478.助け合い精神


 オルフェンは激怒した。必ずかの邪智暴虐の魔族を除かねばならぬと決意した。


(我らを馬車馬の如くこき使うのみならず、地虫エルフまで載せろだと!?)


 忘れてはならない――普通のドラゴンは、他者を乗せることを死ぬほど嫌う。なにせ魔族でさえ乗せるのが嫌すぎて、そのうち反旗を翻してやろうと企んでいるくらいだ。孵卵場の岩山を魔王城に改装され、占拠されているということもあるが。


(ただでさえ、魔族が我が物顔で飛び回る現状が耐え難いというのに!)


 空は、ドラゴンのもの。自由な飛行を可能にする翼こそ、ドラゴン族の象徴であり誇りなのだ。


 だが魔王国が勃興して二百余年、竜の聖域たる空は魔族に侵され続けている。


(忌々しいのは、この屈辱に慣れつつある連中がいるということだ……!)


 嫌々ながら魔族を乗せるうちに、この環境に順応してしまうドラゴン族が出始めたことに、オルフェンは忸怩たる思いを募らせている。


 オルフェンの身内の闇竜たちは、竜の誇りを忘れないよう意識を高め、若者の教育もしっかりと行っているものの、他の部族――特に木っ端どもはどうか。


 魔王国の走狗として飛び回るうちに、すっかり奴隷根性が身につきつつある。


 なんというざまだ! 誇り高きドラゴンとしてあるまじき怯懦! 同族が、自分と同じドラゴンが、家畜のように馴らされつつある現状がオルフェンには我慢ならないのだった。


 面従腹背で外面を取り繕っているだけならともかく、本当に心の底から従順になってどうする! 我ら、誇り高きドラゴンぞ!! 悪魔の力を借りて覇者を気取る蛮族ごときに、そう易々と屈してなるものか!


(とはいえ……魔王から要請されれば、断るのは難しい)


 忌々しいが、それが現実だ。


(しかし同時に、唯々諾々と受けるわけにもいかん)


 ここでオルフェンが快諾すれば、既成事実化してしまう。実は数十年単位で見れば夜エルフの工作員を運んだこともあるのだが、そのたびにドラゴン族はめちゃくちゃゴネて魔王や夜エルフの譲歩を引き出してきた。


 竜の洞窟のうち、魔族やアンデッドが占拠していた領域の返還や、夜エルフの労働力の供出等々。


(今回は何を条件にするべきか……カネか?)


 咄嗟に思いついた答えに、オルフェンは己が情けなくなった。


 この自分さえも! 魔族どもが生み出した体制に呑まれつつある!


 カネだと!? 貨幣経済なぞクソ喰らえ! そんなものは地虫どもにやらせておけばいい。欲しい物があれば奪い取る、それが強欲と暴力の権化たるドラゴン族のあり方ではなかったか!


 なのに……! 忌々しい、全くもって全てが忌々しい!!


(そもそも、此度の一件は魔族の暴走が原因だろう! その尻拭いを、なぜ我らがやらねばならんのだ!! ふざけるのも大概にしろ!!)



 ――と、不満や怒りを嘲笑の下に隠すオルフェンを、夜エルフ王オーメンイッサは冷めた目で見ていた。



(さて、今回はどのような条件をつけてくるつもりだ? トカゲめ)


 由緒正しい夜エルフ王家の一員としては、自分の歳の数分の一にも満たない若造に虫呼ばわりされるいわれはない。優に百通りを超える罵倒や皮肉が思い浮かんでいたが、表に出さない程度の分別がオーメンイッサにはあった。


(こんな業突く張りの畜生でも、空を飛べるのは事実。我が同胞たちを救い出す頼みの綱であることに変わりはないからな……)


 オルフェンを激怒させることなど赤子の手を捻るよりも簡単だが、あまり機嫌を損ねると救出作戦でが起きるかもしれない。


 こんなくだらないことで、同胞たちの尊い命を失うわけにはいかないのだ。


「お気持ちはよくわかるが、オルフェン殿」


 あくまでも穏やかに、オーメンイッサは語りかける。


「我が同胞たちの、かけがえのない命のためなのだ。ここは、ぐっと堪えてくれまいか……」

「我らの翼は安くはないぞ。特に、空に相応しき強者ならともかく、帰郷すらままならぬ弱者に対してはな」


 オーメンイッサは表情を崩さなかったが、舌打ちを抑えるのに苦労した。


 ドラゴン族は『魔族は尊敬に値する強者だから乗せている』と主張しており、逆説的に他種族の騎竜利用を拒否している。『乗せるに値しない雑魚』というわけだ。


(何が強者だ! 貴様らまとめて毒殺してやろうか)


 ドラゴン族も魔王国における上級国民なので、夜エルフの使用人を雇っている者も多い。そして、最近のドラゴン族は人化して食事を摂るのが主流だ。


 ――当然ながら、その食事を用意するのは使用人。その気になればいつだって毒を盛れる。


(我らには【誓約】があるので、そうそう危険な真似はできないとでも思っているのか知らないが……)


 夜エルフのうち魔力が強い者は、森エルフと同様に【誓約】の魔法を使える。主人の秘密を漏らさない、主人に危害を加えない、などといった『誓い』を立て、それを破ったときは心臓が止まる、という制約を課すことが可能なのだ。


 これにより、夜エルフの使用人は高い情報秘匿性と、圧倒的な信用度を誇る。


 が。


(それが有効なのは、魔族に対してのみだ)


 実は、ドラゴン族をはじめとした他種族に対しては、夜エルフ使用人も『誓いを立てる』というオプションを用意しているものの、実際に魔法までは行使していないのだ。本当に『口頭で誓いを立てるだけ』。ゆえに、その気になればいつでも誓いを破れる。


 このことを知っているのは、一部の上位魔族と、当の夜エルフたちのみ。ドラゴン族は、特に将来反乱を起こす可能性が高いとみなされているため、有事の際はオルフェンのような有力者を一斉に毒殺する計画も検討されている。


「して、どのような対価をご所望で」


 一服盛られたオルフェンが、無様に泡を噴いてのたうち回る様を夢想しながらオーメンイッサは尋ねた。けっこうな殺意を抱いていたが、それを一切滲ませないのは、年の功といったところか。


 ちなみにこの間、吸血公ヴラドは興味がなさそうにカールしたひげを弄び、獣人王は「はよ帰りてえ」という顔で天井を仰ぎ、エンマは(あほくさ、みんなさっさと死なないかな)と思いつつも笑顔を維持、【侵略の悪魔】イズヴォリイは我関せずと腕組みしたまま思索にふけっていた。たぶん、次の国攻めの段取りを考えている。


「今回はカネだな。~~~くらいか」


 オルフェンが提示した額は、夜エルフ王をして「高すぎる」と言わざるを得ない、ぼったくり価格だった。


「オルフェン殿。それはさすがに……」

「うん? かけがえのない同胞の命ではなかったのか? これでも安すぎるくらいだと思ったのだがな、もう少し安く見積もるべきだったか?」


 意地の悪い笑みを浮かべるオルフェンに、オーメンイッサは頭の中で毒矢を何本もブチ込んだ。


(足元を見おって。まったくホブゴブリンといい勝負の強欲さだ。せめて連中と同じくらい莫迦であれば扱いやすいものを)


 ちなみに、オーメンイッサは、オルフェンが言う『ドラゴン族の誇り』などというものを端から信じていなかった。有利な条件を引き出すための方便にすぎないとみなしている。


 それにしても、一応、オルフェンは条件を出してきた。さて、ここからどうやって値切るか……とオーメンイッサが頭を巡らせた瞬間。



「――何か勘違いしているようだが」



 魔王が、口を開いた。



「この件に『対価』は存在しない」



 オルフェンを見据えながら。



「……どういうことですかな。我らにタダ働きしろと?」

「魔王国は、国家に十分に貢献した者に、その働きに見合った報酬と待遇を与える。お前たちの爵位や俸給のようにな」


 不満げなオルフェンの表情には気づかなかったかのように、魔王は淡々と言葉を続けた。


「そして、同盟圏に潜伏していた諜報員たちは、魔王国に極めて大きな貢献をしたと言える。同盟軍の動きを探り、現地の詳しい情報を送ることで、我が軍の進撃を万全なものとしたわけだからな。そして、魔王国に益があったのならば、お前たちもまたそれを享受したと言える。お前たちは我が臣民、魔王国民であるからだ」

「…………」

「で、あればこそ、その功労者が窮地に立たされているとあれば、能力と資格がある者は救いの手を差し伸べるべきではないか。これは道理の話だ、オルフェン。もし、お前たちドラゴン族が、『そんな道理はない』『自分たちには関係ない』というのならば、それはそれで構わん」


 魔王は、笑った。


「――そのときは我も、お前たちドラゴン族をそのような存在とみなそう」


 軽んじるでも、侮るでもなく、ただ静かに。


「何か、に直面しても、自分たちで見事に解決できる、自立した種族なのだ、とな」


 ……オルフェンは、嫌な予感に襲われた。


 正直、どんなトラブルが起きても、ドラゴン族は独力で対処し切る自信がある。


 だが、それを認めてしまうと、何かよからぬ大義名分を与えかねない。


 そんな気がした。


 例えばだが、再び白竜残党による魔王城強襲があったとして、哨戒飛行の竜だけでは阻みきれず、魔王城への攻撃を許してしまった場合。


『ドラゴン族のみでは解決できなかった』として、何らかのペナルティを課される可能性もある。


 何より、この、さもとやらが発生しそうな口ぶり! これを機にドラゴン族への干渉を強めてくる腹積もりか!?


(ぐぬぅ、厄介な……!)


 オルフェンは薄々、今日のこの場は夜エルフ諜報員救出にかこつけた、オルフェンのカリスマ性に対する攻撃ではないかと思い始めていた。


 ここで『夜エルフなぞ知らん』と突っぱねれば、『何か大きな問題』がドラゴン族に降りかかり、完璧に対処しきれなければそれが糾弾される。


 逆に、『そういうこともありますよね、仕方ないですよね』と手のひらを返せば、魔王に対して毅然とした態度を保てなかったとして、闇竜王として面目を失う。


(クソッ! 陰湿な真似を……!!)


 自分自身、割と陰湿なタイプであることを棚に上げて、憤るオルフェン。


 最初から「そういう事情であれば、致し方なし」と言っていればここまで自縄自縛にならなかったのだが……他種族を乗せて飛ぶのがマジで死ぬほど嫌だったので仕方がない。


「…………」


 沈黙が続く。無表情で、どう答えたものか思案するオルフェンと、「なんで黙り込んでんだコイツ」と内心不思議に思いながら答えを待つ魔王。



 ちなみに魔王は、オルフェンが思うほど深いことを考えていなかった。



 今日の政務がいつにも増してくだらない案件ばかりで、機嫌が悪かったのだ。



 闇竜王と夜エルフ王の交渉も、最初は静観するつもりでいたが、あまりにも闇竜王がふっかけていたので呆れ果て、ちょっと意地悪な言い方をして夜エルフ王の肩を持ってやるか、くらいのノリだった。


 そもそも、今回の一件は魔族側の内輪揉めに端を発しているし、完全に巻き添えを食らっただけの夜エルフが気の毒だったこともある。


「…………」


 深読みのし過ぎで答えに窮するオルフェン。


 それをちょっと面白そうに横目で眺める吸血公ヴラド、険悪なムードに「早く帰りてえ……」感を強める獣人王ガオガー、相変わらず思索にふける【侵略の悪魔】イズヴォリイ、そして――



「はい! 陛下、ひとつよろしいでしょうか?」



 沈黙を打ち破り、死霊王エンマが手を挙げた。



「ん、どうした」



 意外な人物の発言に、少し驚きつつも続きを促す魔王。



「先ほどの陛下のお言葉、誠に感銘の至りでした。そこで、ボクたちアンデッドも、魔王国の臣民として――」



 エンマは、ニタァと笑みを浮かべる。



「――夜エルフの撤退支援に、ぜひ協力させていただきたく」



 !?



 思わず、闇竜王と夜エルフ王が顔を見合わせ、魔王はぱちぱちと目をしばたかせ、これまでエンマの存在をガン無視していた吸血公も二度見し、獣人王は耳の穴をほじり、【侵略の悪魔】イズヴォリイさえも顔を上げた。



 そのとき、会議室内の全員の心がひとつになったのだ。



 ――こいつ、何を企んでいる?




――――――――――――

エンマ「ちょっとでも好感度稼いでおこっと!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る