦が、1日ももたず、完膚なきまでに破壊されたと判明したのは、その夜のことだった。


 実戦に慣れぬ人々がついに牙を剥いた戦の恐ろしさに慄く中、百戦錬磨の聖教会の狩人たちは、夜空を見上げながら刃を研ぐ。



 ――忌まわしき夜を、ここに終わらせん。




          †††




『ぐ……う、うぅ……』


 苦しげなうめき声。


『うぅ……ぐッ……ぬがァ……ッ!』


 天井に、手足を広げて磔にされたかのように、横たわる人物がいた。



 ――銀色に光り輝くその男の名を、レキサーという。



 死にそうな顔をしている。もう死んでるけど。


『ぐぅ……ぬぬぅ……!!』


 耐えられぬとばかりに顔を歪めたレキサー司教は――



『もう……2日も! 吸血鬼を狩っていないィィッッ!!』



 陸に打ち上げられた魚みたいに、ビッタンバッタンと身悶えていた。


 おいたわしや……という顔でそれを見守る他ないヴァンパイアハンターたち。


『クソッ、これまでは1ヶ月間、何も狩れないなんてこともザラだったのに!』

『連日連夜、数時間単位の討伐を続けて感覚が狂っちまったんだ!』

『このオディゴスが有能だから畜生……ッ!!』


 もどかしげなヴァンパイアハンターたちを尻目に、「フフフフフ……!」と笑うオディゴスはぐいーんと反り返って誇らしげにしている。


『もう……ダメだッ! 我慢ならないッ!』


 クワッと目を見開いたレキサー司教が、俺を睨む。


『アレックスくん!! 何とかならないのかねッッ!?』

「すみません俺も今手が離せないんですよォ!!」


 全力で闇の魔力を注ぎ込みながら、俺は必死で答えた。


 隣では、汗だくのアインツがカーンカーンとハンマーを振るっている。



 というわけでどうも、あれからほとんど不眠不休で鍛冶を手伝うアレクサです。



 アダマスの打ち直し、全然終わりませェんッッ!!!!


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