468.後顧の憂い


 バッシャァバッシャァァァとすさまじい勢いで水飛沫が飛び散っている。


 水面下で大暴れする2匹のクラーケン。デカい方が小さい方を絡め取り、胴体に齧りついているようだ。


「クラーケンって共喰いするもんなのか!?」

『僕は初めて見た。というか聞いたこともない。普通、クラーケンは大型魚や魔獣、そして――人を食べるはずだけど』


 俺の問いにアーサーが険しい顔で応えた。なんでも、アウリトス湖ではクラーケンが討伐された際、可能な限り解剖して腹の中身も調べるとかなんとか。


『でも、クラーケンの腹から同族が出てきたって記録は見たことがないよ……』

『私も聞いたことがないな……もっとも専門家ではないのでハッキリしたことは言えないが』

『オレも知らないッス……』

『自分も。まあ化け物同士、潰し合ってくれるなら、それに越したことはないと思いますけどね』


 レキサー司教ら、ヴァンパイアハンターたちも聞いたことがないようだ。


『それにしても、なんという巨体だ……こんな怪物が水底に潜んでいたのかと思うとゾッとするな……』


 ブルッと身震いして(霊体)、珍しく弱気な態度を見せるレキサー司教。吸血鬼に対しては誰よりも勇ましいが、実はああいうウネウネ系は苦手なのかもしれない。


 そして、このクラーケンが特大級ってのも同感だ。胴体だけで30メトルを優に超え、さらにクッソ長くて太い触手までついている。


 しかしこのサイズ感、見覚えがあるというか、まさかとは思うが……


『こいつ、アウリトスの魔王か!?』


 アーサーがレイラの背から身を乗り出した。


 アウリトスの魔王――この湖のヌシと呼ばれる超巨大クラーケン。


『……間違いない! あの目と傷跡は!!』


 アーサーが指差す先、月光にクラーケンの巨大な瞳が照らし出されていた。直径が俺の身長くらいはありそうなクソでかい眼球は、本来なら薄気味悪い黄色をしているはずなのに、片方が白濁している。その周辺の皮膚も赤黒い色ではなく茶色っぽく変わっていた。


 ――


『こんな馬鹿みたいにデカいクラーケンが、そう何匹もいてたまるかって話でもあるんだけど。僕が以前ニードアルン号に乗ってたとき、このクラーケンに襲われたことがあってね。アーヴァロンでどうにか船は守ったけど、僕だけじゃ撃退できなくて、かなりピンチだったんだ。そんなとき、たまたまホワイトドラゴンが近くを飛行していたみたいで、通りすがりにブレスで――』


 そこまで喋って、停止するアーサー。あっ……


『ホワイトドラゴン、が……ブレスで……』


 ゆっくりと、俺とレイラを見比べる。


【キズーナ】から、ぐるぐると無心で旋回するレイラの、そこはかとない緊張感が伝わってきた。


『……アレク? 身に覚え、ある?』

「あります……」


 それ、俺たちです……。


『なんてこった』


 ぺし、と自分の額を叩こうとしたアーサーが、そのまま手が突き抜けてしまい、妙な顔をした。


『そんな巡り合わせ、ある?』

「あったんだなぁコレが」


 俺も、アーサーの話からニードアルン号があのときの船だと気づいたときは、たまげたもんだよ。


『ひどいや、知ってたんだね!? それならそうと言ってくれれば……』


 よかったのに、と言いかけて、アーサーは口をつぐんだ。


『もしも言ってくれてたら、今頃どうなってたんだろうね……』


 ……色々と、変わっていただろうな。タイミングが。


 どこかで、何かの拍子に、出会いや別れが1日でもズレていれば。


 先ほどの戦場で、俺たちが激突することはなかったかもしれない……。


『結果論じゃの』


 アンテがフフンと鼻で笑った。


 まあ、な。そりゃそうだけどさ。


「ごめん……」

『いや、……まあ仕方ないさ。謝るようなことじゃないよ』


 アーサーは肩をすくめた。


『考えてみたら、僕は本来、あのとき死ぬ運命だったのかもしれない』

「……あのとき、とは?」

『ニードアルン号が、コイツに襲われたときさ』


 眼下のアウリトスの魔王を指差しながら。……いつの間にか、巨大クラーケンは小さな同族をあらかた食べ終わろうとしている。


『アーヴァロンの加護で即沈没は避けられたけど、水と光属性の僕じゃクラーケンに決定打を放てなかった。そして、いくら僕でも、あのまま全力で守り続けてたら限界が来る。その前にクラーケンが諦めてくれることを祈ってたけど……もしも攻撃され続けてしまったら、僕は覚悟を決めなきゃいけなかった』


 瞑目したアーサーは。


『【来たれ破魔エクスカリバーの刃・オリジニス】』


 その手に、聖剣を呼び出す。


『エクスカリバーを叩き込んでやれば、おそらく倒せてはいたと思う。だけど、そのためには僕も水の中に飛び込まなきゃいけなかった。奴が力尽きる前に水底に引きずり込んできたら、最悪、そのまま相討ちだ』


 ……いくら、規格外の魔力を扱えても。


 空気がなければ、英雄は死ぬほかない。


 高高度から叩き落されれば、魔王でさえなす術がないように。


 巨大湖の最深部にまで引きずり込まれてしまえば、助かる見込みは――


『あのとき、アレクとレイラが通りがかって助けてくれなかったら、僕の命運は尽きてたかもしれない。そう考えると……なんだか、不思議な気分だ』

「アーサー……」


 あまりにも透き通ったアーサーの微笑みに、俺は二の句が継げない。


『だけど、』


 眼下に視線を転じるアーサー。表情を引き締める。


『――今は違う』


 スクッと立ち上がりながら。


 霊体のアーサーは、飛行中の風の影響も受けることなく、自然にレイラの背に立っている。


『ひとつ、気がかりなことがあった。吸血鬼被害を調べていてわかったんだけど、クラーケンの目撃情報がこの頃はあまりにも多すぎたんだ。昔は、ここまでクラーケンが浅瀬に出張ってくることはなかったはずなんだよ。なぜ連中が活発化しているのか理由は不明だったんだけど――これを見て合点がいった』


 ほぼ食事ともぐいを終え、落ち着きを取り戻しつつあるアウリトスの魔王を剣先で示し、アーサーは断じる。


『アイツが原因だったんだ。あそこまで巨大化したら、普通の餌ではもう満足できないんだろう。魔力が強い魔獣、そして人族を好んで捕食するようになって、ついには同族まで食い始めた。この大食いの化け物に餌場を荒らされるだけでなく、自分まで食われるかもしれないとあって、他のクラーケンたちも逃れるように頻繁に浅瀬に浮上するようになった、と考えれば――』


 ニードアルン号、あらためサードアルン号が特別不幸だったわけじゃない、ということか……!


 行方不明者や沈没船の多さは、治安悪化や吸血鬼のせいだけじゃなく、クラーケンによる被害も重なっていた、と。


『だから、ここで奴を仕留めれば、湖もちょっとは落ち着くはずだ。船乗りたちも、安心して湖へ漕ぎ出せるようになる!』


 初代エクスカリバーを掲げて、アーサーはニヤッと笑う。


『そして今の僕には――呼吸の必要がない』


 水底に引きずり込まれようが、関係ない。


『行ってくる!!』


 ふわりと空中に身を躍らせるアーサー。


 翼無き種族のアーサーは、たとえ実体がなくとも、重力には抗えない。


 真っ逆さまに、流星の如く落ちていく。


 アウリトスの魔王めがけて――!


『こうしてはおられん……! 【神鳴フールメン! 神鳴フールメン!】 よしっ、私も行くぞォ!』


 バチバチィッ、と雷ビンタで自らに気合を入れたレキサー司教が、思い切ってそれに続いた。


『オレも!』

『自分も!』

『行くぜェ!』


 ヴァンパイアハンターたちも次々に急降下!


『…………』


 そして、ひとりだけ、高所恐怖症のヴァンパイアハンターだけが残った。


『……いや、俺、得意属性風と火だからよ……』


 水の中じゃ何もできねェんだ……と気まずげに目をそらす。


「あ、ああ……」


 そりゃどうしようもないな……エクスカリバーがあるアーサーと違って、魔法以外に攻撃手段はないわけだし。


 俺は再び眼下に目を向けて、アーサーたちの戦いを――


 いや、『狩り』を見届けることにした。

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