448.勇者の本領
――神の思し召しというものはあるらしい。
アーサーは、遥か前方の魔王子を睨みながら思った。
数時間前のこと。出港したばかりのサードアルン号は、順調にカェムランの沖合を航行していた。
しかし、船守人として甲板に待機していたアーサーは、街が見えなくなってもなお思い悩んでいた。
(あのまま……アレックスを置いてきてよかったんだろうか)
帝国軍の侵攻を聞いたときはあれだけ怒り狂っていたのに、別れ際のアレックスは妙に穏やかだった。
それでいて、その瞳に、断固たる意志の光を宿していた。
前線で幾度となく目にしてきたものだ。あれは、まるで……死地に飛び込む覚悟を決めた勇者の目だった。
何かを『仕出かす』つもりなのではないか。そんな予感がずっと胸の奥でくすぶっていた。だが、そんな疑念を抱くことそのものが、アレックスに対する裏切りのように思えて……
(……まあ、今さら悩んでも仕方ないんだけどね)
もう船は出港してしまった。これから夜の湖を、裸一貫で泳いでカェムランに戻るわけにもいかない。
これ以上、うだうだ考えても無駄だ――それはわかっていたのだが。
いつもと違って、心ここにあらずというか、落ち着かない気分だった――
だからだろう。
『――クラーケンだァ!』
船が揺れたとき、咄嗟の反応が遅れてしまった。【
『【
幸い、レキサー司教が同乗していたため、巨大水棲魔獣は雷魔法に怖気づいてすぐに逃げていった。
だが……
『キャプテン! 船底で浸水が!!』
『どうにか応急処置しやしたが、そう長くはもたねえ!』
『マストにもヒビが入ってやす! 折れてねえのが奇跡だ!』
クラーケンはよほど腹を空かせていたらしい。サードアルン号は少なからぬ被害を受けてしまった。【
船長は、決断を迫られた。このまま騙し騙しの応急処置で船をもたせて、次の港を目指すか。それとも帝国軍に占領されるであろうカェムランに引き返すか……。
『……うむ。仕方ねえ、野郎ども、カェムランに戻るぞ! 帝国軍に積荷を接収されようとも、命あっての物種だ! 面舵一杯!!』
『キャプテン……すまない、僕の反応が遅れたせいで……』
『いやいや、アーサー殿、よしてくださいよ! アーサー殿と司教様がいなきゃ湖の藻屑と化してたんですから。……3回目で妙に慣れてますけど、普通、クラーケンに襲われたら一巻の終わりですからね???』
積荷も船も命も全部おじゃんでさぁ、と苦笑する船長。
そうして――カェムランにどうにか引き返すと、街はさらに混乱していた。
なんと、帝国軍の騎兵が単騎で街道を爆走してきて、そのまま街の門に激突。馬は死に、騎手も大怪我を負って捕虜になったのだという。
『なぜそんなことに?』
『それが、帝国軍の本陣に、ジルバギアスを名乗る魔族が殴り込んできたって話なんです! 件の騎兵は馬が呪詛にやられて、暴走していたらしく……!』
『なんだと……!?』
――人類の敵が、出現した。
それも噂の魔族の王子、ジルバギアスが!!
ならば、聖教会の選択肢はただひとつ。
『……行くぞ!』
かくしてアーサーたちは、ルージャッカら非戦闘員を街に残し、フル武装で帝国軍の本陣へと急行したのだった――
(アレックス……きみが正しかったのかもしれない)
【
当初アレックスが言っていたように、帝国軍を止めるためカェムランの街にとどまっていれば……この事態にもっと早く対応できていたかもしれないのに。
(アレックス、きみは今どこにいるんだ?)
大急ぎで現場に急行してきたので、アレックスの足取りを調べる時間もなかった。彼もここに駆けつけてきたのだろうか? それとも、宣言通りにカェムランを発って今はどこかで夜営しているのか……
(きみがここにいてくれたら、どれだけ心強いだろう)
アーサーの左目、【
それでも、アレックスは闘志満々の勇者。魔族が出たと聞けば、誰よりも先に突っ込んでいったに違いない。
たとえそれが、ひと目で分かる強敵だったとしても……!
(きみと戦いたかった)
今はひとりでも多く、腕利きの勇者の助けが欲しい。
だが今、アーサーのそばにアレックスはいない。
ならばこれ以上は雑念だ。ましてや敵前。
「【
銀色の輝きを身にまとう。
今の自分がなすべきことは。
「――闇の輩に死を!!」
この『
「「【
神官たちが牽制の聖魔法を放つ。ぴったりと息を合わせ束ねた一撃は、極太の光の柱となって馬車を直撃した。どれだけ高出力でも闇の輩しか傷つけない、同士討ちの心配なく放てるのが聖魔法の最大の強み。
視界の果て、魔王子は闇の魔力を展開し、難なく光線を防いでみせる。だが動きは確かに止まった――!
「【
その隙に、アーサーが掲げた聖剣が眩い銀色の光を放つ。呪詛にやられ、膝をついていた近衛騎士たちに、魔除けの加護が与えられた。破邪の光が伝染していき、彼らにまとわりつく闇の魔力を打ち払う。
「――――♪」
ほぼ同時、ヴァンパイアハンターの森エルフ・イェセラが歌いながら、踊るように軽やかな足取りで前へ出る。
その手からこんこんと湧き出す魔法の水を大地に注ぐと、緑の芽が顔を出し、あっという間に若木が育っていく。しなやかな幹を手に取り、弓としたイェセラは――
「【
水の矢をつがえて、天へと放つ。
「【――
ぱぁんっ、と弾けた水の矢が光り輝く雨となって降り注ぎ、近衛騎士たちに活力と勇気をもたらした。
「【同胞たちよ! 恐れるな!】」
そして、近衛騎士たちの間を駆け抜けながら、アーサーは叫ぶ。
「【我が名はアーサー! ヒルバーン家のアーサー! アウリトス湖の勇者王の血を継ぐ者なり!】」
光り輝く聖剣を振り上げて。
「【無辜の人々の盾にして、魔を討ち払う剣。ヒルバーン家の勇者ここにあり!】」
銀色の魔力をほとばしらせる。
「【我が名にかけて、人類の敵を討ち滅ぼさん――!】」
【
「【立ち上がれ! 人族の戦士たちよ!!】」
近衛騎士たちの先頭に立ち、アーサーは鼓舞する。
「【我が力は諸君に加護をもたらし、諸君の勇気は我が力となろう!】」
聖剣を両手で握りしめ、魔王子と対峙する。その姿に、頼もしい背中に、近衛騎士たちの震えが止まり、手に力がこもる――
「【奮い立て! 光の神々の加護は、我らにあり――!!】」
……おおおおおおぉぉッッ、と戦場を震わせる雄叫び。
近衛騎士たちが、いや帝国軍の兵士たちが、立ち上がっていた。
【
まるで流星群のように光の粒がアーサーへと降り注ぐ。その存在感、魔力が爆発的に膨れ上がっていく。
――救世主が、ここに完成する。
「【
アーサーは、その膨れ上がった力を聖魔法に吹き込んだ。
近衛騎士たちを、神官と勇者たちを、そして他ならぬアーサー自身を。
まばゆい光の鎧が覆い、極めて強固な魔除けの加護が与えられた。力が溢れ、戦意が高揚する――
「――笑止!!」
そして、それに冷や水を浴びせるかのように、おどろおどろしい声が響いた。
ジルバギアスだ。
「何が『無辜の人々の盾』、だ! そいつらは侵略者だろうに、無辜が聞いて呆れるわ! 羽虫のごとき弱さには違いないが、守られる価値もありはしない!」
闇のオーラを噴き上げながら、槍を突きつけ叫ぶ魔王子。
「お前に! 魔族に、それを言う権利はない!」
アーサーは叫び返した。
「人同士で相争うときではない――それは事実だ! だがだからこそ、我ら人族の間で決着をつけるべきもの。魔族にどうこう言われる筋合いはない!」
そして、と言葉を続ける。
「我ら勇者も、神官も、軍人も! その本領は人民の盾であり、剣である! 無辜の人々とは、我らの背後にいる人族のこと。彼らのために、我らは戦う! 無辜の人々の安寧を乱す、魔族を、人類の敵を――討ち取るのだ!!」
アーサーは、こちらを見下ろすジルバギアスを睨み返した。
仮面に隠され、その素顔はわからない。だが赤い瞳はぎらぎらと輝き、刃の長い妙な槍を握りしめる手がぶるぶると震えていることから、何らかの激情に駆られていることはわかる。
――ジルバギアス。
公都エヴァロティに攻め込み、陥落させた魔王子。
デフテロス戦線では、アーサーの兄弟や親類も帰らぬ人となっている。
彼らの仇は、必ず討つ。そう心に誓っていた。
たとえ、相手がどれだけ強大であろうとも。
もう自分はくじけず、迷わない。
なぜならば、【勇者アーサー】は【人民の盾であり剣である】!!
そこに疑念が挟まる余地はない!!
「お前をここに倒す! ジルバギアスッ!!」
アーサーは聖剣を構え、魔力をみなぎらせる。
「……よかろう。人族の分際でよくぞさえずった! 叩きのめし、身の程を思い知らせてくれるわ!!」
ジルバギアスもまた、闇の魔力を身にまとい、槍を構えた。
――その背後で。
「【
極大の雷とともに、ヴァンパイアハンターたちが魔王子の背に刃を突き立てた。
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