517.軍団集結


 夜。


 北部戦線、国境地帯。


 ドワーフ連合の一角・フェレトリア王国の山々を一望できる小高い丘には、魔族の天幕が所狭しと並び立っていた。


 魔族たちの雄叫び、陽気な歌声、意味のない叫び、あるいは怒声――それらに混じって、使用人や召使いが駆け回る足音、骸骨馬車の車輪が軋む音、焚き火が弾け、鍋の湯が沸騰し、グラスの打ち鳴らされる音が響く――ありとあらゆる生活音、混沌とした、しかし活気ある空気がそこには満ちていた。


 魔王軍が、集結しつつある。


 魔族の武威を内外に示さんと。


 ドワーフ連合の領土を再び削り取り、


 その肥沃な土地と資源を手中に収めんと――


「……遅い」


 と、一般魔族たちの喧騒をよそに、一際立派な天幕の前、ひとりの女魔族が不機嫌な面持ちで立っていた。


 緩やかに湾曲した立派な角、赤紫色の髪。すらりとした体躯は妖艶な赤紫色の革のドレスに包まれている。


 ――スピネズィア=サウロエ。


 魔王国が第5魔王子だ。


 腕組みし、落ち着きなくトントンと足の爪先で地面を叩くスピネズィアは、不機嫌というよりもある種の焦燥――切羽詰まった『何か』に追われているかのようだ。


「……姫様ぁ~~~!」


 バカでかいリュックを背負った猫獣人の従者が、遠くから駆けてくる。


「遅いわよコシギン! 早く!」

「お待たせしましたぁ~~~!」


 コシギンと呼ばれた従者は、全力でスピネズィアに駆け寄り――



 大きなミートパイを差し出した。



 その瞬間、バリィッと音を立ててスピネズィアのドレスの腹部分が開く。



 派手な音だが、破れたわけではない。食欲制御ボン=デージのファスナー部分が瞬間的に開いただけだ。


 腕ごと持っていきかねない勢いでコシギンの手からミートパイを引ったくったスピネズィアは、恥じらいも何もなく、豪快にかぶりついた。


 ワシャァッ! と食い千切られるパイ生地、まるで砂地に水を撒いたかのように、あっという間にスピネズィアの胃袋へと消えていくミートパイ。


「はっ!」

「ほぐっ!」

「よっ!」

「むぎゅっ!」

「そいっ!」

「ぐももっ!」

「よいしょー!」

「ばりもしゃぁ!」


 テンポよく食料を差し出すコシギン、それらを受け取っては次から次へと口に詰め込んで――いや吸い込んでいくスピネズィア。


 ふたりとも、周囲の魔族が思わず足を止めて眺めるほどに息がピッタリで、見事な連携だった。


 そしてコシギンがあっという間に空になりそうなリュックを心配し始めたあたりで「遅くなりました~!」「おかわりです!!」とさらなる従者たちが袋や箱を抱えて到着。


 もちろん、中にはぎっしりと料理や菓子が詰まっている。


「……ふぅ。ようやく落ち着いたわ」


 コシギンが運んできた分をちょうど食べ切り、ぽっこりと膨れたお腹――それでもみるみるうちに凹んでいく――を撫でて、スピネズィアはようやく一息つく。


「……もうちょっと遅かったら、あんたごと食べていたところよ」

「ひえ、勘弁してくださいよ! 姫様が言うと笑えませんって!」


 ジロ、と横目で睨んでくるスピネズィアに、大げさに震え上がるコシギン。


「あんた、ちょっと太ったんじゃない? 食いでがありそうだわ」

「太ったんじゃなくて水浴びしてふわふわになったからですよぉ! ボソボソで絶対美味しくありませんって、おれの肉なんか!」

「あたし、脂身たっぷりより引き締まった赤身の方が好きなのよね……」

「ひぇぇ~!」


 真顔のスピネズィア、怯えるコシギン、しかしどことなくわざとらしい雰囲気からふたりがふざけ倒しているのは明らかだった。


 ……魔王国では最下層民に近い獣人が、こうして気さくに魔王子と話ができているという時点で、ふたりの気心の知れ具合が伝わろうというもの。


「にしても姫様、この頃ますます食欲に磨きがかかってません? おれは魔力が見えないんでアレですけど、ひょっとして育ち盛りだったりします?」

「……そうね。この頃は特に伸びがいいかも」


 コシギンの呆れたような感心したような声に、スピネズィアはおどけた調子で笑って答えた。


「今回の戦で伯爵への昇進は固いと思うけど、さらに上を狙っていきたいわね」

「いやぁ、姫様が急成長を遂げられた日にゃ、参謀たちも喜びつつ頭を抱えると思いますよ! 主に兵站面で」

「成長が止まるよりマシでしょ」


 スピネズィアは手をひらひらとさせてから、皮肉な笑みを浮かべて、夜空にその手をかざした。


「……あたしはもっと大物にならなきゃいけないし」


 欠けた兄の分を埋め合わせられるくらいには――という言葉は呑み込んだ。第4魔王子エメルギアスが死んだせいで、第1魔王子派閥の自分にも色々と皺寄せが来ている。今回のサウロエ族の出陣もその余波のひとつだ。


 基本的に、北部戦線は人気がなく、どの部族も参戦したがらない。山がちな地形で行軍が面倒ということもあるが、最大の問題は――


「ドワーフたち……敵に回すと厄介って聞きます」


 少し表情を強張らせ、コシギンがフェレトリア王国の山々の方に目を凝らした。


 ドワーフ鍛冶戦士団。


 全身を【真打ち】の魔法武具で固めた彼らは、防衛戦に極めて強い。


「そうね。あんた、対ドワーフ戦に従軍するのは初めてなんだっけ」

「はい! 戦争自体もそもそもけっこう久々ですけど」

「……あの山々が見えるでしょ?」


 傍らの地面にぶっ刺していた槍を抜き、指示棒代わりに、穂先で空中をなぞってみせる。


「見えます! 登るとダルそうですねー」

「アレね、全部ドワーフの要塞」

「えっ?」

「アレのひとつひとつが、文字通り山城なのよ」


 トントン、と槍の柄で肩を叩きながら、スピネズィアは鼻で溜息をついた。


「斜面は罠だらけ、中には坑道が張り巡らされていて泳ぐように移動するドワーフは神出鬼没、ちょくちょく見える砦や見張り塔も石材からしてドワーフ製の建造物。真正面から突破しようとしたら、……なかなか骨よ」

「ひえ~……おっかないですね……」


 コシギンは、スピネズィアに食料を届けるという役割があるので、戦闘には基本的に参加しない。なので説明を受けても、どこか他人事な空気を漂わせていた。


 ――もっとも、スピネズィアがどれだけ激戦区にいようと、走って食料を送り届けなければならないので、コシギンは下手な戦闘員よりよほど危険な目に遭う可能性もあるのだが。


「お嬢! そろそろ時間です」


 と、そのとき、スピネズィアの副官である魔族の男がやってきた。


「コルヴト族の代表も到着しました。軍議が始まりますよ」

「すぐに行くわ」


 あぐっ、とアップルパイを飲み込んでうなずくスピネズィア。



 ――これから、各氏族の代表や主だった者が集まって話し合うのだ。



 その厄介極まりないドワーフの山城を、どのように攻略するか。



 どのように攻め落とすか、を。


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