445.戦場の霧
一方、所変わって皇帝専用の巨大馬車。
皇帝リーケンは、優雅なディナータイムと洒落込んでいた。
車内のシャンデリアに照らされた食卓には、戦場とは思えないほど充実した料理が並んでいる。何を隠そう、皇帝専用馬車には冷蔵庫がついており、皇帝を満足させるに足る最高級の食材を数日分は運搬できるのだ。
新鮮なサラダ、一流のシェフが焼き上げたフィレステーキ、焼きたての白パン、さっぱりとしたワイン、その他一口サイズのチーズの盛り合わせや果物、さらにははちみつやジャムを乗せた焼き菓子まで。
「ふむ、たまにはこのような簡素な食事もいいものだ。戦場の風情があるな」
ステーキを口に運び、舌鼓を打ちながらリーケン。『食事』と言えば浮遊宮殿でのクソデカテーブルで給仕を数十人も動員したフルコースが当たり前の皇帝にとって、このようにシンプルで手がかからない料理を、手を伸ばせば端から端まで届くような『小さな』テーブルで摂るのは、なかなかに新鮮な体験だった。
ちなみに、昼食は臣下たちが最大限に格式高いものに近づけようと頑張っていたのだが、(普段に比べて)ショボい料理が時間をかけて一品ずつ運ばれてくるのがアホみたいだったので、できた順にさっさと持ってくるように命じたのだった。
聡明なる皇帝リーケンは無駄を好まないのだ。宮殿では格式と伝統を重んじる必要があるが……
(たまには、旅に出るのも悪くないかもしれんな。この戦が終われば、全国を遊行してみるのも一興か)
臣下が聞けば色んな意味で頭を抱えそうなことを考えつつ、女官たちに給仕されながら上機嫌の皇帝だったが――
防音がしっかりしているはずの馬車の二重窓の外から、かすかに、叫び声や地鳴りのような音が聞こえてくる。
「む……何やら、騒がしいようだが」
「確認いたします」
女官のひとりがしずしずと下がっていく。しばらくして、例の執事が恭しく報告にやってきた。
「陛下、ご報告いたします。現在帝国軍は、何者かの襲撃を受けております」
「何者か、とは? 公国軍の夜襲か?」
「いえ……」
いつも生真面目な顔を崩さない執事も、このときばかりは困惑しているようだ。
「それが、軍ではなくたったひとり、『ジルバギアス』を名乗る魔族です」
「……なんと。例の魔王国より追放されたという王子か。それもひとりで?」
「はい。少なくともジルバギアスを自称しており、他に仲間は見当たりません。まだ確証が得られておりませんので、お食事中ということもあり、報告が遅れましたこと伏してお詫び申し上げます」
「よい。確かに、にわかには信じがたい報せではある。状況は?」
「夜闇に乗じた奇襲ということもあり、外周部の軽装歩兵に少なからぬ損害が出ている模様です。現在はゲーンバッハ卿率いる重装歩兵部隊が迎撃に向かっており、その後は騎兵突撃と光刃教第1兵団による制圧を試みる予定とのこと」
「おお、鉄壁の布陣だな。相手は魔王子、手抜かりがあってはならぬ。……それにしても、単騎で挑みかかってくるとは。いったい何を考えているのだ?」
ソクフォル占領にいくらか戦力を割いたとはいえ、こちらは万を超える軍勢。いくら蛮族とはいえ、単騎で襲いかかってくるのは蛮勇がすぎるのではないか?
あるいは、他に何か思惑があるのか……
「未確認情報ではありますが……陛下が魔王国打倒を掲げていると聞きつけ、恐れ多くも、『帝国軍がそれに相応しいかを見極める』などと叫んでいるらしい、との報告はありました」
「はははっ! そのために、単騎で軍に挑みかかったというのか。勇ましいことだが自信過剰がすぎるようだな」
「はっ。誠に……」
「しかし、どこで聞きつけたのだろうな」
食事の手を止めて、目を細めるリーケン。
「魔王国打倒を正式に掲げたのは、此度の出兵が布告されてからだ。仮に、魔王子が広大なる余の国土に潜伏していたならば、自然、その布告を耳にしたのやもしれぬ。しかし、帝国内で余の軍勢に挑みかからず、わざわざハミルトン公爵領に入ってから事に及んでいる点が解せぬ」
「はっ。仰る通りにございます」
「もしや、……敢えて『公国』というが、彼奴らは魔王子を匿っていたのではあるまいな。公爵領に送った余の布告文書にも、魔王国打倒について書き記してある。さらに此度の襲撃、あまりに公国にとって都合がよいとは思わぬか」
「……流石は陛下、慧眼にございます」
執事だけでなく、周囲の女官たちも「左様にございますね」「流石は陛下」などと相槌を打っている。
「やはり、魔王軍の手先、猫系獣人どもを庇うような土地柄ゆえ、闇の輩の侵蝕も著しいようだな。公爵領を召し上げる大義名分がまたひとつ増えたのはよいことだが、ここまで腐敗しているとなると……余も遺憾である」
「陛下のご心痛のほど、いかばかりかと拝察いたします」
「……今後の公爵領の貴族、そして領民の扱いも、少々考えねばならんな」
皇帝は憂いを帯びた表情でグラスのワインを揺らし、嘆息してクイとあおった。
「……魔王子が姿を現した方向と、逆側の警戒も厳とせよ。公国軍がこの機に乗じて夜襲を仕掛けてくるかもしれぬ」
「かしこまりました。ただちに発令を」
一礼した執事が下がろうとするが、「ああ、それと」と呼び止める皇帝。
「――魔王子は殺さずに、生きたまま捕らえよ。『公国』の、人類に対する裏切りの生き証人となろうからな」
皇帝の命令に、「はっ……!」と再び一礼して、今度こそ執事は下がっていく。
ディナーを再開する皇帝を背に、馬車の一階に降りて、防音扉を開け外に出る。
途端、戦場の喧騒、怒号や悲鳴、地鳴りのような蹄の音に、大気が魔力に軋む独特な鳴動などが、一気に押し寄せてきた。
「状況は!?」
馬車の外に控えていた上級指揮官や部下たちに、声を張り上げて尋ねる執事。周りが騒がしすぎて、大声を出さねばとてもじゃないがやり取りできなかった。さらに、光刃教のものと思しき多数の発光に目を焼かれ、戦場の様子もまるでわからない。
悲鳴があまりにも多すぎる、あまり喜ばしい状況とは思えないが――
「ゲーンバッハ卿旗下、重装歩兵隊潰走! ゲーンバッハ卿の生死も不明です!」
「騎兵大隊第1、第2梯団が騎兵突撃を敢行! 戦果は不明! 伝令がまだ戻ってきておりません!」
「光刃教第1兵団、出陣! その後の状況は不明です! こちらも伝令がまだ戻っておりません!」
「そうか! ご苦労! 情報が上がり次第こちらにも回せ! また、魔王子の襲撃に乗じて公国軍が夜襲を仕掛けてくる恐れもある。公国軍の夜襲に備えて、周辺の警戒を厳とせよ!」
「『公国軍の夜襲に備え、周辺の警戒を厳とする』。了解いたしました!」
「さらに、前線に通達! 魔王子は殺さずに、生かして捕らえよ!! これは勅令である!」
「『魔王子は殺さず、生かして捕らえる』。了解! すぐに向かいま――」
「伝令ー! 伝令ー! 騎兵大隊第1梯団壊滅!」
そこへ、泥だらけで息を切らした伝令が、なぜか徒歩で駆けつけてきた。通常こういった伝令は馬に乗るものだが――
「「!?」」
「魔王子の呪詛により騎馬が制御不能! 伝令の多くも落馬し負傷しております! 第2梯団は突撃を断念とのこと!」
「な、なんということだ……!」
重装歩兵のみならず、騎兵隊までやられるとは――魔王子の凄まじい戦闘力に戦慄する一同だったが。
「伝令ー! 光刃教第1兵団、魔王子と接敵! 魔王子の呪詛を跳ね除け、押し込んでおります!!」
と、今度は明るい顔をした伝令が駆けつけてきた。
「おお……!」
「流石は光刃教、頼りになるな!」
「帝国軍の最精鋭が相手では、魔王子も分が悪かろう」
ホッとして顔を見合わせる執事とその部下たち。が、ここで執事がハッとする。
「いかん! このままでは魔王子が討ち取られてしまう! 魔王子は生かして捕らえよとの勅令だ、通達を急げ!」
「はっ! かしこまりました!!」
文句ひとつ言わずに、再び伝令兵が駆けていく。戦場でのこういったやり取りは、ただでさえ時間差があってもどかしいものだが、魔王子の呪詛のせいで騎馬が使えずますます時間がかかってしまう。
(頼むぞ……魔王子が死ぬと、陛下の機嫌が著しく悪化する……!)
祈るような気持ちで、伝令兵の背中を見送る執事。
戦場では、正確な情報と、それに呼応する適切な命令が何よりも大事だ。
しかし伝令の時間差や、敵情の流動性、諸々の不確定事象により、最前線で何が起きているかを事細かに把握するのは難しい。
最前線は、まるで霧がかっているかのように、ぼんやりとしか見えない――
(戦場の霧とはよく言ったものだ……)
うぅむ、と唸りながら執事は最前線を、魔王子がいるであろう方向を見やる。
途端、グワッと天を衝くようなとてつもない光の柱が立ち上がり、巨大な剣のようにして地に叩きつけられる光景に目が焼かれる。
「うおっ眩しっ」
なんという大規模な魔法の行使! 光刃教のものとしか思えないが――!
「いかん! 魔王子が死んでしまう~~~!!」
頼むから殺さないでくれ~、と祈る執事だった――
†††
「せいッ!」
「たヮヴぁッ」
俺の刃を受けた最後の光刃教徒が、ブパッと血煙になって飛び散った。
どうも、勇者のパチもん100人斬りを終えたジルバギアスです。
ふぅ……呪詛撃の練習も兼ねてひとりひとり殺して回ったせいで、逃走を禁忌としててもかなり時間を食っちまった。100人殺すには、100回腕を振る必要があるんだよなぁ。
ちら、と陣形の中央部の方を見れば、帝国軍の主力が結集しているように見える。皇帝の馬車は、まだ逃げ出してないよな? 一応、周囲をうろちょろしてた伝令兵も刈り取っておいたから、上層部の動きは鈍ってると思うが……
上空から見りゃ一発なんだけどなー、地上だとどうにも視野が狭くて。まあ、これも戦場ってやつだ。
「よし、ぼちぼち首取りに行くか」
――皇帝の。
もはや邪魔する者はいない。周囲の雑兵たちはみな腰を抜かすか、気絶するか、泣きじゃくるかしている。
真っ赤に染まった大地を踏みしめながら、俺はネチョネチョのしのしと、帝国軍の中枢に向けて歩みを進めるのだった。
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