472.走れリリ公 シーズン2


 エドガーから『勇者アレックス』の行方について、手がかりを得て。


わうあれく! わうんどこなの!!」


 ピューッと風のように東へ駆けていったリリアナは(と、それを必死に追いかけたお付きのヘレーナとオーダジュは)、そのままエルフの森を突っ切ってアウリトス湖沿岸地域に到着した。


 ――魔王子ジルバギアス、帝国軍を強襲す。


 衝撃的な報せが飛び込んできたのは、ちょうどそのタイミングだった。


(なんで!? わざわざ、そんなことを!?)


 流石のリリアナも耳を疑う。


 正体がバレて不可抗力で交戦したのなら、まだわかる。だがどうやらジルバギアスは能動的に、カイザーン帝国軍に襲いかかったらしい。しかも帝国兵のみならず、聖教会の勇者神官に至るまで、あわせて4桁に上る死傷者を出したとか……


「リリィ……」


 幼馴染のヘレーナは、険しい顔をしていた。リリアナから聞かされていた『勇者アレクサンドル』の人物像からは、あまりにもかけ離れた所業。


「…………」


 リリアナは思い詰めたような表情のまま、何も答えない。いや、答えられない。というのも、ジルバギアスが【禁忌の魔神】と契約していることは、ヘレーナにはまだ明かしていない情報だったからだ。


(でも、だからといって……)


 アレクは、進んで禁忌を犯そうとする人物ではなかったはず。いったいなぜ……


「噂とは尾鰭がつくものですからな」


 あくまで冷静に、のんびりと指摘したのはオーダジュだ。


「実際にどれだけの被害が出たのかはわかりませんぞ。……帝国軍と衝突したのは、どうやら事実のようですがな」


 顔を見合わせる森エルフ3人組。


「……確かめるわ。行きましょう、カェムランに」

「では船を使いましょう。その方が早い」


 そうして漁村で小舟を買い上げた3人は、即席で張った帆を精霊の風で膨らませ、さらに水流も操って、現地民が目を剥くような爆速でカェムランへ直行。



 ハミルトン公国、カェムラン聖教会――



 帝国軍の兵士が多数捕虜になっていると知り、負傷兵の治療を引き受ける代わりに話を聞くことができた。


「あれは……化け物だった……」


 リリアナの治療を受けながら、ベッドに寝かされた帝国軍の指揮官は語る。


「手塩にかけて育て……鍛えに鍛えた重装歩兵団が……何もできなかった。まるで水に濡れた紙のように、一瞬で食い破られ……」


 頭を包帯でぐるぐる巻きにされた指揮官は、戦場で意識不明で倒れていたところを確保され、そのまま捕虜となった。


 なんと、魔王子ジルバギアスと直接刃を交えたらしい。そして生き残った数少ない帝国軍人でもある。頭蓋骨陥没の重傷人であったこと、貴族であったこと、完全に戦意を喪失していることなどから、今は聖教会に身柄を預けられていた。


「さあ、治りましたよ」


 普通の森エルフに擬態しているとはいえ、リリアナの魔法の腕前は健在だ。一瞬にして指揮官の傷は癒やされた。


「なんと、もう? ……かたじけない」


 あまりの早業に驚きつつ、ベッドから身を起こす指揮官。痛みはすっかり消えてなくなり、手足の麻痺なども治っていた。


「お名前を……伺ってもよいだろうか。私はヴィルフリート=ゲーンバッハ」

「リリィです。どうかお大事に」

「リリィ殿か。ありがとう。……あなたのような優れた術師や、聖教会の方々の援護があったなら……」


 そこまで言いかけて、「いや……」と指揮官はかぶりを振った。


「それでも、我々が、あの魔王子と対等に戦えたとは、とても思えない……。前線では、あんな化け物と戦っているのだな。それなのに我々は……なんと愚かな……」


 まだ痛みに苛まれているかのように、両手で顔を覆い、うつむく指揮官。


 リリアナと入れ替わりに、公国軍の兵士が病室に入ってきて、指揮官の身柄を確保する。完治したので、聖教会から領主の館の牢へと移送されるのだろう……


 それから、リリアナは傷病者の治療を続けていった。


 近隣都市からも応援が駆けつけているが、カェムラン聖教会は深刻な人手不足に直面している。聖教会の一線級の人員は魔王子ジルバギアスと交戦し、全滅。残されたのは老齢の神官と見習いばかりで、傷病者の数に対して癒者ヒーラーが圧倒的に足りていない。


 リリアナ、ヘレーナ、オーダジュと、三手に分かれて治療しつつ、兵士たちから話を聞いて回る――


「……どうでした?」

「噂は、尾鰭がついていたわけではなさそうですのぅ」


 実戦を知る三者をして、酸鼻を極める様相が明らかにされただけだった。


は……本当に容赦がなかったようで」


 オーダジュの言葉も、含みのあるものにならざるを得ない。


「しかし、対する聖教会もさるもの。ワシが治療した兵士いわく、魔王子に毒を盛ったそうですぞ。それで最後の方は魔王子も苦しんでいたとか……」

「毒……」


 リリアナの顔が強ばる。【転置呪】は毒には対応できないはず――


「ただ、死傷者の半数は、ドラゴンの仕業のようですな。……それも、ホワイトドラゴンの……」


 声を潜めながら、オーダジュ。


(レイラ……)


 ぎゅっ、と胸の前で手を握りしめるリリアナ。彼女レイラは、人を殺めたことはなかったはずだ。、はずなのだ……。優しい娘で、でもそれ以上に、アレクのことを大切に想っていて……


「…………」


 きゅぅんと胸が痛む。だが、その痛み、息苦しさの正体が何なのか、リリアナ自身にも判然としなかった。


「興味深いことを聞きました」


 と、ヘレーナが口を開く。


「ここカェムラン聖教会に、我らが同胞森エルフも担ぎ込まれていたようです。ドラゴンのブレスで全身を焼かれ生死の境を彷徨っていたところ、どうにか意識を取り戻し、自己回復して聖教会を出ていったとか……」


 何でも、魔王子ジルバギアスの足跡を追っているとか……



 ――カェムラン郊外、『カェムランの惨劇』跡地。



 血と、泥と、腐敗と、焼け焦げる骨肉の臭い。


 魔王子ジルバギアス襲撃より数日が経ってもなお、カェムランの丘は、夥しい死の気配に包まれていた。


 元は草花が生い茂っていただろうに、広範囲が真っ黒に、痛々しく焼け焦がされている。真新しい地面が掘り返された跡。無造作に積み上げられ、火葬の順番待ちをしている帝国軍兵士の遺体の山と、それに群がる無数の蝿――


「…………」


 平和な同盟圏後方とは思えない凄惨な光景に、リリアナたちも閉口する。死体の片付けに従事する兵士たちは、手伝うでもなく、ただ呆然とする森エルフたちを気に留める余裕もなく、黙々と作業を続けていた。


 そしてそんな中、ひとりの獣人を連れて、歩き回る森エルフの姿があった。


 ……いや、逆だ。歩き回る獣人を、森エルフが甲斐甲斐しく補助している。


 どうやらよほど酷い火傷を負っていたようだ。焼けただれた全身の痕が痛々しい。治癒の奇跡は不得手なのだろうか。


「あの……」

「あら、こんにちは」


 リリアナが遠慮がちに声をかけると、森エルフの女は火傷痕のせいで強張った笑みで答えた。


 ――彼女の名を、イェセラと言った。


「彼は私の相棒で、ルージャッカ。私たちはヴァンパイアハンターなの」

「よろしくでさぁ」

「ああ、そうなんですね。私はリリィ」

「ヘレーネよ」

「オーダジュと申す」


 イェセラも、雰囲気からしてハイエルフの血を濃く引いていそうだったが、オーダジュほどの高齢者がエルフの森から遠く離れて出歩いていることに、驚きを隠せない様子だった。


「イェセラさん、もしよかったら、火傷痕も治しましょうか? 私、治癒は得意なのですが……」

「ああ、いいえ、ありがたいけど結構よ」


 リリアナの申し出に、イェセラは貼り付けたような笑みのまま答えた。


「これ、わざと残してるの」


 めら、とその瞳に憎悪の炎が灯る。


魔王子ヤツへの怒りを忘れないために」


 …………ずしん、と臓腑に響くような、そんな感触のある言葉だった。


 イェセラも、ルージャッカも、付き合いの長い仲間のヴァンパイアハンターたちを魔王子に皆殺しにされ、復讐を誓っているらしい。


「あのホワイトドラゴンにも、ね……残念だわ、まさか魔王子の味方をする個体がいるなんて。次にあったら両目を射抜いてやる……」

「まあそんなわけで、魔王子どもを追跡するのに、何か手がかりがないか探してるって寸法でさぁ……」


 黒布の眼帯をつけた狼獣人は、そう言って仄暗く笑った。


「……うん?」


 が、突然スンスンと鼻を鳴らして。


 ずいっとリリアナに近づいてくる。


「えっなになに」


 リリアナは確かに内なるわんこを秘めているが、こういう交流を求めているわけではないので引き気味だった。


「ちょっとルージャッカ、お相手は乙女よ!」

「ああ、いや、失礼……知ってる人の臭いがしたような気が……」


 知ってる人……? ルージャッカとリリアナに、共通の知人が……?


「これ……アレックスさんの臭いじゃないかな……」


 続くルージャッカの独り言に、リリアナは心臓が口から飛び出そうになった。ヘレーナとオーダジュも、「何?」という顔で目配せし合う。


「わぅ……ッ!」

「「わぅ?」」

「わぁ、うーん、久しぶりに聞いた名前で、びっくりしちゃいました。もしかしたらこれのせいかも……?」


 訝しむルージャッカとイェセラに、誤魔化しの半笑いを向けながら、リリアナが懐から取り出したのはドライフルーツを入れている小袋だ。


 他でもない、アレクことジルバギアスが、ペットのおやつ用にいつも持ち歩いていたもの。そしてリリアナの魔王国脱出に際し、手土産として持たせてくれた数少ない贈り物……


「ああ! これだ、まさに……! まさに、アレックスさん……の臭いだ……」

「アレックスのこと、知ってるんですか?」

「「…………」」


 ルージャッカがうつむき、イェセラは難しい顔をした。


「……アレックスさんは、戦死されました」

「えっ」


 スンッと無表情になるリリアナ。


「どういう……ことですか」

「アレックスさんの腕が戦場に落ちてたんでさぁ。他の勇者さんたちと一緒に、もう火葬されちゃいましたけど……まさかお知り合いがいるとは思わなかったんで、遺骨も保存してないです、申し訳ない」

「ああ……いえ……それは……」


 何とも言えないリリアナだ。


(どういうこと? ……アレクの能力を考えれば、確かに腕が戦場に落ちててもおかしくない……けど、それはジルバギアスとしての腕じゃ? ……まさか)


 ――ジルバギアスとアレックスの臭いの、区別がついていない?


 ルージャッカの眼帯に着目して、直感的に、限りなく事実に近い推察に思い至るリリアナ。


「ルージャッカさんたちは、アレックスと、お知り合いなんですか……?」

「知り合いも何も、しばらく旅してた間柄なの。……ずいぶんと世話になったわ」


 伏せ目がちに、イェセラも答える。


「そう、なんですか……戦死……」

「と言っても、私自身は、彼が死んだところも、死体も、直接目にしたわけじゃないんだけどね。ジルバギアスが襲来する直前に、彼とは別行動になっていたの」


 イェセラたちは船でカェムランを出発し、アレックスはレーライネとともに、おそらく陸路で聖教国へ向かおうとしていた~という話を聞かされる。


「たぶん、彼は私たちがカェムランに引き返してくる前に、ジルバギアス襲来を知って迎撃したんでしょうね……。それにしても恋人のレーライネはどうしたのかしら。カェムランでも探したんだけど、全然見当たらないの」


 表情を曇らせるイェセラ。


「帝国軍の兵士からそれらしい証言はなかったけど、もしレーライネも一緒に戦っていたのなら……負傷者として収容されていない以上、生存は絶望的ね……」


 あんなに若い子が、気の毒だわ……と痛ましげな顔をするイェセラに、リリアナは何も言うことができなかった。



 ――あなたが憎悪しているホワイトドラゴンは、その気の毒な娘だなんて。



(この人たちは……これからも、『ジルバギアス』の手がかりを探し続けるつもりなのかしら)


 むしろリリアナこそが、ルージャッカたちを気の毒に思っていた。ルージャッカはどうやら、並の獣人を凌駕する嗅覚の持ち主らしいが、アレックスとジルバギアスが同一人物と知らない以上、戦場でジルバギアスの臭いを嗅いでも、それをアレックスのものだと認識してしまう。


 つまり、永遠に――手がかりなど手に入らない。


 決して見つからない手がかりを、探し続けるつもりなのだろうか……? それは、あまりにも……


「……ッッ」


 唇を噛みしめる。だが、だからと言って、ここでふたりに……真実を教えてあげるわけにはいかない。


 秘密保持という点で、呪詛に弱いルージャッカは論外。イェセラは森エルフらしく命をかけた誓約で秘密は守れるかもしれないし、自己治癒できていることから光属性の使い手でもあるので、死霊術で呼び出されても自滅が可能だろう。


 だが、ジルバギアスとレイラに並々ならぬ憎悪を抱いている。


 気持ちは……理解できるが。それでも、真実を知ったら何をするか、行動が予測できない……


「…………」


 苦しげに顔を歪めるリリアナを、逆にイェセラは、哀れむような目で見ていた。


『アレックス』の死を悼んでいる――とでも解釈したのだろう。



 結局リリアナたちは、イェセラとルージャッカに励ましの言葉をかけてから、その場を辞した。



 真実を告げることなく。



 ふたりの努力が徒労に終わるであろうことを、知りながらも。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る