502.惨劇の地

【前回のあらすじ】

エドガー「ここがカェムランか……」

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 残念ながら、以前までエドガーはカェムランという街の存在さえ知らなかった。


 まずハミルトン公国そのものが小国であり、カェムランはその中でもこじんまりとした港町だ。よほどの物知りか、地理マニアか、アウリトス湖の熟練の船乗りでない限り、カェムランという地名を聞くことはなかっただろう。


 だが、それもつい先日までの話。


 今やカェムランの名は、人類史に刻まれることとなった。



 ――魔族が初めて、平和な同盟圏後方で血の雨を降らせた地として。



「ここが……カェムランの丘、か」


 赤黒く染まった大地を眺めながら、エドガーはつぶやいた。


 元は、湖畔の長閑な放牧地であったに違いない。しかし今や踏み荒らされ、焼き払われ、至る所が掘り返されている。そして今なお、無数の兵士や人夫が遺体の処理に追われていた。


(この国は猫系獣人が多いな……それでいて、普通に働いている。平和な後方ならではの光景か)


 身体能力に秀でた獣人族は力仕事で大活躍だ。猫系獣人と犬系獣人が入り乱れ、特にいがみ合うでもなくせっせと働く様は、前線で長らく過ごしていたエドガーの目にはひどく新鮮に映った。


 全ての猫系獣人が魔王国へ馳せ参じたわけではない。広い大陸には、人類側の猫系獣人も存在するのだ。知識としては知っていたが――


(しかし、帝国軍の侵略には肝を冷やしただろうな、彼らも)


 帝国が猫系獣人を弾圧しているらしい、という噂は道中で聞いた。公国の猫系獣人の住民がどれだけ不安だったか、察するに余りある――


(兵の服装は……ふた通りあるな)


 人夫から兵士へと視線を転じる。統一感のある藍色の軍服に身を包んだ集団と、デザインはバラバラだが辛うじて同じ深緑色の服を着た集団。後者は、街中で見たハミルトン公国軍の軍装と一致する。


(で、あればあの藍色の集団は、カイザーン帝国軍の捕虜と見るべきか)


 公国も、捕虜たちをただ遊ばせるつもりはないらしい。この死体の山はほとんどが帝国兵だ。自軍のやらかしの後始末は手前でやれとでも言わんばかりに……


 げんなりした顔で遺体の運搬や、埋葬場所の穴掘りに従事する帝国兵たちを、エドガーは何とも言えない気持ちで眺めていた。そして荒んだ心をさらに逆撫でするかのように、ぶわ、と湖から吹き寄せた風が、腐臭と肉の焼け焦げた臭いを運んでくる。


「ぅうっ……」


 エドガーの隣、真っ青な顔のニーナは吐き気を堪えるので精一杯という様子で、口を手で押さえていた。ニーナも、ただの幼気な娘ではなく、地獄の戦地をくぐり抜けてきたわけだが、戦場からは優先的に『逃がされる』側の人間だった。


 つまり、戦争の『後』を直視したのはこれが初めてだ。しかもよりによって、とびきり凄惨なやつを――


「……大丈夫かい」


 ちら、と幼い勇者見習いを見やったエドガーは、その背中を優しくさする。


「大丈夫……です……!」


 歯を食い縛って答えるニーナ。衝撃を受けながらも、決して目は逸らさない。


「……。これが、魔族との戦い……なんですね……」


 腐臭を漂わせる遺体の山を見ながら、ニーナは絞り出すように言った。


 人類の敵との戦いの果てに待つもの――あるいは、戦士としての、最悪の結末。


「そうだ。魔族と戦うということは、当然、可能性もあるということだ」


 エドガーは淡々と答えた。顔面蒼白なニーナに対し、エドガーは顔色ひとつ変えていない。ただ、いつものにこやかさもなく、一切の感情を拭い去ったかのような、冷え冷えとした表情を浮かべていた。――このような『惨状』は、前線で嫌になるほど見てきたがゆえに。


「……恐ろしくなったかい」


 エドガーは静かに問う。揶揄するような口調ではなかった。むしろ、気遣いすら滲ませていた。


 ぎゅっ、と目を瞑ったニーナは、呼吸を整えてからエドガーに向き直る。


「ぜんぜん怖くない、って言ったら嘘になります。でも……」


 唇を引き結び、彼女の歳を思えば驚くほど険しい顔で、惨劇の地を見渡すニーナ。


「――許せない、って気持ちのほうが、つよいです」


 ……そうか、とエドガーはつぶやいた。


「私も、同じ気持ちだよ」


 複雑な、心境だった。もしもニーナが普通の子どもだったら、こんなところにわざわざ連れてきたりはしない。



 だが、今や、彼女も銀の光を宿す者なのだ。



 幼く未熟ながらも、無辜の民を守り、人類の敵と戦わんとするエドガーの同志。


 たとえ成人の儀では聖属性に選ばれず、エドガーの思いつきと干渉により、遅れて覚醒したイレギュラーな存在なのだとしても。


 少なくとも今のニーナは、聖属性の担い手に相応しいことを示した。人類を脅かす強大な敵を前に、恐怖よりも強い憤りを覚える。それこそが聖教会の根幹、人族の守護者として必要不可欠な素質――


「……っ!」


 凄惨な光景を目に焼き付けようとしているかのように、ニーナは必死に己を奮い立たせ、戦場に向き合っていた。


 もはや守られるだけ、逃がされるだけの子どもではない。


 彼女なりに、立派な勇者たらんとしている――


(イザベラさんは……ニーナちゃんが聖属性に目覚めて、喜んでいたな)


 ふと思い出して、エドガーは少しばかり苦いものを覚えた。


 イザベラは、ニーナが銀色の光を宿したと聞いて、大層驚き、それ以上に喜んだ。戦火に追われ、異国の地で路頭に迷い、力なき者の辛苦を味わったイザベラは、娘が『力』を手にしたことを神々の祝福だとでも思っているようだった。


(だが……『これ』は、自分の身を守るためのものではない)


 イザベラは、気づいていないのだろうか。


 あるいは、気づかないふりをしているのだろうか。


 聖属性とは『皆を守るための力』であり――必要とあらば、、人類の敵を滅ぼす手段であるということを。



 この地で魔王子に挑んだ勇者や神官たちが、そうしたように。



「…………」


 ニーナからそっと視線を外し、彼女に気取られないよう、エドガーは小さく溜息をついた。


 、だ。己の無力を嘆いていたニーナを、ほんの気まぐれで、実験的なノリで、聖属性に目覚めさせてしまったのは他でもないエドガーだ。彼女を本当にこの修羅の道に引きずり込んでよかったのか、葛藤がないと言えば嘘になる。


 彼女の意志と願いは尊重するが、どうしてもエドガーには、ニーナが庇護されるべき存在であるように思えてならないのだ――あるいは、守るべき存在がいきなり同志になってしまい、一番困惑しているのは、実はエドガーなのかもしれない。


「……ん」


 と、何とはなしに戦場を眺めていたエドガーは、興味深いものに目を留めた。


(あの森エルフ、変わった獣人を連れているな……?)


 顔面に酷い火傷痕がある森エルフの女が、アイマスクをつけた狼獣人と連れだって歩いている。ふたりとも本格的な旅装で、大荷物を抱え、今にも遠くへと旅立ちそうな様子なのに、どこか名残惜しげな雰囲気を醸し出している。


(……妙だな)


 お世辞にも物見遊山に向いているとは言えない戦場で、名残惜しげなのもおかしいし、ふたりの関係性にも違和感を覚える。


(ああ……そうか。森エルフが獣人を連れているんじゃなくて、あの獣人が森エルフを連れ回しているのか)


 エドガーも、付き合いがあるのでよくわかっているが、森エルフは長命種だし魔力強者だしで、なんだかんだ他の種族を無意識に見下しているフシがある。


 実際、能力的にも優れているので、多種族でチームを組んだ際は、森エルフが往々にしてリーダー的ポジションに収まりがちだ。これは人間関係にも影響し、『主』と『従』ならば森エルフ側が主導権を握ることが多い。


 だが、あの目隠しの狼獣人と火傷痕の森エルフは、森エルフが獣人に付き従っているというか、甲斐甲斐しく補佐しているように見え、違和感があった。


(よほど、彼女にとって大事な存在なのかもしれないな)


 様々な勘ぐりをしながら眺めていると、不躾な気配を感じたか、森エルフがこちらを見た。


「…………」


 互いに軽く身振りで挨拶。どうやら疎まれているわけでもないらしい。


 せっかく目が合ったことだし少し話しかけてみるか――とエドガーが口を開きかけたところで、


「クソッ、全然火がつかねえ……」

「どうする、魔法使い呼んでくるか?」

「いや、でも呼んだところでなぁ……」


 近くで作業していた兵士たちが、何やら困った雰囲気だったので、そちらに意識が向いた。


「どうかしたのかい」

「あっ、……神官様」


 一瞬、気まずげな間があったのは、彼らがカイザーン帝国兵だからだろう。


 エドガーも、諸々の噂は耳にしていた。帝国では聖教会が悪し様に言われていて、代わりに光刃教なる教えが台頭していた――とか。その光刃教徒が魔王子に手も足も出ず、帝国軍は蹂躙される羽目になった――とか。そしていよいよヤバくなったところで聖教会の勇者神官に救われる形になった――とか。


 帝国兵は、聖教会に対して引け目のようなものを感じているのかもしれない。


「何か、困った様子だったから声をかけてみたんだが……」

「ええと……俺たち、遺体を火葬しようとしてたんですけど」


 彼らの言葉通り、比較的原型を保った遺体の一団が、薪と一緒に並べられている。薪は十分な量で、綺麗に組み上げられており、あとは着火するばかり――のように見受けられるが。


「昨日、小雨が降ったんで、そんときに薪が湿気っちまったみたいで……手元にあった火種は全部使いましたが、全然火がつかなくって」


 ある程度、火を大きくすることさえできれば、あとは勝手に燃えると思うんですけど……と顔を曇らせる帝国兵。


「だから魔法使いに頼もうか、って相談してたんですよね。でも連日の作業で火の魔法使いはみんなヘバってるらしくて。頼んでもいつになることやら……」

「ああ……まあ、この規模の戦場だと、そうだろうな」


 エドガーも苦い顔。撤退戦の場合、遺体はその場に置いていくことが多く、後始末は魔王軍に投げっぱなしになるわけだが、防衛戦やごくごく稀に戦線を押し上げた際は、大量の遺体をどうするかが常に問題となる。


 埋めちゃえば? という簡単な話ではない。よほど深く掘らなければ野生動物に掘り返されて疫病のもとになるし、遺体がある程度原型をとどめている場合、かつ戦場のように大量の『死』が染み付いた場所では、アンデッド化する恐れもある。


 諸々のリスクとコストを勘案した場合、焼くのが理想的なのだ。


 一応、最終手段として、アンデッド化しないように(しても意味がないように)遺体を細かくぶつ切りにした上で地中深くに埋める、という手もあるにはあるのだが。


(衛生面、倫理面、そして単純な労力でもな……)


 あまりよろしくない手法だ。


「ふーむ……」


 エドガーは薪をひとつ拾い上げて、手触りなどを確認。


「私はあいにく火の魔法は使えないが、これくらいの湿り具合なら、雷魔法でも何とかなりそうだ。試してみよう」

「!! ありがとうございます!

「危ないから少し離れていてくれ」


 兵士たちを十分に遠ざけてから、


「【神鳴フールメン】」


 バァンッとけたたましい音とともに、雷が薪を打つ。しかし流石に一発で水分は飛ばなかった。


「【神鳴フールメン! 神鳴フールメン! 神鳴フールメン!】」


 ゆえに連打。ついでに聖属性を込めて、遺体も感電させておく。一応浄化した扱いになるので、土葬することになってもアンデッド化はしにくい……はず。


 幸いそこまで心配せずとも、パッキパキになった薪はやがて火の手を上げ始めた。湿っていたのは表面だけのようだ。


「「おお……ありがとうございます!」」

「どういたしまして」


 にこやかに応じながら、内心(ちゃんと燃えてくれてよかった)とホッとするエドガー。


「あ、そうだ。さっきの――」



 目隠しの狼獣人と火傷痕の森エルフのことを思い出し、辺りを見回したが。



 彼らの姿は、もうどこにも見当たらなかった。



 きっと、どこかへ旅立ったのだろう――




          †††



 その日の夜は、カェムラン聖教会で部屋を借りることになった。


(聖教会に泊まるのは難しいかと思っていたが、何とかなったな)


 もし噂通りの被害が出ていたならば、癒者ヒーラー不足により傷病者で溢れかえっているに違いなく、宿屋に泊まることになるかもしれない――とエドガーは予想していたが、蓋を開けてみれば、カェムラン聖教会は比較的落ち着いていた。


 ただし、エドガーの予想が外れていたわけでもない。聖教会の庭では、通常あり得ないほどの大量の洗濯物が――シーツが風になびいていた。カェムラン聖教会が数日前まで、確かに修羅場であった証。


 聞けばつい先日、非常に腕のいい森エルフの3人組が聖教会を訪れ、治療を手伝ってくれたのだという。


(うちひとりは、見たことがないくらい高齢のエルフだったって話だが)


 奇遇なことに、エドガーも旅に出る直前、老エルフと会っていた。確か名前は――


「オーダジュ、だったか」


 印象的な3人組だったのでよく覚えている。リリィとかいう名前の美しい森エルフが信じられないくらい挙動不審だった。


「そういえば奇しくも、私が出会ったのも3人組だな」


『見たことがないほど高齢な森エルフの旅人』など大陸にそう何人もいないだろうと考えたエドガーは、カェムラン聖教会の皆に老エルフの名前を尋ねて回ったのだが、なんとも恩知らずなことに、死ぬほど忙しかったせいで誰も森エルフ3人組の名前を把握していなかった。


 本当に、風の精霊のようにふらっと現れて、さっさと治療を終え、ろくに礼を言う暇もなく去っていったらしい。


『もしかしたら、捕虜や患者なら名前を聞いているかもしれませんが……』


 と、忸怩たる様子で見習い神官が言っていたが――


「明日の朝には出港だし、そこまで調べる暇はなさそうだ」


 明るいうちに、と戦場の視察を優先したので、カェムラン聖教会での聞き込みが遅れたのが失敗だった。


 まあ……老エルフの名前は、それほど重要なことではない。(めちゃくちゃ気にはなるが。)



 それよりも大事なのは――



「報告書は、と……」


 魔法の明かりを指先に灯しながら、部外者立ち入り禁止の資料室に入るエドガー。


 お目当てはもちろん、魔王子襲撃事件の詳細な報告書だった。


 ……ちなみにこの場合の『部外者』は『聖教会関係者ではない者』の意だ。つまり聖教会の神官たるエドガーは、関係者であり、資料室への立ち入りも問題ない。


 エドガーは報告書の束を抱えてテーブルにつき、もどかしげにランプに火をつけ(流石に読み物をしながら魔法の明かりを維持するのはしんどい)、かじりつくようにして目を通し始めた。


 ――時系列順にまとめられた、ことのあらまし。帝国軍将兵の証言に基づく戦況の推移。カェムラン聖教会の対応。カェムランの街の状況。可能な限り事細かに、整理されて書き連ねてある。


 被害の実態も、あますことなく。


 戦死した聖教会の構成員一覧。一夜の、たったひとりの魔族を相手にした戦いとは思えぬ死者数に、流石のエドガーも息を呑む。



 ――そして。



「レキサー=マーディハント司教……」


 懐かしい名前だった。


 教導院時代に一度だけ、会ったことがある。ヴァンパイアハンターにならないかと勧誘された――興味はあったが、逆に言えば興味しかなかったので、自分よりもっと相応しい人員がいるはずだからと断り、神官を志した。


「亡くなった、のか」


 立派な人だった。きっと誰よりも吸血鬼を憎んでいた。実力も確かだった。


 それなのに、魔王子相手に……


 さぞかし無念だろう……



 沈痛の面持ちで、名簿を読み進めていたエドガーは。



「――――」



『その名』を目にして、今度こそ呼吸も忘れるほど凍りついた。



「勇者……アレックス……?」



 所属、不明。



 出身、不明。



 家名、不明。



 死亡時の状況、不明。



 見つかったのは遺体の一部、左腕の前腕のみ。火葬済み。



「……どういうことだ」


 ぼちぼち夜も更けつつあったので、エドガーは報告書を手に当直室へ突撃。夜間の急病人や万が一の有事に備え、眠そうに待機していた神官が突然の来訪にビクッとしていた。


「頼もう!」

「な、なんですかいきなり。あなたエドガーさんでしたっけ?」

「こちらの報告書で聞きたいことが。もしかしたら知り合いかもしれませんので」


 戦死者に関する話と聞いて、神官もいくらか目が覚めたようだ。


「こちらの……『勇者アレックス』についてなんですが。どんな容姿だったかご存知ですか?」

「いえ。自分は魔王子襲来から一夜明けて、応援に派遣されてきた身ですので……名簿の方々とはほとんど面識がないんですよ」


 申し訳無さそうに、応援派遣神官は答えた。


「そう、ですか……この報告書によると、見つかったのは前腕だけだとか。死亡時の状況すら不明とのことですが、どうやって、この腕が『勇者アレックスのものだ』と断定したんです?」

「亡くなった方の中に、高名なヴァンパイアハンターがいらっしゃいまして」

「まさか、レキサー司教ですか?」

「……ご存知でしたか。お知り合いで?」

「一度だけ、お会いしたことが」

「……そうですか。素晴らしい方だったと聞きます。まったく魔王子は……! ……話が逸れましたね。レキサー司教の仲間の獣人が非常に鼻が利き、体臭などから個人を特定した――とのことでした」


 であれば、それの意味するところは。


「その獣人は、勇者アレックスと面識が……?」

「あった――のかもしれません」

「その人の名前は? 本人から話を聞くことは?」

「残念ながら、私はその獣人と直接交流がなく、今どこにいるのかもわかりません。しばらくこちらに留まって、魔王子ジルバギアスの痕跡を頑張って探していたようですが。言われてみれば、ここ最近はとんと見かけなくなりましたね……もう諦めたのか……申し訳ない、彼らの行動の把握までは流石に……」


 応援派遣神官はお手上げのポーズを取った。


「……いえ、仕方ないですよ。あなたの仕事じゃありませんし……」


 基本的に、協力者の獣人や森エルフの管理責任は、彼らを雇うそれぞれのヴァンパイアハンターにある。聖教会は干渉しないので、現地で有能な人員を見つけられたなら、個人の裁量で柔軟に仲間として組み込めるのがヴァンパイアハンターの強みでもあるのだ。


 逆に、当のヴァンパイアハンターが死亡した場合、聖教会側からは追跡する手段がほとんどない。


「ヴァンパイアハンターが殉職したら、協力者はたいてい国に帰ってしまいますからね……」


 気持ちは理解できる、と言わんばかりの浮かない顔をする応援派遣神官。


 よほど吸血鬼に恨みでもない限り、苦楽を共にしたヴァンパイアハンターが死亡してもなお、別のハンターと組んでまで吸血鬼狩りを続けようとする森エルフや獣人はいない。


 仮に、そこまでやる気があるなら、別のハンターを探すために聖教会と繋がりを維持しているはず。今どこにいるか把握できていないということは――つまり、吸血鬼狩りを続ける気がないということだ。


「もしかしたら、聖教国ほんごくの退魔部にでも照会すれば、何らかの記録が残っているかもしれません。故郷の村とか……それがわかれば、探し出すことは不可能ではない、とは思います」



 だが、膨大な手間暇をかけることになるだろう――



 そして、そこまで労力をかけて調べるとなれば、当然、必要になる。



(なぜ、そこまでして調べたいのか……!)



 理由。あるいは、動機が。



「……ちょうど、聖教国に向かっている途中ですので、着いたらそちらの方向で調べてみようと思います」


 ニコ、とぎこちなく笑って、エドガーはそう言った。


「それがよろしいかと」

「他に、勇者アレックスと面識がありそうな人に、心当たりはありませんか? なんというか、その、たったこれだけの情報だと、同名の別人という可能性も否定できないので……」

「うぅ~ん……元々、カェムラン聖教会の配属だった見習い神官がいるはずです」


 ――未熟ゆえ、魔王子ジルバギアス襲来の報を聞いても、出撃せずに留まっていた『生き残り』が。


 ちら、と真っ暗な窓の外を見やる応援派遣神官。


「……叩き起こします?」



 ……悪いが、叩き起こすことにした。




          †††



「…………」


 それからしばらくして、エドガーは報告書を手に資料室へ戻っていた。


(収穫はなし、か)


 結論から言うと、見習い神官たちは勇者アレックスのことをほとんど覚えていなかった。というより、そもそも彼はカェムランに1日も滞在していなかったらしい。


 しかもアウリトス湖の英雄と名高い勇者アーサーや、レキサー司教をはじめとするヴァンパイアハンター集団が同時に来訪したせいで、余計に誰が誰やらわからない状態になってしまったようだ。


『アーサーさんはミステリアスなイケメンで、なんていうかオーラがすごくて、ひと目見ただけでも印象に残ってるんですけど……』

『なんか、アーサーさんと仲良さそうな人はいた気がしますけど、それが勇者アレックスさんなのか、他のヴァンパイアハンターの誰かなのかわかんなくて……』

『すいません、自分裏でずっと雑用してたんで、そもそも会ってないです』


 一応、エドガーも覚えている限りの特徴を挙げ、下手なりに似顔絵なども描いてみたのだが、『いたっけな~こういう人……』『いたような気はする……』という調子で、情報としての確度はまったくなかった。


 せめて、たったひとりでもいい、誰かが生き延びていれば――個人を特定できたかもしれないのに。


 勇者アレックスと交流があったと思しき面々は、ひとり残らず魔王子ジルバギアスと交戦し死亡している――




「…………」


 ランプの明かりが照らす資料室で、報告書を前に、物思いに沈むエドガー。


「……もし」


 この、戦死者一覧にある『勇者アレックス』が、エドガーの知る『アレックス』と同一人物だったなら――


「見つかったのは、前腕のみ……」


 報告書によると、魔王子ジルバギアスは、槍で傷つけた対象を爆裂させる凶悪極まりない呪詛を使うのだという。


 戦死した聖教会の面々も、肉片しか見つからない者もいたとか――そういう意味では、『前腕しか残されていなかった』のは、不自然なことではない。


 鼻利きの獣人によって、体臭がアレックスだと断定されたのならば、少なくとも、その腕は本当に『アレックスのもの』だった可能性が高い――


「…………」


 報告書をめくるエドガー。


 不可解なことに、魔王子ジルバギアスは戦闘中、自らの秘術についてベラベラと話していたらしい。


「……転置呪」


 エドガーはつぶやいた。


 その言葉は、部屋の暗闇に溶けていき、沈黙だけが残される――


 さらに、ぱら、と報告書をめくるエドガー。その後、自らの秘密を自慢気に開示したジルバギアスは、思い上がりの報いを受けることとなった。


 毒を盛られたのだ。


 転置呪では本当に対応できなかったらしく、みるみる弱体化していき、ついに勇者アーサーの猛攻で討ち取られかけたらしい。



 だが――そこに、介入するものがいた。



「……ホワイトドラゴン」



 ランプの芯が、焼け焦げてジジッと音を立てる。



 空から舞い降りた魔獣――かつての人類の敵、しかし今では人類の味方とされているホワイトドラゴンが。



 なぜか、魔王子をかばった。



 ブレスの連射により、帝国軍と聖教会に甚大な被害をもたらした。



 そして魔王子ジルバギアスを拾い上げ、空の彼方に消えていったという――



「…………」



 ジジ、ジジジ――と、油の切れたランプの芯が、ついに燃え尽きる。



 とっぷりと夜の帳が部屋に降りてくる。



 窓から差し込むのは星明かりのみ――



 闇はいよいよ深く、静けさが耳に痛いほどだ。



 そんな中で――エドガーの瞳だけが、爛々と輝いている。



 もしも――『勇者アレックス』が、エドガーの知る『彼』であったなら。




『彼女』は、いったいどこにいた?




「……レイラ」




 答える者は、いない。




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※次回からジルくん視点の本編に戻ります。

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