539.確証と証人


「……心強いことですな」


 回想(主にリリィの美貌)に浸るヴァレンティウスに、スティーヴンは曖昧な笑みを浮かべて相槌を打った。


「しかし……ヴァレンティウス殿を疑うわけではないのだが……」


 そう言われても安心はできない? まあ当然だろう。


 領民の生活と命がかかっているのだから、言葉ひとつで胸を撫で下ろしたのなら、それはそれで貴族として問題がある。


(そもそも、『短時間で討伐した』という表現もかなり婉曲的だからな……)


 数十分、せいぜい1時間ほどで地下に潜伏した吸血鬼を討伐してしまった、というのが本当のところだ。これをそのまま話せば、タチの悪い冗談と解釈されて正気や性格さえ疑われてしまうだろう。


「私も、あまりの鮮やかな手並みに信じがたい思いだったのですがね」


 ヴァレンティウスは声を潜めて言った。


「しかし、ヴァンパイアハンターの協力者のひとり、森エルフのオーダジュ殿は――ティユール家の御方らしく。その名において討伐を宣言されておりました」

「! なんと……!」


 目を見開くスティーヴン。いくらドワーフ王国所属の貴族だろうと、聖大樹連合の8大氏族を知らないようではもぐりだ。


 そして貴族であるがゆえに、家名を出すことの重みもよくわかっている。


「本当に、ティユール家の御仁が、ヴァンパイアハンターを……?」

「疑うのも無理はありません。ただ、私の推測では詐称の可能性は限りなく低い」


 ヴァレンティウスは身を乗り出しながら話を続けた。


「先ほど、私が吸血鬼に噛まれたと言いましたが――実は意識は混濁し理性は失われ、私の従者たちが慈悲の一撃とどめを刺すべきか迷うほどの重症、いや、もはや手遅れと言っても過言ではない状態だったのです」

「!!」

「しかし、オーダジュ殿とリリィ殿の御二方の治療により、一命を取り留めました。まさに『奇跡』としか呼びようのない御業の使い手……」

「うぅむ……」


 スティーヴンが唸った。吸血鬼に噛まれる、あるいは血の魔法で傷つけられると知性のない下級吸血鬼に成り果ててしまうのは常識だ。高位の解呪や解毒の奇跡でなければ治せず、またある程度症状が進行してしまえば、いくらか理性が残っていてもひと思いに殺すしかない、と言われている。


 理性が消えるほど重症化していたヴァレンティウスが、今こうしてピンピンしているのもにわかには信じがたい話だ。


 ただ……嘘をつく理由がヴァレンティウスにないのも事実。ここまで言うからには信憑性が高いのかもしれないとスティーヴンも思い始めた。


「ティユール家の方が討伐を宣言されたとはいえ、念の為、私も部下とともに被害があった村に数日留まったのですが、吸血鬼は二度と姿を現しませんでした」


 その後、今日に至るまで、再び吸血鬼の被害が出たという報告もない。


「言われてみれば、私の領地でも毎日のように陳情が来ていたのが、昨日一昨日からは届かなくなりましたな……偶然なのか、それとも」


 ――凄腕のヴァンパイアハンターが後方で獅子奮迅の活躍を見せているのか?


「もしそうならば……」


 スティーヴンは、一筋の光明を見出したかのように、表情を少しだけ和らげた。


「本当に、心強い話ですな……我々は正面だけを向いていれば良い」

「私はもう、そのつもりでいますよ。吸血鬼に関してはかの御仁らに任せようと」


 ヴァレンティウスとスティーヴンは、少しぎこちなく笑い合った。


 正面を向いたら向いたで、魔王軍というとてつもなく頭が痛い問題が待ち受けているわけだが――


「ええい、かくなる上は! 我々に指揮権を委譲するよう、聖教会に直訴を――」


 と、意識の外にいたターンラック卿が、何やら過激なことを言い始めた。


 ヴァレンティウスとスティーヴンは(何だアイツ)(正気か)と言わんばかりの真顔になり、思わず見つめ合って、溜息をつく。


「流石にあれは」

「頂けませんな」


 ……正面の敵にだけ集中していたいところだが。


 どうやら、そうもいかないようだ……



          †††



 それから、引っ込みがつかなくなりつつあったターンラック卿の暴走をどうにか抑え、何を食べたかすらロクに思い出せない、やたらと気苦労の多い食事会は終わった。


 貴族らしく、優雅な足取りで回廊を歩いていくヴァレンティウスだったが――


(疲れた……)


 内心ではげっそりしていた。他貴族との会合を終えた指揮官級の人間が、どんよりとした雰囲気で歩いていたら、下々の者にまで動揺が広がるため、努めて『自信満々で元気溌剌な貴族の好青年』のていを維持している。


(結果的に、ターンラック卿が道化になってくれたお陰で、我々の内部の鬱憤ははけ口が見つかったというべきか、あの体たらくを見て皆が正気を取り戻したというべきか)


 現地の貴族や軍人としては、聖教会の援軍に不満が多いのは事実だ。


 が、だからといって指揮権を寄越せとか、聖教会の支援なしでやるとか、そういった話ではない。


(そもそも、大規模な正規戦で実戦経験がないのは我々とて同じだ)


 兵士の大半は顔馴染みの領民であるため、現場指揮官である貴族の方が、聖教会のよそ者よりも兵たち個々人をよく把握している、という優位点はあるものの、魔王軍の戦術や、それへの対応策、集団戦における魔法的援護などは聖教会の専門分野だ。


 どんなにペーペーの頼りない新人に見えても、聖教会で幼少期から戦い方を叩き込まれてきた勇者の方が、現地の貴族より実力のある指揮官である可能性が高い。


(それに、今さら我々に全権が戻ってきても、戦力が領地ごとに小分けにされて、むしろ弱体化するのが目に見えている……!)


 貴族――というか領主軍のさがだ。貴族ひとりひとりが小~中部隊の指揮官であるため、指揮系統は複雑怪奇に成り果て、横の連携も極めて困難になる。


 その点、勇者や神官が指揮官となり、一定数の兵員を戦力として編制、部隊として規格化し、また聖教会内部の階級に応じて指揮系統を一本化する方が、合理的だ。


 長い長い人族の歴史で、聖教会と社会の在り方が『こうなった』のは、それが人類の敵と戦うために最適であるからなのだ――


「ふぅ」


 それにしても気が重い。現状が最適であっても、最高でないのもまた事実……


 果たして自分たちは、うまく魔王軍と戦えるのだろうか?


 そんな心配はついて回る。



 ――城を出る。



 周囲には、城の中には収容しきれない一般兵や従者たちのために、おびただしい数の天幕が張られている。天幕の中で寝転がって仮眠を取る兵士もいれば、まだ食事中で鍋を囲んで粥やスープをかき込む騎士や従士の姿もある。


 中には、周囲の睡眠の妨げにならないよう、静かに、しかし白熱してカードゲームや賭け事に興じている者たちまでいた。本来なら、今夜にでもあるかもしれない魔王軍の攻撃に備えて、体を休めておくべきだ。


 ヴァレンティウス――上位の貴族の風格を漂わせる美青年――が歩いてくるのを認めて、彼らは恐縮し、大慌てで遊び道具を片付け、バツが悪そうな顔をしていたが、ヴァレンティウスは「ほどほどに」と声を抑えるよう身振りで示すだけで、目くじらを立てなかった。


が最後かもしれないのだ)


 迫る戦いと死の恐怖を紛らわせるため、遊びに興じる彼らを誰が責められようか。特に一般兵がこの戦いを生き延びられる目算は――あまり高くない。厳しく締め付けて、脱走される方が貴族としては困るという事情もある。


 いずれにせよ、周囲の邪魔をしないのであれば、目こぼしする構えだった。


(さて……我が部下たちはどうしていることかな)


 ヴァレンティウスの部下たちも、今頃は体を休めているはずだ。いや、ひょっとするとヴァレンティウスが一旦様子を見に戻ってくるのを予想して、まだ食事を続けているかもしれない――


「……む?」


 と、そのとき。


 天幕の間を縫うように進んでいたヴァレンティウスの歩みが止まった。



 前方から、少々奇抜な二人組が歩いてきたからだ。



 ひとりは、夏だというのに赤黒い革のコートを羽織った男だ。どこかの貴族の家令や執事と言われても納得しそうな、几帳面そのものな顔つきをしている。そんな印象をさらに強めているのは、風変わりな片眼鏡モノクルだろう。おそらくは魔法の品。腰の左右に佩いた二振りの長剣が、歩調に合わせて振り子のように揺れている。歩きながら懐中時計を引っ張り出したその男は、「いかんな、そろそろ正午を過ぎるぞ」と傍らの男に話しかけていた。



 その、話しかけられている傍らの男は、苔むした石像のような異様な雰囲気をまとっていた。筋骨隆々の体躯、いかにも気難しそうなしかめっ面、ゴワゴワな白髪交じりのヒゲにはなぜかところどころ緑色の顔料が塗られており、それが苔のように見えるのだった。背中に抜き身の、身の丈ほどもありそうな細く長い剣をぶら下げ、腰のベルトや脚のブーツには銀色の杭が括り付けられている。



「――もし、そこの御方」


 ヴァレンティウスは思わず話しかけていた。


「……何か」


 少し警戒した様子で、几帳面そうな執事風男が答える。


「不躾ながら、ヴァンパイアハンターの方とお見受けするが……」

「……はい。いかにも」

「おお! やはり……!」


 思わず大きくなりかけた声を抑えながらヴァレンティウスはパッと顔を輝かせた。友好的な雰囲気が意外だったのか、ヴァンパイアハンターの二人組も目を瞬かせ、やや態度を軟化させる。


「突然話しかけて失礼した、私の名はヴァレンティウス=トン・フェルミンディア=フェレトリア=イグノーティア=アロ・ピタラ=マルガリア=セル・オプスガルディア。一介の騎士だ、長いのでどうかヴァレンティウスと」


 外国人に(長ぇ……)という顔をされるのはいつものことで、自覚もあるのだが、これでも貴族。領主本家の端くれとして中途半端に省略するわけにはいかず、ヴァレンティウスとしても痛し痒しといったところだ。


「ティーサンと申します」

「……どうも、レイターです」


 二人組も会釈してくる。


 几帳面な執事風がティーサンで、苔むした石像風がレイター。奇遇にも、スティーヴンが話していた、指揮官として着任したヴァンパイアハンターのようだ。


「実は先日、腕利きのヴァンパイアハンターの方にお世話になりまして……危ういところを助けて頂いたのですよ」


 ヴァレンティウスとしては、このふたりに特に用事があったわけではない。



 ――が、アレクサのことが個人的に気になっていたので、かの御仁の事情をちょっと聞いてみようかな、くらいのノリだった。



「ほほう」


 そしてそんなヴァレンティウスの言葉に、ティーサンとレイターもかなり興味を惹かれたようだ。


「我々以外に、この国に既に派遣されていた者がいたとは……」

「しかも腕利きとは、頼もしい限り。不躾ですが、その者の名は――?」

「ええ」



 待ってましたとばかりに、ヴァレンティウスは笑顔で答える。



「――アレクサ殿です。森エルフの協力者として、オーダジュ殿とリリィ殿も同行されていました」



 ……ぱち、ぱち、とティーサンとレイターがゆっくり瞬きをした。



「……知ってるか?」

「知らん」



 顔を見合わせた二人組は。



「その、残念ながら」

「存じ上げません」



 困惑の表情を浮かべた。



「我々が知る限り、アレクサというヴァンパイアハンターはいません」




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ティーサン「『腕利き』ってことは新入りじゃないし……」

レイター 「新入りじゃないならあとは顔見知りだし……」


ティ&レイ「「アレクサって誰だよ」」


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