494.感動の再会


 おそらく周囲に人はいないだろう。


 リリアナもそれを把握しているからこそ、俺の名前を呼んだ。


 すなわち――俺もこれ以上、姿かたちを偽る必要がないということだ。



 人化を解除する。



 ぐんと背が伸びる。幼子の体にはぶかぶかだった服が、ちょうどいいサイズに。


 そして世界が鮮やかに色づいて感じられた。手を伸ばして確かめるまでもなく、俺の側頭部には――禍々しい魔族の角。


 魔力が、この世界を構成する要素が、つぶさに感じ取れる。人族としてのうっすらとした『気配』なんかじゃなく、魔力の圧で、背後のアンテとレイラの存在さえも、手に取るように知覚できた。


 ――当然、眼前の森エルフたちも。


 はっきりと、『わかる』ようになった。


「…………ッッ!」


 お付きのふたり、若い女エルフと老エルフが緊張を高めている。女エルフは男爵級で、老エルフは子爵級、ひょっとすると伯爵級にも手が届くってとこか。なかなかのもんだな。


 老エルフは泰然と構えているが、女エルフの方はあからさまに臨戦態勢だ。魔力が活性化している――


 ふわりと。


 広がる清らかな光の波動が、そんなふたりの印象をかき消した。


 強烈な存在感。リリアナもまた、偽装の中途半端な人化を解除していた。平均的な森エルフの姿から、女王の血を色濃く受け継ぐハイエルフに。


 今の俺には、彼女の存在がひときわ輝いて見えた――眩しすぎるほどに。


 ああ、まだ、浅黒く染まるほどには、日焼けしてないんだな。


 エルフ族は、日焼けのことを『太陽の恵み』と呼ぶ。幾度となく生皮を剥がれ、真っ白な肌になっていたリリアナは――それでも魔王国にいたときよりは、確実に健康的な色を取り戻していた。


 それが、故郷でリリアナが、あるべき彼女の姿で過ごした月日を象徴しているようで、胸がじんと熱くなる。


「アレク……!」


 駆け寄ってくる。まるで風のように、軽やかに。


 抱きとめた。とんっと小鳥がぶつかってきたような衝撃。


 そして、ぎゅーっと力いっぱいに抱きしめられる。俺も、リリアナが壊れない程度に、力強く抱きしめ返した。柔らかくて、花のような香り。


 懐かしかった――何もかも、全てが。


「無事に逃げ切れて、家に帰れたんだな。よかった。本当に」

「うん……」


 俺の言葉に、リリアナが何度も頷いていたが、涙で声が出ないようだった。


 しばらく、そのままでいる。幼子をあやすように、体を揺らしながら。……いつの間にか、俺もちょっと背が伸びたみたいだ。別れたときはリリアナの方が背が高かったのに、ちょっと追いつきつつある。


 ――おかげで、リリアナの肩越しに、背後のお付きのふたりともバッチリ目が合ってしまった……。


「…………」


 村で機転を利かせてくれたときとは打って変わって、険しい顔で警戒の色を隠さない女エルフに、相変わらず何を考えているか読み取れない微笑みを浮かべつつ、どこか冷淡な目で俺を観察する老エルフ。


 いやまぁ……ホント、すいません……おたくの大事な娘さんを……


 俺に物申したいことは森の木の数ほどあるだろうし、文句は言えねえや。


 ……それはそれとして。


「リリアナ。自我は元に戻ったと思ってたんだが……?」


 昨日のはいったい……?


「えぅ。えっと……」


 醜態を晒してしまった自覚はあるのか(あるに決まってるよな)、ビクッと体を離したリリアナが、恥じ入るような、それでいてどこか寂しげな表情を見せた。


「実は、私の中に、まだあの子もいるの」

「……そっか」


 わんこも、いるんだ。俺も身に覚えがあるよ。アレクサンドルとしての自我と記憶を封印した『俺』――魔王子ジルバギアスとしての自我。


 その気になれば、今この瞬間にだって呼び起こせるだろう。彼は、俺とは全くの別人だが、それでも確かに存在する、俺の一部だ。


 なかったことには――ならないし、できない。


 そしてそれは、わんこも同じ……。


「喜んでくれているかな」


 昨日のアレを見る限り、きっとそうだとは思うけど。


「もっちろん! 今も、尻尾があったらブンブン振ってると思うわ」


 笑って答えたリリアナは、「……えっと」と、俺にある種の期待の眼差しを向けてきた。


 うん、俺も同じことを考えてたよ。


 仲間外れは可哀想だもんな。



 俺が手を広げると。


「……! わぅん!」


 ふにゃっとリリアナの表情が切り替わり、改めて飛びついてきた。ドンッと衝撃、魔族ボディのパワーのおかげで、どうにか転ばずに済んだ。ははっ……本当に大型犬みたいだな! この遠慮のなさとか特に!


「よーしよしよし」

「わうわう! わふん!」

「元気そうでよかった。久しぶりだな」

「……わう!」


 ペロッと俺のほっぺたを舐めるリリアナ――



 の、背後ではお付きのふたりがすげえ顔をしていた。



 うん。すいません、おたくの大事な娘さんを、こんな風にしちゃって……ホントに申し訳ないです。


 でも、この子も、リリアナなんですよ。


 歪かもしれないけど、とってもいい子なんです。


 元凶は俺で、全ての責任は俺にあるんで、俺のことはどれだけ怒って頂いても構わないんですけど。


 それでも、どうか……この子のことも、認めてあげてくれませんか……



 自分の中の別人格。俺とリリアナにしかわからない感覚かもしれない。だけど、だからこそ、他でもない俺は『リリアナ』のことを思いやらねばならない。


 切に願いながら、リリアナをナデナデしつつ、老エルフに目を向けると――彼は、曖昧な愛想笑いを崩し、「むぅ……」と困ったように唸った。


「クキキ……!」


 ただ、女エルフの方には俺の願いは伝わらなかったようで、白目を剥きそうになっていた。すまん。


 ……にしても、クンカクンカハスハスと俺の匂いを堪能しているリリアナを撫でていて、改めて思ったんだけどさ。


「よく俺の居場所がわかったな……?」


 いくらわんこしてても、自分がそう思い込んでるだけだから、嗅覚は人並みのはずだが……?


 いや、仮にルージャッカほどの嗅覚があったとしても、レイラに乗って飛び回る俺を見つけ出すのは、不可能なはず……


「わふ。ああ、それならね」


 キリッと表情が切り替わったリリアナが、腰に手を当てて、「うーん……」とどう話したものか、言葉に迷う素振りを見せる。


「……単刀直入に言うと、私、悪魔と契約したの」


 …………。


「「「は?」」」


 俺と、背後で見守っていたアンテにレイラの声まで、綺麗に重なった。


 悪魔と契約……?


 え!? どうやって!? ってか誰と!?


「紹介するわね」


 そして何の前触れもなく、リリアナから飛び出してくる魔力の塊。


 今の俺には角があるからこそ、そのフォルムもはっきりと知覚できる。


 まっすぐに伸びた――――いや、まっすぐに伸びてるだけだこれ!?



 トスッ、と俺の眼前に華麗な着地をキメたのは、一本の杖。



「やあ、お久しぶりだ。そこのお嬢さんは初めましてかな」


 穏やかな声。おいおい、待てよ、聞き覚えがあるぞ――!


「……おっと、私としたことが、素っ裸のままだった。いやはや申し訳ない」


 くるっとその場で一回転した杖が、瀟洒な燕尾服をまとう。



「「オディゴス!?」」



 再び、俺とアンテの驚愕の叫びが重なった。



「ごきげんよう。ジルバギアスに――アンテンデイクシス」



 空っぽの服の袖が茶目っ気たっぷりに、脱帽して挨拶するような仕草を見せた。



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