481.魔王の憂鬱 シーズン2

※近況ノートでレイラのキャラデザも公開中です! 表情集が素晴らしくて……作者はもう……。限界化するしかねぇ(カッ!!

――――――――――――


 魔王城、魔王の執務室。


「――なんだと」


 今まさに、ミルクティーを飲もうとしていた魔王は、悪魔執事のステグノスをまじまじと凝視した。


「もう一度言ってくれ。ジルバギアスがどうしたと?」

「カイザーン帝国軍に殴り込みをかけ、数百名を殺傷。さらに皇帝を討ち取ったとのことです」


 すまし顔(ヤギ顔だが)で答えるステグノス。


「……何をしとるんだアイツは」


 魔王、唖然。開いた口が塞がらないとはこのことか。


「ですから、単身で大国の軍勢に挑みかかり、数百名をブチ殺して大暴れした挙げ句に、皇帝を血祭りに上げてですね――」

「いや、それはわかっておるが、そういうことではなく」


 カチャッ、とソーサーにティーカップを戻して、頭痛を堪えるように眉間を揉みほぐす魔王。背後に積み上げられた書類の山が、ドザザッと音を立てて崩れ落ちたが、それを気にする余裕もなく。


「カイザーン帝国……確かアウリトス湖近傍の国家だったか」


 執務室の壁に貼られた大陸地図を一瞥する。


「あれだな。エルフの森を越えた先にある――かなりの大国だな」

「左様にございますね」

「……カイザーン帝国には、『皇帝』とやらが複数いるのか?」

「いえ、王と同じく、ひとりだけかと」

「うぅむ。となれば皇帝も武闘派、ひとかどの戦士だったのかもしれんな」


 そうでなければ自ら前線に出てくるとは思えん、と腕組みしながら唸る魔王。どことなく羨ましそうなのは、魔王城に籠もりきりな己と比較してのことか。


「しかしその情報は、どの程度の信頼性があるのだ? 命からがら戻ってきた諜報員たちに、裏取りをする余裕があったとは思えぬが」

「かなりの広範囲にわたる、別々の地域から結集した諜報員たちが、道中でほぼ同じ噂を耳にしております。逆に、カイザーン帝国の勢力圏から撤収した者たちは、この件について何も知りませんでした。……それでいて漠然とした帝国の政情不安の気配を感じた、とも」

「……興味深いな。皇帝が魔族に討ち取られたという醜聞を、国内に対しては全力で隠蔽した結果。あるいは国政が麻痺し、地域間の連絡が機能不全に陥っていることを示唆しているわけか」


 あごひげを撫でながら、魔王は考えを巡らせる。


「と、なると、多少は信憑性があると考えるべきだな」

「私めも同感にございます。自治区の方針転換もありますし、今後は同盟軍の捕虜も増えることでしょう。そうなれば裏取りは比較的容易いかと」


 今後、同盟軍の指揮官級の人材が捕虜になれば、そのあたりの事情に通じている者もいるかもしれない。


「エルフの森を焼き払ったのち、カイザーン帝国軍兵を捕虜にするのが一番手っ取り早かろうな」

「左様にございますな、数年後、十数年後になるやもしれませんが」

「うむ。いずれにせよ、単身で軍に挑み大将を討ち取るとは……我が息子ながら見事なり、ジルバギアス。負傷を恐れず戦えるのは、レイジュ族の強みよな。しかし追放刑の最中にこんな真似をしていては、命がいくつあっても足りんぞ……」


 感心するような心配するような口調で、苦笑した魔王は再びティーカップに口をつけようとしたが――


「実は、殿下が毒を受けたとの情報もあります」


 ステグノスの補足に、動きを止めた。


「……毒?」

「はい。主に大陸中央部から帰還した夜エルフ諜報員たちの証言です。聖教会は積極的に、『ジルバギアスは毒刃を受け重傷』と喧伝している模様です。行方をくらませた殿下が治療を受けづらくする、あるいは体調を崩しているところを発見されやすくする狙いがあるかと思われます」


 とくとくと語るステグノスに、魔王は顔を強張らせていた。


「……どのような、毒を、受けたのだ」

「そこまでは流石に。諜報員も、聖教会関係者から話を聞いたわけではなく、又聞きのようでしたから……」

「そう、か」


 魔王は、カップの中で揺れるミルクティーに視線を落とした。


「なんということだ……ジルバギアス……弱兵と侮ったか」


 うめき声を上げる。


「人族はどんな手を使うかわからぬ、そう何度も教えたろうに……」


 傷病の状態を対象の人物と『入れ換える』ことしかできない転置呪には、体外に異物を排出する効果がない。毒は、レイジュ族を効果的に加害しうる数少ない手段なのだ。


「プラティ……」


 おそらく今ごろ、死ぬほどジルバギアスを心配しているであろう妻の顔を思い浮かべた魔王は、大きく溜息をついてかぶりを振る。


「その後のジルバギアスについて、何か情報は」

「ございません。そして続報も望み薄です。現時点で、撤収可能な諜報員は全て引き上げましたので……」

「…………最悪の事態を想定するならば、いつ前線にジルバギアスの首が掲げられてもおかしくはない、か」


 ぎり、と手に力がこもりそうになるのを、魔王はどうにか堪えた。そんなことをすれば、ティーカップが雪の結晶よりも脆く崩壊してしまう。


 だが……優秀な末っ子の行く先を考えると、暗澹たる気持ちを抑えきれなかった。諜報網の支援もなく、毒に侵された魔族の子が……あの子はまだ6歳だ! 敵地で生き延びられるだろうか? とてもそうは思えない。


 何より仕方がなかったとはいえ、あの子を同盟圏へと追いやったのは、他でもない魔王じぶんなのだから……


「なんということをしてくれたのだ……!」


 自責の念から逃れようとするかのように、憤怒の形相になる魔王。


 誰に対する怒りか? 言うまでもない、『毒母』ネフラディアだ。


 あの女がビラなんて撒かなければ――!! 諜報網の壊滅も加味すれば、いったいどれほどの被害を魔王国にもたらしたことか。


 ……エメルギアスも可哀想なことをした。いや、元を辿ればエメルギアスが原因ではあるのだが、ジルバギアスに襲いかかるほど鬱屈してしまったのは、母親の影響も大きかっただろう。


 防げたのだろうか?


 自分がもっと、エメルギアスを気にかけてやれば。


 ……防げたのだろうか。


 政務にかかりきりで、子どもとほとんど交流のない自分に。


 ……そもそも防ぐ意味があったのだろうか。どのみち、魔王の座を巡って殺し合うことになっていただろうに。


 結果を見れば、遅いか早いかの違いではないか。


 ……それならば、ジルバギアスを追放する意味はあったのか?


 いや、もちろんあった。兄殺しの咎で罰しなければならなかった。曲がりなりにも魔王の候補者を害しても、お咎めなしで放免になれば、魔王位継承戦が始まる前に泥沼の内戦に突入してしまう。


 魔族の支配が揺らぎ始めれば、ドラゴン族やアンデッドたちがよからぬことを企みかねない。国が荒れる。魔族は、それで滅びはしないだろうが……荒廃した国土に失われた秩序、【聖域】が広がっただけの蛮族に逆戻りしてしまう。


 それは避けねば。魔族を蛮族から脱却させるという志半ばで倒れた父――初代魔王や、自分の代の継承戦で散っていった仲間たちに顔向けできない。


 次の代の魔王位継承戦は、統制された誇りある戦いにしなければならぬ。


 そのためには――ジルバギアスが、ここで犬死にしても。


 仕方なかった、と割り切るべきなのだ。


 そう……割り切る、べきなのだ……


「…………」


 胃痛に苛まれているかのように、無意識に腹に手をやって重苦しい雰囲気を漂わせる魔王。


「――まあ、私めには、あの殿下がそう簡単にくたばるとは思えませんがね」


 それを見たステグノスは、何でもないことのように、軽やかに、言い放った。


「……慰めか?」

「いいえ? 根拠はありますとも、もちろん」


 顔を上げた魔王の、暗い、皮肉げな眼差しを受けても、ステグノスは平然と。


「お忘れですか、陛下。ジルバギアス殿下は、優秀な夜エルフの工作員を連れておいでですよ。確か、夜エルフの中でも名高い凄腕だったはずです。夜エルフの例に漏れず、毒物にも精通しているでしょう」

「…………なるほど。解毒や治療の目もある、と」

「はい。それに加え、帝国軍との一戦では、最後にホワイトドラゴンも大暴れして、殿下を連れて飛び去ったとか……手籠めにしたと噂のドラゴン娘、その忠誠心は本物だったようですな。追手を撒くのは、そう難しくないはず」

「ほう」


 興味深い。ホワイトドラゴンが魔王子に味方したことが知れ渡れば、同盟圏に逃げ延びた他の白竜たちの立場を危うくするだろうに、それでもジルバギアスに加勢したとなると……


「……ファラヴギの娘、だったな。父親の仇にそこまで入れ込むか」

「ジルバギアス殿下、御年6歳。父親の仇でありながら、その娘を完璧に篭絡してみせる手練手管、いやカリスマ性と申しましょうか……末恐ろしくもありますな」

「違いない」


 ステグノスのもったいぶった言い回しに、思わず苦笑する魔王。


「お前の言う通りだ。ジルバギアスは……普通ではない」


 生還が絶望的とされる追放刑に処されて、嬉々として同盟圏に飛び込んだかと思うと、息を殺して身を潜めるどころか、人族の大国の軍に挑んで皇帝を仕留めた。


 この時点で普通ではないが、まあ、並の魔族なら、これが『華々しい最期』で終わっていただろう。


 だがあの子は――ジルバギアスは、並の魔族ではない。


 毒から快復し、追手を撒き、来年の夏に「ただいま戻りました、父上」と休暇から帰ってきたような気軽さで、ひょっこりと魔王城に顔を出しても、何もおかしくはなかった。


(お前は普通の魔族と違う……新たな可能性だ、ジルバギアス)


 本質が蛮族のまま足踏みを続けている魔族に、何か変革をもたらす存在なのではないか、と――魔王は直感的に思っていた。


 アイオギアスと違って、何をしでかすかわからない点は不安だが、そうであるがゆえに、魔族の新たな可能性を切り拓けるのではないか、と――


 そう、感じている。


 だから。


(ジルバギアス)


 ――無事に、帰ってこい。


「……そうだ、ジルバギアスが生還できたら、褒賞を考えてやらねばな」

「カイザーン帝国皇帝の首の、ですかな?」

「うむ。前例に則れば――」


 ごそごそと、執務机の引き出しを漁って資料を引っ張り出す魔王。


「ふーむ。この規模の国家の元首を、単身討ち取ったという例はそうないな。しかもジルバギアスは、数百名の雑兵も倒したという話だったか?」

「雑兵以外に、勇者や神官、魔法使いとも多数交戦していたとの噂もあります。なにぶん噂ですので、実態と頭数に関しては要検証でしょうが」

「そうだな。まあ、皇帝だけでも十分すぎるほどの武功だ。本来であれば一足飛ばしに陞爵しょうしゃくしてもおかしくないが……」

「ほうほう、現在ジルバギアス殿下は侯爵でしたか。……まさか公爵を飛ばして、大公に?」


 驚くステグノスに、魔王は難しい顔をする。


「……武功だけを見ればそれでもおかしくはないが、大公位は魔力も絡む。ジルバギアスがどの程度成長しているかも見る必要があろう。それに加え、今のジルバギアスは無位無官の罪人であり、しかも魔王軍の作戦行動中に挙げた戦果ではない点も無視はできん」

「ああ……確かに。それが認められれば、馬鹿、いや失礼、後先をお考えにならない無謀な魔族の方々が、勝手に国境を越えて『武功』を挙げようとされるかもしれませんな」

「そうなれば収拾がつかなくなる」


 ステグノスの失言は聞かなかったことにする魔王。


 しかも6歳児が無事に帰還したとなれば、「なんだ、同盟圏なんて大したことないじゃないか」と舐め腐って突撃する輩が、あとを絶たなくなるかもしれない――


「……追放刑を見事生き延びた功績と併せて、公爵あたりが妥当か。それでも反発はあるやもしれんが」

「反発必至でしょうな。個人的には、追放刑を生き延びる偉業は公爵に相応しいとは思いますが……」

「フフ、どうしたステグノス。やけにジルバギアスに肩入れしているな」


 魔王がからかうように言うと、ステグノスはすまし顔で答えた。



「――私めが肩入れする魔族は、契約を結んでいる、ただひとりですよ」



 つまり、使い魔の主従契約を結んでいる、魔王ゴルドギアスそのヒトだ。



「……やはり慰めではないか」


 こやつめ、とステグノスの脇を小突く魔王。


 だが、それでも確かに――心は少しだけ軽くなっていた。


 小さく笑って、溜息をついた魔王は、書類の山が積み重なった執務室を見回す。


「……そろそろ仕事を再開するか」

「それがよろしいかと」

「すっかり茶が冷めてしまった」

「淹れ直しましょう」


 スッと当然のように湯沸かしポットを差し出してくるステグノスに、苦笑した魔王は、最大限に調整した火の魔力を放つ。


 ヒュボッジャッッと一瞬で沸騰するお湯、ステグノスが手際よく茶を淹れ直す。


「どうぞ」

「うむ……」


 胸いっぱいに香りを楽しんだ魔王は、いそいそとミルクと砂糖をブチ込み、休憩時間の締めくくりに至高の一杯を――


「陛下」


 どんどん、と執務室のドアが叩かれ、返事を待たずにズイッと大柄な悪魔が入ってくる。



 いや――執務室に、堂々と【侵入】してくる。



 そんな不逞の輩は、魔王城にはひとりしかいない。



「どうした、イズヴォリイ」



 悪魔軍団長、【侵略の悪魔】イズヴォリイ大公だ。ずず、と茶をすすりながら魔王は怪訝な顔をする。



「報告したいことが」



 頭上の車輪状の円環ヘイローと背後で回転する武具のせいで、非常に窮屈そうにしながら入室したイズヴォリイは。



 パンッと手を叩き、早々に防音の結界を展開。



「――オディゴスが失踪した。誰も彼も理想の相手に出会えなくなって、ダークポータルで騒ぎが起きてる」



「ブフォッ」



 魔王は鼻からミルクティーを噴き出した。



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