511.返礼と出自
「ヴァルス様、それは――」
置物のように存在感を消し、黙って話を聞いていた騎士が、思わずといった様子で口を挟む。
「よい。我が名において、だ」
――オプスガルディアの名ではなく。
最低限の保険だ。
仮にアレクサたちが嘘をついていたり、討ち漏らしがいて新たな被害者を出したりすれば、ヴァレンティウスの名声は地に落ち、家名を出さなかったとしてもオプスガルディア家の威信も無傷とはいかないだろう。
(だが、構わぬ)
命の恩人一行をグダグダと疑うようでは、それこそ貴族の名折れ。いや、あらゆるリスクを想定して立ち回るのは、それはそれで貴族らしい仕草と言えるが、少なくともヴァレンティウスの趣味ではない。
そして――これは個人的な話だが、『適当な灰を用意し、吸血鬼の灰ということにして、村人を安心させましょう』などと、姑息なことを言い出さないアレクサの態度にも好感を抱いた。
偽物を用いてでも、人心掌握を優先する価値観もあるだろう。そちらの方が貴族的かもしれないが、これもまた、ヴァレンティウスの好みではない。
いずれにせよ、万が一のリスクを鑑みても、眷属化して闇の輩に堕することに比べれば、何でもないように思えた。
「アレクサ殿。我ら騎士隊は念のため、この村に数日留まり村人たちを保護しよう。貴殿は心置きなく、次の現場へ向かわれるとよい。此度の尽力、領主一族として改めて厚く御礼申し上げる」
ヴァレンティウスは優雅に、膝をついた最敬礼で謝意を示した。
「そんな……俺は……」
くしゃっと顔を歪めるアレクサ。
「俺は……俺たちが、なすべきことを、実現できるように最善を尽くしたまでで……むしろヴァレンティウス殿こそ、ありがとうございます。村の人たちを――」
「ヴァルスで構わない」
ヴァレンティウスは、ニコッと微笑んだ。
「ヴァレンティウスでは呼びづらかろう? ……我が一族は誰も彼も、名前の長さには定評があってな……」
思わぬ自虐ネタに、一同、呆気に取られてからくすくすと笑う。
「それでは、ヴァルス殿。俺のこともアレクとお呼びください。……その、あまり変わり映えはしませんが」
「わかった、アレク殿。そうさせてもらおう。それからオーダジュ殿、リリィ殿」
ふたりに向き直ったヴァレンティウスは、コンコンと一定のリズムで鎧を叩いた。カチャッと鍵が開くような音を立てて胸甲が開き、一時的な着脱可能状態になる。胸ポケットに手を入れ――
「遅ればせながら、治療の謝礼を。恥ずかしながら、今は非常時につき、持ち合わせがないので……」
そう言いながら差し出したのは、金色に輝く指輪だ。総金属製で、座にあたる部分には、警戒心の強い鳥『オオタカ』の意匠が刻み込まれている。オプスガルディア家の紋章だ。
「それと、こちらの書状を。我が命を救って頂いたことへの謝状です。一族の者に見せれば、最大限の便宜を図りましょう。如何様にもお役立てください」
一瞬、オーダジュとリリィのどちらに手渡すべきかヴァレンティウスは迷ったが、色々と角が立たないオーダジュを選び、深々と一礼した。
「ヴァレンティウス殿……しかと受け取りました。このオーダジュ――」
大事そうに謝状と指輪を仕舞い込みながら。
「――オーダジュ=エル=デル=ティユールの名において、この地の吸血鬼が殲滅されたことを、ここに保証いたしましょうぞ」
重々しく宣言した。
「……エル=デル=ティユール?!」
一瞬、耳を疑い、目を剥くヴァレンティウス。
オーダジュの言葉はヴァレンティウスの判断を強く支持し、勇気づけるありがたいものではあったが、氏族名を聞いてそれどころではなくなってしまった。
「まさか……聖大樹連合8大氏族の……?」
「そのように呼ばれることもありますな。ご存知でしたか」
「ええ、はい、森エルフの文化も嗜み程度には、存じ上げておりますゆえ……」
たじたじで答えるヴァレンティウスは、かなり動揺していた。
(――なんということだ! 下手な人族の王よりも、よほど由緒正しい出自の御方ではないか……!)
光の神々がこの地を創造し、生命をもたらしたときに誕生したとされるハイエルフの血統。神話の時代より脈々と続く、森エルフの中でも指折りの名家……!
4百年ちょっとの歴史しかないオプスガルディア家など、もはや比較するのもおこがましい。しかもオーダジュは、森エルフでありながら、見てわかるほどの高齢だ。いったい何歳なのか見当もつかないが、これほどの人物ともなると、ひょっとしたら聖大樹連合議会の一員だったかもしれない……
(本来ならば、私ごときが口をきける立場の方ではないな……!)
聖大樹連合議会は、森エルフという種族そのものの最高意思決定機関だ。その議員の影響力の大きさを考えると、大国の宰相と同格と言っても過言ではない。
それほどのやんごとなき御方だったからこそ、末期的な眷属化の解呪も叶い、自分も首の皮一枚で助かったわけだ……
(おお……神々よ。この巡り合わせに感謝します)
密かに胸の内で祈りを捧げる。
ここに来て、ヴァレンティウスは自分がどれだけ幸運だったか理解していた。
――と同時に、オーダジュほどの人物の仲間であるリリィやアレクサが、いったい何者なのかという点も、少し空恐ろしく感じた。
(……まあ、聖教会のヴァンパイアハンター部隊とはいえ、流石にリーダーはオーダジュ殿なのだろうな。彼を差し置いて他の者が代表となるには、それこそ王族でもなければ釣り合いが――)
王族でもなければ――
「…………」
ふと、リリィを見つめるヴァレンティウス。
神々しいほどの美貌。聖大樹連合議会が意見を奏上するのはハイエルフの女王であり、ハイエルフとは光の神々の恩恵を色濃く受け継いだエルフの上位種であり――
「?」
こてん、とあどけなく小首をかしげるリリィ。
(いや……まさかな)
愛想笑いで妙な間を誤魔化しつつ。
――常識的に考えて、ハイエルフの王女がヴァンパイアハンターなんてやっているわけがない。それに、ハイエルフは普通の森エルフよりも耳が長く尖っているそうだが、リリィの耳は割と普通な長さだった。
(オーダジュ殿のように、大氏族の生まれなのかも知れぬな……)
ハイエルフの血を濃く受け継いでいる、というのはありそうな線だ。しかし、なぜこんな辺鄙な土地でヴァンパイアハンターをやっているのかは、わからない。
(そう考えると、オーダジュ殿の仲間たるアレクサ殿も、やはり只者ではないのか)
技量的な意味で『一角の人物だろう』とは思っていたが、もしや出自も――
「…………」
ふと思い至って、ヴァレンティウスはまじまじとアレクサを見つめてしまった。
人族においても、王侯貴族は往々にして魔力強者の血筋であり、歴史ある家は秘技や秘術の類も代々受け継いでいることが多い。
(決して明かせぬという、有用極まりない秘術……)
冷静に観察すれば、ヴァンパイアハンターとしては常にアレクサが前に出ており、オーダジュは常に一歩後ろに下がっている……
いくら聖教会の組織とはいえ、森エルフが協力している以上は政治的なパワーバランスとは無縁でいられないはずで、老エルフからすれば赤子に等しい人族の若造が、堂々と代表者として振る舞っているのも、オーダジュの身分がわかった今となっては少々不自然でもあり……
もしや……アレクサも王族……?
(…………いや、まさかな)
自分のような田舎貴族ならともかく、王子がヴァンパイアハンターなどになるはずがない。なれるはずがない。
(第8、第9王子くらいなら……いや、それでも流石に家が許さぬか)
――ならば私生児という線はどうだ?
雷に打たれたようにひらめくヴァレンティウス。
――王家の秘術を受け継ぎ、聖属性に目覚め聖教会に引き取られた――極めて繊細な立ち位置ゆえ、前線に投入されることはなく――しかし後方で腐らせるには、その能力はあまりに有用で――最終的に、十全に力を発揮するためヴァンパイアハンターになった、と解釈すれば色々と辻褄も――
「……ヴァルス殿?」
怪訝そうに、アレクサがこちらの顔を覗き込んできて、ヴァレンティウスはハッと我に返った。
ちなみにこの間、ヴァレンティウスが頭をフル回転させていたため、数秒ほどしか経っていない。
「――アレク殿」
居住まいを正したヴァレンティウスは、ずいとアレクサに歩み寄る。
「ご武運を。皆様に、光の神々のご加護があらんことを……!」
――ヴァレンティウスが出した結論。
【この集団は、自分の手に負える存在ではない】。
なので、早々に話を切り上げることにした。
「ありがとうございます。ヴァルス殿も、どうかお達者で」
アレクサはニッコリと笑い、握手を求めてきた。続いてオーダジュも。完全武装でよかった、とヴァレンティウスは心の底から思った。篭手のおかげで緊張の手汗を悟られずに済む――
「ヴァルス殿、騎士隊の皆様にもよろしくお伝えください。それでは失礼……!」
アレクサたちは、ああ、『秘術』によって、本当に次の現場には目星がついているのだろう。
挨拶もそこそこに風のように去っていった――
「……はぁ」
アレクサたちの背中が完全に見えなくなってから、ヴァレンティウスは小さく溜息をついた。
「ヴァルス様……きっと、大丈夫ですよ。油断はできませんが、彼らが吸血鬼を全滅させたのだと信じましょう」
ヴァレンティウスの気疲れを察し、しかしその根本的な原因まではわからなかった側仕えの騎士が、親身に励ましてくる。
「あ……ああ。そうだな」
――そういえばそういう話だった、とヴァレンティウスも気を取り直し、己に活を入れた。
これから物証は一切なしで、村人たちを安心させなければならないのだから……!
†††
その後、ヴァレンティウスは村で吸血鬼の討伐を宣言し、アレクサたちが如何に優れたヴァンパイアハンターであったか、熱弁を振るった。
奇しくも、ヴァレンティウス視点では『アレクサたちが只者ではない』ことが確定したので、非常に説得力のある演説となった。
念のため、騎士隊が村に数日駐屯し警護するということもあって、村人たちも胸を撫で下ろし、安心して日常生活に戻っていく。
ヴァレンティウスは泰然と、騎士隊の面々は内心ピリピリとした気持ちで、警戒を続けたが――
翌日、翌々日になっても、吸血鬼は全く姿を現さなかった。
アレクサたちは、やはり『本物』だったのだ。
――その後、オプスガルディア家から招集が来るまで、数日間、何事もない平和な日々が続いた。
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