459.ひび割れた刃
――燦々と照りつける太陽。
透き通るような湖面に映り込む、青い空に白い雲!
「イヤッホゥ!」
俺は、三角の帆を張った板状の小舟――セイルボートを操り、ザッパァと白い波をしぶかせながら、湖面を滑走していた。
「初心者とは思えないな! これは負けてられないぞ!」
同じくセイルボートで並走するアーサーが、金髪をなびかせながら爽やかに笑う。
「そりゃそうさ、前にもやったことあるからな!」
いやぁ! やっぱり楽しいなァこれ!! 最高にエキサイティングだぜ! ……だけど、『前』っていつの話だっけ? まあいっか。
「ようし、あっちの岬まで競争だ!」
帆の角度を調整し加速するアーサーに、俺も負けじと風を捕まえる。
「おう! 受けて立つぜェ!」
そしてそんな俺たちを、浜辺でバーベキューしながらレキサー司教や若手のヴァンパイアハンターたちが笑って見守っている――
「クソァ――ッ! 負けたァ――ッッ!」
岬からセイルボートで戻ってきて、砂浜に上陸した俺は地を叩いて悔しがった。
バーベキューしながら酒をかっくらって、出来上がりつつある赤ら顔の若手ヴァンパイアハンターたちが、俺を指さしてゲラゲラ笑っている。
「はっはっは、年季が違うよ年季が」
セイルボートを引き上げながら、アーサーは得意満面だ。
「これで約束通り、アレックスには1杯奢ってもらわないとね!」
「おっ、呑みか!」
「いいぞいいぞ、ちょうど酒が足りねえと思ってたんだ!」
「アレックスの奢りだー!」
アーサーの言葉に、やいのやいのと騒ぎ出すヴァンパイアハンターたち。
「おいおい! お前らにまで奢るとは言ってねえぞ!」
「よし、行こうか諸君。『吸血鬼とタダ酒は逃がすな』と古文書にも書いてある」
腕組みしたレキサー司教が真面目くさって言う。
「そんなの聞いたことないっすよォ!」
俺は大袈裟に抗議してみせたが、聞き入れられるはずもなく。
そのまま、酒場へと二次会に突入する流れになった。「財布が空っぽになっちまうよ!」と嘆きながらも――なんだかんだいって、俺も楽しんでいた。
皆に酒を奢るくらい、わけないから……。
「これがこの街の名物だよ」
「ほほー」
酒場に行く途中で、ぶらりと土産物屋を覗くと、アーサーが奇妙なメガネのようなものを差し出してきた。
レンズが、まるで闇を染め抜いたように真っ黒だ。
「太陽が眩しい夏にかけるものなんだ。『太陽メガネ』って名前だけど、生産地から専ら『グラ産メガネ』って呼ばれてる」
「どれどれ」
早速かけてみる。
…………いや、ほとんど何も見えねえが!? 空を見上げると、傾きかけた太陽がぼんやりと光っていて、まるでお月様みたいだった。
「すげえ、おひさまがこんなにハッキリ見えるんだ! でもそれ以外は夜みたいで見えづれェ~!」
俺ははしゃいで声を上げる。
「…………」
返事は、ない。
「……アーサー?」
何かがおかしいと思って、下を見ると。
――そこは戦場だった。
夜。月明かりが照らす、おびただしい死者が折り重なる丘。地面はまるで土砂降りにでもあったかのように、血で泥濘化している。
銀色の閃光。
「死ねェェェッ!!」
聖剣を構えた若手のヴァンパイアハンターが突っ込んでくる。
その顔は血で赤く染まり、敵意と殺意に満ち溢れた凶相で――
いつの間にか剣槍を握っていた俺は、その聖剣を弾き、
彼に、穂先を――
突き入れ――
……違う。
違うんだ!!
「【
両腕を失ったレキサー司教が、俺の首筋に噛みついてくる。
そして、内側からめくれるようにして弾け飛んだ。
「があああぁぁぁぁッッ!!」
聖銀呪混じりの血肉が俺の全身を焼く。
「【
さらに、俺の体に銀色の鎖が絡みついた。
「死ね、魔王子!!」
光り輝く刃を振り上げたアーサーが、決死の形相で迫る。
「報いを受けろ――!」
その斬撃をどうにかアダマスで受け流して――
アーサーの若々しい顔が、どんどんしわだらけになって――
なのに、ぎらぎらとした瞳の殺意だけは、全く鈍ることがなくて――
こんなつもりじゃ、
こんなつもりじゃ……!!
「う……わあああああああァァァァ――ッッ!!!」
俺は、剣槍を――
振り抜いた。
……いつの間にか、俺は独りで、荒野を歩いていた。
じゃら、じゃらと音がする。俺に巻き付いた鎖だ。重い。熱い。痛い。
鎖の先端には、しわだらけのアーサーの腕。
がり、がり……と。大地に爪を突き立てて、俺の歩みを止めようとしている。
『裏切り者め……』
『よくも殺してくれたな……』
『なぜ、お前はのうのうと生きている……』
乾いた風の音にまじって、そんな声が響いてきた。
赤色の砂塵が舞う。鉄錆みたいな匂い。血だった。こびりついた血。この、赤黒い荒野は、全て血に染められているのだ……
寒い。
まとわりつく鎖は燃えるように熱いのに、体がどんどん冷えていく。
じゃら、じゃらと。鎖がどんどん重くなっていく……
『死ね』
『死んでしまえ』
『くたばれ裏切り者』
黒い影が、俺の周囲をぐるぐると回っていた。
顔は見えない。見たくない。
知ってるから。
苦しい。
もう、前に進むのがしんどい。このまま倒れてしまいたい。
でも……立ち止まるわけには、いかねえんだ。
遥か彼方に、気が遠くなるほどの地平の果てに、
わずかな……輝きが見える。
俺は、あれを手にするために歩き始めたんだ。
今さらこんなところで、止まれるかよ。
止まるわけにはいかねえんだよ……!
『死ね』
『お前も死ね』
『俺たちのように死ね』
影たちがどんどん迫ってくる。あまりにも、親しみのある声たちが。
それは人族であり、エルフ族であり、魔族でもあった。
聞きたくない……だけど、剣を握り締めたまま、耳を塞ぐことはできない。
痛い……苦しい……
寒い……
暗い。
かがやきが、みえなくなる
あしが、うごかない
…………うごけよ
とまるわけには
いかね え
だろ……
うごけ……うごけ……
…………
だめだ
どんどん くらく
…………これだけ
がんばって
だめなら もう
いい か な
『ならぬ』
突然、褐色の細腕が、力強く俺の首根っこをひっつかんだ。
『ならぬ。まだその時ではない!』
混沌を秘めた、極彩色の瞳が、
『アレクサンドルよ。お主はまだ、倒れるわけにはいかぬ!』
俺を見つめる。
『【昏睡を禁忌とす】――さあ、立ち上がれ』
――我が契約者よ。
†††
すぅっ、と息を吸い込んだ。
溺れていた人が水底から引き上げられたみたいに。
夜空と、月と――俺を心配そうに覗き込む、3つの顔が目に飛び込んできた。
目尻に涙を浮かべたレイラ。
沈痛の面持ちで半ば透けているバルバラ。
そして、静かに、苦しげに、愛しげに――俺を見つめるアンテ。
「……ここ、は?」
自分でもびっくりするくらい、かすれた声が出た。
「アウリトス湖の、南の方にある……無人島です」
レイラが震える声で答えた。「よかった……目を覚ましてくれて……!」と涙を拭いながら。
どうやら俺は、砂浜に寝かされているようだった。
月が見えるってことは……
まだ、あまり時間が経ってないのか……
全身がダルくて冷たくて、なのに胴体がめちゃくちゃ熱くて痛い。目線を動かして見れば、やはり白銀の鎖が巻き付いたままだった。
じりじりと、俺の体を焦がす。ただ、それに対抗するようにして、ボン=デージがかすかに燐光を放っている。
これが……リリアナの加護がなければ、もっと苦しかったんだろうな……。
…………助けられてばかりだ。ありがとう……。
「一旦、東に飛び去ると見せかけて、人目を避けてこっちに降りてきたワケじゃ。お主の意識が戻らん状態で、人里には寄りつけんからの。しかもこんな真夜中に」
アンテが淡々と語る。
「で、じゃ。お主もわかっておろうが、お主の容態は非常に悪い。その忌々しい鎖に痛めつけられておるせいもあるが、毒の症状をどうにかせんと、毒が抜ける前に息絶えよう」
「……どうにか、つってもよ……」
転置呪の対象にできる相手がいねえから……
「このまま、……水でも飲みまくって、耐えるしか……」
あ……でも、水の魔法使いもいないし、どうすれば……湖水でも沸かすか……?
「私が、転置呪の身代わりになります」
胸に手を当てて、レイラが言い切った。
さっきまでの涙声が嘘みたいに、力強く。
「私なら、多少の聖銀呪の火傷や、毒の症状に体を蝕まれても、竜に戻って自己強化の魔法を使えばすぐに治ります。
「我が引き受ける手もあったんじゃが、人化を解除すると悪魔の身にどれほど影響が出るか、そしてどの程度の時間で治るか未知数じゃ。毒に関してはレイラの方が適任じゃろ。無論、いよいよどうしようもなくなったらなったら我も引き受けるがの」
……きっと、俺が昏睡している間にみんなで話し合ったんだろう。
人里に降り立って、俺が転置呪で毒の症状を一般人に押し付けまくるのは、倫理面と俺の抵抗を考えて選択肢から除外したに違いない。……アンテが主張したであろうことは容易に想像がつくが。
光属性の、自己治癒の魔法を使えるレイラなら、多少の怪我や毒の症状の身代わりとして最適。ただし、竜の姿に戻る必要があるため、俺の身の安全も考慮して無人島を選んだわけか……
確かに、湖の真ん中あたりの島なら、上空からは見つけやすい割に、滅多に人は来ないだろうからな……
でも……
「禁忌の魔法で、毒の進行を止められねえかな……」
「その毒がどのような成分で、どの臓器にどのような影響を与えておるのか、詳しく特定できておるなら、ある程度は効き目があるかもしれん」
俺の思いつきに、アンテが難しい顔で答えた。
「お主、その毒に心当たりは? ヴァンパイアハンターが使うものだとか、そういう知識はあるか?」
「いや……ない。ヴァンパイアハンターが毒を使うなんて、聞いたこともねえ」
そもそも吸血鬼には毒効かねえし。
「夜エルフの薬学もかじったけど、そこまで詳しくは――」
と、そこまで口にして、気づく。
……夜エルフ。
「ふむ。ひとり、おるのぅ。専門家が」
アンテが、俺の胸元――服の下に隠れているペンダントに視線を向け、スッと目を細めた。
「
「……そうだな」
ヴィロッサを治療するための適当な人族を捕まえに行ったら、凄腕勇者に遭遇してしまい負傷して逃げ帰った――ってことにすれば言い訳にもなるしな。
クソッ……まさか、こんなことに……
「…………」
とか考えたら、なんだか眠くなってきた。
それがまた、苦痛が極限まで引き伸ばされて、段々と薄まっていくみたいで。
妙に心地よくて……
「いかん。ヴィロッサを呼び出すかどうかはさておき、取り急ぎ、転置呪だけは何とかせよ」
ちょっと焦ったような口調で、俺の肩を揺り動かすアンテ。目が覚めた。
「アレク。ひと思いにやってください、わたしは大丈夫ですから」
「……ごめん、レイラ……」
「謝らないでください」
俺の手を取りながら、レイラが痛々しげに微笑む。彼女の手は、温かかった。
「どうせ、こんなことになるなら……もっと早く、介入するべきでした……」
血を吐くような、レイラの言葉。
「わたしの力では、
でも――
「迷っちゃったんです。わたしが手を出したら、取り返しのつかないことになっちゃうから……それに、まだ何とかなるかもしれない、って。そう思っちゃって……」
……返す言葉が見つからない。
他でもない、俺自身、同じことを考えてたんだから。
「見知った顔だったから……躊躇しちゃったのもあります。無理やり、楽観的に考えようとしてしまいました。でも結局、こういう結末になるなら……もっと早く、決断できていたら……あなたがここまで傷つかずに済んだのに」
レイラは唇を噛んだ。血が滲むほどに。
だけど彼女が自身を責めるのは筋違いだ。
「俺が悪いんだよ」
全部、俺が決断したことなんだから。
「……だから、レイラは自分を責めないでくれ」
「アレク、悪い癖が出てます」
レイラがそっと、俺の頬に手を添えた。
「これは、わたしの決断でもあるんです」
――だから、その責は、自分も負う。
「…………」
俺たちは、なんとも言えない、苦々しい顔で見つめ合った。
が、そんな俺たちの頭を、ペシッと褐色の手が叩く。
「傷の舐め合いも結構じゃが」
憮然とした顔で、アンテ。
「転置呪をはようせい」
……それもそうだ。俺とレイラは、諦めたように苦笑した。
「――ありがとう、レイラ」
俺は謝るのをやめて、感謝の言葉を口にする。
「いいんですよ」
レイラが微笑んだ。
――ごめんよ。
俺は、闇の魔力で彼女を絡め取る。
「【
スッと体が軽くなった。体の痺れや吐き気なんかが薄れていく。
逆に、「うっ」とうめいて口元を押さえたレイラが、ふらつきながらそそくさと俺から距離を取った。
その姿が――月光のもと、ほどけるようにして白銀の竜に変わっていく。
「【
金属質な声で夜空に吠えるレイラ、その瞳が虹色の光を放ち始める。全身の鱗も、まるで真昼の太陽のように輝いていた。自然治癒力を活性化させ、毒の影響を中和していく――
それにしても目立つな。こんな夜中に、そりゃ孤島でもないと無理だわ。
今も、遠くの船からは怪奇現象に見えてるかもしれないけど。
「……ふぅ。なんとかなりそうです」
一息ついて、レイラがドラゴンの姿のまま、俺を見下ろした。
「……わたし、いっぱい殺しました」
突然投げかけられた言葉に、心臓を氷の刃で貫かれたような気がした。
「わたし、アレクのためなら、きっと何人でも殺します。そして、それを後悔するつもりはありません。わたしは許しを請いません。ドラゴンらしく傲慢に、自分勝手に生きます。……でも、」
暗闇に浮かび上がる、爛々と輝く、大きな金色の瞳。
「人々は、きっとそんなわたしを許そうとは思わないでしょう。……もしも、わたしが裁きを受けるときが来たなら――」
レイラは、細く息を吐いた。
彼女の吐息が、俺を炙る。
「――アレクの手で、殺してください」
レイラが、頭を擦り寄せてきた。
いや、首を預けてきた、というべきか……
俺の手で、刎ねてくれ、と。
――
「あなたの手なら、受け入れます。だから、……アレク、わたしより先に、死なないでくださいね……」
――死ぬまで、あなたと一緒です――
【キズーナ】がなくても、そんな声が伝わってきた。
「……わかった」
俺は、レイラの竜の顔に手を添えて、力強くうなずいた。
「約束するよ」
ホントは嫌だ。俺が死んでも、レイラには生きていてもらいたい。
だけど、
俺は彼女を巻き込んだ。彼女は腹をくくった。
ならば俺もまた覚悟を示さねば。
レイラが嫌だって言い出すまでは……
道連れだ。たとえ行き着く先が、地獄だったとしても……
……クソッ、そう簡単には死ねなくなった。
しかも、当座のところは死なないために、レイラに毒の症状を押し付け続けなければならない。どんな皮肉だよこれは……!
「……くふ」
アンテが薄く笑う。「お主に楽な道などない」とでも言わんばかりに……
「ふふ……」
レイラも笑っている。単純に、俺にじゃれつくみたいに。
俺はもう、どうしていいかわからなくて、ただひたすらレイラの鱗や角をナデナデしていた。
……っていうか、『首を刎ねる』から最悪な連想で思い出したんだけど。
「そういや、アダマスは?」
俺は上体を起こして、腰のあたりを手で探りながら問うた。
最後、戦場を離脱するとき、落とさないように骨の柄を腕に巻き付けた覚えはあるんだけど……?
「「「あっ……」」」
俺の問いに、アンテ、レイラ、バルバラの3名が気まずそうに顔を見合わせる。
えっ、何そのリアクション。
まさか、飛んでる途中で落としたりした!?
『アダマスなら……その、一応、そこに……』
バルバラが、めっちゃ言いづらそうに、俺の後ろを指さした。
慌てて振り返れば、近くにある大きな岩に、鞘に収められたアダマスが立てかけてあった。
なんだよー、あるじゃん! ビビらせんなよー!!
「お前も……散々だったな、アダマス」
手を伸ばして、引き寄せながら話しかける。
……いや、散々って他でもない俺のせいなんだけどな。不幸な事故みたいな言い方したら、アダマスに怒られちまうよ……
「今回も使い倒しちゃったし、ちゃんと手入れ……しない、と……?」
柄を握った瞬間。
俺は――言いようのない、嫌な感覚に襲われた。
「……アダマス?」
妙だ。たとえ休眠状態だったとしても。
握れば、アダマスの息遣いというか……その存在が感じ取れたのに。
今は――まるで、まるで――
「おい……アダマス……?」
恐る恐る、鞘から剣を抜いた俺は――
「…………」
絶句した。
あの、魔王と打ち合っても、傷ひとつつかなかった不屈の聖剣が。
剣身の中程に、もう、どうしようもないくらい、
はっきりとした亀裂が、走っていたから――
「アダマス……」
返事は、ない。
遅れて俺はようやく気づいた。
それが休眠状態なんかじゃなく、本当に色褪せていることに。
聖剣としての力が――すっかり消え失せていることに。
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