531.職人の苦悩


「――俺がッ! この剣のせいで! どれだけ苦しんできたか!!」


 一瞬、気絶していた俺だが、すぐにアインツにガクガクと揺さぶられて意識を取り戻すことになった。


「それをッ! テメェこの野郎、なんだこのザマは!! 俺の最高傑作だったんだぞ! わかってんのか! こんな……こんな、酷すぎる! こんなブザマなアダマスを見せられた、俺の気持ちがわかるかァッ!?」


 血走ったアインツの目が、ちょうど顔の真ん前にある。意識が飛んで倒れかけ、俺は膝立ちみたいな姿勢になっていた。背の低いアインツと視線の高さが合っている――


 それにしても、アインツの気持ち、か。


 わからなくはない。アインツはかつて、アダマスを自身の最高傑作だと言っていた。


 それこそ、『真打ち』に迫る出来だと――


 そんな、我が子のように愛しい傑作を、見るも無惨な姿に変えられて……激昂するのは当然だった。それは理解できる。


 ……ただ、『この剣のせいでどれだけ苦しんできたか』のくだりは全然わかんねえんだよな。どういうことだ? なので結論としては。


「すまねえ…………たぶんよくわからない」

「こンの野郎ッ『たぶん』って何だ『たぶん』ってコンチクショウ――ッ!」

「グアアッ!」


 ゴチィィィンッと今度は頭頂部にゲンコツを落とされた。クソッ視線の高さが合っていたばかりに!! 気絶はしなかったがめっちゃ痛い!!


「あ、アレクっ」


 すぐにリリアナの治癒の光が飛んできた。ありがたい。オーダジュは、稚児の喧嘩を見守るような生暖かい目でこちらを見ているし、ヘレーナは俺がボコられるのを見てプークスクスとでも笑いたげな顔をしていた(あからさまに嗤わないのは彼女の理性と育ちの良さの賜物だろう)。


 レイラは……長距離走でぐったりとしていたせいもあるだろうが、表情が抜け落ちた顔で、金色の瞳からは光も消え失せ、アインツをただただ凝視していた。


 その瞳の、底なしの暗闇――


『なんか闇竜みたいじゃな……!』


 アンテ! レイラ相手だとそれは洒落にならない!


 そしてレイラ! 悪いのは俺だから! どう考えてもアインツの渾身のひと振りをダメにした俺が悪いから……!! 鎮まり給え……どうか鎮まり給え……!


 俺が竜の怒りをなだめようと目線を送っていると、ひとしきり怒鳴り散らしたアインツは肩で息をしながら、近くの部屋へと引っ込んだ。


 ……ズルズルと、椅子を引っ張ってくる。無造作に天井へ、ヒュボッ! と火の魔力を飛ばし、ランプに明かりを灯すアインツ。


 薄暗い館のエントランス、ランプに照らされた円形の明かりの中で、ヒョイと椅子に腰掛けたアインツはその短い脚を組み、いかにも悩ましげなポーズを取った。


「いいだろう。脳みそまで筋肉でできてるようなお前にも、わかりやすく、俺の苦悩を、これまでの足跡を、教えてやる……!!」


 なんか語り出した……!


「お前から全財産を受け取って、俺も精魂込めてアダマスを打った。そして今までにないくらい、最高のひと振りが仕上がった。紛うことなき会心の出来ってヤツだ。アダマスが完成してしばらくの間は、俺もそれを純粋に喜んでいたよ」


 アダマスを打ち終わったときのお前の「やりきった」感は凄かったもんな……


「だが……ッ!」


 そこで「クッ!」と苦しげに表情を歪めるアインツ。


「それが……悪夢の幕開けでもあった……ッ!」

「どういうことだ……?」

「考えてもみろ! 自分の限界を超えた、会心の出来だったんだぞ!? 俺は自分の『最高』を知ってしまったんだ! それならばその頂きに、境地に、再び至りたいと考えるのは職人として当然のことだろうがッ!」


 クワッと目を見開くアインツ。


「来る日も来る日も、俺はアダマスを目指して剣を打ち続けた……普通のドワーフはなんだかんだ、斧や槌、鎧を作るのが本業で、剣や盾は片手間ってやつも珍しくはねえ。ハハッ、俺ほど剣を打ったドワーフ鍛冶も珍しいだろうよ。いくら聖教会を支援してるっつってもな……」


 皮肉げに笑いながら、アインツが背後の壁を見る。そのとき初めて気付いたが、薄暗い館の壁には所狭しと剣掛けが設置されており、無数の剣が掛けられていた。収まりきらない物は壁に立てかけてあったり、床にそのまま転がしてあったり。


「だが……これだけやっても……どんなに丹精を込めても……!」


 アインツは目を細め、ぎりぎりと拳を握りしめる。


「俺は、アダマスを超えられなかった……!」


 再び、怒りと苛立ち、そしてある種の絶望を秘めた目で、俺を見つめた。


「死物狂いでやったよ。鍛冶魔法の制約で、俺たちドワーフは、報酬次第で作品の出来まで変わっちまう。だが充分な腕前があれば、やっすい報酬でも傑作が打てる。さらに充分以上の報酬まで受け取れば、アダマスを超える作品だって打てる――打てなきゃいけねえんだ! それなのに!」


 ダンッと椅子の肘掛けを叩く。


「お前の全財産を軽く上回る宝物を対価にしても! お前以上に切羽詰まった奴から報酬を受け取っても! 俺はアダマスを超える作品を打てなかった! これは屈辱だ、鍛冶師としての敗北だッッ! 確かに、少しずつ腕は上がってる! だが、どうしても、超えられねえんだ! あの完成度を! アダマスに並ぶ作品すら俺は打てねえんだよォ!!」


 アインツは歯を食い縛って頭を抱える。


「『ひょっとして……あのときの会心の出来は、だったんじゃねえか』『あの出来は俺の限界、にすぎなくて、もう超えられないんじゃねえか』――そう考えると、俺はもう、怖くて……悔しくて! 最高だったんだ! アダマスは! 真打ちに限りなく近いとは確信していたが! していたが……!!」


 段々と勢いをなくしていき、アインツはぐったりと椅子に背を預けた。


「それで……そうやって剣ばっかり打ってたら、いつの間には人族御用達の鍛冶師とやらになってよ……待遇は良くなったし、客も山ほどできた。だが、それがどうしたってんだ? 俺は目の前に人参を垂らされた馬よろしく、バカみてえに走ってただけだ。意地になって、必死になって……でも近頃は疲れちまってよ……剣ばっかり打ってたら、斧や槌の打ち方もよくわかんなくなっちまって……嫁も愛想尽かして故郷クニに帰っちまったし……」


 こんな体たらくじゃ、ご先祖様にも顔向けできねえよ……とつぶやきながら、ズルズルと椅子に沈み込んでいくアインツ。


「それを……その、最高傑作を……ッ」


 アインツの目を眩ませ続けた至高のひと振りを。


「お前は、……この野郎……ッッ!」


 無惨にひび割れ、古びた刃に、かつての輝きはない。


「……すまない。本当にすまない。マジで悪かった」


 俺は平謝りするしかなかった。俺はアダマス完成後、しばらくして別の戦線へと移ったので、アインツとの交流も途絶えてしまった。


 でもまさか、アダマスを打ったことで、アインツがそんなに苦しんでいるとは、思いもよらなかった。


「いや、……その……」


 アインツが意表を突かれたように、何やら口ひげをモゴモゴさせている。


 …………ああ、わかった。昔は売り言葉に買い言葉で、取っ組み合いの喧嘩に発展することも珍しくなかったから、俺が素直に謝ってきて肩透かしを食らったのかもしれない。


 若かったからな……あんときの俺は……


 しかもその上、今より遥かにバカだったからな……


「いや……俺も、言い過ぎた……」


 ボソボソと、アインツがつぶやくように言った。


「俺がアダマスを超えられないのは、あくまで俺の腕のせいであって、その点はお前には関係ねェ。……いやアダマスをぶっ壊されたのは普通に腹が立つがな?」


 俺たちふたりは、しょんぼりと見つめ合う。


 ……よく見ると、俺のおぼろげな記憶にある顔より、アインツの目元にちょっとシワが増えていた。ヒゲで隠れて見えないが、ドワーフにしちゃ血色も悪く見える。


「魔王城でも……アダマスは頼りになった。周りのみんながガラス細工か水に濡れた紙みたいに装備をぶっ壊されていく中で、アダマスだけは、魔王の槍と打ち合っても折れずに俺を支え続けてくれたんだ……」


 俺は、自然と、魔王城強襲作戦を振り返りながら話していた。


「魔王の……大魔神の力を秘めた槍。あれはこの世界で最強の武器だと思う」

「世界で最強の武器、だと?」


 ピクッ、とまず真っ先にその部分に反応するあたり、アインツはやはり根っからの鍛冶師なのだろう。


『ツッコミどころは他にも色々あるはずじゃが、見事に武器のことしか気にしておらんのこやつ……』


 そういうヤツなんで……。


「ドワーフ鍛冶のお前に、面と向かって『最強の武器』なんて言い放つのがどれだけ無神経なことか、俺も理解はしているつもりだ。だがあれは……本当に最強の武器、もはや、現象に近い何かだ。アインツ、お前が知る最高の武具を思い浮かべてくれ。それを100倍頑丈に、100倍凶悪にしたものが、魔王の槍だ」

「はァ……?」

「バカみたいだと思うだろ? でも本当に『そう』なんだよ」


 俺は目に力を込めて言った。アインツが初めて、たじろいだように身を引いた。


「今思えば、魔王はきっと手抜きしてたんだと思う。それにしても、化け物じみた暴力の塊だった。そしてそんな力をぶつけられてもアダマスは折れなかった。それなのに……傑作を、ダメにしちまって……本当にすまない。申し訳ない」

「…………ちょっとよくわからなくなってきたんだが」


 アインツがボリボリと頭をかく。


「魔王にぶっ壊されたんじゃなかったら、なんでアダマスはこんなことに?」

「…………」


 俺は、じわっと嫌な汗が滲んでくるのを感じた。


「何をどうしたらこうなるってェんだ。まさか世界最強の武器を超える何かがあったとでも?」

「いや……その……」

「おい! 俺はアダマスコイツの親だぞ! 詳しい最期を知る権利はあるだろうがよ!!」


 グワシッと肩を掴んでくるアインツ。


 俺は何度もつばを飲み込もうとして、口の中がカラカラになっていて失敗した。


 クッ……絶対怒る……怒られる……!


 だが!


 言うしかねえ!



「……アダマスを……休眠させて……ッ! 本来の性能を封じた状態で! めちゃくちゃ強い奴の渾身の一撃を受け止めたら、ひび割れちゃいましたッッ!!」



 観念して、俺は正直に告げた。



「…………は?」



 アインツが、固まった。



 ああ……みるみる顔が真っ赤に染まっていく――



「なに……言ってんだ……テメェ……」

「アダマスを休眠させて――」

「テメェこの野郎ブッ殺してやるオァァァァァァ――!!」


 視界に重厚なドワーフ拳が大写しになった。



 またもや、瞼の裏で星が散った。



          †††



「前が見えねェ」

「反省してろッッ!」


 ボコボコにされました。甘んじて拳は受けました。どう考えても俺が悪いし、正直、思っていたよりもっとずっと罪深かったので……


「グルルルル……」

「レイラ、仕方ないわよ。男には譲れないものがあるの……」


 癒やしの奇跡を放ちながら、リリアナがレイラをなだめている。レイラさん……俺なんかのために怒ってくれるのは嬉しいけど、ホント俺の落ち度なんで……


「いやしかし、冷静に考えたらお前はなんなんだ?」


 俺をしこたまぶん殴って多少スッキリしたアインツが、椅子に座り直しながら、今さらのように問いかけてきた。


「手紙の件が嘘だったのかと思えば、魔王城には行ってたみたいなこと言い出すし……生きてた割には今まで音沙汰がねェし、それになんだ? このエルフの姉ちゃんとエルフのジジイ、それにやたらと魔力が強え……人族? の娘っ子といい、なんなんだよこの愉快な面子は」


 椅子の前で正座する俺に、ズイッと顔を寄せてくる。


「しっかり! 話してもらおうか。お前の事情もな!!」

「……そうだな」


 さて、ホントに今さらだが、どこまで話したものか。どう話したものか……


「あ、言っとくが全部話せよ?」


 俺の思考を遮るように。


「この期に及んで隠し事なんてしたら、承知しねえぞてめェ」


 ドンッ、と胸板をどつかれた。


「……俺とお前の仲だろうがよ」


 目を逸らしながら、ぶっきらぼうに言われて。



 俺は、思わずフフッと笑ってしまった。



 何度……



 今まで何度、アインツと取っ組み合いになったかわからない。



 さっき、アインツは俺のことをダチと呼んでくれたが、『友人』という関係が適切な表現なのかは謎だ。


 俺が前線に行き、折れた剣を引っ提げて戻ってきてアインツに文句を言う。


 アインツがブチギレながらまた剣を打つ。


 俺はそれを引っ提げて再び前線へ――そして歪んだ剣を手に戻り、文句を言う。


 またアインツがそれにブチギレて、剣を打ち直して――


 ときには殴り合いの喧嘩をして、ときには酒を飲んで管を巻いて。


 調子が良く剣が長持ちしたかと思えば、ここぞというときに折れて。


 また文句を言って、殴り返されて、喧嘩して、新しく剣を打ち直して。


 延々と、そんなのを繰り返していた。


 ダチと呼べるか? これ。


 ……でも、まあ。



 戦場で肩を並べこそしなかったものの。



 俺たちは、確かに、戦友だったな。



「…………」


 腕組みをして、アインツが俺をじっと見つめている。


「そう、だな」


 俺はそのへんに転がっていた木箱を引っ張ってきて、どっかと腰を下ろす。


「わかった。全てを話そう。ただ代償はけっこうデカいことになるぞ」

「へっ、こちとらお前の全財産を巻き上げたことがあんだぞ?」


 アインツはニヤリと笑った。


「俺がやれるもんなら何でもくれてやらァ」

「……後悔すんなよ?」


 俺もまたニヤッと笑ってやる。


「――魔王城強襲作戦に参加したのは本当だ。俺は運良く魔王のもとにまでたどり着き、魔王と戦った。そして――全く歯が立たずに、そのまま殺されたんだ」

「は?」


 俺の淡々とした説明に、アインツが目をぱちくりさせる。



 先ほど、オーダジュが広範囲の防音の結界と隠蔽の魔法を展開してくれたので、致命的なことも気兼ねなく話せる。



 気兼ねなく――真実を見せられる。



 俺は魔力を、周囲の空間に溶け込ませるようにして発散させながら。



 人化の魔法を、解除する。



「なァ――ッッ!?」



 目を見開き、ぎょっとして仰け反るアインツ。



「そうして気づけば――俺は、魔王の息子に生まれ変わっていた」



 俺は皮肉に、いかにも悪辣に、笑ってみせた。



「――第7魔王子ジルバギアスに、な」



 頭から生えた角を撫でつけながら。

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