474.導きのもと
「――ねえ! その勇者アレックスの唄って、本当なの!?」
吟遊詩人が歌い終わったタイミングで、リリアナはズドドドッと詰め寄って詳細を尋ねた。
「えっ? ええ、もちろんですよ。この私が自ら聞き取ってきた英雄譚でして」
神々しいまでの美貌を誇る森エルフに話しかけられ、「むほほっ」と鼻の下を伸ばしながら、得意げに答える吟遊詩人。
――実は、もともと勇者アーサーの英雄譚だったらしいが、行く先々で話を聞いた結果、状況証拠などから同行者の御老公一行がグラハム公とヨハネス公だと気付き、急遽主役を変えたそうだ。
「今のカェムランでアーサー殿の名前を出すと、お通夜みたいな空気になってしまいますしね……」
力なく笑いながら、吟遊詩人は言った。
「…………」
リリアナもまた、沈痛の面持ちになる。気づいてしまったからだ。
(アレクと……アーサーさんは、顔見知りだったのかも……)
吟遊詩人の唄が事実であれば、彼は、アレクの戦友だったのかもしれない。そして魔王子ジルバギアスは、そんな人族の英雄に手をかけた。
手にかけてしまった……。
どんな理由があったとしても、殺人が正当化されるわけではない。それを承知の上で、なお罪を重ねるのが魔王子ジルバギアスのあり方だ。全ては魔王を倒すために、魔王国を滅ぼすために。
だが、全てを覚悟していても、アレクはそれで完全に開き直ってしまえる人間でもないのだ。だからこそ、禁忌の魔神と契約できた。人の心の痛みを知らねば、禁忌は禁忌たり得ない――
今回の一件で、ジルバギアスはどれほど強くなったのだろう。
リリアナは、アレクと再会したくてたまらないが、同時に恐ろしくも感じた。彼が著しく強くなっていたら、それは、彼がそれだけ苦しんだということの証左に他ならないから。
……心配だった。
なのに、どこにいるのかもわからない。
だからというわけではないが、一夜明けて、リリアナはバッコスを訪ねてみることに決めたのだ。
リリアナたち三人は誰もバッコスを知らなかったが、どうせアウリトス湖沿岸の街だ、湖沿いに進めばいずれたどり着ける。またぞろボートをかっ飛ばし、ドラゴンもかくやという超高速移動。
「もしかしたら、何か手がかりがあるかもしれないわ」
誰に言うとでもなくつぶやくリリアナに、ヘレーナも、オーダジュも、黙ってついてきてくれた。
――手がかりなんてあるわけない。よしんば彼の足跡が残されていたとしても、今どこにいるかは関係ない。
頭ではわかっていた。それでも、リリアナは動かずにいられなかったのだ。途方に暮れたまま、何もしないよりはマシ。そう自分に言い聞かせて。
(これで、どうしようもなかったら……)
バッコスに向かう最中、揺れるボートの上で、リリアナは思った。
(私、里に帰った方がいいのかもしれないわ)
アレクが、勇者アレックスとして活動し続けていれば、その足跡を追うことで合流できる可能性があった。
だが、魔王子ジルバギアスとして大暴れして、行方をくらませてしまった今。ドラゴンに乗って空を飛び、本気で逃げ回る魔族を捕捉するのは不可能だ。
あれだけ母や重鎮たちに大見得を切って、いつ寿命が来てもおかしくない老齢のオーダジュまで連れ出して、何の成果もなく戻るのは情けなくて仕方ないけれど。
(闇雲に探し回るより、私が待っていた方が……)
もしかしたら、アレクが自分を頼って里を訪ねてきてくれるかもしれないし、そうでなくても、魔王国に帰る前に会いに来てくれるかもしれない。
「…………」
あまりにも消極的、かつ希望的観測にまみれた結論に、気が滅入ってしまう。
(くぅん……)
だけど、こんな自分には。
『待て』がお似合いなのかもしれない……
しょんぼりと肩を落とすリリアナをよそに、オーダジュが操るボートは水飛沫を上げて爆走、普通の客船なら数日かかる距離を数時間足らずで走破し、無事バッコスに到着したのだった――
――バッコスは、どこか浮ついた空気に包まれていた。
まあ、それも無理からぬことだ。カイザーン帝国襲来、魔王子ジルバギアス介入、あっという間の帝国軍撃退、アーサー戦死、カイザーン帝も戦死、暗愚の『代王』オラニオ退位、からの長年行方不明になっていたヨハネス公即位。
こんな衝撃的なニュースが立て続けに飛び込んでくるなんて、数十年に一度とないだろう。
「まあ、戦争だの王様だの、おらたちが慌ててどうにかなることじゃねえけどな」
「森エルフのみなさんも、よかったら温泉にでも浸かっていってくださいよ」
「行商が再開されたんで、お土産物もいっぱいあるよ!」
町の人々に話を聞いてみたが、こんな調子だった。ついでに、温泉を利用した蒸し菓子などもおすすめされて、オーダジュとヘレーナは遠慮していたが、リリアナは言われるがままに購入した。
「ああ、勇者アレックスさんね! カッコいい人だったなぁ」
「やたら語り口が滑らかなお人だった」
「山賊との戦いを、そりゃあもう臨場感たっぷりに……」
アーサーや御隠居一行という濃いメンツの中でも、アレックスはそこそこ、人々の記憶に残っていたようだ。
前世のアレクは、どちらかというと口数が少ないタイプだったが、魔王子ジルバギアスに生まれ変わってからは、多弁になった気がする。
…………。
いや、あるいは、それが本来の彼なのかもしれない。前世では、戦いに疲れ果てていて、暇なときは騒ぐ元気がなかっただけなのかも……。
蒸し菓子をパクつきながら、えも言われぬ悲しみに襲われるリリアナ。
「ああ、遺跡ですか? それならあっちの山道を行けば……」
山賊剣聖が討伐されたという、遺跡の場所も教えてもらえた。
――ちなみに、この遺跡を観光地化するアイディアも出たらしい。
ただ、街からのアクセスが悪すぎるし、死人が大量に出た場所で薄気味悪いし、何より昔から『化け物が出る』という言い伝えがあるしで、結局立ち消えになったそうだ。
実際に行ってみると、確かに悪路だった。ゴツゴツとした岩だらけの山道、並の人族には辛かろう。
ただ、大地の精霊に愛されている森エルフならば、どうということはない道のりだった。サクサクと踏破し、山中の遺跡にたどり着く。
「ここが……」
洞窟の中に取り残された、古代の石碑と祠のような建造物。リリアナは興味深げに遺跡を見回した。
正直、遺跡そのものには何も期待していなかったのだが、森エルフ的にはけっこう面白い場所だった。
「地脈ってやつかしら。大地の魔力が濃いわね」
ヘレーナが、地面に手を当てながら言う。
「魔王城……というか、竜の洞窟に似た感じね」
どこか、懐かしさすら覚えるほどだ。リリアナもうなずく。
「ふむ……『化け物が出る』という言い伝えも、あながちデタラメではないかもしれませぬな」
オーダジュの言葉に、警戒を強める。確かに、これだけ濃厚な魔力に包まれたスポットなら、現実に綻びが出てもおかしくない。ここがいわゆる『聖域』という扱いを受けていればまだよかったのだが、原住民に恐れられている以上、それらの負の概念が蓄積されて、害をなす可能性もあった。
つまり、何がおきるかわからないということだ。
油断せずに、慎重に、歩みを進めるリリアナたちは――
導かれるようにして、
遺跡の中央の、祠のような場所にまでやってきた。
「何……? これ」
ヘレーナが首を傾げる。
石畳の床の上に、円状に、不可思議な模様が刻まれている。
それは、文字のようであった。
だが博学のヘレーナをして、見たこともないモノ。
「これは……!? まさか」
オーダジュが目を見開き、口笛で軽快なメロディを奏でる。その吐息が小さな旋風となって、床の円状の模様に付着していた土埃を綺麗に吹き流していった。
「……なんと、悪魔文字か! 何年ぶりに見たことか……!」
「悪魔文字?」
「ええ。悪魔どもが使う文字ですよ、ワシも読み方までは知りませんが、若い頃に見たことがありましてな……!」
悪魔文字……と、リリアナはその単語を咀嚼した。
真っ先に思い浮かべたのは、知識の悪魔ソフィア。彼女は、ジルバギアスに教育を施していて、リリアナもおひるねしたりゴロゴロしたりしながら、勉学に励む彼の姿を見守っていたものだが。
悪魔文字などというのは、聞いたこともなかった。魔族文字なら、まだわかるのだが……
「これは……何なのかしら?」
かがみ込んで、そっと模様に指を這わせるリリアナ。
「姫様、お気をつけて。悪魔絡みなら、どんな危険があるか――」
オーダジュがそう警句を発した――
まさに、その瞬間。
ズオッ、と床の魔法陣が、赤黒く輝いた。
「!?」
リリアナも目を剥く。触れた指先から、自身の存在が引きずられるような、空恐ろしい感覚。
いや――これは!!
魔力が、吸い取られている! 凄まじい勢いで!!
「なっ――」
抗おうとしたが、リリアナの力をもってしても、止まらない! まるで、とてつもなく深い穴に、重石をくくりつけたロープを放り込んでしまって、その重量と勢いに引きずられているかのように――
リリアナもまた、引きずり込まれようとしている!
「姫様ッ!」
「リリィ!!」
異変を察知したふたりも、リリアナを魔法陣から引き離そうとする。
が。
ズンッ、と空間がたわむような、重圧。
真っ黒な、夜の闇よりもさらに暗い、底なしの暗黒が。
球体となって広がり、リリアナを飲み込んでしまった。
「――姫様ァァァッ!!」
オーダジュが血相を変えて、自らもその【暗黒の穴】に飛び込もうとする。
が。
その瞬間、真っ黒な球体から、ひょこっとリリアナが顔を出した。
「あ。えーと……ただいま?」
何事もなかったかのように、とことこと歩いて出てきたリリアナは、どこか感慨深げに周囲を見回したり、自らの肉体の感触を確かめるように、手を開いたり握ったりしていた。
「あ……」
そして、その背後で、【暗黒の穴】が蒸発するように消えていく。
リリアナが飲み込まれてから、数秒に満たない出来事だった。
「……姫様ァ! ご無事で!?」
オーダジュがリリアナの肩を掴み、様々な解呪や癒やしの力を流し込む。
「リリアナ、なのよね?」
ヘレーナもまたちょっと疑いつつ、リリアナに向けていくつか光の玉を投射した。ぽわんぽわんとシャボン玉のように弾けてリリアナの肌をくすぐるそれは、闇の輩であれば、容赦なく肉を焼く攻撃魔法だった。
そして、それを平気な顔で受けているということは、少なくとも闇の輩でないことは事実――
「姫様! これはいったい、なんだったのです!? 何が起きたのです!?」
ひとまず、リリアナが無事だったことに安堵するオーダジュだったが、不測の事態に全く対応できなかった己に歯軋りしながら尋ねた。
「……結論から言うと」
リリアナは苦笑しながら、答えた。
「これは、魔界につながる門だったわ。……私、悪魔と契約してきたの」
え。と固まる、オーダジュにヘレーナ。
「ふたりにも、紹介するわね」
そして何の予兆もなく、リリアナから飛び出す魔力の塊。
「私が契約してきたのは――」
【悪魔】が、愕然とする森エルフたちの前に、姿を現した。
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