542.同じ釜の飯


 ヴァレンティウスの天幕を訪ねたティーサンとレイターは、騎士や従士たちから思いの外歓迎された。


「ヴァンパイアハンター?」

「と、いうことはアレクサ殿の?」


 鍋を囲んで食事中だった若者たちが、目を輝かせて立ち上がり次々に一礼する。


 ――実は、ヴァレンティウスの部下たちのアレクサへの信頼は厚い。


 そもそもオーダジュとリリィは主君の命の恩人だし、連日連夜犠牲者が出続けていた村でアレクサの討伐宣言以降、ぴたりと被害が止んだので、「本当に素晴らしいハンターだったのだ!」と尊敬されているのだ。


「――――」


 ヴァレンティウスが微笑みかけてきた。その目が(面倒な説明は避けましょう)と口ほどに語っていた。


 ティーサンも心得ているとばかりに笑ってうなずき、「ええ、そんなものです」と答えるのだった。


「ありあわせのもので恐縮ですが……」

「とんでもない、チーズたっぷりでとても美味しそうです」

「あったかい飯が食えるだけでもありがたいのに、これはまた豪勢な」


 それからティーサンたちも騎士たちの輪に加わり、食事を供された。野菜スープに穀物を混ぜ込んだ粥は、チーズがふんだんに振りかけられておりボリュームたっぷりだった。それに、サラミやチーズの盛り合わせ、足りないならこれを食べろとばかりのパンのスライス、季節の果物のジャムに、干し果物まで。戦場のお供の水で薄めたワインは、薄まっていることが残念に思えるほど香り高い。


「ヴァルス様もいかがですか?」

「おい、ヴァルス様はさっき会食されたばかりだぞ」

「あ、それもそうか。失礼しました」

「あー……せっかくだし私も一口もらおうか。あまり、食べた気がしなくてな……」


 おどけて肩が凝る仕草をするヴァレンティウスに、部下たちがドッと笑っている。


(……気さくなかただ)


 そんな彼らを見守りながら、ティーサンもまた肩の力を抜く。赴任先の現場指揮官の貴族、スティーヴンの印象が悪かったため警戒していたが……ヴァレンティウスは、その貴公子然とした眉目秀麗さとは裏腹に、ざっくばらんな人物で部下からも慕われているようだった。


 最初は自然体で地べたに腰を下ろしていたのだが、客人のティーサンとレイターに折り畳み椅子を勧めた手前、(自分が地べたに座るというのもなんだな……)という顔でわざわざ椅子に座り直していた。


「お偉方との肩肘張った食事より、諸君らと囲む鍋の方が私は好きだよ……」


 スプーンで粥をもそもそと頬張り、しみじみとつぶやくヴァレンティウスに周囲も苦笑している。これが彼の『素』なのだろう。


(こう言ってはなんだが、ヴァレンティウス殿が現場指揮官であったなら、やりやすかっただろうな……)


 香草で上品に味付けされた粥を口に運びながら、ティーサンは少し残念に思う。


 と同時に、ここまで和気藹々としている彼らだが――つい先日は吸血鬼に噛まれたヴァレンティウスにトドメを刺すべきかどうか、ギリギリまで迷っていたと考えると、胸が締め付けられる思いだった。


 もしも――アレクサやオーダジュといったが現れなければ、今のこの一時の団欒だんらんは存在し得なかったわけだ。



 ……吸血鬼だけでなく、魔王軍と闇の輩すべてに等しく言えることだが。



 奴らが撒き散らす破壊と死は、かけがえのないものをあっさり奪ってしまう。



 平和な大陸東部の、商家のボンボン息子だったティーサンが、ヴァンパイアハンターになったきっかけもそうだった。


 幼い頃、近所に綺麗で優しい憧れのお姉さんがいた。


 初恋だった。幼いティーサンは両親に花束や装飾品をねだっては、それを彼女にプレゼントしていた。まだ舌足らずな幼子からの好意に、今思えば、彼女は少し困っていたようだったが、それでもどこか微笑ましげに、いたいけな恋心を壊さぬように、優しく振る舞っていてくれた。


 ――ある日、吸血鬼の犠牲になり、見るも無惨な姿で発見されるまでは。


 彼女の輝くような素敵な笑顔と、カラカラに干からびた干物のような『それ』が頭の中で結びつかなくて、ただただ呆然としたのを覚えている。


 しかし、他ならぬティーサンが贈ったブレスレットを――その『干物』も、手首につけていて。


 現実を理解できたときの、あの世界が割れるような怒りと悲しみは、今でもありありと思い出せる。


 成人の儀で聖属性を発現したときは、運命を感じたものだ。


 神に、そして彼女に誓った。『奴らを根絶やしにしてやる』と……


(だが……結局、あの事件の吸血鬼は倒されたのだろうか)


 粥をかき混ぜながら、ぼんやりと考える。ヴァンパイアハンターになってから記録を遡ったが、判然としなかった。近くの地方で討伐された吸血鬼はいるものの、時間が空いていたし、彼女の仇なのかどうかはわからない。


 実は今ものうのうと逃げ延びていて、この大陸のどこかで、罪なき人々に牙を突き立てているのかもしれない。


 そんなことさえもわからない、仇の生死さえも確かめることができない、己の無力さが歯痒い。


(ただひとつ確かなのは――奴らを根絶やしにするその日まで、夜明けの狩人われわれは止まらないということだ)


 しかし、そう考えてから。


 今、最前線に赴いている自分は、吸血鬼狩りを止めていることに気づき、暗澹たる思いに駆られた。


 魔王軍の侵攻。


 いったい……ここにいる騎士や従士たちの、何人が生き残れるだろうか。


「へえ、それではレイター殿はピタラ王国の」

「ああ……山岳民族の出身でな。今回こっちに出向いたついでに、10年……いや15年ぶりくらいに故郷に顔を出したよ。姪に子どもが生まれれていて驚いた」

「15年! ヴァンパイアハンターが激務とは聞いておりましたが……それほど故郷を離れられていたとは……」

「まあ聖教会はそんなものだ。故郷に根ざして剣を振るう、騎士殿とは少し事情が違うからなぁ」


 意外と人付き合いが悪くないレイターが、早くも騎士たちと打ち解けてあれやこれやと話していた。レイターの故郷、隣国のピタラ王国についての話題で盛り上がるヴァレンティウスの部下たち。


(まだ戦端が開かれていないということもあるが)


 ここまで明るい雰囲気を維持できているのは素晴らしいことだと思う。


 比較するようでなんだが、スティーヴンのところは……お世辞にもいい雰囲気とは言えなかった。やはり指揮官の心持ちが下にまで伝播してしまっている。重苦しく、悲観的な空気が漂っていた。



 ただ戦とは、雰囲気を明るくしておけば、何とかなるものではない。



 特にそれが魔王軍を相手にしたものであるならば。



(状況認識としては……悲観的な方が正しいのだよなぁ)


 かくいうヴァレンティウスたちも、厳しい現実は一旦脇においておいて、努めて明るく振る舞っているだけだろう。


 対魔王軍戦は、絶望の一言に尽きる。汎人類同盟がどれだけ負け続きなのか、詳しい情報に触れられる者ほど心が挫けそうになるはずだ。


 十数年前にあった一大反攻作戦はこれといった戦果をあげられず、魔王軍の戦力を削りきれないまま莫大な戦費と人命を消耗して終わった。その後の乾坤一擲の、魔王城強襲作戦も――魔王が健在であることからわかるように、空振りだった。



 実際のところ、聖教会にはもう余剰戦力がほとんどない。



 各地の医療や魔物退治に携わっている人員からも少しずつ戦力を抽出して、どうにか前線に送り届けているが帰還率は著しく低い。……生きて故郷に戻れた者なんて、それこそ数えるほどしかいないだろう。


 その影響が、目に見える形で人族社会にも表れつつある。


 声を大にして喧伝しているわけではない。だが「勇者になった誰彼の息子が戦場に派遣されたきり帰ってこない」「神官として医療に従事していたはず友人の娘が音信不通になった」などという風の噂は枚挙にいとまがなく。


 近頃は、子どもが成人の儀で聖属性を発現しても、聖教会への引き渡しを拒否しようとする親も増えたという……(まあ拒否する権利はないのだが。)


 吸血鬼狩りの専門家であるティーサンたちが、前線に派遣されていることからも、その窮状ぶりが見て取れるというもの。


 これまで吸血鬼狩りで苦楽をともにしてきた協力者――森エルフや犬獣人たちにも、先日別れを告げた。彼らは『吸血鬼狩り』の協力者であって、兵士ではない。こんな死地にまで付き合う義務はないし、森エルフはともかく、匂いの調査に特化した犬獣人に防衛戦でできることは限られているだろう。


 陸路で故郷に帰るとのことだったが、今頃はどのあたりにいるのだろう……



 ――冷徹に、戦力のことだけを考えるのであれば。



(十年単位で、錬成し直すべきだ)


 そして今ある戦力も温存するべきだ。つまり、今の前線は全て諦める必要がある。


 そうでなければ、このまま戦力を、『未来の人材』という希少な財産を小出しに浪費して終わってしまう。


 だが、その合理的な選択を取ることができない。


 なぜならば――聖属性に選ばれた自分たちは、悲劇の場で犠牲になる人々を見捨てられないからだ。



 蘇るのは、上司にして師の言葉だ。



、私たちが願ってやまなかった救いの手に――』


 絶望の中、狂おしいほど乞い願った救世主に。


『――今、このとき、私たち自身がなるのだ』



 吸血鬼狩りで困難な状況に陥るたびに、ティーサンの師――レキサー司教はそう言って自分たちを鼓舞してくれた。


 そうだ。絶望的な状況で、救いを求める人々は――あの日の怒りと悲しみに咽び泣いていた自分たち自身に他ならないのだ。


 なぜ、見捨てることができようか。


 力が及ばないとわかっていたとしても、『それはそれ』で切り捨てられる者だったならば、人類の守護者として、聖属性に見出されることはなかっただろう。


(レキサー司教……)


 そっと、腰の剣の柄に触れながら、ティーサンは思いを馳せる。


 ティーサンは双剣使いだが、これはレキサー司教の影響が大きい。同じ雷属性の使い手で参考になる部分も多く、レキサー司教を目指して研鑽を積んできた。


 誰彼構わず有望と見ればヴァンパイアハンターに勧誘してしまう、少し困ったところもある御仁だったが、あれほど頼りになるヴァンパイアハンターもいなかった。


 間違いなく、人族で最高の狩人のひとりだった。


 アウリトス湖に潜伏した吸血鬼狩りで、数年ぶりに共闘する予定だったが――集合日時よりもひと足早くレキサー司教たちが出港してしまい、自分たちは置いてけぼりになってしまった。


(あれには参ったな)


 苦笑する。流石に酷すぎやしないか、とレイターともども憤ったものだが、緊急性が高まったらしいので仕方がない。自分たちが合流することより、犠牲者がひとりでも少なくなることの方が遥かに大事だから。


 そしてその後は――この北部戦線でまた合流できる予定だったのだが。


「…………」


 ティーサンは、ぎりっ……と剣の柄を握りしめた。



 ――道中でジルバギアスとの遭遇戦が勃発し。



 レキサー司教をはじめ、古くからの顔馴染みたちは、軒並み戦死してしまった。

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