457.公国の未来


 ――帝国軍、潰走す。


 その報せは、公国だけでなく周辺諸国にも動揺をもたらした。特に、アウリトス湖の都市国家群は公国からの救援要請を受けて、戦支度を始めた矢先のこと。


 第一報では帝国の欺瞞作戦を疑い、まともに取り合わなかったほどだ。


 帝国軍が、なぜか噂の魔王子と交戦。単騎相手にボコボコにされて、皇帝の首まで獲られて潰走したというのだから……荒唐無稽にもほどがあった。


 が。


 各方面から続々とそれを裏付ける報せが届き、猜疑は驚愕に変わっていき。


 聖教会が現地の被害について、声明を出したのが決定打となった。



 ――いわく、公国に侵攻中の帝国軍の野営地に、魔王子ジルバギアスが襲来した。


 ――一般兵のみならず、魔法使いや近衛騎士さえ数百人単位で殺傷。


 ――現地の勇者や神官が救援に向かい、聖魔法のみならず毒なども駆使してジルバギアスを追い詰めるも、敗北。


 ――カイザーン帝国皇帝も、ジルバギアスの魔の手にかかり戦死。


 ――最終的に、ホワイトドラゴンが満身創痍の魔王子を助けに現れ、こちらも数百人単位で帝国軍を殺傷し、東の空に飛び去っていった……



 現地で『保護』された帝国軍の捕虜……もとい、生存者からの証言をもとに聖教会が調査した、信頼の置けるレポートだった。


 前線でバラ撒かれたビラの通りに、ホワイトドラゴンが助太刀に現れたという点は聖教会も重く受け止めており、協力関係にあるホワイトドラゴンたちに、事実関係の確認を急いでいる、との由。


『いくら魔王子といっても、たったの魔族1名でこれほどの損害が……?』


 各国首脳も、心胆を寒からしめられる思いだった。


 単純な頭数という意味では、帝国軍全体からすれば微々たる損害だ。


 しかし、皇帝直々に率いる軍勢が、二線級のはずがなく。帝国軍の最精鋭と名高い近衛騎士団は壊滅し、光刃教徒に至っては文字通り皆殺しにされたという。


 人族国家において希少な、一線級の魔法使いの部隊が轢き潰されたのだ。しかも、皇帝を護り切ることさえできなかった。帝国軍が受けたダメージは、単なる数字では測りきれないものがある。


 顔に泥を塗る、なんて次元の話ではない。頭を泥団子に吹き飛ばされたようなものだ。帝国の権威は失墜、威信をかけて雪辱を果たそうにも魔王子は雲隠れ、そもそもその音頭を取る皇帝も戦死。皇帝子飼いの戦力も壊滅。


 そして皇帝には複数名の子がおり、次期皇帝と有力視されている皇太子はいるものの、正式には指名されていない――


 これは荒れるぞ、と。


 アウリトス湖の周辺各国は、嵐の訪れを予感した。


 そしてもちろん、市井の民たちの間でも、帝国軍潰走の件はさざなみのように広がっていった。


 ――それも、事実が矮小化されることなく、むしろどんどん尾鰭を付けながら。


 いわく、魔王子が帝国軍に殴り込み、一万人を殺傷した。


 いわく、皇帝を素手で真っ二つに引き裂いた。


 いわく、生き残りの帝国軍は、ドラゴンが全て丸焼きにしていった。


 いわく、魔王子の呪詛でカェムランは血の汚泥にまみれ、草も生えない不毛の地と化した。


 ……終いには、あまりにも荒唐無稽になりすぎて、笑い話の領域に突入しつつあったが。酒のつまみに、噂話でひとしきり笑ったあと――平和な同盟圏後方の人々は、ふと不安を抱いた。


 ――魔族って、本当はヤバい奴らなんじゃないか?


 いくら噂話がどんどん大袈裟になるとは言っても、帝国軍が潰走したのは、どうやら真実らしいのだから……。


 ちなみにこの件に関して、帝国側からは未だ、正式の発表はない。




「まさか、こんなことになるとは……」


 ハミルトン公国、公都ミトハンにて。


 公王の座を継いだ『ハンス』ことヨハネスは、政務に忙殺されていた。貴公子然とした面持ちも、今や目の下にはクマができ、頬はこけ、血走った目で机にかじりつくようにして、膨大な数の指令書や親書を処理している。


「私も予想外だったよ、流石にこの展開はね」


 執務室で若き公王の手伝いをしながら、元『代王』ことオラニオも、溜息まじりにこぼす。オラニオもまたちょっとやつれ気味だが、道化じみた派手な格好や帝国風の化粧などもやめており、どこか清々しい空気を醸し出している。


 ――祖父グラハム公の命を受けて、夜暗に乗じてカェムランを脱出し、シュケンやカークたちを連れて強行軍で公都入りしたヨハネスは、道化の仮面を脱ぎ捨てて公都を掌握していたオラニオから、速やかに全権を移譲された。


 あまりにも鮮やかな手並みに、若輩者のヨハネスより、そのままオラニオが指揮を執った方がスムーズなのではないか、とさえ思ったが――


『私は、民たちの信頼を裏切り続けてきた。誰もついてこないよ』


 オラニオは、飄々と肩をすくめて。


『それよりも、きみが新たな公王として采配を振るった方が、絶対にいい』


 オラニオがあれこれと手を回して、軍を再編し、帝国の内通者を排除し、各国への援軍要請や、兵站の構築なども進めていたが、それらの功績は丸ごとヨハネスのものということになった。


 かくして『帝国の魔の手から逃れるため、身を潜めていたグラハム公の孫、公王の正統な後継者たるヨハネス公が、この国難にあって立ち上がり、悪しき代王オラニオを追い落とし、公国を勝利へ導こうとしている』という物語ナラティブが作り上げられたわけだ。


 汚職と怠慢で停滞していた公都に、新風を吹き込むようなヨハネスの政治的手腕(実際はオラニオによるもの)は諸手を挙げて歓迎され、グラハム公の孫という贔屓目ですでに名君の呼び名高く、『新風』のヨハネス公とまで謳われている。


 これまでずっと損な役回りを押し付けてきたのに、その手柄まで横取りすることになって、ヨハネスとしては申し訳ないばかりだったが、オラニオは『これでやっと肩の荷が降りた』とせいせいした様子だった。


 ……まあ、現状の政務地獄を考えると、その判断は正しかったのかもしれない。


「私も苦労したんだよ。道化のふりをやめたはいいが、今度は城の者たちが私を認識してくれなくてね。みなが慣れるまで、私がオラニオであることを証明するために、しばらく一輪車で移動していたよ」


 帝国風の化粧や道化じみた言動はもううんざりだったからね、とオラニオは真面目くさって言った。……それが冗談なのか真実なのか、ヨハネスは判断しかねた。


「前線は、アームストロング卿率いる防衛軍が陣地を固めたらしいが……相変わらず帝国からは何の返事もなし、か」


 報告書を一瞥し、嘆息するオラニオ。


 魔王子襲来から何日も経っているというのに、未だに帝国は沈黙を保っている。


 おそらくだが……皇帝はもちろん、現地の指揮官級が全滅し、高度な政治的判断を取れる人材が不在なのだろう。そして皇帝がまさかの戦死、側近も全滅とあって、帝国本土も動揺している。


 あまりにも劇的な展開に、公国の欺瞞を疑って、まだ現実を受け止めきれていない可能性すらある……と考えると、頭が痛い。


 が、だからといって放置というわけにもいかなかった。


「ソクフォルも占領されたままですからね……」


 呻くように言いながら、眉間を揉みほぐすヨハネス。


 ロクな宣戦布告もなく始まった侵攻作戦だが、その初っ端に占領された国境の街、ソクフォルは未だに帝国軍の手中にあるのだ。


 魔王子に蹴散らされた帝国軍は算を乱して潰走し、少なくない数が捕虜――もとい保護されたが、大部分はソクフォルに逃げ込み、立てこもり続けている。


 捕虜交換についてさえ、ロクに話が進んでいないのが現状だ。ましてや領土の返還がどうなるか。


 そもそも、次期皇帝すら決まっていない現状、誰を相手に交渉すればいいのか。


「帝国内で後継者争いが勃発するのは目に見えている」


 まるで猛禽のように鋭い眼差しで、オラニオは若き公王を見据えた。


「だが、そのどさくさに紛れて、武力でソクフォルを奪還するのは危険だ。次の皇帝が国家の威信をかけて取り返しにくるかもしれないし、帝国軍全体と殴り合う体力は当然ながら公国にはない」

「心得ておりますよ」

「となれば、次期皇帝になりそうな皇太子に話を持ちかけて、こちらも隣国としての存在感を発揮しながら干渉していくべきなのだが、相手から返事がないことには」


 はぁ、と溜息をついて、書類をパサッと机の上に放り投げるオラニオ。


「……これから、公国は苦しい立場に立たされるだろう。此度の魔王子襲来で『誰が一番得をしたのか』――それを問われると、あらぬ疑いをかけられかねない」


 その指摘に、ヨハネスも唇を引き結んで、姿勢を正した。


 いきなり魔王子が現れて、帝国軍を退、だなんて――


 公国にとって、あまりにも都合が良すぎる展開だからだ。


「禊として、今まで以上に、同盟に貢献しなければならなくなるだろう。民の負担も増していく。私の『悪政』のツケが、全てきみの双肩にのしかかる……」



 ――きみは私の手柄を横取りにしたわけじゃない。



 ――私の負債を、全て背負ってくれているのだ。



「……ふっ。いち臣下の分際で、陛下に態度が大きすぎる。申し訳ございません」

「やめてくださいよ」


 自嘲して態度を改めるオラニオに、苦笑するヨハネス。


「これからも頼りにしてますからね。本気で。本当に本気で」

「……精一杯、お支えしますとも。やれやれ、公国の義士たちがこの光景を見たら、憤死しそうだ。裁きを受けたはずの悪しき代王が、『新風』のヨハネス公へ偉そうな口をきいているのだから……」


 ちなみに、オラニオは対外的には幽閉されたことになっている。


 ただ言動が以前と違いすぎて、部外者にはオラニオだと判別できないので、やり手の側近のひとりというような立ち位置に収まっていた。


「いずれにせよ、国政を安定させなければ。戦争はまだ終わっていない」


 パシパシと頬を叩いて気合を入れ直したヨハネスが、再び政務と格闘し始める。


「そうだな。頑張ろう。そして叔父上を……グラハム公を、お迎えしなければ」


 オラニオもうなずいて、窓の外を見やる。


 現地で老体に鞭打って、公国軍を鼓舞しているであろう叔父を思いながら――



          †††



 ――カェムラン、領主の館の一室。


 公国軍の指揮官たちや、都市国家群の使者たちとの折衝を終えた『御隠居様』ことグラハム公は、ソファに深く腰掛けて、日向ぼっこをしながら休憩していた。


 帝国軍侵攻で倒れたのをきっかけに、以前のような覇気は鳴りを潜めてしまった。老齢とは思えないほどがっしりとしていた体躯も、今はどこか、折れてしまいそうな儚さを感じさせる。


 それでも、粉骨砕身して政務へ取り組む姿勢に、公国の民たちは心打たれ、各国の使者たちも感銘を受けていた。


『ああ、これでこそ、グラハム公だ』――と。


 しかし今は、周囲にはヒェンやジゼルなど、『身内』の者しかいない。


 元公王の仮面も脱ぎ去って、ただただ、疲れ果てた老人がそこにいた。


「……アーサーくんも、アレックスくんも、ダメだったか」


 聖教会からの報告書を手に、窓から、雄大なアウリトスの湖面を眺めて。


「皮肉なものだな……」


 グラハム公は、かつての旅を懐かしむように、噛みしめるように、目を細めながらつぶやいた。



「私のような老人は生き残り……若者たちが死んでしまった」



 その背中は、悲しくなるほど小さかった。



「いやなものだ……ほんとうに……」



 それでも、公国は救われた。救われたのだ……



 嘆息しながら、サイドテーブルに聖教会の書類を置く。



 一般向けではない、詳細な調査結果。対魔王子戦の、判明している全ての情報が書かれた報告書だった。



 戦闘の流れ、魔王子の能力、言動、聖教会側の戦力、等々……



 そして戦死者一覧には、勇者アーサー=ヒルバーンと――



 勇者アレックスの名が、載っていた。

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