440.戦場の呼び声
「レキサー司教! なぜここに?」
突然のヴァンパイアハンターたちの登場に、アーサーも意表を突かれたようだ。
少し表情を陰らせたレキサー司教は、
「実は、我々も招集されてな。北部戦線に向かう途中なのだ」
「招集……?」
信じられない、とばかりにオウム返しにするアーサー。
「うむ。どうやらよほど切羽詰まっているらしい」
レキサー司教も深刻な顔だ。
マジかよ……ヴァンパイアハンターが、前線に?
言うまでもなく、彼らは吸血鬼狩りに特化した精鋭だ。レキサー司教が人族の中で上位クラスの魔法戦士であり、新米勇者よりよほど頼りになるのは確かだが――戦場での真正面の殴り合いには、どちらかというと向いていない。
ヴァンパイアハンターの真骨頂はその追跡力にあるわけで、戦闘に関しては良くも悪くも対吸血鬼に特化している。軽装で盾もあんまり使わないから、夜エルフの狙撃とか苦手だしな。
聖教会の人材が枯渇しつつあるせいで、ヴァンパイアハンターの数は年々減らされつつあり、その分普通の勇者や神官が育成されているのが実情だ。だからこそ、選ばれた数少ないヴァンパイアハンターは、後方で吸血鬼狩りに専念しているのだが……
「まあ、これまでずっと安全な後方で、吸血鬼狩りと洒落込んできたからな。前線の同志たちの苦難を思って、後ろめたさを感じることもあった。その埋め合わせをできると思えば悪くない」
表情を切り替え、あごひげを撫でながら飄々とした態度でレキサー司教。俺は胸の奥がギュッと引き絞られるようだった。強がっている……というわけじゃないが、精一杯前向きに頑張ろうという心意気が感じられたからだ。
前線に比べると、そりゃあ後方が安全なのは確かだけど……吸血鬼狩りはそんなに楽な仕事でもないのに……。
それにしても、ヴァンパイアハンターにお呼びがかかるほど北部戦線やべえのか。俺が出国したときは、木っ端氏族の連合軍が攻めてて侵攻速度はぼちぼちって感じだったけど、交代したのか? 今はどこの氏族が攻めてるんだ……?
「前線に向かわれる途中ということは、カェムランには一時滞在を?」
と、俺は尋ねてみた。魔王国の情勢はひとまず置いておいて、レキサー司教たちがサッサと他所へ移動してくれるのではないか、という希望を抱いたからだ。
「いや、滞在というか通過するつもりだったのだが……参ったな」
レキサー司教は、いつも頼もしげな彼にしては珍しく、困り果てた顔で後頭部に手をやる。
「カェムランから街道を北上して、帝国経由で北部戦線に向かう予定だった。しかし街道は帝国軍が押さえていて、国境も厳戒態勢という話だからな……さらに光刃教とかいう連中のせいで、トラブルなく通過できるかどうか」
ソクフォルの支部の一件で、ピリピリした空気が漂っているのだそうだ。
「だから、我々も頭を悩ませていたんだ。このまま……その、なんだ、街道が空くのを待つというのも何だし、となると少し迂回することになるが、アウリトス湖の最西端まで船で向かって、そこから陸路で移動した方がいいかもしれない。西行きの船が見つかるまで、カェムランに滞在することになるな」
あるいは西まで湖沿岸を走っていくかだが、と肩をすくめるレキサー司教。
「西行きの船……」
アーサーがチラッと俺を見てきた。うん。サードアルン号は、カェムランから西へ向かう予定だった。
ただ、ここにはあと2日ほど留まる予定だったんだよな……2日か。
2日かぁ~~。
俺が唸っていると、外からドタドタと足音が聞こえてきた。
「大変でさぁ、大変でさぁー!」
「帝国軍が南下してきているらしいわ。明日の朝にはカェムランが包囲される可能性が高いって」
目隠しをした狼獣人と、彼の手を引く森エルフが聖教会に入ってきた。
ゲェッ!! 『鼻利き』のルージャッカに、ヴァンパイアハンターの森エルフ射手イェセラ! レキサー司教が来てるなら、ふたりがいるのも当たり前か……!
ってか、帝国軍がもう南下!? 早くね!?
やべえぞ……グラハム公は何かを仕掛ける素振りを見せていた。戦局が動くまで、そう時間は残されていないかもしれない……
っていうか帝国軍が近すぎる! ここでジルバギアスが姿を現したら――アーサーだけじゃなくレキサー司教たちまで確実に出張ってくるぞ!!
そして何よりマズいのは――
「すんすん……あっ、この匂いは! アレックスさんとアーサーさん、お久しぶりでさぁー!」
ルージャッカが空気の匂いを嗅ぎ、人懐っこく手と尻尾をブンブン振ってくる。
コイツ……ルージャッカは、ヤバい! 生まれつき視覚を持たない代わりに、嗅覚が恐ろしいほど冴え渡ってる奴だ!
俺が帝国軍相手にひと暴れしてレイラの翼でトンズラしたとしても、コイツが検証に出てきたら……現場の体臭で、俺たちのことがバレかねない!
絶対に、それだけは避けなければ……!!
『ふふふふふ……殺せばよかろう? こやつも……』
アンテの幻想が頬を撫でてきて、俺は思わずその手を跳ね除けようとしたが、すり抜けた。幻なので。怪しまれる前に、頭をかくフリをして誤魔化す。
「や、やあ、ルージャッカ、奇遇だな……」
「元気そうで何より。できればもうちょっと平和なところで再会したかったね」
「ははっ、まったくでさぁ」
ぎこちなく挨拶する俺に、肩をすくめながらアーサー。ルージャッカも気さくに答えて、ハァと溜息をついた。
「人族のみなさんも……戦争なんてやってる場合じゃないと思うんですがねー」
……沈黙の帳が降りた。前代未聞の招集を受けたヴァンパイアハンターの面々からすれば、やるせなさもひとしおだろう。
クソッ……どうする!?
もともと、俺が帝国軍に殴り込んだら、アーサーを含むカェムランの聖教会と全面戦争になりかねないって頭を悩ませてたのに……
そこにレキサー司教たちが追加され、さらには『鼻利き』ルージャッカまで加わっちまった!
『簡単なこと。こやつらを裏切り、皆殺しにして後顧の憂いを断ってから帝国軍に当たるか。公国を見捨てて帝国に蹂躙されるがままにするか……その二択よ』
ふわりと空中に浮いたアンテの幻想が、逆さになって俺の顔を覗き込んでくる。
『さぁ……どうする? 我はどちらでもよいぞ? どちらでも美味い……♡』
~~~~~っ!
……はぁ。冷静になろう。
アンテ。頼むから煽ってくれるな、俺は真面目に考えたいんだ。
『ふむ。まあよかろう』
難易度や実現可能性はさておき、俺が取れる行動を検証していくか。
・公国を見捨てる
……心情的にはすごくイヤだ。そりゃあ、公国が滅んだとしても、同盟にとってはそれほど大きな影響はない。だが理不尽に攻め込んできた軍勢が国土を蹂躙する、という構図が、魔王軍と重なって見えて許せねえんだ。
公国側に感情移入というか、肩入れしちまってる自覚はある。ご隠居と面識があることも無関係じゃない。
これは俺の個人的心情に過ぎないので、一旦、排除して考えていく。
公国を見捨てて手出しをしなかった場合、アーサーやレキサー司教たちと戦わずに済むというメリットがある。もちろん俺の正体がバレる心配もない……
対するデメリットは、何と言っても、『魔族の恐ろしさを知らしめる』という目標が達成できないことだ。
・帝国軍を襲撃する
いくつかメリットがある。『公国が蹂躙されるのを止められる』『ご隠居を手助けできる』、そして上述の『魔族の恐ろしさを知らしめられる』こと。
同盟圏後方に来てから、ずっと目についていた問題だ。夜エルフどもの工作のせいで、前線の窮状と危機感、魔族の強さと残忍さが正しく伝わっていない。何だか知らんが、みんな能天気に魔王軍を舐め腐り、同盟と聖教会の必死の努力を軽視していて、ついには戦争まで起きちまった。
――人類に内輪揉めしている余裕なんてない。
それをきちんと認識してもらうために、どうすればいいか。
俺はこれまでずっと考えてきた。
帝国軍の襲来は、言葉は悪いが、その絶好の機会なんだ。俺がジルバギアスとして派手に暴れ回り、血の雨を降らせ、終いには皇帝の首まで獲ってみろ。大陸中が震撼するに違いない。
逆にこの機会を逃せば――もはや平和な街で虐殺するくらいしかなくなる。こんな戦争がいくつもあって堪るか、って願望もあるが、ここまで一方的に片方に非がある武力衝突も珍しいはずだ。俺としては、俺自身が誰かにとっての
そういう意味でも、帝国軍は気兼ねなく戦える相手だ。
無論、万超えの軍勢に単身殴り込むのは相当キツいが、聖教会の支援がない人族は悲しくなるほど脆い。大公級の今の俺なら、イヤになるくらい大暴れできるはずだ。転置呪が使えなければ、こうはいかなかっただろうな。
不確定要素は、帝国貴族と光刃教徒だ。特に、光刃教の魔法戦士の仕上がり次第で難易度が激変する。
ここで帝国軍を襲撃する理由のひとつに、その実力を見極めたいということも挙げられる。
もしも帝国が、俺を苦戦させるぐらい強力な軍を組織しているならば――死ぬほど業腹だが、やがて帝国を魔王軍にぶつけるというプランも存在しうる。
その場合はもちろん、公国を見捨てることになる。帝国が魔王軍に接触するということは、帝国の西にあるエルフの森も焼き払われている前提なので、あまり考えたくないが。
逆に、帝国軍と光刃教がアホみたいに惰弱だったなら。
――同盟圏に危機感を持たせるための生贄になってもらう。
容赦は、しない。二度とふざけた真似ができないよう、皇帝もブチ殺す。ま、流石に万の数を殺し尽くすのはムリだから、雑兵は生かすことになるな。
ただ、このシナリオの問題点は――
『アーサーたちがお主を殺しに来ることじゃなっ!』
鼻息荒いのやめい。
……冷静に考えたら、その場合の選択肢はふたつあるな。
アーサーたちと交戦するか、アーサーたちが来たら逃げるか、だ。
『聖教会が出張ってきた途端、尻尾を巻いて逃げ去ったら、それこそ魔族の沽券に関わらんか? もちろん、同盟に対してという意味じゃ』
うぐ……そうなんだよな。聖教会の頼もしさというか株は上がるかもしれないが、刃を交えずに逃げ出したら、魔族がますます軽んじられるかもしれない。
ジルバギアスの評判が下がるのは構わねえんだよ、夜エルフ諜報網はズタボロだから魔王国に情報を持ち帰れる奴もほとんどいねえし。でも「やっぱ魔族って聞くほどでもないじゃん(笑)」みたいなノリで人々が受け止めるのはよろしくない。
「こんなの相手に前線が押されてるなんて、やっぱ聖教会って真面目にやってないんじゃないの?」なんて方向に転がったら目も当てられねえ。
かといって、交戦してしまうと……アーサーがなぁ。
【アーヴァロン】の障壁、ブチ破れるかなぁ俺。
本気を出せばイケそうな気がするが、もしもアーサーが底力を出してきたら、ちょっとやそっとじゃ突破できなくなるかもしれない。
そしてこういうとき、たいがい、英雄ってやつは……
恐ろしい力を発揮するんだ。
そうなると、【名乗り】の二重がけ、アダマスの真の姿の解放も考慮しなきゃいけなくなる。ジルバギアスとして暴れるときは、アダマスを封印状態で使う予定だが、真の姿を解放しちまったらアーサーも剣を見ただけでアダマスってわかるだろう。
自動的に、俺の正体もバレちまう。
そしたら結局、アーサーを殺さねばならない……。
クソッ。
『……一応、じゃが、別の選択肢もある』
アンテが、死ぬほど嫌そうに指摘してきた。
『正面から帝国軍を攻撃せず、レイラで後方に移動して、補給線を叩くのじゃ。集積された物資を破壊し、レイラを知られたくないなら目撃者も殺し尽くし、素早く飛び去る。これを繰り返せばよい』
……なるほど。戦略的に相当な打撃だな。
万超えの大軍が補給を失えば、あっという間に瓦解する。ついでに帝国側まで侵入して、こちらに移送中の物資もまとめて焼いちまえば、帝国軍は公国から撤退せざるを得なくなる……
ただコレ、『魔族の恐ろしさを知らしめる』って目標は達成できねえな。万が一、目撃されたとしても『ホワイトドラゴンの恐ろしさ』だ。
なるべく死者を出さないようにすれば、公国の救世主ホワイトドラゴン伝説になるかもしれないが……
いや待てよ、それでも帝国軍が無傷だったら、食い詰めた軍が略奪し始めて……
周辺集落が酷い目に遭って、むしろ公国が荒れ果てるのでは……?
『くけけ』
……ッテメェーそれが狙いかッ!!
ふざけんなよッマジで。遅効性の毒を仕込むな!!
『いやだって……お主が苦しむし……』
……アンテ、お前あとで実体化しろ。今のは頭にきた、少し痛い目を見てもらう。
『おっほ♡ 我を酷い目に遭わせるつもりじゃな!? そしてとても口に出せぬような恥辱を味わわせるつもりじゃなッ!? レイラみたいにッッ!!』
ええいっ興奮すんじゃねえ! 無敵かテメェはッ! あとレイラにはそんなことはしてねえーッ!!!
…………はぁ。
「アレックス……どうかしたのかい?」
「あ、いや……ちょっと色々考えてて、どっと疲れが」
「……無理もない。あまり思い詰めないで」
ぽん、とアーサーが励ますように肩を叩いてきた。うう……。
『ふふふ。まあ詫びというわけではないが、ひとつ真面目な提案をしてやろうではないか。――ここでアーサーたちと別れ、聖教国かどこかへ向かったと見せかけつつ、アーサーたちがカェムランを離れてから、帝国軍を襲撃するという手じゃ』
あ、そっか、その手があったか!
……いやでも、早くて2日後だろ? カェムラン陥落しねえかそれ……?
『するじゃろうなぁ、おそらく』
アンテがニタァと笑う。
『グラハム爺も、あのざまではそう遠くへ逃げられまい。アーサーたちを救うため、お主はご隠居とカェムランを見捨てるのじゃ』
…………ッ!
『さあ……どうする? 現実的な妥協だと思うがのぅ……?』
…………。
瞑目する。
『――短かったが、君との旅は楽しかったよ。色々とありがとう』
穏やかな、好々爺然とした笑顔が瞼の裏に蘇った。
アーサーとグラハム公、か。
――考えるまでもない。
アーサーだ。
こいつは人類の英雄だ。対して、グラハム公は名君とは言え、小国の王。しかも後継ぎのヨハネスは、公都へ救援を呼びに脱出する。希望は残される……。
カェムランは占領されるだろう。マーティンの遺書が届くよう手配した、潰れかけの商会のことを思い出す。
奥さんと、まだ小さな子どもたちも残されてるんだっけ。帝国軍がどれだけ紳士的なのかはわからないが……まあ、ある程度横暴だったとしても、魔王軍と違って住民が虐殺されるようなことはないはずだ。猫系獣人の住民は今日中にサッサと逃げ出すだろうし……
俺にとって、同盟にとっての被害は、最小限に抑えられる。
見捨てるべきは――グラハム公とこの街だ。
俺が結論に至った瞬間。
タッタッタ、と外からまた足音。
バタンッと聖教会の扉が開いて、汗だくの男が入ってきた。
「あっ! アーサー殿、アレックス殿! ここにいてよかった!」
――サードアルン号の船長だった。俺たちの姿を認めて、ホッと胸を撫で下ろしている。
「キャプテン。どうしたんだい? そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもありませんよ! 帝国軍が迫ってるそうじゃないですか」
アーサーの問いかけに、額の汗を拭った船長は、「その~……」と少し口ごもってから。
「……あまり大きな声じゃ言えないんですが、仮に帝国軍がこの町を占領したら、船の積荷が接収されちまうんじゃないかって気が気じゃないんですよ。なので、お二方に相談なんですが、その~、早めに出港しても構いませんかね?」
にへらと愛想笑いを浮かべて。
「できれば――今日の夕方にでも」
……!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます