442.魔王子降臨
――上空から、帝国軍の陣地を偵察する。
典型的な円陣だな。街道が通る平野部に展開しているが、2万を超える軍勢と聞いていた割には、補給部隊込みでも1万5千程度にしか見えない。ソクファルの占領軍に戦力を割いたのだろう。
『――中心に、すごくピカピカした馬車がありますね――』
レイラが、ちょっと心惹かれた様子で言った。
……ホントだ。目を凝らしたら俺の視力でも見えた。円陣の中央には、金メッキでピッカピカのクッソ悪趣味で巨大な馬車が停まっていた。
まさかと思うが、アレ皇帝専用馬車だったりする?
『――馬車の上に彫像が建ってるのって、人族では普通なんですか?――』
え? いや、初めて聞くな……俺は見たことないけど……
『――ピカピカの剣を掲げた像が建ってますね――』
十中八九、皇帝の馬車だな……そんなアホなことやりそうなのは。てっきり、ソクファルの街で領主の館とかを接収して逗留するもんだと思ってたけど。
『あれほど巨大な馬車となれば、内装も充実しておろう。小国の田舎貴族の館なんぞより、居心地がよいのかもしれん』
アンテの指摘。ありそうな話だ。いずれにせよ、皇帝が最前線まで出張ってきてるなら、色々と手間が省けて助かる。
『――このまま踏み潰しましょうか?――』
いつでも急降下できますよ、という構えでレイラ。ワイルドだねえ。だが、その気になれば実行できてしまうのが、ドラゴンという種族だ。
このまま上空を旋回しながらブレスをお見舞いしたら――あの大軍のうち、何人が対処できるだろう? 森エルフの風魔法や弓の支援なしに、人族が空を舞うドラゴンに打てる手は、あまりに少ない。というか、ない。
レイラが本気出したら、あっという間に蹂躙されるんだろうな……
『――流石にこの人数はちょっと厳しいです、息切れしそう――』
頑張っても半分くらいかな……と
万超えの軍勢を単騎で半壊させられる、それがドラゴンなのだ。魔族が台頭するまで、天と地を統べる最強種族と恐れられていたのは伊達じゃない。
『――わたしも一緒に戦えます、アレク――』
レイラが、どこか硬い声で言った。
『――アレクにだけ、危ない橋を渡らせたくありません――』
『――…………その、危ないというか、渡りたくない橋です。足を載せただけで崩れ落ちちゃいそうで……――』
不安になるくらい、帝国軍は脆く見えるってことだ。
まあ、実際その通りだよ。よほど油断しない限り俺は大丈夫だ。
魔族の軍勢を見慣れすぎた、ってこともあると思う。人族の軍勢は、魔力的な意味で、あまりに薄っぺらく見えてしまう。
ただ、魔力が脆弱でも、個々の力を束ね合わせることで、思わぬ打たれ強さを発揮するのが人族だ。鍛え方次第では何が起きるかわからない。そして相手の練度は、結局、直接刃を交えなければわからない――
それでも俺は、人族のやり口には精通してるから、そうそう後れは取らないよ。
レイラの心意気はありがたいけど、やっぱり目立ちすぎるから、今回はなしでお願いできるかな。
『――むぅ……――』
不満げなレイラ。
……ジルバギアスのお供にホワイトドラゴンがいる、って話を確定させたくないんだよ。ビラで流布された情報だけど、まだ半信半疑の人も多いし、同盟圏に暮らすホワイトドラゴンたちの立場を不必要に悪化させたくない。
『――それでも、わたしは……顔も名前も定かじゃない血族より、アレクの方がずっとずっと大切です……――』
ありがとう。そこまで想ってもらえて……嬉しいよ。
でも、ホワイトドラゴンたちは、きたる反攻の日に同盟の強大な戦力になってくれるはずだから。関係性にヒビが入るような真似は極力避けたいし。
何より、来年の夏まで俺たちは同盟圏に潜伏しなきゃいけないんだ。レイラの正体が万が一バレたとき、今までより誤魔化しづらくなって、色々とヤバい。
『――……確かに、そうですね。失念してました……――』
レイラが嘆息する。牙の間から、ブレスに成り損ねた光の粒子が散っていった。
『――わかりました。今回は、アレクに任せます――』
よかった。
隠蔽の魔法をかけてても、陣地に近づきすぎたらドラゴンだと気取られるかもしれない。あの円陣の外周の近くに俺を下ろして、レイラは素早く離脱してほしい。
もっと色々偵察して守りが薄いところを攻めようか、とか色々考えてたけど、正面突破することにした。流石に公国軍の夜襲を警戒しているのか、隙らしい隙もないみたいだしな。
レイラは上空で待機するか、あっちの山で見守るか……俺も、頃合いを見て街道を北上する感じで離脱しようと思う。俺が追手を振り切ったあたりで、回収してくれると嬉しいな。
『――了解です――』
それから、【キズーナ】の以心伝心をフルに活用して、回収地点候補のすり合わせも完了。
『あーあ、ついにこのときが来ちゃったねぇ』
荷物にくくりつけた刺突剣から、バルバラがフワッと浮かび上がってきた。何とも複雑な心境を滲ませている――
『……まあでも、好き好んで戦争をおっ始めた連中の、自業自得か。自分から攻め込んでおいて、強大な敵と戦いたくないなんて、そうは問屋が卸さないよね』
が、秒で開き直った! バルバラ、流石の切り替えの速さ……!
『アレク! 魔王子を敵に回したらどうなるか、現場の苦労を平和ボケした連中に叩き込んでやんな!』
ははは……俺は笑うに笑えない。本当に魔王子と戦い抜いて、死んでいった者だ。面構えが違う……
そうしている間にも、レイラが徐々に高度を下げていく。
「【――眠れ、アダマス】」
アダマスを抜いて唱えると、渋々と言った様子で身震いした刃がスッと色褪せる。魔王子が、聖銀呪をまとう聖剣を振り回すわけにはいかねえからな。
ごめんな……すぐ終わらせるから。
続いて、荷物から遺骨の塊を取り出し、棒状に。休眠アダマスを先端に取り付け、剣槍とする。
……クソッ、久々なのにしっくりきやがるぜ。年かさの兵士も、遺骨のみんなも、こんなのばっかりでごめんな……
――肩をすくめて、はぁ~~~と盛大にため息をつく年かさ兵士の顔が目に浮かぶようだった。
『……ああ、そうじゃ。顔といえば、お主も隠しておいた方がよかろう』
と、アンテがふと思いついたように提案。
『今後もアレックスとして潜伏するのなら、顔立ちがあまりにジルバギアスと似通いすぎておるからの』
そうだな。まあ最悪、前世に寄せた顔でもいいんだけど、ジルバギアスの顔の作りが知れ渡っても百害あって一利なしか。人相書きとか書かれても面倒だし。
遺骨の余りで、仮面を作る。なんか刺々しくて凶悪なやつ。口元に恐ろしげな牙を生やしちゃうぞ。
手慰みじみた骨の工作なんて久々だ。……思えば、同盟圏に来てからずっと、勇者アレックスとしてやってきた。
人間に戻れたみたいで、楽しかったな。
俺は、仮面をかぶる。いかにも凶悪な魔王子の『顔』を――
迫る地表。レイラが翼を広げて勢いを殺し、土埃を巻き上げながら、地面スレスレで滞空する。
『――またあとで――』
無理しないでとか、気をつけてとか、ご武運をとか――何を言うか、レイラも迷いに迷って、最後に残ったのが「無事に再会したい」という気持ちだったらしい。
俺は感謝の意を伝えながら、【キズーナ】を手放し、地表に降り立つ。隠蔽の魔法がかけられたレイラの姿は、あっという間にのっぺりとした夜空に紛れて、判別不能になった。
……いつも心配かけてばかりで、ごめんよ。
『さあ』
残されたアンテが、密やかに笑う。
『行こうかのぅ』
そうだな、行くか。
――人殺しに。
†††
カイザーン帝国軍、野営地、外周部――。
見張り担当の兵士たちは、焚き火の灯りを頼りに武具の手入れをしていた。
公国の夜襲に備え、今夜は交代制で警戒する。この円陣の中央には、親愛なる皇帝陛下が御座すのだ。万が一にも手抜かりがあれば、末代までの恥。剣や盾を磨きつつ夜闇に目を凝らす兵士たち。
「……ん?」
と、兵士のひとりが、ふと空を仰いだ。
「どうした?」
「いや……なんか、半端なくデカい鳥が飛んでいったような――」
「鳥ぃ?」
つられて見上げるが、なんてことはない、晴れた星空に三日月。
「特に、何も見えな――」
見張りの兵士のひとりが、答えようとした瞬間。
ゴウッ、とすさまじい突風が押し寄せた。
バタバタとはためくテント、焚き火が風に吹き散らされそうになる。
「うわっ!」
「うおおっ!?」
「なんだァ!?」
さっきまで、そよ風すら吹いてなかったというのに! まるで竜巻だ――しかし、それは一瞬で止んだ。
狐につままれたような感覚に陥る見張りたちだったが、陣地中にさざめきのように広がる動揺の声が、今の奇妙な突風が夏の夜の夢ではなかったことを物語る。
不気味な風だった。
まるで――夜の闇が、光を追い払おうとしたかのような。
「なんだったんだ……今の……」
消えかけた焚き火に薪を追加しながら、ひとりつぶやく兵士。
「……んん?」
その手が止まる。足音。街道の向こう、篝火の明かりが届かない暗がりから、ひたひたと何者かがこちらに接近してくる。
盾を構え、剣を抜いた。ひとりの足音しか聞こえないが、陽動かもしれない。他の兵士たちも異変に気づいたか、それに追従して剣を抜き放った。
やがて――篝火の明かりの範囲内に、足音の主が踏み込んでくる。
異様な風体。
中背だ。体つきからして、青年になりかけの年若い少年といったところか。その身を謎の滑らかな白い皮衣で包み、妙に柄が長い古ぼけた抜き身の剣を握っている。
髪は、冷たい銀色。焚き火の暖色の光に照らされてもなお、青白い肌――その顔には、禍々しい骨の仮面を被っており、凶悪な魔獣の角のような髪飾りまでつけているようだ。
この地方に伝わる悪霊を模した仮装、そう言われれば信じてしまいそうな姿。
――いや、まるで悪霊そのもののような――
「止まれ! 武器を捨てろ!」
「ここは神聖なるカイザーン帝の戦陣である」
「ふざけたマネをすれば子どもとて容赦なく切り捨てるぞ!」
殺気立った兵士たちが口々に叫ぶと、ぴたっと立ち止まった『悪霊』は。
「ハッ」
嗤った。
「人族の分際で、帝などと片腹痛い」
その悪霊が顔を上げると同時、兵士たちは、息を呑む。
仮面の眼窩の奥から覗く――真っ赤な瞳。
熱に浮かされたような、狂気じみた視線に射抜かれて。
「闇の輩!?」
警戒度が一気に跳ね上がった。
「何者だ!? 名乗れ!!」
兵士ひとりの誰何に、仮面の下、その唇がつり上がったように見えた。
「よかろう。心して聞け、惰弱なる人族どもよ」
槍を地に突き立て、悪霊はおどろおどろしい声で。
「【我が名は――】」
ずぐん、と世界が揺れた。
「【――ジルバギアス=レイジュ!】」
どろりと溢れ出す、夜の闇よりもどす黒い、強大なる魔力――!
「【魔王国が第七魔王子なり――ッッ!!】」
爆発。とてつもない威圧感に世界が悲鳴を上げる。
再び突風が吹き付けたのかと思った。本能的に後ずさる。震えが止まらない!
ジルバギアス!? 魔王子!? そんな、まさか! あり得ない!
なぜこんなところに――!?
「カイザーン帝国とやら! 人類の希望を自称し、不遜にも魔王国征伐を国是に掲げているらしいな! 貴様らに、果たしてその資格があるのか……この俺が直々に確かめてやろう!」
その手の剣槍を振るう。ビュオゥッ、と風が唸る。
「さあ……まずは小手調べ」
空いた左手に、闇の魔力が練り上げられ――
「【死ね】」
解き放たれた。
まるで堤防が決壊したかのように、とてつもない闇の魔力の奔流が、一気に、兵士たちめがけて押し寄せ。
――呑み込んだ。
悪意と殺意の濁流に、まるで木の葉のように揉まれた兵士たちは。
ぱた、ぱた、と糸が切れた人形のように、倒れ伏す。
「……は?」
驚愕と恐怖を顔に貼り付けたまま、仰向けで倒れ、夜空を見上げる兵士たち。
その瞳には、もはや何も映していない。
――事切れていた。
【死ね】という呪詛で。
30名近い兵士が、ただ、何もできずに即死した。
「……何なのだ、これは」
震え声。
それは、恐れではなく、怒りによるもの。
「舐めているのか、貴様ら……!」
声の主は――ジルバギアス。
他ならぬ、兵たちを呪殺した張本人が、怒りに震えていた。
「……あれだけわかりやすく、溜めを作り、単純で抗しやすい呪詛を放ってやったというのに! 隊列も組まずッ! 魔除けのまじないも唱えずッ!! 何もせずにッ、呆けたまま直に受けて即死だとッッ!?」
爛々と燃える赤い瞳。
「 ふ ざ け る な !」
若き魔王子の怒号が夜空に響き渡る。
「何がッ人類の希望だ! やる気あんのか貴様らァァァ――ッ!!」
激昂した魔王子が、剣槍を振り上げて帝国軍に襲いかかる――
こうして。
後世に、『カェムランの惨劇』と伝えられる戦いは、理不尽極まりない形で幕を開けた。
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