438.大義と責務
「うむ……よくなった、ありがとう……」
幸い、俺がダッシュで連れてきたアーサーの治療により、グラハム公は一命をとりとめた。
一命をとりとめたっていうか、完治した。アーサーは人族では最上位クラスの欠損も治せる
このカェムランの街にアーサーがいたことが、グラハム公にとって最大の幸運だったかもしれない。そんなグラハム公は今、領主館のお客様用の部屋みたいなところで天蓋付きベッドに寝かされている。
「目眩や頭痛はありませんか?」
「何もない。大丈夫だ」
念入りに治癒し続けるアーサーの手を、そっと押し留めるグラハム公。
「だから、これ以上は意味がない……」
ふぅ、と小さく溜息をついて。
「私ももう歳だ……寿命が、近づいておる。それがはっきりわかった……」
生死の境を彷徨い、グラハム公は一気に老け込んだようだった。目は落ちくぼみ、シワが深くなって、顔色も悪いまま。どうにかベッドから起き上がろうとするが、手足に力が入らないようだった。
傷は癒えたが、根本的に生命力の上限が削れちゃったみたいだな……アーサー、というか普通の癒者の限界だ。『聖女』リリアナと違って、生命力、つまり肉体が生きようとする力を復元することまでは、できない。
「陛下……」
ベッドのそばに控えたカークが、見ていられないとばかりにグラハム公を止めようとしたが、それを意に介さず、死の淵から蘇った老王は歯を食い縛って無理やり上体を起こした。
「国の存亡がかかった一大事に、この体たらく。情けないことだ……」
シワだらけの自らの手を見つめて、沈痛の面持ち。
「……ハミルトン公国は、小国に過ぎぬ。アウリトス湖の都市国家群と力を合わせねば、帝国からの独立を維持するのは難しい」
そして、独り言のように語り始めた。
「だからこそ、その舵取りを担う公王は、聡明な指導者であり、優れた魔法使いであり、強き戦士でなければならぬ。国難にあって、先頭に立ち、危険に身を晒す覚悟と度量がなければ、民はついて来ぬ。最終的に最も血を流すのは、民なのだから。彼らに『死ね』と命じる者にも、相応の責任が求められる……」
それは同時に、誰かに言い聞かせているかのようでもあった。
「極論、民にとっては、指導者は誰でもいいのだ。最も大事なのは、その指導者が民を富ませ、幸せに暮らせるようにすること。それが公王であるか皇帝であるかは、民にとって些細な違いに過ぎぬ」
一国の王の言葉と思うと……なかなか大胆だ。俺、これ聞いてていいのかな。
「であれば、公国の支配者は、別に皇帝でもよいのではないか? 公国は帝国のいち領土に戻ってもよいのではないか? ……答えは、否である。なぜならば、帝国は、皇帝は、民の幸福など意に介さないからだ」
突然、グラハム公の言葉に力がこもった。
その瞳に、ぎらぎらとした光が灯る。
「オラニオが言っておった。留学で帝国の実態を目の当たりにしたと。帝国の豊かさは上辺だけで、民からの搾取によって成り立つ幻想に過ぎぬと。豊かさを享受できるのはほんの一握りに過ぎず、民の大半は重税と重労働にあえいでおる。果たして、当たり前のように民を酷使する者共が、公国を手中に収めたとして……民を大事にするであろうか? 断じて否! 奴らの目当ては、鉱山と港に過ぎぬ……!」
グラハム公が、険しい顔のままヒェンを見やった。
「我らが数百年、ともに歩んできた猫系獣人族を……公国の民を、言いがかりひとつで手にかけるような者たちだ。また別の理由を作り出して、公国人を迫害するに違いない。そのような国に、この地を任せられるものか……!
ゆえに、我らは戦わねばならぬ。それが多大な出血を招こうとも、未来の民たちの苦しみを思えば、少ない犠牲と言わざるを得ぬ。
だが、血が流れるのは事実。その責任を負い、また自らも血を流す覚悟を示すべきは、公王よ……!!」
グラハム公は首元に手を伸ばし、チェーンを引っ張って、例のペンダントを取り出した。
そして――スッ、と視線をハンスに向ける。
「ヨハネス」
「……はい、お祖父様」
ベッド脇に進み出たハンスが、膝をつく。
えっ、ヨハネス? ん? グラハム公の孫だっけ? 帝国に留学する途中、馬車が崖から落ちて死んだって話じゃ……
……まさかそれは公国側の狂言で、帝国に人質に取られるのを防ぎつつ、これまで身を隠していたってことか!?
「顔を……見せてくれぬか」
グラハム公の言葉に、ヨハネス(?)が下顎のあたりに手を伸ばして、ペリペリ、ゴソッと皮を剥いだ。
えっ……変装!? 夜エルフもびっくりなクオリティの特殊メイクじゃねえか! いったいどうやって――ああ、ジゼルか。アイツくらいしか心当たりがない。
にしても、目の下から頬にかけてのラインがガッツリ変わって、野暮ったい田舎者の顔からいきなりシュッとした美青年になったな……
『こりゃ変装するはずじゃ。街中で歩いとったら目立つわ』
確かに。アーサーくらい目立つ……!
ハンス……お前……王子様だったのか……!?
「……クリスティーネに、ますます似てきたな」
ふっ、とグラハム公が、柔らかく微笑んだ。あとから知ったが、それはヨハネスの母、故・公王妃の名前だった。
「ヨハネス。お主には辛く、厳しく当たってきた。しかし全てはこの日のためだったのだ。王たるもの、強くあらねばならぬ。そしてこの旅路で、お主も学ぶことが多かったであろう。民あっての国。国あっての王だ。それをお主に伝えたかった……」
そっと目を閉じたグラハム公は。
「許せ……」
静かに頭を下げる。
「はい……お祖父様。わかります。わかっております……!!」
ヨハネスの声は震えていた。顔を上げたグラハム公が、鬼気迫る様相でヨハネスの手にペンダントを握らせる。
「お主に、このペンダントを譲る。公国の正統な後継者として、公都で挙兵し、都市国家連合からの救援が来るまで、オラニオと協力してこの国難にあたるのだ。あやつなら、危機を悟った時点で道化のフリを辞めておろう。公都には、演習と武道大会で戦力が集まっておるはず。この機を逃す手はない……!」
「……はい! しかしお祖父様は、いかがなさるのです」
「私は、この地に残る。可能な限り帝国軍の占領を遅延させねばならぬ。幸いなことに、皇帝本人が前線に出てきておる。ならば――」
そこまで語って、グラハム公はふと口をつぐんだ。
そして、穏やかな顔で、俺とアーサーを見やる。
ああ……俺たち部外者だもんな。しかも聖教会は中立であって、公国の『味方』ではない。
これ以上は、聞かせられない、か。
「アーサー殿。迅速にして完璧な治療、痛み入る。謝礼は追って、公都から届けさせよう。ありがとう」
「いえ……、勿体なきお言葉」
「アレックス殿。短かったが、君との旅は楽しかったよ。色々とありがとう」
続いてこちらに微笑みかけてきたとき、グラハム公ではなく、ご隠居の顔に戻っていて……そんな、遺言みたいな……。
俺は、なんと答えていいのか、わからなくなってしまった。ひとりの隠居爺さんとして、酒場で酒を呑んだり、うまそうに庶民飯を食ったり、ヒェンやヨハネスと稽古したり。俺がヨハネス公子ともども頭スパァンしちゃったり、そんな思い出が、次々に蘇ってきて……
「どうかふたりとも、健やかで」
実質、それが別れの挨拶だった。
「……失礼します」
アーサーが一礼して下がり。
「ご隠居様も……どうか、ご武運を」
俺もそう告げて、部屋を出た。
†††
無言のまま、俺とアーサーは領主の館を辞する。
「なんつーか……色々と衝撃だった」
しばらく歩いて、やっとこさ出てきたのが、そんな言葉だった。俺はカカシみたいに突っ立ってただけだけど、いきなりヨハネス公子は出てくるし、オラニオ公が道化のフリをしていたみたいなことサラッと言ってたし……情報量が多かった。
っていうか、そもそも。
「まさかご隠居が公王だったなんて……びっくりだよ。なあ!?」
俺が共感を求めると、なんかアーサーがすげー微妙な顔でこっち見てくる。
「うん。まあ……知ってたけど」
え!?
「というか、アレックスとレイラ以外、ニードアルン号……じゃなかった、サードアルン号の乗組員も全員知ってたんだけど」
ええ!?
「なんで……早く教えてくれよ!!!」
魂の叫びだった。こちとら何も知らずに公王と公子の後頭部を引っ叩いちまったんだぞ!? どうしてくれる!!
『うぇっひっひっはっはっは!』
アンテが爆笑してる。テ、テメーッ、まさか勘づいてやがったな!?
「いや、教えてあげたかったのは山々だったんだけど、『面白いから』ってご隠居様に口止めされてて……」
「ぬぅぅ……! うん……」
いたずらっぽく笑うご隠居の顔が、あまりにも容易に想像できてしまって……なんだか、一気に悲しくなった俺は、またしても何も言えなくなってしまった。領主の館の方を振り返る。
「…………」
口をつぐんだアーサーも、同じ心境なのだろう。
「なあ」
「うん」
「俺たちも、何かできないかな」
「…………」
アーサーは答えない。
「あの去り際の……ご隠居様の口ぶりからするに」
『幸いなことに皇帝本人が前線に出てきている』と言っていた。その上で、数で劣る公国軍が最大の戦果をあげられる作戦を考えるなら――
「斬首作戦、だよな」
皇帝狙い撃ち。焦土作戦による遅延戦術も検討したけど、民のことを第一に考えるグラハム公がその手段を取るとは思えない。国民感情的にも難しそうだしな。
グラハム公本人はこの地に残る、とも言っていたし、自らを囮にして皇帝を
色々と考えられるが、少数精鋭の斬り込みを狙うのはまず間違いなさそうだ。
「俺と、アーサーなら――」
たったふたりだが、もし助太刀すれば相当な――
「それ以上いけない」
アーサーが、俺の言葉を遮った。
「僕らが……聖教会が、特定の国家に肩入れするわけにはいかない……!」
「……だけどよ! これは、いくらなんでもあんまりだろ!?」
若干、声を荒げずにはいられなかった。
「確かに、聖教会の方針は政治不介入だ! しかし帝国軍の行いを考えてみろよ? 不当な領土の占拠、資源の収奪、そして住民の殺戮! やってることが野盗と変わらねえじゃねえか!? むしろ国家規模なだけ余計タチが悪い! 俺たち勇者の使命、無法者の討伐と何が違う!?」
「……違うんだよ! 連中がただの野盗集団だったら、僕だって今すぐにでも討伐に駆け出してるさ!」
アーサーもまたキレ気味に返してきた。
「だけど、連中は国軍なんだ! 根無し草の野盗じゃなく、帝国の旗を掲げてるんだよ! 僕らが野盗を討伐するのは、国が聖教会にそれを依頼しているからだ。そして聖教会は、特定国には肩入れせず、敵対せず、中立を維持することを条件に、非常時に強力な権限を発揮できる! そういう『秩序』なんだ! 確かに僕らは人類の守護者で、帝国軍は……野盗と大差ない真似をしているように思える。それでも、国軍であることに違いなく、討伐対象ではない……ッ!」
ぎりぎりと、歯を食い縛って。
「僕ら勇者は、秩序と法の体現者だ……! いざというとき、聖教会が国を横断して好き勝手できるのも、国に対して一線を守っているから、そうだろう? 僕ら勇者が率先して、個人の信条や思想を優先させ、秩序を乱すわけにはいかないんだよ!」
「理屈はわかるが……! 実情は!」
「わかってるさ! でも僕らもまた、聖教会の旗を掲げていることを忘れちゃいけないんだ、アレックス。僕らには『力』があるから、なおさらだ」
「その『力』を、必要なときに発揮しないなら意味がないだろ! 今、公国の人々は助けを必要としている!」
「僕だって帝国軍の狼藉は許せないよ! だけど……!」
アーサーはもどかしげに両手を握りしめて、首を振った。
「秩序を無視して、己の信条と欲望に基づいてのみ、『力』を振るうのは……勇者のすることじゃない。それこそ帝国や魔族の振る舞いだよ……」
…………ッ!
「だからって、助けを求める人を見捨てたら、勇者失格じゃねえかよ……!」
俺の言葉に、アーサーも唇を噛んだ。
「アレックス……落ち着いて、考えてみてくれよ。複合的に、だ。野盗は紛れもない悪だ。構成員全員が、己の無法を了解している。だけど帝国軍には、命令されたからついてきただけ、という一般兵もいるだろう。彼らを……斬るというのか?」
どうにかして理屈でなだめようって意志を感じるな。だけどアーサー、お前自身、本当に心の底からそう思ってるのか?
悪いが理屈勝負なら負けねえぞ。
「斬る」
俺が断言すると、アーサーはしばし閉口した。
「たとえ命令でも、自らの良心に従って不服従することはできるはずだ。確かにそれを理由に処刑されるかもしれない。それがイヤで命令に従ったというのなら、自らの命惜しさに、他者の命を奪うと決めたわけだ。なら、戦場に出て逆に殺されても文句は言えない、違うか?」
「……良心に従って、というけど、彼らは自分たちが正義だと信じ込まされているのかもしれないよ」
「俺も自らの正義を信じている。対等だ」
「……それで、勇者として斬り込んだ『あと』のことを想像してみてくれ。まず相手が多すぎて討ち死にする可能性もあるけど、それはさておき……帝国と聖教会の関係がどうなるか、わからないアレックスじゃないだろう?」
「ソクフォルの聖教会が破壊されたって聞いたぞ。もう致命的な次元で敵対してるんじゃないのか?」
「ああ、それだけど、ちょっと話に尾びれがついたみたいだ」
え、そうなの?
「さっき、ソクフォルの支部から見習い神官や修道士たちが避難してきた。話によると、実際は破壊っていうか、光刃教とかいう連中が門を叩き壊してきたらしい。すぐに帝国軍の指揮官がすっ飛んできて、光刃教徒を止めたそうだよ。軍から正式な謝罪もあったと聞いた」
「……なるほど」
つまり、帝国としては、聖教国と戦争まではしたくない、と。
……光刃教とやらが軍の統制から逸脱して、暴走したってことか? いずれにせよロクでもねえな。
「ソクフォルの支部には、司祭以上の神官が残ってる。現地の医療体制のためにね。そして帝国本土にも、聖教会はたくさんある……」
もし、帝国と聖教国が戦端を開いてしまったら、現地の聖教会の構成員がどうなるかわからない。そういうことか。
「だが、殺されはしないだろう。癒者だぞ?」
「光刃教がなければ、そう思えたんだけどね。正直、今の帝国は予測不能だ。これを機に、聖教会勢力を一掃しようだなんてトチ狂った考えに至るかもしれない。そんなくだらないことで、貴重な同志たちを失うわけにはいかないだろ? 僕たちが死ぬとしたら、それは魔獣や魔族との戦いでだ。人間同士の争いなんかじゃない!」
アーサーは吐き捨てるように。
「だから……『やる』としたら、帝国全土から聖教会を撤収させるぐらいのことはしなきゃいけない! 僕らが、個人が、勝手にやっていいことじゃないんだよ、アレックス……!」
俺の肩を掴むアーサー。ぎりぎりと、痛いくらい強い力で、指が食い込む。
「僕だって……どうにかしたいよ。でも、できないんだよ……!」
それが……
聖教会の、『勇者』の限界か……ッ!
『しかし』
黙って聞いていたアンテが、不意に、妖しげな口調で。
『――お主は、魔王子じゃろ?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます