455.報いを受ける者
「……はッ!?」
暗闇の中、皇帝リーケン=ホッシュトルン=リョード=カイザーンは意識を取り戻した。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくて動転しかけたが、相変わらず馬車の中にいるらしいと気づいて、どうにか平静を保つ。一階部分、女官たちも折り重なるように倒れて、ぴくりとも動かない。
(死んで……は、おらぬようだな)
自分と同じように、気絶しているようだ。
――魔王子と接触した、あのあと。
リーケンは、咄嗟に隠蔽の魔法で魔王子の前から逃れることには成功した。
だが、階段から転がり落ちて腰を強打してしまい、それ以上は逃げ続けることができず、馬車の一階部分に潜み続けていた。どのみち勇者の結界によって外界とは隔絶されていたようなので、あのまま外へ走ったところで、遠くへは逃げられなかったかもしれないが……
(余は……間違えていた)
己がまだ生きていたことに安堵しつつ、あらためて、恐怖に震え上がる。
(まさか、あのような化け物が、存在するとは……!)
聞かされていた話と全く違う!
魔族とは、あれほどまでに恐ろしく、強大な種族なのか!?
そして、聖教会の勇猛な戦いぶりも、聞いていた話とは全く違った。手塩にかけて育てた光刃教徒がまるで役に立っていなかっただけに、落差もひとしおだ。
前提が、事前に知らされていた情報が、あまりにも現実から乖離している。
――対策しなければ。このままでは、帝国どころか本気で人類が滅びかねない。
(聖教会の言っていたことは……正しかったのだな……)
打ちのめされた気分だった。
……それにしても、戦いはどうなったのだろうか。あまりにも外が静かすぎる。
まさか、魔王子が勝ったのか? あるいは相討ちか……? 馬車の中の女官たちまで気絶しているということは、何か大規模な魔法的干渉があったことは、間違いないはずだが……
相討ちだったらいいな、という気持ちになったが、希望的観測は危険だ。それを思い知らされたばかりでもある。
正直、腰は痛いし、未だに足が震えていて歩行さえままならなかったが、もしも魔王子が勝ったのなら、自分の首を欲していたこともあるし、このまま馬車の中に留まり続けるのが良い考えだとは思えなかった。
兵や女官たちには悪いが、ここはひとまず、生き延びなければ……
(余には、帝国を、人類を、より良い方向へ導く使命があるのだ)
とりあえず帝都に戻ったら、デタラメを教えていた老宰相をシバく、と決心。
再び、隠蔽の魔法を使ったリーケンは、おっかなびっくり、馬車の壁に空いた大穴から外の様子を窺う。
「うっ……」
あまりの臭気に吐きそうになった。血と臓物と泥が混じり合った臭いだ……まさに死屍累々。おびただしい数の兵が倒れ伏している。近衛騎士団は、壊滅してしまったのだろうか。ただ気絶しているようにも見えなくはないが。
ああ……勇者たちは、姿がほとんど見えない。ただ血まみれの聖剣や防具が泥の中に散らばっている。彼らが無事に生き延びた可能性は低そうだ……
この馬車を取り囲む一般兵たちは、月明かりの中でも、遠巻きに動いているように見えた。ただ、こちらの様子を窺っているというか、近づきあぐねている印象を受けた。この、皇帝の身が危うい一大事に、何をぼんやりしているのだ! いや、彼らを責めるのは酷というものか。ひとまず合流しなければ……
そう思って、外に出た矢先。
「【――隠密を禁忌とす】」
ずん、と肩にのしかかる重圧。
異様な、おぞましい魔力の波動。
「あああああああああ……あああああッ!?」
強制的に、喉から声が絞り出された。それが途中から悲鳴に変わる。隠蔽の魔法が解かれてしまった!
「まだ、こんなところにいやがったか……! クソ野郎……!」
ズチャッ、と足音。
そこには――青い血にまみれ、肌が焼けただれた満身創痍の魔王子が、憤怒の表情で立っていた。その体には銀色の鎖が巻き付いており、ちりちりと魔族の青肌を焼き続け、細い煙を立ち昇らせていた。
悪趣味な骨の仮面はもう付けておらず、素顔があらわになっている。あどけなさを残した端正な顔は険しく歪められ、暗闇の中、赤い瞳がぎらぎらと燃え滾っていた。
「お前のせいで……このザマだ」
ひた、ひた、とにじり寄ってくる魔王子。
その手の槍の穂先が、月明かりを受けて鈍く輝く。
「お前にも、報いは……受けてもらうぞ……!!」
「いっ、いやだ!! 誰か、誰か!!」
転がるようにして逃げ出そうとするリーケンだったが。
無造作に突き出された槍が、その足を刺し貫いた。
「ああっ! ぐわああああっ! 誰か、助けてくれええ!」
血を噴き出す足を抱えて、のたうち回るリーケン。
「……聖銀呪を受け継いでおきながら、この体たらく。こんな……こんなやつのために……! クソがァァァ!!」
その背後で、咆哮した魔王子は。
「お前を助けてくれる勇者なんてッ!!」
ドスンッ、と皇帝の腹を槍が貫いた。
「もう――どこにも、いやしねえんだよォォォッッ!!」
そのまま、力任せに、串刺しにした皇帝を天高く放り投げる。
「うわ――ああああぁぁぁぁああぁぁっっ!?」
腹から腰にかけて、冷たく熱い感触が抜けていって、どくどくと液体が流れ出していくのを、リーケンは感じた。
だが、それに危機感を覚える暇もなく、空中に放り出されて。
なんという剛力だ、あっという間に二階建ての馬車を超える高さに。
ぐるぐると天地が回転する。――こんな高さから落ちたら死んでしまう! どうにかしなければ、でもどうやって、せめて足から落ちねば、そして、そのあと逃げなければ、あの恐ろしい魔王子から――
ぎら、と視界に凶悪な光が映り込んだ。
「……ああっ!?」
それは、皇帝専用馬車の屋根に据え付けられた、
帝国の始祖、勇者カイザーンの像と――
その像が天高く掲げた、聖剣。
迫る。
ぐんぐんと迫る!!
ドワーフ鍛冶に打たせた、こだわりの刃が――!!
「ああああぁっ!? うわああああぁあああアアアアアァァァァァ――!?」
皇帝の、驚愕と恐怖に塗れた絶叫は。
「グベァッ」
途切れた。先祖の像が掲げた聖剣に、顔から突っ込んで。
串刺し。磔にされたカエルのように、だらんと手足を広げた皇帝から、ドパッボタボタ……と鮮血が滴り落ちる。
そして、ドワーフ製ゆえの素晴らしい切れ味により、そのまま自重で、ゆっくりと切断され、真っ二つになって。
どちゃりと屋根から落ちた。
……今や、勇者カイザーンの像は、子孫の血で真っ赤に染め上げられている。
竜退治を成し遂げ、無辜の人々のために国を興した勇者の、威厳ある顔つき。だがその表情は、今となっては、まるで激情に駆られているようにも見えた。勇者像の目尻から、涙のように鮮血が流れ落ちていく。
血染めの聖剣が、ただただ虚しく、月明かりに照らされている……。
「フンッ」
鼻を鳴らして、それを見届けた魔王子は。
踵を返してその場を足早に立ち去る。
いや……立ち去ろうと、したのだが。
「ぐっ、ぅ……」
ガクン、と膝を突き、杖のように槍にすがりつきながら、ゲーゲーと嘔吐した。
相変わらず、その手の指輪の宝石は、激しく明滅を続けている。呼吸は荒く、目の焦点も定まらない。吐き気に加え、手足には細かな痙攣まで見られた。
それは、言うまでもなく――危険な兆候だった。
狩人の矜持は、今もなお、魔王子を蝕み続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます