458.暗中模索


 ――時は少し遡り、魔王子襲来から一夜明けたカェムランの丘。


「うう……こんなの、あんまりでさぁ……」


 ヴァンパイアハンターの狼獣人、ルージャッカは、血みどろの戦場でひとり嘆いていた。その両目を覆う黒布の眼帯――生まれつき光を知らないルージャッカには、戦場の様子は見えないが。


 それでも、穏やかな陽気のもと、むせ返るほどに立ち込めた乾いた血と、泥と、鉄と、焼け焦げた肉と草の臭気で、目の前にどれほどの惨状が広がっているかは、嫌になるほど感じ取れていた。


 周囲では公国軍の兵士や聖教会関係者、そしてヴァンパイアハンターの非戦闘員の仲間たちの足音。みな、遺体の収容や片付けに奔走しているのだ。彼らの邪魔にならないよう、草地を杖で探りつつ、を辿っていく。


「これは……ギエールさんの匂い……?」


 スンスン、と鼻を鳴らして、寡黙な中堅ヴァンパイアハンターの匂いを嗅ぎ取ったルージャッカは、ゆっくりと慎重に歩いていき――


「あぁ……」


 にちゃっ、とした感触が足に触れた。生乾きの血で湿った土。杖でたんたんと探ってみても、確とした肉体の手応えはない。ただ、広範囲に渡って、柔らかな肉片のようなものがぶち撒けられているのがわかった。


 そしてそこから、ギエールの血や臓腑の匂いが、もうもうと立ち込めている。


「くそぅ……」


 ルージャッカはぎりっと歯噛みし、杖をきつく握りしめた。


 この戦場は、こんなのばっかりだ。いかなる邪法か、魔王子の犠牲者は、文字通り挽き肉ミンチにされている。


 そして、ギエールもそのうちのひとりに加わった……。


「くそぅ……こんなの、あんまりでさぁ……!!」


 怒りと悲しみ、そしてやるせなさで、わなわなと震えるルージャッカ。



 ――結局、アーサーやレキサー司教といった戦闘員のうち、生きて戻ってこれたのは森エルフのイェセラだけだった。



 その彼女も全身に大火傷を負い、未だ意識不明の重体だ。発見時にはほとんど息を引き取りかけていたらしい。今も聖教会では、見習い神官たちによって、下位の奇跡の重ねがけによる懸命な手当てが続けられている。


 ……カェムラン聖教会の神官・勇者も、一人前の人員は全員が出撃し、そのまま未帰還となったため、重度の火傷を治療できる癒者ヒーラーが残っていなかったのだ。近隣の街にも応援を要請中らしいが、最寄りの街のソクフォルは帝国軍に占領されたままだし、他から到着するのにはしばらく時間がかかる。


 あるいはイェセラが意識を取り戻せたなら、自力で治癒し復帰できるだろうが……それまで持ちこたえられるかどうか。治療を担当する見習い神官からは、「おそらく今夜が山です」とルージャッカは告げられていた。


「おぉいルージャッカ! 大丈夫かぁー?」


 と、悲嘆に暮れていたところで聞き慣れた声と足音。同じくヴァンパイアハンターの非戦闘員である犬獣人のようだ。


わーは大丈夫さー……」


 力なく、ルージャッカは答えた。


「これ……ギエールさんさぁ……」

「マジ……かぁ……」


 隣に立った犬獣人が、かがみ込んでスンスンと匂いを嗅いでいる。


「うん……そうみたい、だなぁ」


 くぅん……と悲しげな声を漏らす犬獣人。続いて、にちゅっにちゅっと水気のある音がする。どうやら肉片をかき集めているらしい。それが、かろうじて回収できる、ギエールの遺体だから……


「……ルージャッカ、よく遠くから嗅ぎ分けられるなぁ。らーは鼻が捻じ曲がりそうで、もうダメでよ」

わーもそうだけど、まぁ、何とかなってるさぁ……」


 それぞれの部族の獣人訛りで話しながら、うなだれるふたり。


 遺体の損壊があまりに著しいため、こうしてヴァンパイアハンターの獣人たちが、聖教会の未帰還者を探しているのだった。


 だが並の戦場とは比べ物にならない惨状ゆえ、臭いが混ざりすぎていて、ほとんどの獣人は嗅覚が半ば麻痺している。逆に、常日頃から嗅覚過敏で、様々な匂いを嗅ぎ分けることに慣れていたルージャッカは、かろうじてこの戦場でも匂いを頼りに動けていた。発見された多くのヴァンパイアハンターの『痕跡』は、ルージャッカの鼻によるものだ。


「アーサーさんには……びっくりしただなぁ」


 どこか茫然としたように、犬獣人はつぶやいた。


 アーサーの遺体は比較的早く見つかったが、二十代半ばの青年だった彼が、どうしたことかしわしわの老人に変わり果てていたため、みなが絶句していた。


 ただ、ルージャッカには老いたアーサーの姿は見えず、体臭だけは彼のままだったので、未だにその驚きはピンと来ていない。彼が死んでしまったことは、もちろん、悲しかったが……


「左腕の盾まで盗られちゃって……魔王子の野郎、ろくでなしでよ」

「本当、酷い話さぁ……」

「一応……見つかった遺体とか、その、一部は、あっちの方にまとめてるんだぁ。街から魔法使いさんが来たら、順次火葬するって話でよ……」


 ルージャッカの杖をスッと動かして、方向を教えてくれる犬獣人。


「わかった……それまでに、他のみなも探すさぁ」

「鼻も役に立たないし、らーは力仕事でも手伝ってくるかなぁ。……ルージャッカ、ほんとにひとりで大丈夫かぁ? 足元、危ないでよ」

「大丈夫さぁ。イェセラが作ってくれた杖があるさぁ」


 ふりふりと、木製の杖を振ってみせるルージャッカ。普段、何かと身の回りの世話を焼いてくれるイェセラが、彼がひとりで行動するときのために魔法で作ってくれた白杖だ。ちょっとした魔除けの力まである優れもの。


 ルージャッカが怪我をしないよう、祈りが込められている……。


「そっ……かぁ」


 必死の救命が続けられているであろうイェセラを思い、口をつぐむ犬獣人。


「……わかった。でも、何か困ったら、大声で呼ぶといいがぁ。らーは耳がいいからなぁ、すぐ駆けつけるでよ」

「ありがとさぁ、そうするさぁ」



 犬獣人と別れて、再び、未帰還者の捜索を始めるルージャッカ。



 行けども行けども、死の匂いばかり。焦げ臭さも強まっていき、草地もざらざらとした感触に変わっていく。


「ああ……」


 そして、その中に、あまりにも親しみのある匂いを感じ取った。


「レキサー……さん……」


 ルージャッカがヴァンパイアハンターになって以来、イェセラとともにずっと行動をともにしてきた……


 吸血鬼への復讐に取り憑かれながらも、責任感が強くて、ユーモアを忘れず、他者への思いやりにあふれていた……


 彼の……濃い血の匂いが。


「あぁ……あぁぁ……」


 ぬちゃっ、と嫌な感触が足から伝わってくる。


 間違いなかった。


 そこには、レキサーが、


 服や毛皮が汚れるのも構わず、ぺたんと座り込んで、地面を杖で探ると、かつんと硬い手応えがあった。


 慎重に手を伸ばして、触れてみて――それが、どうやらレキサー司教の双聖剣の片割れらしいと悟る。


「……あんまりさぁ……こんなのって……こんなのって……」


 鼻の奥がつんとした。これまでの旅路を思い出して。


 立派な人だった。優しい人だった。吸血鬼狩りには危険がつきものだが、彼と一緒に旅をしていて、不満を感じたことなんてなかった。


『ルージャッカ、きみは最高のヴァンパイアハンターになる。私が保証しよう』


 故郷の村で、代わりに光を知らず、満足に仕事もできず、肩身が狭い思いをしていた自分を、ヴァンパイアハンターにスカウトしてくれて……自分にも、広い世界を見せてくれて……


 その旅が、終わってしまった。


 最後の別れを告げることもできずに。


「……くっ……うぅっ……!」


 涙が溢れそうになるのを、必死でこらえる。楽しかった思い出は全部頭から追い出して、辛かったことや、苦しかったことを思い出し、心を冷やしていく。


 今、泣いてはならない。


 ここで鼻水がズルズルになったら、己の唯一の強みが使い物にならなくなる。


 それはダメだ! 自分は『鼻利き』のルージャッカだぞ!!


 そんな無様を晒しては、レキサー司教に顔向けできない……!!


「お迎えに……来ました。レキサーさん……」


 手が汚れるのも構わずに、地面に散らばった肉片をかき集めて、用意しておいた布きれに包む。


 せめて……聖教会の神官としての、最低限の弔いくらいは。


 してあげたかったから……


「……ん? これは……」


 そして、立ち上がろうとしたルージャッカは、再びスンと鼻を鳴らす。


 これは……焦げ臭さに紛れてほとんど消えかけていたが、嗅ぎ覚えがある。


 少なくともヴァンパイアハンターではない。出発する前に嗅いで覚えたカェムラン聖教会の関係者でもない。誰だったか……



「……アレックス、さん?」



 まさか。



 彼もここに?



 スンスンと地面を嗅いで回ったルージャッカは――『それ』を探り当てた。


「…………」


 焼け焦げた、肉の塊。


 どうやら切断された左腕のようだった。


 念入りに嗅いでみて、確かめる。――間違いなく、勇者アレックスの臭い。爪を出して、表面の焦げをカリカリと落として、「ごめんなさい」と小声で謝りながら、生焼けの肉を抉る。


 血の匂いを、覚える。


「う……わぁ」


 するとそこら中に立ち込める血の臭いの中に、確かに、アレックスのものが多量に含まれていることに気づいた。


「…………アレックスさんも……責任感、強い人でしたもんね……」


 悲しくなった。アーサーやレキサーたちが駆けつけたように、アレックスもまた、この戦場に身を投じたのだ、と。


 そして、、と。


 ――もしも彼が生還していたなら、イェセラのように話題になっているはず。


 だが、そうはなっていない。しかも左腕が落ちていて、血の匂いがあちこちにあるということは……帝国軍がアレックスを救助したなら話は別だが、瀕死のイェセラはもとより、味方の負傷者さえ見捨てて逃げていくような連中だ。望み薄だろう……


「……あんまりでさぁ……」


 アレックスとの付き合いはそれほど長くなかったが、勇猛果敢な彼の人柄にはルージャッカも勇気づけられるようだった。


 そんな……いい人たちから先に。


 次々に、死んでいく。……アレックスの恋人の、レイラはどうしているのだろう。彼女も光の魔法使い? らしいし、戦いに身を投じたのだろうか。


 もしそうなら……探してみなければ。




 それからしばらく戦場を彷徨って、知り合いたちの肉片をかき集めたルージャッカは、トボトボと仲間の獣人に教えられた方向へと歩いていった。


「ルージャッカ! どう、だった……?」

「こちらが……レキサーさん。こちらが、アーチーさん。それでこっちが……」

「…………」


 次々に包みを示してみせると、ルージャッカには見えないが、周りを取り囲む仲間たちが、沈痛の面持ちをしているであろうことくらいは、わかった。


「……はい、確かに、記録いたしました……」


 紙の上をペンが走る音。聖教会の修道士のようだ。


「この『勇者アレックス』殿は、カェムランの人員ではなく、ヴァンパイアハンターの一覧にも載っておられぬようですが……」

「アレックスさんは休暇中だったそうで、レキサーさんたちと一緒に、しばらく旅をして吸血鬼狩りに協力してくださってたんでさぁ……詳しい所属とかは、わーも知りません」

「左様ですか……家名や、二つ名などは?」

「……申し訳ないでさぁ。アレックス、とだけ……」


 何やら訳ありのようだったようで、そのあたりは敢えて深く聞いていなかった、という事情はあったものの、ルージャッカはわざわざ言い訳じみたことは言わずに、頭を下げた。


「なるほど……わかりました。ありがとうございます」


 修道士はやるせない様子で、小さく溜息をつく。所属も家名も不明となれば、同名の勇者が複数いる可能性はあり、本国に報告しても確認には手間取るだろう。訃報も大幅に遅れるかもしれない。今、この瞬間にも前線で戦死していく勇者がいることを考えれば、なおさら……


「ルージャッカ……こっちだぁ」


 犬獣人に肩を抱かれて、ルージャッカはゆっくりと歩いていく。


 ――あまりにも親しみのある、はっきりとした、死の匂い。


「アーサーさん……」


 そこには、老いたアーサーの遺体を中心に、戦場で見つかった聖教会関係者の遺体や遺品が積み上げられていた。


 そっと跪いて、ルージャッカはアーサーに触れる。


 仰向けに安置されているようだ……しわだらけの肌。肉を削ぎ落とされてしまったかのように、その体は枯れ木じみて細くなっていた。あんなに元気溌剌で、生命力に溢れていた青年が……なぜ、このような……


 これもまた、魔王子の邪法なのだろうか。


 だとしたら、なんと惨い……


「レキサーさん」


 肉片を包んだ布切れを、そっと横に置く。


「アーチーさん……レニーさん……ラルフさん……」


 その他の、かろうじて集められた肉片も、同様に。そして――


「――アレックスさん」


 最後に、布に包まれた左腕を置く。


 奇しくもそれは、欠けたアーサーの左手を補うかのようだった。


「……皆様、下がってください。火を放ちます……」


 静かな、聞き慣れない男の声。街から来た魔法使いだろう――ルージャッカは仲間たちとともに距離を取る。



「「【――汝ら、隣人を愛し、力の限り、隣人を守りし者】」」



 見習い神官たちが、震える声で唱和し始める。



「「【――汝ら、剣を取り、人類の敵に立ち向かい、愛する子らのために盾を掲げた者】」」



 しかし、すぐに彼らの声は、芯の通ったはっきりとしたものに変わっていく。



「「【――光の神々よ、ご照覧あれ。彼らに安寧を】」」



 光を知らぬルージャッカにも、何か――音でも臭いでもないものが、伝わってきた気がした。



「「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ 彼の手に来たれスト・ヒェリ・トゥス】」」



 ゴウッ、と熱波が押し寄せてきた。魔法の火。


 肉が、骨が、焼けていく臭い。


 ――聖教会は、戦死者を可能な限り現地で火葬する。


 たとえそれが、どんな英雄であろうと、新入りの見習いであろうと。


 組織としては葬儀を執り行わず、遺体や遺品を送り届けたりもしない。


 それをすると、兵站や輸送に多大な負担がかかってしまうからだ。


 人類の敵と戦うため、最大限に効率化した結果。ゆえに、魔王子を極限まで追い詰めた稀代の英雄も、痛撃を与えた歴戦のヴァンパイアハンターも、現地聖教会の神官も、流れの勇者も。


 ――等しく、銀色の炎に焼かれて灰になっていく。


 胸を張って、立派に祈りを唱え上げた見習い神官たちも、今は涙をこらえ。


 ヴァンパイアハンターの仲間たちも、鼻をすすり、嗚咽を漏らしている。


「…………」


 ルージャッカもまた、嗅ぎ慣れた臭いがだんだんと焼け焦げて、知らない臭いに変わっていく様に、言いようのない喪失感を覚えていた。


 アーサーの亡骸も、レキサーの肉片も、そしてアレックスの焼け焦げた左腕も――みんな消えていく。


 光を知らぬルージャッカには、その光景は見えないのだが……



 ――そう、ルージャッカは、光を知らない。



 だから、気づかなかった。



 アレックスの左腕を拾い上げ、表皮の焦げを落とし、爪で抉り、血の匂いを覚えたあのとき――



 焼け焦げた肌の下に覗く、生焼けの肉と、滴る血が――



 



 ――ルージャッカは、気づけなかったのだ。



「…………」


 溜息をついて、ハンカチで思い切り鼻をかんだルージャッカは。


 火葬場に背を向けて、再び戦場の方へと歩き出した。


「ルージャッカ? どうしたんだぁ……?」


 犬獣人が、それに気づいて呼び止める。


「……もうちょっと、戦場を嗅ぎ回ってみるさぁ」


 立ち止まったルージャッカは、静かに答えた。


「もしかしたら、魔王子の臭いを突き止められるかもしれないしさぁ」

「それは……いくらお前やーでも、難しいでよ……」


 犬獣人は、困ったように。


「あれだけの匂いの中から、匂いを探して、突き止めるだなんて……」

「難しいのは承知の上さぁ」


 ルージャッカは、振り返って。


「でも、みんなのために、わーにできるのは、これだけなのさぁ」


 悲しげに笑う。


「…………」


 そしてそれ以上、かける言葉が見つからない犬獣人をよそに。



 前へ向き直ったルージャッカは、イェセラの杖で足元を確認しながら、再び戦場へ舞い戻る。



 彼の戦場へと。みなの仇を突き止めてやるという、その想いを胸に――



 探し続けるのだ。



 痕跡を。

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