488.情勢と約束
【前回のあらすじ】
魔王「ジルバギアスは死霊術を学んでいて、エンマの滅ぼし方を模索していた」
スピ「それって……エンマが反乱を起こしかけてる、ってコト!?」
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「あ、いや、待て待て。そこまで切羽詰まった状況ではない」
顔から血の気が引いたスピネズィアを見て、魔王はひらひらと手を振った。
「万が一の備えだ。ことの発端はジルバギアスの具申だな。聞けばエンマは自由自在に体を乗り換えられるらしく、我が炎で焼いただけでは、魂までは滅しきれぬ可能性があるというのだ」
あの報告は魔王にとっても少し衝撃的だった。それまでは、もしアンデッドが反旗を翻しても、地下宮殿に最大火力を流し込めば解決すると思っていたのだ。
だが、エンマを一撃で滅ぼせなかったら――水も空気も食料も必要としない、文字通り最悪の地下組織を敵に回すことになるだろう。エンマの拠点が、魔王城の地下宮殿だけだと考えるのはあまりにも楽観的すぎる。
そしてアンデッドの一体一体は魔族にとって脅威たり得ないが、獣人や夜エルフにとっては別だ。そして、物流をアンデッドが担っている点に目を瞑っても、労働者が殺されれば食料生産がままならなくなり、魔族が飢えることになる。
「現時点で反乱の予兆が認められているわけではないが、アンデッドの頭目を滅ぼす必要に駆られた際、方策がわからずに手間取るようではいかん。ゆえにエンマの効率的な滅ぼし方を、ジルバギアスに研究させていたわけだ」
「なるほど……しかし、あいつもよくそんな話を受けましたね? 死霊術を学ぶだなんて」
スピネズィアが知る限り、ジルバギアスは正面戦闘を好む武闘派だ。いかにも搦め手な死霊術は、好みではなさそうだが……
「ああ、もともとはジルバギアスが自主的に学び始めたのだ」
「ええ……」
「我も聞いたときは驚いたがな。しかし死霊術を利用しておきながら、魔族側に専門家がひとりもいないのは問題だ、というジルバギアスの主張は尤もだった」
言われてみれば確かに。
「そうしてジルバギアスはエンマから死霊術を学び、その厄介さを理解して――あとは知っての通りだ」
「ということは、エンマは本当に惜しみなく、自分の技術をジルバギアスに教えたんですね」
「うむ。話を聞く限りでは、そうだな」
「……ちょっと理解しがたいですね。なぜそこまで……?」
頭を悩ませるスピネズィア。
これが魔族なら、よほどの目立ちたがり屋か、そういった権能の悪魔と契約でもしていない限り、自分の手札はそうそう明かさない。
スピネズィアがこの話題を魔王に振ったとき、魔王が慎重に慎重を重ねて条件を提示していたのが、何よりの証拠だろう。魔族社会において、力にまつわる知識はそれほどに『重い』のだ。
「ジルバギアスいわく、エンマは理解者を求めていたらしい。アンデッド軍団が兵器としての有用性を示せば示すほど、魔族に危険視され、疎んじられることを懸念していたそうだ」
「…………それで、魔族側に協力者を作るために、ジルバギアスに死霊術を教え込んだ、と?」
その結果、ジルバギアスはエンマの『理解者』となった。その脅威度を正しく理解し、滅ぼす方法を研究し始めた――何とも皮肉な話ではないか。
「恩知らずな気もしますが」
スピネズィアの素朴な感想に、魔王も苦笑していた。
「まあ、そういう見方もあるがな。万が一のときの被害の大きさを考えると、油断していい相手ではない」
「ええ、それはもちろん、わかってます」
「ところで、ジルバギアスに魔道具をねだられたという話だったな。どのようなものを頼まれたのだ?」
「『魔力の干渉を完全に遮断できる容器』……だったと思います」
「ふむ……」
魔王があごひげを撫でる。スピネズィアも、頼まれたときは(何のために使うんだそんなもん)と思ったものだが、今までの話を前提にすると、ジルバギアスの思惑が見えてきた。
「たぶん……魂を封じるための、何かですよね」
「で、あろうな。エンマは体を次々に乗り換えられる。それを防ぐ方策を探していたのかもしれん」
「研究の進捗とかは、報告がなかったんですか?」
例の魔道具を渡したのは、だいたい半年ほど前だったと思う。その間、何の成果も得られなかったのだろうか。そして魔王が、スピネズィアが渡した魔道具の存在すら知らなかったのも気にかかる。ジルバギアスは何も報告していない……?
「特にそれらしい報告は聞いていない。そもそも定期報告の義務もなく、数年やそこらで成果が出るとも思っていなかったが」
魔王の現実的な物言いに、今度はスピネズィアが苦笑する番だった。いくら破天荒なジルバギアスでも、1年足らずで劇的な成果を出すのは無理か。魔法の深淵を極めようとするのなら、十年単位で時間がかかるだろう――常識的に考えるなら。
「……我がこうして、内情を教えてしまった以上」
と、魔王は腕組みしながら言葉を続ける。
「ジルバギアスが無事に追放刑から生還したなら、お前も研究に加わるといい。研究目的そのものは、国家の最優先事項であるからな」
「…………それは、派閥を超えた、『国務』ということですか」
国務。レイジュ族の治療しかり、イザニス族の伝令しかり、コルヴト族の土木作業しかり、国益に直結する職務において、派閥争いや氏族間の諍いを持ち込むことは魔王の命で固く禁じられている。
「その理解で構わない」
「アイオ兄には?」
「知る者は少なければ少ないほどいい」
あくまでも秘密裏に、ということだ。……ちょっとワクワクしてきた。
なお、この場にジルバギアスがいたら、「やめてくれ! 迷惑だから!」と悲鳴を上げていたことだろう。
まかり間違ってエンマがいたら、「多属性持ちなのに死霊術研究なんて、一番向いてないね」と他人事のように笑っていたはずだ。「……それでも、
「わかりました」
久しく覚えていなかった高揚感を胸に、スピネズィアは笑顔でうなずく。
「あたしにできることがあれば、やってみます。……まあ、末弟が戻ってきたらの話ですけど、ホントに」
どこか斜に構えた言い方ではあったが、その穏やかな微笑みは、末弟が何食わぬ顔で生還することを信じて疑っていないように見える。
「うむ」
――そしてそれは、魔王も同じだった。
「ま、それより先に、北をどうにかしないとですね」
表情を少し引き締めて、スピネズィア。
「アンデッドもそうですけど、オディゴスの失踪で他種族にまで不穏な空気が広がってますし。こんなときだからこそ、無様なところは見せられませんよね」
魔族として、魔王国の支配階級として。
力が健在であることを、戦いで示さなければならない。
そうでなければ、ドラゴン族をはじめとした被支配層が、よからぬことを企みかねない――
「その通りだ。此度の出征は期待しているぞ」
魔王もまた、厳格な王の顔になって重々しくうなずく。
「北部戦線に楔を打ち込むのだ。ドワーフ連合の牙城を粉砕せよ、スピネズィア」
父の視線を受けて、背筋を伸ばしたスピネズィアは。
「はい」
その目をまっすぐに見つめ返しながら、応えた。
「……うむ」
満足気に、嬉しそうに、魔王が頬をほころばせる。
「――そして戻ってきたら、またこの場で、戦勝の食事会と洒落込もうではないか。とっておきのごちそうを用意させよう、お前でも食べきれないほどのな」
「!! ほんとですか!!」
ぴかーん、と目を輝かせるスピネズィア。
「もちろんだ。魔王に二言はない。これまでで最も素晴らしい食事会になるであろうな……!」
スピネズィアの食欲を鑑みれば言うほど簡単ではないのだが、魔王の威信にかけて『やる』ことになるだろう。
「景気よく勝ってきます!!」
口の端からよだれを垂らしながら、勢いよく席を立つスピネズィアに、魔王は思わず相好を崩して防音の結界を解いた。
「楽しみにしているぞ」
「任せてください! それでは、また!!」
これ以上、自分でも食べきれないほどのごちそうを想像していたら、お腹が空いて大変なことになりそうだったので、スピネズィアは早々に辞去することにした。
ブンブンと魔王に手を振ってから退散する。
(いやー、今日は充実してたわね)
食事もまあ美味しかったが、ジルバギアスの秘密も知れたし、アイオギアスにさえ明かされることのない(ここ重要)任務まで請け負った。
しかも無事に北部戦線を粉砕すれば、かつてないごちそうまで!!
(がぜん、やる気が出てきたわ……!!)
もちろん食欲も!!
(死霊術の研究については、ジルバギアスが戻ってこないと始まらないから……まずは北部戦線に注力しないと)
早くも空き始めた腹を撫でながら、魔王城の回廊を行くスピネズィアは、ふと外の景色を見やった。
この地平線の果て――同盟圏で、ジルバギアスも自分と同じ夜空を眺めているのだろうか。
(そういえば、あの魔道具……)
ジルバギアスに渡した、【狩猟域】を
(
そうすれば、当初アイオギアスに命じられていた通り、ジルバギアスに接触する口実になって内情を探れていただろうから――
(まさか、死霊術の研究に使っていたなんてね)
あまりも想定外だ。
魔王の宮殿の【狩猟域】は、毎年かけ直すことで強度を保っている。
ましてやあのペンダントは、宮殿の結界とは比べ物にならないほど小規模で――
(変な霊魂とか、入れてなきゃいいんだけど)
ま、同盟圏に持っていってるとは限らないし、壊れたら壊れたで、また作り直してあげればいっか、と。
ジルバギアスが帰ってきたら、自分も共同研究者になる以上、そんな機会はごまんとあるでしょ、と――
「~♪」
それ以上は特に気にすることもなく、スピネズィアは上機嫌で歩いて行った。
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