484.毎年恒例


 魔族の多くは夜を想起させる黒色を好むが、逆に白色が嫌いかと問われると、実はそうでもない。


 現に、婚礼の装束には白色を用いる部族もいるし、魔王国の中枢たる魔王城は白亜の大理石で構成されている。岩山を豪快に魔法でくり抜いた、大陸でも指折りの巨大建築。その透き通るような白さは、月明かりを浴びて夜の闇に映える。



 そしてこの日、満月が見下ろす魔王城の最上部にて――



 魔王の宮殿は、サウロエ族の戦士たちに包囲されていた。



 その数、およそ200。全員が魔力強者、最低でも子爵級という精鋭揃いだ。


「皆の者、……構えーっ!」


 その中で、第5魔王子スピネズィア=サウロエが、槍を振り上げて叫ぶ。少し間があったのは、口に詰め込んでいたマフィンを慌てて飲み込んだからだ。今日も特注の食欲抑制ボン=デージを着込んでいるが、やっぱりおやつは手放せない。


 槍を掲げたスピネズィアが、その場で片足立ちになってくるりと一回転する。


 ある種の舞踏のような、そして今の今までおやつをパクついていたとは思えない、優美な所作。それと同時に強い魔力の波動が放たれ、広がっていく。


 それを受けて、スピネズィアの両隣のサウロエ族も同じように回転し魔力を放つ。さらにその隣のサウロエ族も回転、そしてその隣のサウロエ族も――と、次々に回転舞踊が伝染していき、彼ら彼女らの魔力が混ざり合って、ドーム状に魔王の宮殿を覆っていった。


 混じり合った魔力が半球の頂点に達したとき、その術は完成する。


 ドーム状の結界。サウロエ族の血統魔法、【狩猟域ヴェナンディ・アレア】――その発展型で、魔王城そのものに防御魔法を付与エンチャントした形だ。


 術をかけ終えたサウロエ族たちも、うんうんとうなずいて、出来栄えに満足そうにしている。


「父上、終わりました」

「うむ」


 スピネズィアが振り返って報告すると、背後で見守っていた魔王は、そっと手を伸ばし【狩猟域ヴェナンディ・アレア】に触れる。


 完成した瞬間は半透明だったが、すぐに夜の闇に紛れて不可視になった結界。滑らかなガラスのような感触だ。このまま力を込めていけば、耐えきれずに砕け散ってしまうだろう。


 だが、裏を返せば、魔王が力を込めない限り、破られることのない防壁だ。


 そんなもの、大陸中を探したってそうそう見つからない。もしかしたら、森エルフの聖大樹の里にあるかどうか。


「今年も良い出来だ。ご苦労だったな」

「はっ!」

「ありがたき幸せ」


 魔王のねぎらいの言葉に、スピネズィアをはじめサウロエ族一同は嬉しそうに頭を下げた。


 そう、これは毎年恒例の行事だった。


狩猟域ヴェナンディ・アレア】の付与エンチャントは、規模にも依るが1年とちょっとくらいしかもたない。だからこうして、サウロエ族の腕利きが総出で毎年結界を更新している。


 初代魔王の時代から続く、『一応、念のため』くらいの備えだったが――


「…………」


 魔王は無言で、天を仰ぐ。


 さらに言うなら、高高度を哨戒飛行しているであろう、ドラゴン族を睨んだ。



 ――この結界は、ドラゴンの群れの突進さえも防ぐ。



 8年前のホワイトドラゴンたちの奇襲も、この結界に阻まれたのだ。ドラゴン族も結界の存在は知っていたが、まさかここまで強固だとは思わなかったのだろう。結果として、勇者たちが宮殿を直撃するという事態にはならなかった。


 これからも、が成功することはない――


 ドラゴン族に対する、無言のメッセージでもあった。


(こんなときだからこそ、しっかりと牽制しておかねばならん)


 振り返り、地平を眺めながら、魔王はひとり思いを馳せる。



 ――ダークポータルの異変に。



 ……異変というか、オディゴスが何の前触れもなく失踪した。情けない話だが全くの想定外だった。


 魔王はもちろん、魔族の誰ひとりとして、いや当の悪魔さえも、オディゴスがいなくなるなんて思いもしなかったのだ。


『オディゴスがいない』という事態がどれほど致命的なのか――実際に直面するまで考えたこともなかった。


(これまでも、ほんの僅かな間、ダークポータルのそばを離れることはあったようだが……現世における数秒から数分がせいぜいだった)


 多くの場合、オディゴスが直々に訪問者を案内したり、強烈に案内を求める悪魔を別の悪魔に会わせたりするためで、用事が終わればすぐにダークポータルの近くに戻ってきていたらしい。



 だが、今回は。



 オディゴスが消えて、現世でもう数週間が経とうとしている。



 異常事態だ。悪魔軍団長イズヴォリイは、魔族や悪魔を引き連れて捜索に乗り出したが、結果は思わしくない。


 目撃者もいなければ、手がかりも残されていない。


 何より致命的なことに、これまで魔界において、このようなヒト探しの類を一手に引き受けていたのが、他でもないオディゴスだった。


 もしかしたら、オディゴス以外にも、こういった捜索に適した悪魔が――それこそ【捜索の悪魔】なんかが存在するかもしれない。しかしその【捜索の悪魔】を、どうやって見つけたらいいのかがわからない……


 オディゴスはどこにいるのか。


 あるいは、他の悪魔とのトラブルで死亡したのか?


 しかしオディゴスも、力はそこそことはいえ最古参の悪魔。そう滅多なことはないはずだ、とイズヴォリイも言っていたが、確証はない。


 少なくともオディゴスがいれば、【案内】の権能が発動するか否かで、目的の悪魔の生死も判別できていたのに……。


(我らは……たったひとりの悪魔に頼りすぎていた……)


 苦々しい思いを噛みしめる魔王。


 それがどれほど迂闊だったか、これ以上ない形で思い知らされた。せめて、魔族の誰かしらがオディゴスと契約を結んでおくべきだった。


(契約という形で、縛り付けておくべきだった……)


 が、誰彼構わず導く羽目になるという、オディゴスの権能を嫌がって、自然と皆がオディゴスとの契約を避けていた。他者への奉仕なんて、魔族からもっとも遠いあり方だし、そもそも権能自体が戦いに向いていなさそうだし……


 だから、オディゴスを利用するだけ利用して。


 当のオディゴスも喜んでやっていたものだから、それが当然だと思っていた。


 そう、当然。太陽が照り、風が吹くように、オディゴスもいる。もはやただの自然現象のように考えていた。


 だが実際は違った。消えてから、戻ってきてくれと嘆いても、もう遅い……


(子や親族の帰還を待つ魔族は、数十から数百に及ぶと聞く……)


 捕食の魔神カニバルの力が込められた【槍】を、ぐっと握りしめる魔王。



 ――オディゴスが行方不明になったことを知らずに、魔界入りしてしまった魔族も少なくなかったのだ。



 使い魔を探しに魔界を『再訪』した者は、オディゴスがいないことを訝しんで引き返してくることが多かった。


 だが、悲惨なのは、初めて魔界入りした若者たちだ。


 今のところ、未帰還率はなんと9割。


 帰ってこられたのは、片手に満たない数だった。それも、木っ端の小悪魔や、明らかに『ハズレ』な悪魔と契約してしまった者ばかり……


 おそらく初めて入った魔界で、ふさわしい悪魔はおろか有名な案内人オディゴスすら見つけられなかった――と笑われるのを恐れたのだろう。不安に思いながらも、ダークポータルを離れて魔界の奥地に踏み入ってしまった……


 魔王も一度は幼かった身、その気持ちは痛いほどわかる。自分だったら、ムキになってでも悪魔を探そうとするだろう。【案内】のない魔界がどれだけ危険か――魔王やイズヴォリイにすら想像がつかない。


(魔神カニバルとの協定で、悪魔は魔族に協力することになってはいるが……)


 必ずしもそうとは、限らない。ルールを破ることに生きがいを感じ、あるいはそれで力を得る者もいる。


 そんな凶悪な悪魔と、魔族の子が遭遇したら……終わりだ。オディゴスの【案内】があったときでさえ、そういった事案は極稀に起きていたというのに!


(しかも、仮に危険な悪魔に出くわさなかったとして……!)



 定命の者が、魔界で迷子になったら――どうやって帰ってくればいいのだ?



 これまでは、オディゴスがいた。行きは【案内】により、相応しい悪魔のもとに導かれ、帰りは大体、契約した悪魔がダークポータルまで送り届けていた。


 あるいはそうでなくても、帰り道がわからなくなったとき、オディゴスがふらりと姿を現して、付き添ってもらったというケースもある。



 しかし今、それは瓦解した。



 



「くっ……」


 ぎりぎりと【槍】を握る手に力がこもる。


 ダークポータルが位置する悪魔と魔族の街、コスモロッジでは、今なお未帰還者を待ち続ける者たちがいる。家族や親族の無事を信じて――



 ……何よりも救いがたいのは。



 半年間、行方不明になった挙げ句、極めて強力な悪魔と契約して生還したという、『前例』があることだった。



(ジルバギアス……)


 他でもない魔王の末子。追放刑を甘受し、同盟圏で暴れ回る麒麟児。カイザーン帝国との一件で、追放された罪人でありながら勇名を轟かせている。半信半疑の者も少なくはないが――


 ジルバギアスの活躍ぶりを見るに、『まだ帰ってこない』というのは、必ずしも、凶兆ではないのだ。


 だって、それで傑物に成った前例があるから。


(無事に……戻ってきてくれればよいのだが……)


 暴れ回った末に毒を受けたという報告があるジルバギアスも心配だが。


 今は、魔界で行方不明になった、魔族の子や若者たちも心配だ。


 ジルバギアスのように魔界の果てまで行ってしまい、帰ってくるのにやたらと時間がかかっている、という状況ならいいのだが……



 ジルバギアスのときは……オディゴスがいた……。



「…………」


 が、それはそれとして。


 魔王は――つまり『為政者』は、たかだか数十名程度の行方不明者『だけ』を心配するわけにはいかない。



 オディゴスの不在により、相性のいい悪魔との契約が極めて困難になった。



 これが最大の問題だ。魔王は、事態の深刻さを理解できているつもりだが、それでもまだ夢でも見ているかのような感覚が抜けない。


 それほどまでに、恐ろしいのだ。


 今はまだ、いい。魔王は現役だし、数え切れないほどの公爵・侯爵級の強力な魔族の戦士たちがいる。


 だが、百年後、二百年後――


 このままオディゴスが帰ってこなければ、魔族の力は今の水準を維持できなくなるだろう。それを考えると、背筋に冷たいものが走る。


【魔王】には、魔神の力を秘めた【槍】があるので、次代もそれを受け継ぎ同水準の力を発揮できるが……


 末端の魔族たちが、ことごとく弱体化してしまったら。


 同盟軍はどう出るか。魔族の支配を受け入れているドラゴン族や夜エルフ、アンデッドたちはどう動くのか――




「あの……父上」


 魔王が考え込んでいると、横から声がかかった。


「うん?」


 ハッと我に返って見ると、娘が――スピネズィアが、何やらもじもじしていた。


「お考え中のところ、すいません……」

「いや、いい。どうした?」

「……今日って、月の日なんですけど、父上」


 遠慮がちに、スピネズィアは話を切り出す。



 ――見ていられなかった。



 他のサウロエ族の者たちと一緒に、結界の再展開を終えて、スピネズィアもさっさとこの場を後にするつもりだったのだが。


 厳格な面持ちで地平を睨む魔王を……


 父を、独りにしては、いけないような気がしたのだ。


 その背中は、いつものように堂々としていた。それでいて、どこか――あまりにも寒々しいものを、ひとりで抱え込んでいるようにも見えた。


 スピネズィアもダークポータルの件は聞き及んでいる。父が懸念しているであろうことも見当がつく。


 でも、だからこそ……


 そんな今だからこそ……


 少しくらい、気分転換は必要じゃないだろうか、と。そう感じたのだ。


 そして都合がいいことに、今日は週初めの『月の日』だった。


「そう……か」


 魔王も、思い至ったようだ。


「食事会、か」


 エメルギアスの死とジルバギアスの追放を受けて、魔王が顔を出さなくなり。


 ダイアギアスまで自治区に行ってしまい、アイオギアスとルビーフィアも来なくなって、自然消滅した――



 魔王一家の、憩いの場。



 ……ただ、ここに、美食目当てでひとり出席し続けている猛者がいる。



「あたしは、毎週ひとりで食べ続けてるんですけど……」


 自分で言っててどうなんだろうな、という顔をしながら、スピネズィアは続けた。


「もしよかったら……父上も、このあと夜食ランチでも、いかがですか……? 今日は良いお魚が入ったらしいって、アイオ兄上が言ってて……その……」


 スピネズィアは、おっかなびっくりで、遠慮がちで……


 お世辞にも、気が乗るような誘い文句とは言えなかったが。


 それでも、【暴食】の権能のせいで、いつも自分が食べることにしか気が回っていなかった娘が――こうして、気遣ってくれている。


 その心意気は、確かに魔王にも伝わった。


 ……じんわりと、胸のうちに暖かいものが広がった。


「そう、だな」


 魔王は――ゴルドギアスは、ふっと肩の力を抜く。


「久々に顔を出してみるか」


 そう言ってゴルドギアスが微笑むと、わずかに目を見開いたスピネズィアも、花開くようにして嬉しそうに笑った――





 バリッ





「あっ」


 その瞬間、スピネズィアのボン=デージの腹部、食欲の制御を司るジッパーがはち切れるようにして開き、続いて「グウウゥゥォオオォオ~~~」とこの世の終わりのような腹の音が響き渡った。


「…………」


 目をぱちくりさせる魔王。


「あっ……あの! 父上! あたしひと足お先に! 夜食ランチのメニューを考えたらもう我慢できなくてッ! すみません!!」


 魔王の返事も待たず、スピネズィア――いやフードファイターは、全力疾走で宮殿の中へと消えていった。


「……ふふっ」


 苦笑した魔王ゴルドギアス=オルギは。


 久々の豪華な夜食ランチを思い描きながら、ゆっくりとそのあとを追った。


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