537.偵察飛行
涼やかな夜空に、レイラが羽ばたく音が微かに響く――
今夜はいい感じに雲も出ている。万が一、夜目がめちゃくちゃ利いて、隠蔽の魔法の違和感に気づけるだけの注意力がある奴がいても、これなら見つかりにくいはずだ。
『――ああやっぱり空を飛ぶのは最高! 人族の足なんてトロくて――』
久々の飛行で気分が高揚しすぎてしまったのか、レイラは人の足の遅さへの不満をドゥワーっと並べ立てようとして、慌てて思考をかき消していた。俺に悪いと思ったらしい。
まあ時すでに遅く、【キズーナ】越しに、人の姿で西へ東へ慣れない長距離走を強いられた鬱憤とか恨み節とかが圧縮された感情、バッチリ伝わっちゃったんだけど……俺は苦笑した。
大丈夫、レイラの気持ちはわかるよ。俺たちで言えば、手足を縛られてずっと匍匐前進を強いられてたようなもんだし……
この空の自由さ、爽快さを知っていれば、誰だってそう思うさ!
『――そう言ってもらえると、気が楽になります――』
レイラもまた苦笑しているようだった。
ぐんっ、と力強く翼が風を捉え、俺たちを運んでいく。
「レイラって本当に滑らかに飛ぶわよね」
俺の背中にしがみついたリリアナが、耳元で囁くように言った。
「気を遣って飛んでくれてるのね……」
「ホントにな」
魔王城強襲作戦のときのホワイトドラゴンとは雲泥の差の乗り心地だよ……俺もしみじみうなずいた。
雲に紛れながら、西へ、西へと飛んでいく。
地上にはぽつぽつと松明や篝火が見えていた。人族の砦や城、集落のようだ――小規模だしドワーフの砦に比べると、いかにも貧弱に見える。
「…………」
エヴァロティ攻略戦の経験を鑑みると、どれもこれも落とすのに1時間もかからないだろうな、という印象。この地に本格的に魔王軍が雪崩込んできたら、どうなることか。
初代アーサーの要求――『救世の英雄たらんとするならば、勇者をしている間に国をいくつか守ってみせろ』とのことだったが。
この国を守ろうとしたら、俺はどうするべきなのか。魔王軍と戦うのは必定としても、ただ漫然と同盟軍に勇者として参戦するだけではダメだろう。
俺の優位性――人族にしては強い魔力と、これからアインツが打ってくれるであろう真打ち、そしてあとは聖霊術くらいか? 切れる手札は。
あくまで勇者として戦う必要があるので、転置呪などは使えない。あるいは、使うとしても誰にも目撃されない――目撃した者は確実に殺した上で魂まで滅ぼす。それくらいの対策が必要だ。
それらを前提として、
どうやって魔王軍を止めるか。
……魔族戦士をとにかく殺しまくって、しかも敵の司令官と旗頭も仕留める。
指揮系統をめちゃくちゃにして継戦を不可能にする。
あとは後方の補給網も破壊して糧食や物資を枯渇させる、くらいか……いち軍団が尻尾巻いて逃げ出すとしたら、それくらいしなきゃだよな。
『つまりお主は』
アンテがほくそ笑んだ。
『姉――スピネズィアを殺す必要があるわけじゃ』
…………。
あの、大食らいの姉の顔が思い浮かぶ。
魔族であることに変わりはない。人族として価値観が相容れないのも変わらない。
しかし、魔族という枠組みの中では、――決して、……嫌いでは、
『――!!――』
その瞬間、レイラから最大限に警戒を高めた。
どうした!?
『――飛竜です! 1頭!――』
ちょうど、俺たちは雲から出たばかりだった。レイラは翼を翻して雲中へ戻る――のかと思いきや、そのまま滑空を続ける。
『――今ここで慌てて戻ったら、雲に不自然な渦が発生します。それで気づかれてしまうかも――』
……冷静な判断だ。そして、まだドラゴンとしては年若いはずのレイラが、咄嗟に適切な対応を取れるのは、他でもないファラヴギから受け継いだ経験のお陰だった。
それにしても、飛竜か。夜目が利くはずの魔族の俺でも、まだ何も見えない。
「……どうしたの」
「飛竜が見えたらしい」
【キズーナ】の以心伝心がなくても、俺とレイラの緊張が伝わったのだろう。小さく尋ねてきたリリアナに囁き返すと、彼女もまた、俺の腰に回す手に力を込めた。
……件の飛竜は遠いのだろうか。しかしレイラが気づいたということは、向こうもこちらに気づけるわけで。
『――隠蔽の魔法がありますから、下手を打たなければバレないとは思います。高度も向こうの方が下ですし――』
レイラがやや緊張気味に答えた。
『――魔族をひとり乗せた緑竜です。偵察飛行みたいですね――』
……本当だ、俺の目にも見えてきた。確かに、星明かりを浴びながら、ゆったりと飛ぶ緑竜の姿がある。背中に乗った魔族までは見えないが……
緑竜でかつ偵察飛行ってことは、乗ってるのは十中八九、イザニス族の伝令だろうな。空中からの時間差なしの情報伝達は連中の独擅場だ。
『――地上に気を取られてるみたいで、こっちを見る気配はありません――』
緑竜が隠蔽の魔法を使っていないのは、慢心としか言いようがないだろう。まあ、長らく空は魔王軍のものだった。竜を射落とせる弓使いなんて滅多にいないし、無警戒になるのもやむなしといったところか。
それにしても――戦端が開かれたあとに、魔王軍が偵察飛行をするなんて聞いたこともないな。魔王軍のドラゴンの運用は、もっぱら開戦前の布告やビラ撒きと相場が決まっている。
『恐らく、同盟側の情報が不足しとるんじゃろ』
……そうか、夜エルフ諜報網が壊滅したからか!
同盟軍側の戦力について、な~んにも情報が入っていないに違いない。一応、諜報員の代替として吸血鬼が潜入してきていたらしいが、レキサー司教ら怒りの全土制圧で根こそぎ滅ぼしたからな……!
まあ滅ぼすまでもなく、血を飲むのにかまけてほとんど仕事してなかったみたいだけど吸血鬼ども。使えねー。
何はともあれ、俺たちの眼下を、なけなしの情報を得るための飛竜がふらふらと呑気に飛んでいる――
『――どうしますか。今なら間違いなく仕留められます――』
緊張しながらも、レイラに動揺はない。冷徹な態度で尋ねてきた。
『――先制でブレスを浴びせれば、イザニス族の伝声呪さえ使わせません――』
そんな暇すら与えずに殺せる――そう言っている。
…………。
俺の目でもハッキリ見える、空中戦で言うなら目と鼻の先の距離。
緑竜を駆る魔族がゆったりと、眼下を通り過ぎていく。
ここで緑竜を落とせば、魔王軍の目をひとつ潰せる。空中でイザニス族を半殺しにして捕まえられれば、転置呪の身代わりにだって――
「――――」
……いや、やめておこう。このまま見送る。
『――はい――』
レイラは翼を広げ、ただ風に乗ってほとんど
不自然な気流を生み出さず、風の申し子たる緑竜にも違和感を抱かせない、見事な隠密飛行だった。
すれ違い、そのまま距離が離れていき――やがてレイラが緊張を解いた。
「……よかったの?」
リリアナが囁く。
「ああ。『偵察飛行中の緑竜を撃墜できる何か』の存在を魔王軍に知らせたくない」
しかも、騎乗していたイザニス族に連絡する暇すら与えずに撃墜できる何か、だ。否が応でも魔王軍の注意を惹いてしまう。
というか、レイラのブレスをぶっ放した時点で相当目立つだろうしな。
これで魔王軍が偵察や哨戒を強化したら、結果的に俺たちの首が絞まる。向こうがこっちに気づきでもしたら、話は別だったが……
『――念を入れて、一応このまま、もうしばらく滑空を続けます――」
そうして俺たちは、物理的には快適だが、緊張感のある空の旅を続けた。
なんだかんだで国境が近づきつつある。ただの様子見で、ここまでギリギリを攻めるつもりはなかったんだがなぁ……
…………っていうか。
「……なんかさ」
『――はい――』
「やたらでかい魔族いないか……?」
俺の目がおかしくなっていなければ、身長が数十
『――いますね。あの魔族、なんだか質感が石みたいです――』
レイラも同意した。俺がおかしいわけではないらしい。
『――瓦礫の山を掘り起こしているようにも見えます……あっ――』
どうした?
『――潰れた魔族が出てきました。あの瓦礫の山って、もしかして砦?――』
最前線のドワーフの砦が攻められた、って話だったが……
「1日で瓦礫の山かよ……」
俺は慄然としながらつぶやいた。
やっぱり、街の衛兵たちの見立ては楽観的に過ぎたようだ。
蓋を開けてみれば絶望的なんてもんじゃない、明日明後日には魔王軍がこの地に雪崩込んでくるぞ――そうか、さっきの偵察は進軍ルートの下見か!
「戻ろう」
『――はい――』
レイラがゆったりと羽ばたいて旋回し、東へと反転する。
……それにしても、返す返すも疑問なんだが、ドワーフ王国攻めは、周辺の人族領や獣人族領を先に制圧するのが定石だ。あのドワーフの砦を力押しで先に落としたのは、どんな意図があったんだろう。
それで攻め落として占拠するでもなく、瓦礫の山になってるし……
まあ、俺がどういう行動を取るにせよ、アダマスの打ち直しは急いだ方がよさそうだ。それがハッキリわかっただけ、偵察の価値はあったと信じたい。
――そんなことをつらつらと考えつつ、俺たちはアインツの工房へと戻った。
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※書籍5巻の表紙イラストが公開されました――ッッ!!
ウオオッすごいぜ! 真っ赤に燃えてる~~~!!! 街が!!!
https://kakuyomu.jp/users/AmagiTomoaki/news/16818093084133880216
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