492.不審人物
【前回のあらすじ】
「わん(天下無双)」
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俺は自分の目が信じられなかった。
彼女が……リリアナが、いる! 俺の目の前に!
耳がちょっと短く、肌はよく日焼けした小麦色で、それでいて顔立ちは間違いなくリリアナだ。最後に見た、魔王国から脱出する際の彼女の姿そのまま――人化の魔法で普通の森エルフに擬態している証拠。
たまたま顔が似ているだけの別人、という可能性は「わん」の一言で否定された。
否定されてしまった。
だけど、リリアナの自我は元に戻ったはずでは? なぜに「わん」……!?
本当にリリアナ……なんだよな? もう、二度と会えないかもしれないと覚悟していたのに。強烈な懐かしさに襲われながらも、どこか半信半疑な俺がいる。実は俺はまだ解毒できてなくて、朦朧として幻でも見ているんじゃないだろうか。
いや、でもレイラも目ん玉が飛び出そうなくらい驚いているし、アンテも生意気な小娘の演技が抜け落ちて真顔になってるし――夢や幻にしては現実味がありすぎる。
でもこれが現実だとして、なぜこんな辺境の村にリリアナが……!? 偶然の再会にしちゃできすぎだぞ! ってか、ギラギラした目でこっち凝視してるし、明らかに俺目当てでやってきただろコレ! どうやって俺の居場所を特定したんだ? むしろそっちが大問題だ!
クソッ、再会は泣くほど嬉しいはずなのに、他に気になることが多すぎて集中できねえ……! 何より――
「わぅ……」
グッ、とかがみ込むリリアナ。
――来るッ!!
「わうわうおあおあおあうわうわうわうわうあうあうあぁあっ!!」
突進!
むしゃぶりついてきたッッ!
速いッッ! タックルじみた抱擁! それでいて俺のおこちゃまボディが傷つかないよう、ふわりと包み込んでくる!
今の俺じゃ抗う術もなく、もつれ合うように倒れ込む!
「わぅぉーんわうわうあうんわうんあうん!!」
ペロペロペロペロペロペロペロペロ!!!!!!
すっ……すごい! 真の意味での奇跡の力が、生命の奔流が!
吹き込まれる――俺の全身を駆け巡り、手足の末端にまで、みるみる活力が行き渡っていく! 全身がぽかぽかと温かくなるようだ!
老神官に解毒してもらったとはいえ、ここ数日、毒に侵されボロボロになっていた体内が、根本的に癒やされていくのを感じた。
ああ……まさに光の神々の奇跡の一端だ。俺は涙が滲みそうになった。俺みたいな闇の輩には本来、決して手が届かないはずの光の加護……
「くぅーんくぅーんわうぅぅーん!!」
なんだけど、めっちゃ恥ずかしいッッ!
「わァッ、なんだァ!?」
「誰だ……何なんだこいつ!?」
「襲われてる……ってコトか!?」
衆人環視――ッッ!
魔王城じゃ日常だったけど、久しぶりだし、長らく同盟圏で気のいい人たちと過ごしたせいで、倫理観が人並みに戻ってしまった!
それに、今は魔王子としての仮面もない! 剥き出しの羞恥心に素朴な田舎の人々の視線がグサグサ突き刺さる――ッ!
リリアナの奇行とあまりの勢いに、村人たちはドン引きしているようだった。正直アンテのアブナイフジャグリングどころじゃなく、刺激的な光景だもんな……!
これで俺(6歳児)を組み敷いているのがムサいオッサンだったら、変質者扱いでタコ殴りにされていたんだろうが、神々しいほどの美貌を誇る森エルフだからな……村人はおろか老神官さえ、どう対処すればいいのかわからないようだった。
普段のアンテなら、『美人は得じゃのぉ~』とか言って他人事のように笑い転げていたかもしれないが、流石の大魔神もこれは想定外だったと見え、口の端を引きつらせて状況の推移を見守っている。
いやぁ~~~…………どうしたもんかなぁ~~~
「わぉぉーん……くぅーん……きゅーん……」
たとえ周囲にドン引きされようとも、たとえ物凄い目で見られようとも。
俺には、リリアナを振り払うことなんてできなかった。
俺を舐め回しながら、ぼろぼろと涙をこぼす姿を見てしまったら……
「――――」
名前を呼ぶわけにはいかない。彼女が今どういう設定でこの場にいるかわからないし、俺も、旅芸人の姉に連れられた幼子ってことになってるし。
違和感なく、してあげられるのは、せいぜい……
「……よしよし」
撫でる。リリアナのふわふわな金髪に包まれた頭は、記憶にあるより、ずっと大きく温かく感じられた。俺が6歳児なせいだ――今のちっちゃい手じゃ、撫でるというより手櫛でもかけているみたいだった。
「…………!」
涙に濡れた目を見開いて、きゅーんきゅーんと喉を鳴らしながら、俺の胸板に顔を擦り付けてくるリリアナ。どんな宝石よりも美しく澄んだ青の瞳が、上目がちに俺を見つめ続けている。
ずっと眺めていたい――と言いたいところなんだけど。
どうしても気になっちゃうんだよね。
理性さんどこ行った?
復活したはずの『聖女』リリアナは……? ってか、どうやって収拾したらいいんだよこの事態。困惑の第一波が過ぎ去って、周囲の村人たちも冷静にドン引きしてるじゃん。
勢いで誤魔化せるフェーズは終わっちゃったよ。マジでどうすんの。
「坊主…………」
俺が途方に暮れてリリアナをナデナデしながら周囲を見回すと、ある種の畏怖の念を滲ませた門番のオッサンと目が合った。
「それがお前の芸か……? 猛獣使いならぬ、野生の美女使い……?」
「知りませんよそんなの」
んな芸あってたまるか!!
猛獣使いでも奇術師でもない、薄汚え死霊術師だよこちとら……
――と。
トッ、タッ、タッと、とぎれとぎれな足音が人だかりの向こうから二人分。
「リ、……リリィ……」
「姫……様……い、いずこ……」
「うわっ」「げっ」などという声とともに、村人たちがサァーッと波のように引いていき道を開ける。
小麦色の肌をした森エルフが2名、疲労困憊で、息も絶え絶えといった様子でトコトコ走ってきた――素朴だったはずの村人たちも、すっかり森エルフを警戒の目で見てしまうように――
「……って、リリィ!?」
2人組の片割れ、汗だくでげっそりした顔の若い女の森エルフが、リリアナとその下で組み敷かれペロッペロされている俺を認め、目を剥いた。
ふむ……見覚えのない顔だ。少なくとも前世の俺の知り合いではなさそう。そして『リリィ』と来たか、それがリリアナの偽名だな? わかりやすくて助かる。
「いやはや……これはこれは……」
そしてその隣、額の汗を拭く森エルフの男の姿に――俺は驚いた。
老人、だった。
ほとんど真っ白に染まった長髪に、森エルフとしては珍しい顎ひげ。何より、その顔に深く刻まれた皺! これほど老齢の森エルフなんて、前世でもそうそうお目にかかったことがない。
森エルフは長命種で何百年も生きるが、若々しい姿を長い期間保ったままでいる。生命力が極端に衰え始めた頃――すなわち寿命が近づいてきて、初めて老化が始まるのだ。
そして、いつ寿命が来てもおかしくない老エルフは、よほどのことがない限り故郷の森から離れることはない――
それほどまでに、リリアナを大事に思っているわけだ。
彼がいわゆるお目付け役であることは、容易に想像がついた。
「ほっほっほ……」
髭を撫でながら、どこか朗らかに笑う老エルフだったが――
細められた目に浮かぶ光は、お世辞にも友好的とは言い難かった。
鋭い。まるで研ぎ澄まされた矢じりのように。
現在進行形で(ある種の)醜態というか痴態を晒しまくっているリリアナには目もくれず、ただひたすらに、俺をじっと凝視している。
――見極めようとしている。
それがありありと伝わってきて。
今もなお、リリアナから極上の癒やしの力を注がれているにもかかわらず――俺は薄ら寒い感覚を抱かずにはいられなかった。
†††
(な~~~~にやってんのよこの娘はァ――!!)
ただでさえヘトヘトなのに、ヘレーナは頭まで痛くなりそうだった。
ようやくリリアナに追いついたかと思いきや――これだ!!
少なくとも見た目はいたいけな人族の子どもに絡みつき、衆人環視の中でペロペロと舐めまくっている!
(沽券――――ッッッ!)
疲労も相まって、そのときのヘレーナの思考は明瞭なものではなかったが、言語化を試みれば概ねこういう形になった。
――リリアナがオディゴスと契約してから数日。
【案内】の権能にせっつかれるようにして、文字通り昼夜ぶっ通しで、ヘレーナたちは移動し続けたのだった。
いくら魔力強者の森エルフの、さらに上澄みであるヘレーナでも、普段ならこんな強行軍は――前線でさえ経験したことがない!――流石に無理だったと思う。
しかし、リリアナの無尽蔵の癒やしの力と、オディゴスの導きの権能がそれを可能とした。……してしまった。
定期的に癒やしの力を吹き込んでは、心身ともにリフレッシュさせ(強制)、食事と短時間の睡眠以外はただひたすらに駆け続ける。そんな生活が数日続いた。
幸か不幸か、もはや愛しの主人と再会すること以外に何も考えられないわんこ状態でも、リリアナはヘレーナとオーダジュを置いていくほど薄情ではなかった。
(本当に……つきっきりで……)
走らされた。
いくら高齢の森エルフは、身体能力のうち魔力強化が占める割合が増えて若者よりタフになるとはいえ、精神的な疲れはいかんともしがたく、オーダジュもキツそうにしていた。
(もう二度と御免だわ……)
だが、それでげんなりする暇もない。
(あの人族の男の子……!!)
リリアナが絡みついてペロペロしている男児。どこにでもいそうなありふれた服装に、こんな田舎だと浮いて見えるほどに整った顔立ち。
ひと目見て、確信した。
(ジルバギアス=レイジュ……!)
あるいは勇者アレクサンドル。
そのヒトなのだ、と。
導かれたリリアナが嬉しそうにペロペロしている時点で、ほぼほぼクロと言えるが――さらに強いて根拠をあげるなら、年齢と種族の割に魔力が強い。神官を含む、魔力感覚が鈍い人族たちは気づいていないようだが……
(そしてこっちとそっちの娘も……)
あわわ……と口元に手を当てて緊張気味の色白の少女に、どこかニヤついた生意気な笑みで、もちもちした褐色肌の小娘。ふたりとも、同様に魔力が強い。
生意気もちもち褐色娘は知らないが、色白娘の方はリリアナから聞いていた特徴と合致する。
高確率でホワイトドラゴンの娘だ……!
(くっ、不用意に目立つのは避けたいのに……!!)
時すでに遅し――! これ以上ないほど、どうしようもないレベルで悪目立ちしている――! もうちょっと何とかならなかったのか、とリリアナを問い詰めたいところだが、『わんこ』が制御可能ならそもそもこんな事態に陥っていない!
(これ以上、この男に注目が集まるのはマズい!!)
純然たる危機感。
一見、悟りきった顔でされるがままペロペロされているあどけない少年だが。
古巣であったはずの聖教会の英雄たちを、ひとり残らず殺し尽くした――
凶悪極まりない魔族でもあるのだ。
そしてその傍らには、帝国軍の兵士を数百と焼き払った――
光の暴力的な側面の象徴たるホワイトドラゴンがいる。
怪物が、ふたりも。虫も殺さないような顔をしておきながら。
もしもこの場で正体が露見してしまったら、何が起きるのか考えたくもない。
(どうにか丸く収めなきゃ……!)
とはいえ、どうしたものか。いや、合理的に考えろ。目立ってしまったものは仕方ない。だがそれならせめて、目立つ原因にすべての責任を負わせるべき!
――つまり、全部リリアナにおっかぶせるしかない!
「もう! リリィったら仕方ないわね!!」
ニヤリ、と。
「――相変わらず人族の小さくて可愛い子に目がないんだから!!!」
ヤケクソじみた笑みを浮かべ、ヘレーナは言い放った。
「えっ」
「ええッ?」
「ええ……」
「くぅーんくぅーんきゅぅ……えっ」
超ドン引きする周囲。
のみならず、リリアナさえも「心外だ」という顔をした。
リリアナは正気に戻った。
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