464.守るべきもの


 ――人族を守るためには、人族を殺さねばならない。


『それは……』


 アーサーたちは絶句した。



「くふふ」


 静まり返った湖畔に響く、押し殺したような笑い声。


 魔王子の背後に立つ、褐色肌の少女が――笑っていた。


 慄然とする聖教会の面々とは対照的に、どこか恍惚とした様子で。


 その、混沌を煮詰めたような極彩色の瞳が、闇夜にぎらぎらと輝いている。



 ――ああ。それだけで、人類は察した。



 この、幼い少女の皮をかぶった存在は――



 紛れもなく、【魔神】であると。



「俺、追放される前に、第4魔王子をブチ殺したんだ。エメルギアス=イザニス――俺の生まれ故郷を攻め滅ぼした張本人でよォ」


 マジで手強かったなぁ、あんときの緑野郎。


「今まで戦ってきた中でも、魔王の次くらいの強敵だった。でも聖銀呪で魂まで焼き尽くして粉砕してやったんだぜ。めっっっっちゃスッキリした。……けど、その行為自体では、力はほとんど育たなかった」


 ――兄殺しの禁忌。そして継承戦が始まる前に、魔王子同士で殺し合うという禁を破ったにもかかわらず。


「その程度じゃ、【禁忌】たり得なかったんだ……」

「より正確に言えば、禁忌たり得なかった」


 俺の言葉を引き継いで、アンテ。


「血を吐くほどに葛藤し、悩み苦しみ、万策尽きて、最後に踏み越える一線――それこそが【禁忌】。仇を惨殺して清々するようでは、真の禁忌たり得ぬのよ。無論、力が稼げないわけではなく、ごく僅かに魔力は成長していこうが――この者の悲願、魔王殺しには到底足りぬ」


 背後から俺に抱きついて、蛇のように、首に手を回しながらアンテは嗤う。


「憎き魔族、それも魔王子のような強敵を、苦労して百名ほど討ち取ったとしよう。しかしそれでも、大した魔力は得られぬ。むしろ、何の変哲もない普通の人族の親子を一組、手にかけるだけで御釣りが来よう。子から先に殺し、親に見せつけてやればなおよい」


 罪もない子を手にかける禁忌。愛する子の死を親に見せつける禁忌。その嘆き、悲しみ、苦しみを踏みにじり、復讐も許さずに後を追わせる禁忌。親子の幸せを完膚なきまでに蹂躙する禁忌。


「それは、冒涜的であればあるほどよい。度々、我はこやつに助言してやったんじゃがのぅ。手っ取り早く強くなりたいなら、血の雨を降らせればよい、無辜の民を虐殺すればよい、と。しかしこやつは頑として聞き入れなんだ。兵士や軍人はともかく、民を手にかけるのは許容できんと。そうして、妥協として選ばれたのが――先ほどの帝国軍よ」


 ――くふふ。


「まあ、こやつが望んだ『正義』であったがゆえ、案の定、大して力は稼げんかったがのぅ。……お主らが登場するまでは」


 ――くふふふふ。


「お主らを手にかけたときの、こやつの成長っぷりたるや、今でも見せてやりたいほどじゃ。そこな年かさの兵士が気づいたように、一気に、一回りも二回りも魔力が膨れ上がったわ……」


 ――くふふふふふふ。


「これを、闇の輩で再現しようというならば……ああ、何たる悲劇か、あやつらを愛さねばならぬ! じゃが、魔族は、夜エルフは、こやつにとって憎い仇。なかなかに難しいことよ……それでも、子犬のように無邪気に慕ってくる魔族の部下を、戦場の闇に紛れて葬り去ったとき。あるいは、心から魔王子を主と仰ぎ、誠心誠意尽くした夜エルフの忠義者を、高所から突き落として亡き者にしたとき! あれはまさに極上の味わいであったなぁ!」


 …………。


「やはり、まだ時間が足りぬのぅ。同盟側につこうというならば、もっともっと、もっともっともっと、魔王国にかけがえのない存在を増やしていかねば。こやつを慕う部下、魔王子ジルバギアスの親族、連中との信頼関係、愛情関係を、丁寧に丁寧に、育み、熟れさせ、そして――!」

『もういい』


 アンテの言葉を、アーサーが遮った。


『もう……やめてくれ……』


 両手で顔を覆い、うめくように。


『……前言を撤回する』


 レキサー司教が首を振った。


『先ほど私は、アレックス君が羨ましいと言った。……撤回する。決して、羨ましくなどなかった』


 ある種の、畏れを滲ませる目で、俺たちを見やる。


『君は……これからも、その苦しみを、積み上げていくというのだな』



 ――ここにいるのは、聖銀呪に認められた者ばかり。


 愛する者を守るため、あるいは愛する者の仇を討つため、剣を手に取った。


 


 その【禁忌】の重みが。


 それが、どれだけ恐ろしいことか。


 ましてやこのアレクサンドルという男もまた、聖銀呪を宿した勇者だ。


 ――僕は、きみがただの快楽殺人者じゃないことを知ってる。


 先ほどのアーサーの言葉通りだった。


 むしろ、ただの殺人狂であれば、どれだけ楽だったことか――



「だから……みんなには、覚悟してもらわないといけない」


 俺は血を吐くような思いで言った。


「今の俺じゃあ魔王には勝てない。今回の帝国軍みたいな真似はもうしないつもりだけど……魔王国に帰還したら、俺は魔王子として同盟軍と戦うことになるだろう」


 そして積み上げる。


 同胞たちの屍の山を。


 俺の刃が魔王に届くまで。


『それを――我々は、座視する他ない。そういうことだな』


 レキサー司教が、腕組みして瞑目した。


『同胞たちを見殺しにする禁忌……か。なるほど、これは確かに、が必要だ。これこそが、君の味わっている苦しみの一端なのだな……』


 苦虫を潰したような顔で――レキサー司教は、それでもうなずく。


『……魂が擦り切れるまで戦って、吸血鬼を二桁でも討滅できれば上等。あとは君に任せて、悔いなく消え失せるつもりだったが――そうもいかなくなったな』


 半透明の、銀色に燃える己の手を見つめる。


『もちろん戦いもするが、それだけでは贖いにはならない。私は、多少なりとも治癒の奇跡を扱える。魂が擦り切れる前に、傷ついた誰かを癒やすことで、私は自らに幕引きを図ろう。それをここに誓う――』


 レキサー司教の魂が、輝きを強めたようだった。


『……自分も、そうします。誰かを救うことで、せめてもの罪滅ぼしを……』

『あの、オレ、光の奇跡扱えないんスけど……』

『それは仕方があるまい。自分にできることを、最大限にするしかないのだ。……君は、得意属性は火だろう? であれば――』

『うッス! わかりました、最期は上位魔族あたり巻き込んで自爆しまッス!』

『うむ、その意気だ!』


 やいのやいのと、ヴァンパイアハンターたちが覚悟を決め始める。


「…………なんというか、逆にここまで潔く禁忌に向き合われると、我としても反応に困るのぅ……」


 アンテが呆れたような、困惑したような、複雑な心境を滲ませた。そしてそのまま俺を見やる。


「もしもお主が、こやつらのように『割り切れる』人間であったら……我らは出会わなかったであろうな……」


 う、う~~~ん……


 良かったのか、悪かったのか……


「まあ、もっとも、皆が皆、割り切れるわけでもなさそうじゃがの」


 俺から逸らされた視線の先には――


『…………』


 苦悶の表情を浮かべる、若き英雄。



【アーサー】。



『僕……は……』


 額を――いや、左目のあたりを押さえながら、苦しげに。


『【無辜の】、民を……見【捨てる】……わけ【には……』


 ぎりぎりぎり――と。もしもアーサーの肉体があれば、歯軋りの音が聞こえてきそうだった。


『……ま、どうしてもキツいってんなら、その間は寝とくって手もあるけどな』


 ふわ、とあくびをしながら、年かさの兵士が呑気な調子で言う。


『悪ぃ、俺ぁちと限界だわ、寝る。今回も大変だったみてえだが、頑張れよ。魔王を倒すまで……』


 俺の肩をポンと叩く仕草をしてから、年かさ兵士は遺骨へ吸い込まれていった。


『ふ、フフ……寝とく……か。確かに名案だけど……』


 アーサーは、泣き笑いのような顔をした。


『僕に……【僕たち】に……そんな真似が、許されるんだろうか……』


 ゆっくりと手を下ろすアーサー。


 手の下に隠されていた銀色の左目が、不気味なほどに光り輝いている。


『【僕はアーサー。ヒルバーン家の勇者、アーサー。無辜の人々を守る盾にして、魔を討ち払う剣】……正直な気持ちを言うと、僕はアレクに協力したいと思ってる。僕個人はそう感じているんだ……』

「アーサー……」

『さっきから、ずっと考えてた。僕はそうしたいけど、果たして、それが許されるのだろうかって』


 唇をわななかせながら、アーサーは言う。


『【アーサー】が、人類の敵に殺される人々を、見殺しにしてもいいのか、って』


 ――勇者王の血を引くヒルバーン家の【アーサー】は、決して逃げることなく、人類の敵に立ち向かう。


 その【神話】が、崩れてしまうかもしれない……


『あと……【アーヴァロン】もそうだけど、【聖遺眼レリーケ】のこともある』


 ギロッ、と俺を凝視する銀色の瞳。


『【聖遺眼レリーケ】の継承者が死ねば、次に生まれてくる子がそれを受け継ぐんだ。そして次代の【アーサー】になる――僕は、これを曽祖父から受け継いだ。曽祖父といっても、40過ぎだったけど』


 若すぎる……


『そして、今、僕は――【聖遺眼レリーケ】を確かに宿してる。歴代の【アーサー】の中にも、死霊術で呼び出された人なんていない。だから、今の僕がどういう扱いなのかわからないんだ。僕は死んだわけだから、このまま【聖遺眼レリーケ】は次代に受け継がれるのか? それとも……』


 それ以上、先を明言するのを恐れたかのように、アーサーは口をつぐむ。


『……僕の妻のうち何人かは、最後に連絡を取ったときにはまだ臨月で、もしかしたら産まれていない子もいるかもしれない。だから……僕、さっきからずっと考えてるんだよ。【アーサー】と、人類と、アレクのこと。全て考えるなら、僕は……』



 ここにいる、【アーサー=ヒルバーン】は。



『今すぐにでも……消えるべきなんじゃないかって』



 湖を渡る風が、悲しいほど涼やかに、俺たちの間を吹き抜けていく。



『【僕】はもう、存在するべきじゃないんじゃないかって……』









――――

※メリークリスマス!


アレク「こちとらメニー苦しみマスだよ」



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