466.伝説の聖剣


 気づけば、アーサーは透き通るような世界に立っていた。


 湖面を思わせる床、天上には大樹のごとくそびえる銀の光の柱。


【エクスカリバー】を呼び出す際、いつも目にする心象風景――なのだが、いつもと違い、そこには巨大な円卓も置かれていた。


『――――!』

『~~~~?』

『――――?』

『~~~!!』


 そして、数え切れないほどの【アーサー】たちが、円卓を囲み何やら喧々囂々たる激論を交わしている。


 目に見えない壁で遮られているかのように、彼らの声はうまく聞き取れなかった。しかしこちらに目を向け、あるいは手で指し示し、自分に関する何かを議論しているのは明らかだった。


 刺々しい視線を向けてくる者もいれば、どこか同情的な眼差しの者もいる。


【エクスカリバー】を使うとき、『ご先祖様たちが見守ってくれている』とは感じていたが、心象風景は刹那の幻影みたいなものだったし、歴代の【アーサー】たちも、正直背景みたいなノリだったので、ここまでハッキリと自我がある様子を見せられると緊張感がすごい。


『『…………』』


 やがて、歴代【アーサー】たちの口数が徐々に減っていき、その視線がアーサーではなく、別の人物に集まっていく。


 円卓の、アーサーから見て対面。


 ひとりだけ、年老いた【アーサー】がいた。


 大多数が若い青年の姿なのに、彼だけはしわだらけの顔で、立派なあごひげまで蓄えている。


 ――そしてその頭には王冠を戴いていた。


 ああ。アーサーは理解する。


 彼こそが伝説の始まり。勇者王こと、【初代アーサー】その人なのだと。


 おもむろに椅子から立ち上がった初代は、ゆったりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。


 一歩一歩、踏み出すごとに、湖が揺れる。


 伝説の重み。彼こそがこの空間の支配者――いや、根幹をなしているのだ。ご先祖様に対する親しみより、畏敬の念が勝った。思わず、王侯貴族に対してやるように、跪いて敬意を表する。


 だが、目の前に来た初代は、アーサーの肩を掴んで立たせた。


 そのような真似は不要、と。


 我らはあくまで同じ立場なのだ、と。


『…………』


 向き合って、見つめ合う。


『…………』


 いや、見極められている。そう感じた。


『初代様。僕は……アレクとともに戦いたいです。彼は、魔王を倒しうる唯一の勇者で、人類の希望であることは間違いないはずです』


 初代は、そして歴代の【アーサー】たちは、アーサーの言葉に耳を傾けている。


『正直、魔王子としての彼には思うところもありますし、彼が人々を虐殺することは耐え難く感じます。これからもそんなことが続くのかと思うと……レキサー司教たちのように、割り切れる気がしません……』


 握りこぶしに力が入る。


『……だから、【聖遺眼レリーケ】もさっさと子孫に譲ろうと思ったんです。そうしたら、僕もこの場所に来ることができて、もうこれ以上、辛いことも考えなくて済むかな、って……そう思っちゃったんです』


 初代の目は、凪いだ湖のように穏やかだった。アーサーの独白、いや懺悔を聞いても、微動だにしない。


『だけど、それは間違いでした。勇者は、楽をしてはいけない。苦しいときも踏ん張って、人類の敵と戦わねばならない。そして……子孫に【聖遺眼レリーケ】を譲るということは、その子がまた苦しむことになり、勇者アレクと魔王の戦いが遠ざかれば遠ざかるほど、おびただしい死者が出続けるという、当たり前の事実から……僕は目を背けていました』


 アーサーは、正面から初代の目を見据えた。


『――僕の代で、けりをつけたいんです』


 人類が魔王国を滅ぼしうるのは、勇者アレクサンドルにして魔王子ジルバギアスが味方である、今この瞬間をおいて他ない。


『僕が、魔王に一太刀でも浴びせられれば、それだけ勇者アレクが有利に戦えるようになります。僕はどうにか、彼の力になりたいんです。たとえ、その過程で、無辜の人々を……見捨てることになろうとも……!』


 歯を食い縛る。


『お願いします、初代様! そして歴代のご先祖様! どうか僕に、今しばらく、力を貸していただけないでしょうか……!!』


 バッと頭を下げる。


『…………』


 前に立つ初代が、小さく溜息をつく気配があった。


 とんとん、と肩を叩かれる。顔を上げると――初代勇者王は、困ったような、心苦しいような、そんな渋い表情を浮かべていた。


『すまぬ』


 パァン! とアーサーは突然ビンタされた。


『!?』

 

 特に前兆のない暴力がアーサーを襲う――!


 それほど勢いをつけていたわけでもないのに、全身が吹き飛びそうな衝撃。そして体の中からごっそりと『何か』が抜き取られるような異様な感覚。


『う……ぁ……』


 頬に手をやって目を白黒させるアーサーだったが、初代が握りしめる、銀色に光り輝く球体に気づいて愕然とした。


 ――あれは【聖遺眼レリーケ】だ。


 感覚的に、理解した。


 ふわり、と初代の手から浮き上がる【聖遺眼レリーケ】。それはまるで流星のように、空の彼方へと勢いよく飛び去っていく。


『……どうやら、そなたの最後の子は、まだ産まれていなかったようだな』


 初代が、嘆きとも安堵ともつかぬ溜息を漏らした。


聖遺眼レリーケ】が、今ここに、次代へと受け継がれたのだ――


『こうしてまた、新たな【アーサー】が生まれる。余が生涯を賭して編み出した魔法だ。人族において稀有な魔力強者を、安定して生み出すことができる……』


 顔を歪める初代。


『余は、間違っていなかった。人族を存続させるためには、強力な守護者が必要不可欠なのだ。……しかし、子々孫々にまで人類の敵と戦う運命を押し付けてしまった。そのことに、苦い思いがないと言えば嘘になる……』


 アーサーが、子らを死地に送りたくないと願ったように――


『そなたの気持ちもわかる。あの魔王子に希望を見出したのはおそらく正しい。そして、魔王子の助けなく、我らだけで必ず魔王を倒せるかと問われれば……』


 初代は口をつぐんだ。言葉が実現してしまうのを、概念が固定化されてしまうのを恐れるように。


『……しかし、【聖遺眼レリーケ】の担い手が、【無辜の人々を守る】という誓いを果たさなければ、これまで積み上げてきた【伝説】が水泡に帰すやもしれぬ。それは看過できなかった……』


 そびえ立つ銀色の大樹を見上げ、嘆息する初代【アーサー】。


『……そして、そなたにも同じことが言えよう』


 再び、こちらに視線を転じる。


 静かな眼差し。巨大湖を思わせる、ずっしりとした重圧。


『立派に、勇者としての使命に殉じたそなただが、我らの【伝説】にどのような扱いを受けるかは未知数だ。【アーサー】が死霊術で呼び出され、現世に留まるなど前代未聞ゆえ』


 ですよね、というのがアーサーとしても正直なところだ。


『もしも、魔王子が我らの同胞を殺戮するのを、止めることなく傍観してしまったら――そなたはもはや【アーサー】ではなくなるやもしれぬ。そもそも、死霊術で存在が歪んでしまう可能性すらある。そうなれば最悪の場合、そなたはこの場に――円卓に加わる資格を失おう』


 ずらりと円卓に連なる、歴代【アーサー】たち。


『そなたには、ふたつの選択肢がある』


 初代が、スッと指を立ててみせた。


『ひとつ。魔王子、いや勇者アレクへの助太刀は諦めて、この場で円卓に加わる。さすれば、そなたもまた【伝説】の根のひとつとなり、これからもそなたの子らを支えていくことになろう』


 そして、指をもう1本立てる。


『ふたつ。【聖遺眼レリーケ】を失い、円卓から追放される危険性を加味してもなお――勇者アレクを助けるために、現世に留まる』


 その、いずれか――


『ははっ』


 アーサーは、笑った。


『現世に留まります。そして、アレクを助けます』


 考えるまでもないことだった。


『【伝説】の末席に加われないのは残念ですし、エクスカリバーがなければ、僕にできることなんてたかが知れてると思います。けど、それでも、水の魔法を使ったり、消える前に1発デカい治癒の奇跡を使ったり、まだやれることはあるはずです』


 アーサーは、胸を張って答えた。


 誇らしげに、答えた。


『少しでも、アレクの勝率が上がるなら。僕は勇者として、友として、彼のため全力を尽くそうと思います!』



 たとえそれで、自分が【アーサー】でなくなるとしても……!



 アーサーの答えを受けて、初代は。



『――よくぞ言った』



 ニカッ、と破顔一笑した。



『で、あれば、そなたにこれを譲ろう』


 おもむろに、腰の鞘から、ひと振りの剣を抜いて差し出した。


『これは……?』

『余のつるぎだ。この【伝説】の元となったひと振りよ』


 ――初代エクスカリバー。


『余の子孫たちの献身により、【伝説】はこれほどまでに育った』


 しみじみと、再び銀色の大樹を見上げながら、初代は言う。


『我らひとりひとりが、根となり支えておるのだ。最古の太い根のひとつが欠けようとも、今となっては、それほど大きな影響はあるまい。…………たぶん。おそらく。きっと』


 そうであるよな? と背後の歴代【アーサー】たちを振り返る初代。


 円卓から固唾を呑んで見守っていた歴代たちが、一斉に『『そんなこと自分らに聞かれても……』』という顔をしていて可笑しかった。


『……いや、大丈夫だ! 大した影響はないに違いない! 余はそう信じるぞ! 皆も信じるのだ、よいな!? さあ、諸君らも声を合わせて、【大した影響はないから大丈夫】! はいッ!』


 バッと手振りで示す初代。


『『【――――】』』


 相変わらず声は聞こえづらかったが、歴代たちも唱和するのがわかった。


『よし、全会一致ッ! これで何かあっても余ひとりの責任じゃないな』


 一斉に『『えっ!?』』という顔をする歴代たちを尻目に、アーサーに向き直って初代は笑う。


『さあ――持っていけ! 流石にそなたらが積み上げてきた【伝説】に比べれば見劣りはするが、それでも伝説に謳われる、自慢のひと振りだ』


 アーサーの手に、聖剣を握らせながら。


『ああそれと、魔王子にいくつか伝言を頼みたい。まずひとつ、必ず魔王をブチ殺すこと。人類を救ってみせねば承知せんぞ、とな』


『ふたつ、【絶対防衛圏アーヴァロン】は今しばらく貸してやるが、どんな形であれ、必ずヒルバーン家に返還すること。あれは我が盟友ガインツ=ゴン=スフィリの遺作なのだ。くれてやるわけにはいかぬ!』


『みっつ、魔王子として国をいくつか滅ぼすつもりなら、せめて勇者をやっている間に国をいくつか守ってみせよ。救世の英雄たらんとするならば、それくらいのことは成し遂げねばな。……守った国を後々、己が攻め滅ぼす羽目になりかねんが、それでも救われる命はあろう』


『そして最後に――もしも、数奇な運命の巡り合わせがあり、顔を合わせる機会があったら、そのツラ張り倒してやるから覚悟しておけ、と伝えよ』


 む、とそこまで言って、顎に手を当てて考え込む初代。


『やはり最後のは無しだ! 待つのがじれったい、代わりにそなたが顔面を張り倒すのだ!』

『ええッ!?』

『本来なら余が直々にぶん殴ってやりたい! だができぬ! 余の可愛い子孫をこんなにも苦しめてくれおって、許せぬ! しかし状況的に許さざるを得ぬ! ならば、一発張っ倒すぐらいはしてもいいであろう! 余の代理として、いや【アーサー】を代表して、キッツいのをお見舞してやるのだ! それが【アーサー】としてのそなたの最後の責務だッッ!』

『いやもうちょっと他に何かあるでしょ!』


 アーサーは悲鳴じみて抗議の声を上げたが――



 気づく。



 段々と、周囲の空間が薄れていく。



 円卓とのつながりが――失われつつあるのだ。



『時間か』


 初代が寂しげに笑った。


『余は、そなたのことを誇りに思う。必ずや――魔王を倒すのだぞ。そして、願わくば、またここで会おう!』


 胸に手を当てて、初代が敬礼する。


 いつの間にか、その背後の円卓の歴代たちも、立ち上がって敬礼していた。


『『【我ら、無辜の人々の剣】』』


 今このときは、彼らの声がはっきりと聞こえた。


 アーサーもまた、初代から譲り受けた聖剣を掲げる。


『【人類の敵を、必ずや、討ち倒さん!】』



 それを見て、初代は、眩しげに目を細めて笑った。



 さらばだ――



 その笑顔が、歴代たちの姿が、急激に遠ざかっていって――




          †††




 月夜。



 さざなみの音。



 アーサーは浜辺に立っていた。



 静かに輝く、ひと振りの魔力の刃を携えて。



 ――【伝説のエクスカリバー聖剣・オリジニス】。



 脈々と受け継がれし神話が、



 再び、英雄の手に。


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