505.素人と専門家


 仮に、あなたが騎士だったとしよう。


 そして今、あなたの主君が命の危機に瀕している。早急に高度な治療を受けさせなければならず、あなたは街に向かって全力で馬車を走らせている。


 そんなとき、たまたま通りすがりで「高位の解呪も使えますよ」という森エルフが見つかったとして。


 果たしてあなたとその仲間たちは、満場一致でそれを信用できるだろうか? 主君が手遅れになるリスクを承知で、馬車を止めてまで、通りすがりの森エルフに治療を任せてみようという気になれるだろうか?


 ……なかなか難しいかもしれない。


 ただ今回に限っては、【早駆け】と風の魔法を重ねがけして、全力疾走する騎馬と涼しい顔で並走し、楽々馬車に追いついた老齢の森エルフ(森エルフの老人なんて滅多にお目にかかれない)という超レアケースだったので、実力の証明とは充分だったようだ。


 俺たちが追いつく頃には、馬車は停車し、オーダジュが治療に取りかかっていた。


「――リリィ! ワシひとりでは厳しい、補助を!!」


 険しい顔のオーダジュが、馬車の窓から顔を出して叫ぶ。


「わかったー!」


 ぴゅーっと飛んでいくリリアナ。野生動物もかくやという身のこなしで、(オディゴスが擬態した)木の杖を手にしたまま、するりと馬車に乗り込む。


というより、リリ公じゃないと無理なんじゃろなぁ』


 アンテが呑気な声で言った。


 俺もそう思う。多分、普通ならもう手遅れな状況だったんじゃないかな。


「ぐっゥ……がァァァァ!! ギャアア! ギシャアアァァァァ!!」


 ――だって馬車から患者のものと思しき声が響いてるけど、人間が発しちゃ駄目なタイプの鳴き声になってるもん……


「ヴァルス様ーッ! お気を確かに!!」


 馬車の中から、ドタバタと人が暴れる音と、悲鳴じみた知らない男の声。お付きの者だろうか。


「ん~~~~これちょっと、秘術使います! 馬車から出てください!」

「はァッ!? 貴様なにを――」

「失礼!」

「ぐあああ何をするッ!?」


 騎士っぽい青年が、オーダジュの手でポイと馬車から放り出された。枯れ木のような老人に見えて、魔力の身体強化がエグいから、普通の人族の若者じゃ太刀打ちできないだろうな。


『ああ、これはつまり……』


 アンテが察したのと同時、馬車から清らかな光の魔力が洪水のように溢れ出す。


 ああ。ハイエルフの『聖女』としての力だ――人化の魔法による擬態を解除したらしい。


「なんと……」


 お付きの者が放り出されて殺気立ちかけた騎士たちも、その圧倒的な癒やしの光に思わず息を呑む。


 俺もおこぼれに預かって、余波で癒やされる。毎日のようにこれを浴びてたんだよなぁ。ありし日のぺろぺろが懐かしい……


 今考えるとだいぶん狂ってたなぁ……


『おお……!』

『すげえ……!』

『今の僕にはちょっと恐ろしいな……』


 俺が隠し持つ遺骨の中でも、ヴァンパイアハンターたちが畏怖の念を滲ませ、アーサーが少し寂しげな感想を漏らす。腰に引っ提げた刺突剣からも『やっぱおっかないよねぇこの身だと……』とバルバラの念話が響いてきた。


「……ふぅ。治りましたー」


 何食わぬ顔で再び人化し、普通の森エルフに擬態したリリアナが、窓枠の修理でも終えた大工のような軽さでひょっこりと顔を出す。


「ほ、本当に!?」

「ヴァルス様ー!」

「ああ……大丈夫だ、諸君」


 リリアナに続いて、馬車からすらりとした背の高い美丈夫が姿を現した。ウェーブした艷やかな黒髪、切れ長の瞳に泣きぼくろ、すっと通った鼻筋、どこか憂いを帯びた整った顔立ち、健康的に日に焼けた褐色の肌――絵に描いたような貴公子だな。この人が『ヴァルス様』か。


 眩しげに目を細めながら馬車から降り立って、日差しを浴びる貴公子。


「おお……神よ。感謝します……また陽光の下に出られるとは……」


 そのまま片膝をついて、太陽に祈りを捧げる。なんとも気品に満ちた佇まいだ。


『こやつがさっきまでギシャアア! とか言っておったのか……』


 ……やめろ、吹き出しそうになったじゃねえか!


「ありがとう、お美しい森の方よ」


 と、膝をついたまま、今度はリリアナに向き直る貴公子。


「貴女の奇跡の業がなければ、私は理性なき夜の獣へと堕ち、使命も、貴族としての義務も果たせぬまま、灰に還されていたことでしょう」


 確かに、この人も運がいい。オーダジュだけだと厳しそうな雰囲気だったし、たまたまリリアナがいなければ今頃吸血鬼になっていたはず。


『そうだな。私の経験上、あのような奇声を発する段階まで眷属化が進んでしまえば回復は困難だ』


 俺にしか聞こえない念話で、レキサー司教が補足する。


『私の母は、もう少し理性が残っていたが、それでも誰も治せなかった……』


 ……レキサー司教の故郷が襲われたとき、か。リリアナがいたら、話は別だったんだろうな……


「貴女はまさしく、私にとっての『フィリディア』――命の恩人です。貴女に心よりの感謝を。この恩義は決して忘れません」


 と、リリアナの片手を取った貴公子が、ちゅっと手の甲に口づける。


『フィリディア?』


 アンテが首を傾げる気配。えーと、確か森エルフの叙事詩だったかな、行きずりの怪我したドワーフを『フィリディア』って森エルフの女魔法使いが助けた話だったと思う。ドワーフと森エルフ和解を印象づけるエピソードでもあるし、森エルフの間では『困っている人を助ける心優しき人』の代名詞に使われてるんだとか。


 貴族だけあって森エルフの文化にも造詣が深いらしい。


「私は、私にできることをしたまでです」


 上品な微笑をたたえ、リリアナは堂々とした態度で貴公子の謝意を受けた。普段の天真爛漫なリリアナを知っていると、なんというか、別人というか。


『借りてきたわんこというか』


 そんな感じ。


「ええと……」

「ああ、申し遅れました。私はヴァレンティウス=トン・フェルミンディア=フェレトリア=イグノーティア=アロ・ピタラ=マルガリア=セル・オプスガルディアと申します」


 う~ん、長い! 北部ドワーフ連合の人間貴族、ここに極まれりって感じだな!


『いや長すぎるじゃろ、わけがわからんぞ』


 分解して考えると、実はそうでもないんだ。


 わかりやすく言い直すなら『フェルミンディア王国およびフェレトリア王国およびイグノーティア王国所属、ピタラ王国およびマルガリア王国と同盟関係にある、オプスガルディア領のヴァレンティウス』って感じかな。


 前も言ったけど、ドワーフ連合王国圏で暮らす人族・獣人族は、複数のドワーフ王国に臣従してるのが当たり前だからさ……自分の所属を明確にするには、どうしてもこういう名乗りになっちまうんだよ。


『ずいぶんと詳しいの。魔王城では習ってなかろう?』


 前世の北部戦線じゃ、貴族の指揮官とも当然付き合いがあったから、ここらへんの事情は聞きかじってたんだ。


「森の方よ。もしよろしければ、あなた方のお名前を聞かせて頂いても?」

「私は、リリィと言います」

「オーダジュと申します」

「おお。リリィ殿、オーダジュ殿。改めて感謝を捧げます……!」


 胸に手を当てて深々と頭を下げる貴公子――ヴァレンティウス。周囲の騎士たちも膝をついて、「かたじけない……!」「御礼申し上げる!」と感涙に咽んでいる。



 これにて一件落着――



 と、言いたいところだが。



「しかし、なぜヴァレンティウス殿ほどの御方が吸血鬼に……?」


 一番気になっていた部分を、オーダジュが突っ込んでくれた。『そうだそうだ』と言わんばかりに遺骨たちが振動している……!


「それは――」


 くっ、と苦しげに顔を歪めたヴァレンティウスは、馬車が全力疾走していた街道の先に忌々しげな視線を向ける。


「――この道を少し進んだところに小さな村があり、吸血鬼が出没しているとの報告があったのです。民を守るため、我らが出動したわけですが、吸血鬼が潜んでいると噂の洞窟に踏み込み……結果、このような事態に」


 ヴァレンティウスの言葉に、『馬鹿な……!』とレキサー司教が呻いた。


『素人が何の支援もなく、吸血鬼の棲家に踏み込んだというのか!』


 いくら貴族と精鋭の騎士でも、無茶が過ぎるだろ……!


 そして案の定、負傷。死ななかっただけマシ、というか全滅してないだけ、彼らの戦闘力の高さが窺い知れるが……


 残念ながらその村には聖教会がなく、奇跡の使い手もいなかったらしい。不幸中の幸いだったのがヴァレンティウス自身が光属性の魔力を扱えたことで、自らに解呪を施し時間稼ぎをしながら、聖教会がある最寄りの村へと向かった。


 が、その村にいたのはまだペーペーの神官で、解呪は叶わず。


 眷属化の進行具合に絶望しながら、来た道を引き返して、聖教会がある遠くの街へ全速力で駆けていた、と……


 そこで俺たちと巡り会ったわけだ。


「勇者や神官の支援なく、吸血鬼に挑むのは流石に厳しかったのでは」


 俺が思わず口を挟むと、ギロッと騎士たちの殺気だった目が向けられた。


 あ、やべ。お貴族様相手だった。


「無礼な! その程度のこと、我らが考えなかったとでも思うてか!」

「それができれば、最初から苦労せぬわ!」

「……聖教会に支援は求めたとも、当然だ」


 ヴァレンティウスさえ、その顔に苛立ちを滲ませながら答えた。


「だが……! 魔王軍に攻勢の予兆があり、優れた勇者や神官は前線から離れられぬという。さりとて民が苦しんでいる以上、ただ手をこまねいているわけにもいかぬ。無謀なのは百も承知! 我らが出なければ誰が出るというのか!!」


 毅然としたヴァレンティウスの言葉に、遺骨がこれ以上ないほど震えている。


 ……この貴公子と配下たちは、決して愚かでも、自信過剰でもなかったのだ。


 厳しいと、無謀だと理解しつつも、行動せざるを得なかった……


「それに――聖教会も」


 俺から目を逸らして、苦々しげにヴァレンティウス。



「『腕利きの専門家を派遣する』と約束してくれたが、待てども待てども、一向にその専門家が到着しないのだ……」



 あ……。



 がつん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。



 あれだけ震えていた遺骨たちも、ぴたりと動きを止める。



 突然の招集――北部戦線への派遣――



 あ……! あああ! あああああ!!!



『ほうほうほう。これはこれは』



 アンテが嗤った。



『そのを――どうやら、皆殺しにしてしまったようじゃのう?』



 俺が。レキサー司教たちを……!



「――がァっ!?」


 突然、バチィッと電撃が俺を貫き、思わず痙攣しながら声を漏らした。


「「!?」」


 なんだコイツ、という目で騎士たちに見られる。だが、バチッ、バチッと電撃が止まらない!


 レキサー司教……! わかりました、わかりましたから……!!


「――――」


 いや、違う……! 叱責でも八つ当たりでもない。腰のポーチ……?


 レキサー司教の依代たる、遺骨をしまってあるポーチ。手を突っ込むと、かさ、と指先に触れる感触があった。


 これは――紙か?


 引っ張り出して確認すると――


「…………」


 ああ。


 遠い昔のような記憶が、蘇った。


『アレックスくん。どうだね、君は休暇中とのことだが……休暇が明けたら、ヴァンパイアハンターにならないか?』


 アウリトス湖でのことだ。


『ハッキリ言うが、君の秘術が喉から手が出るほど欲しいのだ』


 レキサー司教に、勧誘されたことがあったっけ。


『これまでの所属や経歴は気にしなくていい。君の上司が仮に教皇猊下だったとしても、君を引き抜いて見せるとも。……もちろん、君が望めばの話だが……』


 どうだね? と微笑むレキサー司教に、俺は申し訳なく思いながら断り。


『だろうな。そう言うだろうと思った』


 肩をすくめたレキサー司教は。


『もしも万が一、君の気が変わることがあったらいつでも連絡を寄越してくれ。歓迎するよ』


 そう言って、この紙を俺に渡してきたんだ――


「…………」


 俺が無言で、手近の騎士に紙を手渡すと、彼は紙面に目を通すなり「何っ!?」と上ずった声を漏らした。


「どうした?」

「ヴァルス様、これを――」



 ヴァレンティウスは怪訝な顔で紙面を一瞥し、目を見開いた。



「――聖教国、聖戦局、退魔部第6課『夜明けの狩人』……? まさか!!」



 驚愕と、期待の眼差し。



「はい。そうです……」



 聖属性の銀の光を灯し。



 俺は血を吐く想いで、答えた。



「大変、遅くなり申し訳ございません。俺が、ヴァンパイアハンター……です」



 俺が、ヴァンパイアハンター(たちを皆殺しにしていつまで経っても専門家が到着しない事態を招いた元凶)です……。

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