441.別離と真の姿


 ――アーサーは、出港ギリギリまで悩んでいるようだった。


 夕暮れが迫るカェムランの街は、狂乱じみた空気に包まれている。


 猫系獣人をはじめ、帝国軍の横暴を恐れた住民たちが、家財を背負って逃げ出していく。街に残ることを決めた他の住民は、食糧や生活必需品の確保に奔走していた。サードアルン号にも乗船希望者が殺到しているとか……レキサー司教たちがこの場にいて、船長に直に頼めていなければ、もう乗れなかったかもしれない。


「僕は……治癒の奇跡も扱える。帝国軍が市民に乱暴狼藉しようとすれば、止める力もある。カェムラン支部を光刃教徒から守ることもできる。なのに……」


 帝国軍と戦うわけにはいかないが、それでも癒者としてできることは多い。なのに自分アーサーだけ悠々と離脱していいのか? 呑気に休暇を楽しんでいてもいいのか……?


 アーサーは唇を噛み締めていた。レキサー司教たちが前線に向かっていることも、彼を思い悩ませている一因だろう。


 誰かが必死に戦っているのに、あるいは戦おうとしているのに、自分だけのんびりしていいのか。そんな後ろめたさ。


 ……まあ、休暇ってのは本来そのためにあるんだから、思い悩む必要は全然ないんだが。気持ちはわかる……


 とはいえ、ここで「僕は残る!!」とか決心されたら、クッソ困るのも事実。


「俺は、残念だけど、ここでお別れだアーサー」

「え?」


 だからアーサーが妙なことを言い出す前に、機先を制す。


「レキサー司教たちにまで招集が来てるなら、俺の方にも何かあるかもしれない」


 あるかもしれない(まず間違いなくない)。だがアーサーたちは、俺のことを例の『第七局』所属の、特殊部隊員的なヤツと解釈しているはずだ。


「アウリトス湖で、休暇ついでに色々と見聞きしたし……折を見て本国へ報告に戻らなければ、とは思ってたんだ。今は東に向かおうと思う」


 本国(魔王国)。折を見て戻らなければならないと思ってるのはホントだ。


 まあ聖教会関係者が『本国』っつったら普通は聖教国のことなんだけどなァ!


「だから、お別れだ。アーサー」


 俺は、寂しげな笑みを浮かべて、アーサーの肩をポンと叩いた。


「アレックス……」


 肩に置かれた俺の手を握って、唇を引き結んだアーサーは。


「レキサー司教たちも……アレックスも……みんな、自分のやるべきことをやるんだね。それだったら、僕も――!」

「アーサー」


 俺はその言葉を遮って、アーサーの耳元に口を寄せた。


「――まだ、会えてない奥さんとお子さんもいるんだろ?」

「……っ」


 そう。


 次の街からは、またアーサーの妻子たちが待っている。


 カェムランは、公国の西南端の港町。ここからさらに西へ向かえば、公国の領域を抜けて、再びアウリトス湖の都市国家群に戻るのだ。


「こうしている間にも、船がどんどんカェムランを出ていく」


 港で、夕焼けに染まる湖面の上――商船や客船が帆を広げ、慌ただしく次々に出港していくさまを眺めながら、俺は独り言のようにつぶやいた。


「カェムランが占領されたら、当面の間、船が寄り付かなくなるだろう。アーサーもぼちぼち、休暇は終わりなんだろ?」

「…………」

「この機会を逃せば、……奥さんたちと会うどころか、休暇明けの前線復帰にも支障を来すかもしれない」

「…………」


 陸路で移動って手もあるが、公国に留まってたら、帝国軍のせいで何がどうなるかわかんねえしな。


「俺も色々と考えたんだけどさ。やっぱ帝国軍は許せねえし、今すぐにでも殴り込みに行きたいってのが本心だよ。でも……勇者としてできることは、限られてるから、さ……」


 だから。



 アーサーに、微笑みかけた。


「今すぐには、戦争は止められないかもしれない。けど、何かしらの働きかけはできると思う。俺がひとまず、アーサーの分も頑張るよ。だから残りの休暇中、アーサーには家族のことを考えてほしい」


 自分を待ってくれてる家族がいるってのは、いいことだよ。ほんとに。


「俺には……家族らしい家族ってのは、もう、いないからさ……せめて、家族がいるアーサーには……」


 陰のあるイケメン微笑を意識して、俺がダメ押しにそう言うと、アーサーの見送りに来ていた隣のレイラからズオッと無言の圧力を感じた。


「……レイラくらいかな! 家族と言えるのは!」


 ニコォ……ッ。


「それに休暇が明ければ、アーサーは否が応でも、人の何十倍も頑張ることになっちゃうんだからさ」


 俺の身も蓋もない言葉に、苦笑するアーサー。


「でも……そういうアレックスも、まだ休暇中じゃないか」

「俺の場合は、休暇っていうか……特殊な事情があって言えないんだが……」


 刑に服してます……。


「ああ、いいよ。色々複雑だろうからね」


 たぶん、お前が思ってる50倍くらい複雑だよ。


「まあ移動中は、レイラとのんびりさせてもらうさ」


 俺がレイラの肩を抱きながらおどけて言うと、レイラも照れたように笑う。


 アーサーもつられたように笑って……


 しばらく、みなで静かに湖を眺めていた。


「……僕もさ。勇者としてはあるまじきことだけど、ホントに本音を言わせてもらうなら、家族と過ごしておきたい」


 日は沈み、だんだんと暗くなりつつある港で。出港の準備を進めるサードアルン号に目を向けて、アーサーの横顔にも影が差す。


「これで、迫りつつあるのが人類の敵だったら、【僕はヒルバーン家の勇者として、先に逃げ出すわけにはいかない】。でも……良くも悪くも、帝国軍は『敵』じゃないんだよね。本当に、自分でも釈然としないけど……」


 自嘲するように。


「……魔王軍と違って、この街の住民が皆殺しにされるわけではない」


 狂騒状態のカェムランを振り返り、自分に言い聞かせるように。


「魔族の侵攻に比べたら……マシだよね。もちろん、猫系獣人族の人たちには、気の毒だけど」

「それに関しては、俺も同感だ」

「……いいのかな。自分を優先しても」

「いいんだよ。別にアーサーがわがまま言ってるわけじゃないんだから」


 アーサーの背中をポンポンと叩いた。


「これまで、前線で身を挺して人類に貢献してきた。休暇が明ければ、またそうすることになる。勇者として、魔王軍と戦うのがどれだけ厳しいかってことが知れ渡ったら……誰もアーサーに文句は言わないさ。いや、俺が言わせねえ」



 ――広く、知らしめてやるからよ。



 魔王軍と、魔族と戦うのが、どれだけ厳しく困難であるか。



 平和ボケした連中に、俺が、わからせてやるからよ……!



「アレックス、レイラ」


 ふう、と小さく溜息をついて、表情を切り替えたアーサーがこちらに向き直る。


「――きみたちと出会えて、本当によかった。吸血鬼の件ではすごくお世話になったし、夜エルフの諜報員もあぶり出せたし、何より、きみたちと旅していて本当に楽しかった。今回の休暇の、かけがえのない思い出だよ。ありがとう」


 俺は、差し出されたアーサーの手を握り返す。レイラとも握手するアーサー。


「こちらこそ。お前と会えてよかった。色々案内してもらえて、めっちゃ楽しかったし、お土産だって……グラ産メガネ、大事にするよ」

「あはは、使い道はアレだけどね」

「アーサーさん、色々とお世話になりました。どうかお達者で」

「レイラもありがとう。……アレックスと、お幸せに」


 微笑むアーサー。


 おおーい、とサードアルン号から呼び声。もう準備が整ったらしい。


 アーサーがタラップを上り、船に乗り込んでいく。


「……さようなら! また、平和なところで会えたらいいね!」

「ああ! 元気でなー!!」

「さようなら~!」


 アーサーに、サードアルン号の乗組員たちに、そしてレキサー司教たちに、俺は手を振った。


 タラップが外され、錨が巻き上げられ、ゆっくりとサードアルン号が進み出す。


 ……ああ。


 思ったより、寂しいな。


 なんだかんだで、ずっと乗ってきたもんな。あの船。


「…………」


 レイラが黙って、俺の手を握ってきた。


【キズーナ】に触れなくてもわかる。彼女もきっと、寂しく感じたんだろう……。


 そのまま波止場で、サードアルン号を見送っていた。


 だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。


 俺たちには、俺たちで――やることがあるから。


「行こうか」

「はい」


 アーサーたちは、カェムランを離脱した。


 これで……思う存分に。


 俺の使命を果たせる。




 一旦宿屋に戻り、荷物を回収。カェムランの街の門が閉じられる前に、他の避難民たちとともに外に出る。


 アーサーに宣言した通り、ひとまず東へ歩いて行く。普通、旅人は日が暮れたら野営するもんだが、この日はみなが必死で、月明かりを頼りにしてでも夜道を突き進んでいく。


 折を見て、避難民の群れからさり気なく離れた俺たちは、隠蔽の魔法を使いつつ、街道を外れて木立に踏み入る。


 そのまま、分け入っていく。茂みの奥へ――人目を避けて――


「このあたりかな」

「広さは十分です」


 森の切れ目というか、ちょっとした空き地のような場所に出た。


「【隠密を禁忌とす】あああ――」

「あああ――」


 俺たちの周囲で、一斉に虫たちがリリリリと鳴き声を上げ、小動物が跳ね上がり、鳥たちがバサバサと飛び立っていく。


 だがその中に――人の声はない。無人だ。


 レイラがいそいそと、服を脱いでいく。その間に俺も改めて荷物を整理。



 やがて、白い肌に食い込む革紐の他、一糸まとわぬ姿となったレイラが――



 月明かりの下、ゆらりと輪郭を滲ませて。



 ――強大な、白銀の鱗と翼を持つ姿を取り戻す。



「んん……っふぅ。久々にこの姿に戻った気がします」


 やや金属質な声を響かせ、ある種の肉食獣を思わせる動きで伸びをするレイラ。


 軽く翼も動かしてみる。たったそれだけで、風が吹き寄せるかのよう。


 やはり生物としての格の違いを感じる。特に今の――『人族』の姿では。


「実際、かなり久々じゃないかな」

「ちゃんと飛べるか不安ですね……」

「ははは」


 神妙なドラゴン顔で言うレイラに、思わず笑ってしまった。


 元々うまく飛べなくて思い悩んでいた時期もあったのに、冗談めかして言えるようになったと思うと、感慨深い。


 荷物を、【キズーナ】が変化した鞍にくくりつけて、俺も飛び乗る。


 隠蔽の魔法よし。ベルトよし。


『――いきます――』


 軽く身を屈めたレイラが、翼をぐんっとしならせて、羽ばたいた。


 飛び立つ。


 凄まじい加速。ぐんぐんと舞い上がる。雲ひとつない星空へ――やはり、空を飛ぶのは格別だ。だってのに、胸の高鳴りを抑えられない。


 いや――こんなとき、だからこそかな……


 あっという間に、雲の高さまでやってきた。レイラも久々の飛行で高揚しているようだ。高度は充分。アウリトス湖に目をやれば、日は完全に沈み、水平線の果てまで黒く染まっている。


 静かに浮かぶ三日月が――夜の女神が、この地を見下ろしていた。定命の者たちの狂騒を、どこか冷ややかに。


 なだらかな起伏を描く地表は、ぽつぽつとした松明や篝火の灯りの他、とっぷりと闇に沈んでいる。



 さあ――闇の輩の時間だ。



 俺は、人化の魔法を解除する。


 ――まるで霧の中にいて、一気に視界が開けたみたいだった。世界を構成する全ての要素が、つぶさに感じ取られるようだ。それでいて自分以外の何もかもが、薄っぺらくなっていく。物の理が萎縮し、俺を忌み嫌う。鞍の下で、レイラが体を震わすのがわかった。俺の強大な魔力に、陶然としている――


 頭に手を伸ばす。


 忌々しい、曲がりくねった角。


 魔族の、証。


 今や、俺の赤い瞳は、夜闇をまるで昼間のように見通す。


 視線を転じれば、カェムランから伸びる街道の先に、多数の篝火。



 ――帝国軍の野営地。



「魔族を征伐すると豪語した、その実力――」



 俺は、魔族らしく、敢えて獰猛な笑みを浮かべた。



「見せてもらおうじゃないか……!」



 その代わりといっちゃなんだが、教えてやるよ。



 大公級の魔王子が戦場に出たら。



 ――何が起きるのかを、な。


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