473.疑念と忠義


 その日は、カェムランで宿を取った。


 これまでは野宿オンリーで、がむしゃらに突っ走ってきたのだが、衝撃冷めやらぬ今、しっかりと休息を取るべきだとオーダジュが判断したためだ。


(ちなみにオーダジュ本人はピンピンしている。あくまでリリアナの精神的疲労をおもんぱかってのこと。)


「……それで、どうします?」


 宿屋の4人部屋にて。念のために、防音の結界も展開しながら、ヘレーナが口火を切った。


 部屋にはもちろん、リリアナ、ヘレーナ、オーダジュの3名のみ。ベッドに腰掛けて膝の上でギュッと手を握ったリリアナは、心なしか顔色が悪い。対してオーダジュは、いつものように泰然として、ベッドの上にあぐらをかいている。


「『アレク』に接触しようとすることが……そもそも正しいのか」


 険しい顔のまま、ヘレーナはリリアナとオーダジュの顔を見比べる。


「疑問を呈しても、構いませんよね?」


 ジルバギアスが、リリアナを救ってくれたのは事実。だが、数百の兵士を殺し尽くしたのも、動かしがたい事実だ。


 ――やはり彼は危険人物なのではないか?


 果たして危険を冒してでも、接触する意義があるのか。『命にかえてもリリアナを守る』、その誓いを背負ったヘレーナが疑念を抱くのも……無理からぬことだった。


 考えたくもないことだが、ジルバギアスや魔族たちがハイエルフの女王さえも超越する呪詛の使い手で、リリアナのわんこ状態のような、浄化不可能ながある可能性もゼロではない。


 リリアナが猛烈にジルバギアスと再会したがっているのも、仕組まれたものでないという確証がどこにあるだろう?


 ……まあもっとも、わざわざリリアナを逃して、情報も流して、ジルバギアス自らが同盟圏に出てきてまで、それをやる意味があるとは思えないのだが……


 それでも警戒には値する。ヘレーナの姿勢は決して間違っていない。


「アレクは……自ら進んで殺しに手を染めるような人じゃない」


 リリアナは、絞り出すように言った。


「それは、魔族に生まれ変わっても、変わらないわ」

「でも……それなら、なんでこんな真似を?」

「何か理由があったのよ」

「どんな?」

「……くぅーん」

「犬真似しても誤魔化されないわよ!」


 ぺしぺしとヘレーナに頭を叩かれ、リリアナが「きゅーんきゅーん」と情けない声を上げる。


「ジルバギアスが危険人物であるという点は同意じゃが……その意図はわからんでもないのぅ」


 と、オーダジュが口を開いた。


「事実として、帝国軍は止まった。……こんな情勢で、人族で内輪揉めなど呆れた話だが、おそらくいち勇者としてアレクも同じ気持ちだったことだろう」


 ふぅ、と溜息ひとつ、腕組みしながらオーダジュは言葉を続ける。


「ワシは先ほどの聖教会で、主に公国民の傷病人を治療したのですがの。勇者神官の犠牲を悼む声は多けれど、帝国軍を退けたことについて、むしろジルバギアスに感謝している風さえありました。皆、声を大にしては言いませんでしたがの」


 特に猫系獣人たちは顕著だった、と肩をすくめるオーダジュ。


「……そうね。この国、猫系が多いものね……」


 ガルーニャのことを思い出しながら、リリアナはうなずく。


 わんこと化した自分に、本当に良くしてくれた彼女だが……皮肉にも、言葉を交わしたことは一度もない。


『今の自分』が彼女と再会したら、どうなるのだろう?……あまり、考えたくはなかった。白虎族は人族に敵意を抱いているが、森エルフは陣営が違うから敵対しているだけだ。リリアナとしても特に思うところはない。


 だが、もしも再会した場所が、戦場であれば……。


 ちなみに、同じくジルバギアスの側近であった夜エルフのヴィーネは、普通に嫌いだ。何だかんだわんことして世話はされていたが、囚われ時代は彼女に皮を剥がれたこともある。


「帝国軍相手には、一方的な虐殺を繰り広げたジルバギアスも、聖教会の勇者たちが現れてからは苦戦していた、って証言もあったわ」


 そんなことをつらつらと考えつつ、リリアナもまた話し出す。


「帝国軍を追い返すのが目的で、聖教会の援軍が現れてしまったから、逃げるに逃げられなくなったのかも……」


 ただ、リリアナが知るジルバギアスの力量からすると、生半可な相手に苦戦するとは思えなかった。手加減しようとして失敗した? ……あり得る。


「……人族に襲いかかれば、聖教会が現れるのは自明では? 彼自身、勇者ならそんなことわかりきってるでしょうに」

「それは……そうだけども」

「このあたり一帯で有名な英雄、【アーサー】という勇者が魔王子に敗れた、という話でしたな。あの【エクスカリバー】も魔王子には敵わなんだか……」


 険しい顔でぽつりとつぶやくオーダジュ。


「エクスカリバー?」

「【アーサー】が奥の手とする魔法剣ですよ。己の寿命を代償にする大魔法で、とてつもない魔力をその身に宿すことができます。ワシは直接見たことはありませんが、かなり昔に友人がその場に居合わせましての」


 オーダジュが『かなり昔』と表現するということは……相当だ。少なくとも五、六百年は前と見ていいだろう。


「そのような大魔法が。『聖教会の勇者がなんかすごかった』、って子ども並な感想ばっかり帝国軍捕虜が言ってたのは、そういうことでしたか」


 ヘレーナもほうほうとうなずく。


「まあ、ジルバギアスの思惑が『それ』ならば、多少は納得できますが……人類側の戦力を大きく損ねる所業には違いないでしょう。人族の、それも『勇者』らしからぬ行動であるようには感じられます」


 あくまでもジルバギアスを疑うスタンスは変えないヘレーナ。


「それは……」

「うむ……」


 リリアナとオーダジュは顔を見合わせた。


 オーダジュは、ジルバギアスが【禁忌の魔神】と契約していることを知っている、数少ない森エルフのひとりだ。


 そしてそれを知る全員が、『女王の許可なく第三者には教えない』という誓約を課されており、禁を破れば心の臓が止まる。対してヘレーナは、ジルバギアスの正体は開示されているものの、その手札の詳細までは知らされていない。


 ジルバギアスの帝国軍襲撃が、帝国軍撃退と、勇者でありながら人族を虐殺するという禁忌を犯す、一挙両得の行為であると認識できているのはリリアナとオーダジュだけ。


 だが誓約により、それをヘレーナに教えることはできない――


「……何か、あるのね?」


 ふたりの、あまりにも歯切れが悪い様子に、察するヘレーナ。


「…………はぁ。そういうことなら、仕方ないわ」


 大きく溜息をつき、ごろんとリリアナの傍らに寝転がって、いじいじとリリアナの尻をつつき出すヘレーナ。……ぷっくりと頬を膨らませている。当然、あまり気分はよろしくない。


 自らもジルバギアスの正体について誓約を背負い、命を賭ける覚悟で、リリアナの護衛も引き受けているのだ。自分の領分については理解しているし、全ての情報を開示しろと言っているわけでもないのだが、それはそれとして……自分だけが除け者にされているようでは、感情的に納得し難いところもある。


「ごめんなさい……」


 ヘレーナの髪を撫でながら、沈んだ表情のリリアナ。


「アレクを危険視するお主の態度も、決して間違ったものではない。お主もまた正しいのだ、ヘレーナ。ゆめゆめ油断せぬことだ……」


 オーダジュもまた、申し訳なさそうに。


(――そう、油断はできぬ)


 が、壁に背を預けながら、胸の内でつぶやく。


(仮にジルバギアスの行動が、無為な人族の内輪揉めを掣肘するという意図に基づいていたのだとしても――)


【禁忌】の権能が、それを後押ししたのだとしても。


(――禁忌を犯せば力を増す、という性質を持つことは警戒に値する)


 前世が勇者だろうと、善良な人格の持ち主だろうと、彼の立ち居振る舞いが善良であり続けるとは限らない、ということだ。


 言ってしまえば、非道を重ねれば重ねるほど強くなっていく極悪人でもある。力に溺れた人族なんて、オーダジュの長い長い人生で嫌になるほど見てきた……


 リリアナが遮二無二否定するだろうから、口には出さないが。


(姫様を害して、さらなる【禁忌】を犯そうとしない保証がどこにある……?)


 もしそうなったら、自分は……



『命に代えても、リリアナを守る』



 そう誓っているのは、ヘレーナひとりだけではない――



「まあ、ここはひとつ、食事でも摂って気分転換しましょうぞ」


 そんな内心はおくびにも出さず、笑いながらふたりを食事に誘うオーダジュ。


 そのまま宿屋1階の食事処兼酒場に降りて、あれやこれやと注文する。


「サラダが3つと、果物の盛り合わせと、野菜炒めと――」

「あ、野菜炒めにソーセージ入ってたら抜いてくだされ」

「パンもいらないです」

「あ、私パン食べます。よかったらジャムもつけてください」

「リリィ!? あんたパンなんて食べるの?」

「けっこう美味しいわよ?」

「いやでも……小麦……」


 小麦は、森を切り開いた畑で生産されるので良くないモノ、という認識が森エルフにはある。なので小麦製品は(状況的に許されれば)口にしないのが多数派だ。


「私、お菓子なんかもけっこう好きだし、前線では食べてたわ」


 が、ケロッとしてのたまう『聖女』がここにいた。


「それに……では、お肉なんかとも時々出されてたし……」


 フッ……と影のある笑みを浮かべるリリアナ。


「クキキ……」


 ヘレーナが口の端を引きつらせ。


「ほっほっほ……」


 オーダジュも朗らかに笑っているが、固く握られた拳に血管が浮き出ていた。


 ――夜エルフ殺す。


 ふたりの心が、今ひとつに――!


「え~それじゃご注文承りました~」


 何やら物騒な気配に、ウェイトレスがさっさと厨房へ引っ込んでいく。


(……それにしても、どうしたものかしら)


 そんな周囲の様子には気づかずに、リリアナはテーブルに頬杖をついて、思い沈んでいた。


(結局、アレクの行方はわからないまま……)


 兵士たちの証言から、『ホワイトドラゴンに乗って東の空に逃げていった』ということはわかっている。


 だが、バカ正直にそのまま東に飛んでいったとは思えない。むしろ偽装である可能性が高い。


(でも、それじゃどこに飛んでいったかなんて……)


 ドラゴンの機動力じゃ、それこそどこにでも行けてしまう。『なぜホワイトドラゴンが魔王子の味方をしているのだ』と憤る声も多数あったことを思い出し、リリアナの胸の奥がチクリと痛んだ。


(手詰まりだわ……どうしたら……)


 アレクに会いたい。その一心で里を飛び出して、こんなところまで来たけれど。


(くぅーん……)


 テーブルに突っ伏して、アテもなく駆け出してしまいたい衝動を、必死に抑えるリリアナ。


(……泣き言は言ってられないわ。どうにかして、手がかりを……!)


 顔を上げれば、朗らかに酒を呑み、食事をし、歓談するカェムランの人たちが目に入る。


 魔王子ジルバギアスの介入により、彼らはこうして、のんびりと過ごしていられる――夥しい人命と、聖教会の希少な戦力を代償に。


「…………」


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


(アレク……今、どこで何をしているの……?)


 毒を盛られたらしい、という話もあったし心配だ。何より、大勢の人を手にかけることになって、自責の念に苦しんでいるのではないだろうか。


「……っ」


 アンテとレイラがそばについているから、きっと大丈夫だ――と。そう考えた瞬間に、リリアナは、反射的に「羨ましい」と感じてしまった。嫉妬だなんて! そんな感情に駆られていいはずがないのに……!


(会いたいよ……アレクぅ……!)


 わぅん……。



 ――そのとき、酒場がワッと沸いた。



「やあ、どうもどうも」


 ハープを抱えた吟遊詩人が入ってきたのだ。


「皆様、ごきげんよう。早速ですが一曲吟じましょう、今をときめく『新風』のヨハネス公と、我らが前公王陛下、グラハム公の英雄譚にございます……」


 いいぞー、待ってましたー、などという声援とともに、早くもおひねりが飛ぶ。吟遊詩人も満面の笑みで、朗々と歌いだした。



「おお 麗しのハミルトン公国!


 剣のごとく 天を衝く


 ディコスモウの 山々より望むは


 洋々たる 碧きアウリトス――」



 ヘレーナが「ここらの歌ってだいたい出だし一緒よね」とボソリとつぶやく。



「湯けむり 漂う


 秘湯の街 バッコス!


 人々の笑顔たえぬ 安らぎの街


 しかし 暗雲が立ち込めた ならず者の影――」



 リリアナも耳を傾けていたが――山賊が街の近くの山に住み着き、衛兵隊が討伐を試みるも、大きな被害を出してしまった。なんと、山賊の中には剣聖が紛れていたのだ! という展開だった。


(山賊に剣聖なんて、また荒唐無稽な話ねー)


 まあ吟遊詩人にフカシはつきものだし……。


「おまたせしましたー、サラダと野菜スープです」

「頼んだのは野菜炒めじゃが?」

「ごめんなさーい、もう全部スープにしちゃったんです」

「ふぅむ……そういうことなら仕方ないか」


 いそいそと食事を始める。「あっ、ソーセージ入っとる……」と渋い顔でスープを飲むオーダジュ。ちなみに森エルフだからと言って肉が食べられないわけではない。単純に好みの問題だ。


 リリアナも、もそもそとサラダを頬張り始めたが――



「そして山賊剣聖のアジトに 乗り込むヨハネス公!


 血に飢えたならず者ども 剣を手にこれを迎え撃つ!


 しかし恐れを知らぬ ヨハネス公のお供 勇者アレックス!


 聖剣のひと振りにて 5名の山賊をなぎ倒す!!」



「!?」


 リリアナの口から、ポロッと野菜がこぼれ落ちた。



――――

※温泉の街バッコス、だいたい426話~ですね……(神妙な顔)

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