501.平和な三人旅


 ――燦々と照りつける太陽。


 透き通るような湖面に映り込む、青い空に白い雲。


 そして、そんな爽やかな風景をよそに――


 船から桟橋に降り立つ、青白い顔の神官。


 おそらく平素ならば、そのいかにも利発そうな顔には、やたらと自信満々な表情を湛えていたに違いない。


 だが今は、血の気が引いてまるでゴーストのようだった。


「うっ……うぅぅっぷ……オロロロロ……」


 フラフラと力なくうずくまったかと思うと、リバースし始める青年神官。


「大丈夫ですか~……?」


 見習い神官と思しき少女が、心配そうにその背中をさする。少女の神官服は、少しだぼっとしたオーバーサイズのものだった。最近背が伸びてきたので、余裕を持たせてあるのだろう。


「大丈夫……だよ、ニーナちゃん……すぐ治すから……」


 口元を拭って一息ついた青年は、ポウッとその手に光の魔力を宿し、自らに癒やしの奇跡を行使。


「ふぅ……ようやく落ち着いた……」

「お口、ゆすぎますか?」


 げっそりした顔の青年に、少し線の細い薄幸そうな女性が水筒の革袋を差し出す。その顔立ちは、どことなく神官見習いの少女と似通っており、彼女たちが母娘であることを窺わせた。


「ありがとうございます、イザベラさん……」


 水筒を受け取って口をゆすぐ神官の青年。


「エドガーさんにもダメなモノってあるんですね~」


 ニーナと呼ばれた少女が、感心したような口調で言う。


「もちろん、ダメなモノのひとつやふたつはあるさ。でも私も意外だったよ、内陸湖だからあまり揺れはなかったのに、船酔いだなんてなぁ……」


 苦笑しながら、停泊中の客船を振り返る青年。



 その名を、エドガー=ワコナンという。上級司祭だ。



 ――『遅咲き勇者』の希少な例として、ニーナをイザベラとともに聖教国に送り届ける。


 それがエドガーの使命だった。もちろん、ただ送り届けるだけではなく、ニーナが聖属性に覚醒した経緯も改めて説明することになるだろうが――おそらく今回の一件で、自分は聖属性の秘奥を知ることになる、とエドガーは確信していた。


 そんなわけで馬車を乗り継ぎ、あるいは徒歩で大陸の東へ東へと移動してきたが、トリトス公国を発ってからすでに1ヶ月が過ぎようとしている。


 エドガーだけであれば、もっと速く移動できただろう。しかしニーナはまだ成人したばかりの少女だし、長らく肺病を患って体力が落ちていたイザベラにも、無理を強いることはできない。


 さらに言えば、夜エルフの諜報網が壊滅しつつある影響で、前線への物資の運搬と負傷兵の引き上げが活発化している。最前線付近での馬車の破壊工作サボタージュが激減したため、安定した輸送と後方での治療が可能になり、行きは補給物資を、帰りは負傷兵を満載した馬車が頻繁に見かけられるようになった。


 そして積載量ギリギリまで負傷兵を積んでいる馬車に相乗りするわけにもいかず、エドガーたちは『前線』から遠く離れるまで、ほぼ徒歩での移動を余儀なくされたというわけだ。


(で、アウリトス湖の西岸までやってきて、ようやく船でスムーズに移動できる、と喜んでいたんだが……)


 まさかの船酔い。エドガーは微妙な揺れがダメだったらしい。


「川船には何度も乗ったことがあるし、海にも出たことはあるんだがなぁ。揺れは少ないのになんで酔うんだ……」


 と、自分でも納得がいかず首を傾げるエドガー。


「はっはっは、たまにあることだよ神官さん!」

「こればっかりは人それぞれだからどうしようもねえや!」


 エドガーのつぶやきを小耳に挟んだ船乗りたちが、気の毒そうに笑っている。


「それにしても、治癒の奇跡が使えるんなら、船酔いなんて簡単に治せるんじゃないですかい?」


 と、不思議そうにする船乗りのひとり。


「確かに治せるよ! でも、治した先からまた体調が悪くなっちゃうから、あんまり意味がないんだって。毒を受けたのに、解毒せずに治療の奇跡だけを使い続けるようなもの――結局は原因をどうにかしないといけないんだよ!」


 えっへん、と胸を張ってエドガーより先にニーナが説明する。「へえー」「そうなのかー」と新たなトリビアに感心する船乗りたち。


 エドガーとイザベラは、顔を見合わせてくすりと笑った。これまでの道中、ただ歩いていたわけではなく、ニーナは聖教会に属する者としてエドガーから様々な学びを得ていたのだ。



 それはもう、熱心に――あるいは必死に。



 立派な勇者に、なるために。



「それにしても……随分と賑やかな街ですね」


 イザベラが、たくさんの客船や輸送船に、数え切れないほどの商人と船乗りたちで賑わう港を見回しながら、感嘆の声を漏らす。


「噂を聞いていたので、もっと…………寂れているのかと」

「……まあ、確かに、があったからなぁ」

「一時はみんな様子見してたけど、今は昔より活気があるくらいさ」


 少し気まずげな様子で、肩をすくめる船乗りたち。



 エドガーも、改めて街並みを眺める。



 いや――建ち並ぶ家屋の先、街の近郊の様子を見透かそうとするかのように。



「ここが……カェムラン、か」



 エドガーは、険しい顔でつぶやいた。



 カイザーン帝国軍が、攻め込もうとした街。



 そして魔王子ジルバギアスが、血の雨を降らせた地。



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