443.屍山血河


「おおおおおおおおァァァ――ッッ!」


 大気をビリビリと震わせ咆哮する魔王子が、剣と槍が合体したような奇怪な得物を振り回し、手近の不幸な兵士に斬りかかる。


「うっわ、わァッ!」


 咄嗟に盾で受けようとした兵士が、バチャッと湿り気のある音とともに盾ごと上半身を両断され、草地に臓物を撒き散らす。「ヒィッ!」と身を引いた隣の兵士は返す刀で槍の柄に殴打され、身体を折り曲げて吹き飛ばされていく。


「ひええ!!」

「バケモンだ!!」

「そうだ、化け物だ!」


 恐れおののく兵士たちに、歯を剥き出しにして叫ぶジルバギアス。


「これが――貴様らが征伐すると息巻いていた『魔族』だァァァッ!!」


 魔力をみなぎらせ、さらに踏み込む。


「さあ、俺を倒してみせろォォ――ッッ!」


 魔の剣槍が、ひとり、またひとりと兵士たちを屠っていく。


「敵襲ーッ! 敵襲ぅぅ――ッ!」


 必死に逃げながら、兵士のひとりが警笛を吹き鳴らした。


「遅いッ! せめて俺が名乗ったときにやれ!!」

「うわあああ来るなーッごヴォァ!」

「逃げるなァッ! 惰弱な雑兵ども!」

「たっ、助けてくれぇギェ!」

「オラオラどうしたァ! もっと根性見せんかァ!」

「――総員、横隊を組めェ! 相手は単騎ぞ!!」

「むっ」


 恐慌して逃げ惑う兵士たちを押しのけるようにして、隊列を組んだ別の歩兵集団が姿を現した。外周部にいた軽装歩兵より鎧の装甲部分が多く、大きめの盾を装備したいわゆる重装歩兵だ。


 よく鍛えられているのだろう、隙間なく密集した隊形の圧はなかなかのもの。


「ほう。見た目は様になっているが、さて」

「……魔族め! お前の好きにはさせん!!」


 他の兵士より少し派手な兜をかぶった指揮官が、強張った顔で叫ぶ。


「【悪しき者どもの呪いは我らを避けて通る】」

「「【悪しき者どもの呪いは我らを避けて通る!】」」


 重装歩兵たちが唱和し、弱々しい人族の魔力が一体化、より強固な魔力の障壁を形成した。


「皆の者、気張れよ! 死の呪いなどそうそう効かん、己の生命力を信じろ!」


 部下たちに檄を飛ばす指揮官。彼の言う通り、本来、死の呪いとは非常に成功率が低いものだ。


「生きたい」という願いは、生きとし生けるもの全ての本能。この世に生を受け、生きること自体が神々のもたらした奇跡だ。ゆえに、その神秘を真っ向から否定し、確たる因もなくただ死という結果をもたらす呪いは、世界の法則に反するものであり、放たれた時点で大きな抵抗を受ける。


 彼我の魔力がよほど隔絶しているか、対象の生命力が枯れかけているか、あるいは自ら死を望むかしていない限り、魔除けのまじないを唱えるだけでも、死の呪詛は劇的にその効果を減じるのだ――


「少しは道理がわかっている奴が来たな。さて、今度こそ小手調べ」


 ニヤリと笑ったジルバギアスが、再びどろりとした闇の魔力を練り上げた。


「【――死ね】」


 闇色の濁流が盾を構える重装歩兵たちに襲いかかる。


「ぐっ、うおおおお――ッ!」


 歯を食い縛り、肩を寄せ合い、魂が引きずり出されそうなおぞましい感触に抗う兵士たち。何人かが白目を剥いて昏倒するが――死者は出さずに、耐え切った。


「……見たか! 魔族の呪詛などに、我らは決して屈しない!!」

「よし。ではこれはどうだ? 【腕萎えよ】」


 勝ち誇る指揮官に、間髪入れず次の呪詛が叩きつけられた。


「何っ!? うおおお――」


 今度は、世界の神秘を否定することのない、ただ腕力を衰えさせるだけの呪い。抗おうと構える暇もなく、その手に握る剣と盾がとてつもない重量に感じられた。まるで石の塊でも抱えているみたいだ――とても支えきれない!


 重装歩兵たちも、苦悶の表情を浮かべて必死で隊列を維持しようとしているが、盾を支えきれずに連携が乱れてしまう。


 そこへ。


「ふん、雑魚どもが」


 失望の表情を浮かべたジルバギアスが、踏み込む。


 一閃。


 トチュッと軽い音とともに、無防備に盾を下げて喉元を晒していた兵士の首が刎ね飛ばされる。


 崩れ落ちる首無しの身体、その戦列の穴へねじ込むような剣槍の刺突。背後の兵士が刃に撃ち抜かれ、ジルバギアスが槍を振り上げると、鮮血で放物線を描きながら戦列の後方へすっ飛んでいく。柄の殴打で左右の兵士が首が叩き折られ、再び弧を描く斬撃、カァンッヒュカァンッと次々に盾や鎧が両断され、その持ち主たちも同じ運命をたどる。


 怒涛。


 月明かりにきらめく無数の剣閃。まるで竜巻のように、それに触れるありとあらゆるものを薙ぎ倒す、死と破壊の化身がここに顕現する。


「脆い――脆い、脆い脆い脆すぎる! 惰弱ッッ!!」


 ジルバギアスは絶叫した。苛立ちを滲ませて。


 切り裂き刎ね飛ばし叩き潰し撒き散らし捻り潰し吹き飛ばし、返り血に塗れながら兵士たちをひき肉に変えていく狂乱の魔王子。


 重装歩兵たちも、まるで言うことを聞かない己の腕に活を入れどうにか反撃を試みるが、まるで歯が立たない。剣で斬り込めば弾かれて死、盾を叩きつけようとすれば盾ごと切られ死、近寄れば死、密集陣形ゆえに退くこともままならず死。


 これでは、まるで、処刑の順番待ちだ! 


 眼前の魔族は、人型をした死である。


 それを悟った重装歩兵たちの士気が、一気に崩壊していく――


「ひっ、怯むなァ! 圧殺しろォ――!!」


 指揮官が声高に叫ぶが、じりじりと後ずさっていく戦列の動きを、集団の流れを、ひとりで止めることは叶わない。その場で踏みとどまり、戦おうとする指揮官だけが取り残され、突出する形になった。


「残念だったな」


 赤い瞳の戦鬼が、来る。


「いかに兵を鍛えようと、魔法耐性がこのザマでは意味がない。山ほど魔除けを用意するか、勇者か神官を連れてくるべきだった」

「くっ……うおおお!」


 ジルバギアスには取り合わず、呪詛に震える腕で果敢にも斬りかかる指揮官。


 容易くそれを弾いたジルバギアスは、槍の柄で指揮官の頭を強かに殴打。ゴンッと鈍い音が響き渡り、指揮官は白目を剥いて地に沈んだ。


「気骨は認めるが……ん?」


 ブオオオ――ッと角笛の音色が響き渡る。


 ダカカッ、ダカカッと大地が震える。


 ――蹄の音だ。


「騎士団だ! 騎士団が来たぞォー!」


 雑兵のひとりが歓声を上げた。



 見れば陣地の中心部から、騎兵集団がこちらへ突っ込んでくるではないか。



「どけどけェ!」

「道を開けろ!!」

「そいつの首は我らのものだ!!」


 敵襲と聞き、警戒態勢を維持していた騎士たちは士気旺盛だった。これまで要塞戦や街攻めばかりで、出番らしい出番がなかったからだ。相手が公国軍ではなく魔族、しかも単騎だったのは予想外だったが――


「ハイヨォ!」


 ――やることは変わらない。


「おおおおおお――ッ!」

「突撃ッ! 突撃ッ! 突撃ッ!」

「魔王子を討ち取れえええェェッ!」


 騎士たちの勇ましい突撃に、魔王子を遠巻きに包囲していた歩兵たちもワッと蜘蛛の子を散らすように下がっていく。ぽつねんとひとり残されたジルバギアスは「騎兵突撃……? 初めて見るな」とつぶやきつつも、訝しむような表情。


「うおおおおおおお――!」


 長大な騎兵用の刺突剣を構えた騎士たちは、ジルバギアスにぴたりとその切っ先を合わせ、一丸となって騎馬を駆けさせた。無数の蹄の音を響かせて迫りくる騎馬軍団に、なぜか魔王子は逃げもせず、ボーッとその場で突っ立ったまま。


 ――我らの迫力にすくみ上がったか!?


 兜の下、嘲笑を浮かべ勝利を確信する騎士たちだったが。



「……呆れたな。本当にそのまま突っ込んでくるとは」



 すううぅ、と息を吸い込んだジルバギアスは、



「【ガアアアアアアアァァァァァァァ――ッッ!!!】」



 まるでドラゴンが威嚇するように、吠えた。



 獰猛にして凶悪、捕食者そのものな咆哮を直に叩きつけられた騎馬たちがビクンッと震え、にわかに狂乱状態に陥り始める。それも全力の襲歩ギャロップの最中に! 慌てて騎士がなだめようとも、もはや制御不能――


「【足萎えよ】」


 そこへすかさず叩き込まれる呪詛。多少の魔除けの加護があろうとも、受け手が動揺していれば呪いはその弱気につけ込むものだ。


 闇の魔力の波動に撫でられた騎馬が、全力疾走から一転、ガクンと脚の力を失って転倒する。あえなく振り落とされた騎手も、速度はそのまま地面に叩きつけられ、手足や首を妙な方向に捻じ曲げていった。さらに、後続の騎兵も馬体や騎士に脚を取られ、次々に転倒していく地獄絵図――


「ぐわあああぁ」

「ぎゃああぁぁ!」

「あごォ!」


 馬のいななきに、踏み潰される騎士たちの悲鳴が重なり、もうもうと土煙が立ち込める戦場はにわかに阿鼻叫喚の様相を呈す。


「愚かな。魔力弱者の歩兵どもがあのザマだったというのに、それにすら劣る畜生が何の役に立つ?」


 もはや憐憫の情を浮かべながら、ジルバギアスが問うた。


 答える者はいない。みな、それどころではない。


 立派な鎧を踏みしだかれ、血反吐を吐きながら痙攣する騎士。どうにか致命傷は免れたが、手足が折れ曲がってのたうち回る者もいれば、運良く転倒しなかったが制御不能なままの騎馬にしがみつき、あらぬ方向に走り去っていく者もいる。



 ――同盟軍の最前線で、騎兵の姿を見ることはほとんどない。



 砦や城に籠もらなければ、人族ではまともに魔王軍に太刀打ちできないということもあるが、騎馬の群れが魔力強者に対してあまりにも脆弱だからだ。


 極端な魔力強者がおらず、せいぜい火の玉や風の刃が飛んでくる程度の人族の戦場なら、騎兵も機動力と打撃力を発揮できるのだろうが。


 それができないなら、この兵種はただの大飯食らいのお荷物だ。最前線では専ら、偵察や伝令に利用されるのみで、騎兵突撃など過去の遺物と成り果てている――


「貴様らァ! その立派な剣と鎧は何のためにある!? 横着せずに自分の足で攻め込んでこい、それが嫌ならせめてユニコーンかグリフォンにでも乗るんだな!」


 その点、魔獣ならばもうちょっとマシな結果になっていただろう。手懐けるのが極めて困難で、大陸でも運用例は数えるほどしかないが……。



「「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ】」」



 と。



「「【この手に来たれスト・ヒェリ・モ!!】」」



 ズオッ、と戦場の一画が、銀色に染め上げられた。



「そこまでだ! 魔王子め、これ以上は好きにさせん!」

「帝国の敵! 生かしておけぬ!」

「我らの浄化を受けるがいい!」


 陣地の中心から、銀色のオーラをまとった集団が、剣と盾を構えた密集隊形で突っ込んでくる。奇しくも、ジルバギアスが「自分の足で攻め込んでこい」と煽った直後のことだった。


 僧衣の上に鎧を着込んだかなりの重装でありながら、まるで重さを感じさせない風のような疾走。強力な身体強化の証拠――


「おお……! 光刃教の聖戦士様たちだ!」

「勝てる、この戦い、勝てるぞ!!」

「 遅 い ッ !」


 一般兵たちの安堵の声を、罵声がかき消した。



 ――ジルバギアスだ。



「何をちんたらやっていた、この聖教会の紛い物どもめ!! 俺が暴れ出してから、どれだけ時間が経ったと思っている!? 寝てたのか!? ええ!? そしてなぜ、その聖属性の加護を、哀れな兵や騎士どもに与えてやらなかった!? 加護があればもう少しまともな戦いになっていただろうに、その銀色の光は飾りか!?」


 血まみれの槍を振り回し、額に青筋を浮かべて怒鳴りつける。


「やかましい! 浅ましい蛮族めが!」

「我らは紛い物ではない! 聖教会こそ神意に背いた堕落集団よ!」

「光刃教の崇高なる教えと皇帝陛下の威光を、その身をもって知るがいい!」


 イラッとした様子の光刃教徒たちが、ギラギラと剣の刃を光らせながら応じる。



「ア゛ア゛ッ!? やってみろよ!!」



 さらに怒鳴り返すジルバギアス。



 睨み合ったのは一瞬で、両者ともに、武器を振り上げて全力で駆け出した。



 血まみれの魔王子と、輝く銀の兵団が、そのまま一切勢いを殺さずに激突した。

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