435.踊る傀儡
――すっ転んで痛い目を見たのち、しばし暴れて気が収まったらしいオラニオは、再び一輪車に乗って謁見の間へ向かっていた。
道すがら、通り過ぎる城の関係者たちも、公王の体たらくには呆れ顔を隠さない。
ただでさえ市井で評判が悪いオラニオ公だが、まさか『ここまで』だとは民衆も思わないだろう。公王の実態を知る関係者たちがあまりの酷さに口をつぐむので、幸か不幸か、伝わっていないのだ。
なぜ、このような有様でも公王でいられるのか――
前公王の孫にして正統後継者ヨハネスが行方不明の現状、公王家の血が一番濃いということもあるが、オラニオが帝国と親密であることも無関係ではない。
何かと因縁をつけて一方的な経済戦争を仕掛けてきた帝国が、『他ならぬオラニオが即位するなら、彼の顔に免じて取りやめる』と言ったのが、オラニオの在位を支える最大の理由だ。
オラニオが暗愚であり、帝国の操り人形であることは、誰の目にも明らか。しかし他にどうしようもないのだ――
――間もなく謁見の間にたどり着いた。中では武道大会の優勝者、準優勝者、健闘者たちが揃い踏み。
ちなみに、その全員が騎士だ。武道大会は種族・身分に関係なく参加でき、魔法なし忖度なしで純粋に武を競い合うのだが、個人戦においては、生まれついての職業軍人で、幼い頃から鍛錬を積んでいる騎士たちに、平民が敵うことは滅多にない。
ゆえに入賞者はよほどの傑物がいない限り、騎士で占められることが多い。
ちなみに、剣聖や拳聖はワンサイドゲームになりがちで、武聖同士で戦うと互いにタダでは済まされないため、参加しないのがマナーとされている。
極稀に、大会のさなかで物の理に微笑まれる者もいるが、その場合は仕方ないので競技を続行するのが習わしだ。だいたいそのまま優勝する。
「やあ諸君! 武道大会は誠に素晴らしかったよぉ!」
ぱちぱちと手を叩きながら入室してくるオラニオに、待機していた騎士たちがサッと跪いて顔を伏せる。
……公王に敬意を表したというより、キコキコと一輪車をこいでやってきた奇人を直視したくなかったのかもしれない。これがただの奇人ならよかったのだが、よりによって彼らの主君なので。
「はっはぁ! やっぱり完全武装の騎士はカッコイイねぇ~~! あ、諸君らに武装を許してるのは、余の信頼の証なんだからねぇ! その辺よろしくねぇ!!」
――まるで、臣下に剣を抜かれかねないという自覚でもあるかのような物言いだ。一応、謁見の間の壁際には、公王の身辺警護をする
「アームストロング卿! 優勝おめでとぅ! 君の戦いぶりは、特に目に焼き付いているよぉ! すごかったねぇ!」
「はっ……身に余る光栄であります……」
オラニオにバシバシと肩を叩かれて、かろうじて愛想笑いを浮かべ、言葉少なに答える優勝者の騎士・アームストロング卿。
筋骨隆々で腕が太く、剣を振るために生まれてきたような体躯の持ち主だ。貴族の生まれで魔力が強くなければ、剣聖に至っていたかもしれない。
「準優勝者のゼロストロング卿も惜しかったね! でも格好良かったよぉ!」
「ははっ、ありがとうございます」
白けた雰囲気の他の参加者と違い、やや陽気に答える赤ら顔のゼロストロング卿。
武道大会を終えて打ち上げで呑んでいたところ、突然公王に呼び出されたので酒気帯びでの登城だ。本来なら酔っ払って御前に出るなど言語道断だが、私的な呼び出しだし、まあオラニオ相手だし、別にいいだろというノリでやってきていた。現にオラニオは全く気にしていないので、彼の判断は正しかったと言える。
「他のみなも、素晴らしい戦いぶりだった! いや、君らのような騎士がいてくれて、公国の未来は明るいねぇ!!」
ははは……と、ゼロストロング卿の愛想笑いだけが虚しく響く。公国の未来が明るいとはとても思えなかったし、その原因が目の前にいたからだ。オラニオのそばに控える執事服の男が、渋い顔の公国人たちを嘲るように、口の端を吊り上げていた。
「それでね! 君たちの健闘を称えて褒美を取らせようと思うんだぁ!」
パンパンッとオラニオが手を叩くと、台車が運び込まれてきた。じゃらじゃらと金属音を響かせる袋が載せられている。
「はい! 優勝賞金とは別に金一封だよぉ!」
ドサッ、と一番大きな袋を渡されるアームストロング卿。「中を見ていいよぉ!」と言われたので仕方なく開けると、確かに金貨がぎっしり入っていた。
「ありがたき幸せ……」
もらえるものはもらうし、懐が潤うのはもちろん嬉しい。
だけどなぁ、もっと他にあるだろカネの使い方が……とは、思わずにはいられないアームストロング卿だった。
今、国中から貧困に苦しむ声が聞こえてきている。帝国からの諸々の干渉で公国の経済界が苦戦していることもあるが、一番の原因は、オラニオが好き放題やって国政をかき回しているからだ。
これだけの金貨があれば、いったいどれほどの貧民が救われることか……アームストロング卿は、この資金を自分の領地を発展させるために使うつもりだったが、自分の村だけが豊かになったところで、国が貧しいままではその場しのぎにしかならない……もっと根本的な解決が必要だ。
「おっほ、こいつはありがてえや」
金貨の袋の重みを確かめながら、ニッコニコのゼロストロング卿。彼は普通に喜んでいた。おそらく酒代に消えていくだろう。
「受け取ってくれたね! それでねぇ、実は君らに頼みがあるんだけどぉ、聞いてくれるかな!」
――が、続くオラニオの不穏な言葉に、ゼロストロング卿さえ笑顔を引っ込める。
……道理で、やけに気前がいいと思った。アームストロング卿は溜息を堪えるので精一杯だった。この予測不能な暗君は、家臣に無茶振りすることでも有名なのだ。
「……私にできることであれば、何なりと」
しかし、頼みを聞いてくれと言われて、「いやです」などと正面切って断れるはずもなく。アームストロングが嫌々答えると――
「なに、簡単なことさ」
オラニオは、親指で背後の執事服の男を示した。
「この男と、近衛騎士たちを拘束してほしい。最悪、生死は問わない」
…………は?
部屋の空気が凍りついたかのようだった。アームストロング卿たちも、執事服の男も、近衛騎士たちも、ぽかんと呆気に取られている。
その中で、おちゃらけた雰囲気を霧散させたオラニオだけが、怜悧な顔つきで。
「この者も近衛騎士たちも、帝国の息がかかった私の監視役だ。先日、帝国から最後通牒が届いた。このままだと私は
――何を言っているのだ、公王は。
とうとう気でも触れたか、と思わずにはいられなかった だがオラニオは、暗愚と呼ばれた主君は、人が変わったかのように理知的な、真摯な眼差しを向けてきた。
「国のためなら、私は喜んでこの命を差し出す覚悟だ。しかし、今のこの時期に政治的空白を生むのはまずい。おそらく近いうちに帝国が宣戦布告してくるはずだ。私には、公王陛下を――グラハム陛下を再びお迎えするまで、代王として国を支える責務がある……!」
『オラニオ。すまぬ。お主には憎まれ役をやってもらわねばならぬ……』
――グラハム公が隠居を決めた、あの日のことを思い出す。
『……そんな顔しないでくださいよ、叔父上! 私が何のために、帝国に
オラニオは、喜んで引き受けた。
帝国で骨抜きにされたように見せかけて、放蕩三昧の好き放題に振る舞って。
それらは全て、このためだったのだ。オラニオは、誇り高きハミルトン公家の血を継ぐ、公国人だ。
公国のために生き、公国のために死ぬ。その覚悟ができている……!
『せいぜい奴らの操り人形として、派手に踊り狂ってみせますよ』
決定的な対立を、可能な限り、あと伸ばしにするために――
だが、賽は投げられた。投げられてしまったのだ。
「まともに反発すれば戦端が開かれる。流血を避けるため今までは尻尾を振ってきたが……貴様ら帝国がやる気ならば、おもねるのはもうやめだ」
ダボダボの真紅の衣の下に隠していた鞘から、すらりと剣を抜き放ちながら、オラニオは言い放った。
これまで、どんなにバカにされようとも、笑われようとも、気づかないふうでヘラヘラしていた顔に、紛れもない敵意を浮かべて。
「……貴様ッ」
執事服の男――いや帝国の工作員は、顔をひきつらせて懐の暗器に手を伸ばす。
事実、彼にはオラニオ暗殺の指令が届いていた。帝国侵攻の一報が届き、公国が最も混乱するタイミングで、政治中枢を麻痺させよと――
だが、この状況はまずい! 公王のご乱心として場を収めるには、あまりにも――この男には、風格がありすぎる!!
自分たちでさえ、ただの愚物だと思わされていた! 今の今まで欺かれていた!
ここでこの芽を摘まねば――!
しかし懐から暗器を抜いたその瞬間、ガギィンッと火花を散らして、毒刃は弾き飛ばされていた。
「――語るに落ちたな」
目にも留まらぬ抜剣で刃を振り抜いたアームストロング卿が、据わった目で執事服の工作員を睨む。
オラニオの豹変には驚かされ、公王家の血脈に相応しい風格に圧倒され。
それでも、半信半疑だった。オラニオにはあまりに信用がなさすぎたから。
だが、執事服の男の態度で確信した。いくらなんでも、側近が主君を「貴様」呼ばわりするはずがない。帝国の息がかかった監視役という、オラニオの言を信じることにしたのだ。
平素なら、この工作員の男も、そんなヘマはしなかったのだろうが――オラニオの豹変ぶりに心底動揺しているのは向こうも同じということか。
……これでもし、すべてがオラニオの狂言だったなら?
「ははっ」
アームストロング卿は笑った。そのときは、末代までの笑い者になってやろう。
「そういうことなら、助太刀しますぜ陛下!」
ゼロストロング卿も酔いを感じさせない機敏な動作で剣を抜き、他の武道大会参加者たちも、意を決したように次々に得物を抜き放った。
――このための完全武装だったのか。
遅れて気づく。儀仗用の、見栄えがいいだけの鎧を装備し、金メッキと装飾が施された剣を構える近衛騎士たちと違って、ここにいる武道大会健闘者たちは使い込んだ装備を身に着けている――
それが、今回の謁見での、公王のリクエストだったから。
「…………」
睨み合う。場の緊張感が、臨界に達した瞬間。
謁見の間に剣戟の音が響き渡る。
圧倒。多勢であるはずの近衛騎士たちを、大会健闘者たちが薙ぎ倒していく。近衛騎士たちは、カネやら何やらで帝国側に転ぶような連中だ。見かけが派手なだけで、剣技ではアームストロング卿たちの敵ではない。
それでも、鎧を身に着けているだけ、手心を加えての制圧は難しかったが、「近衛騎士は死んでも構わない、大した情報を持ってないから」というオラニオの言葉で、あっという間に致命傷を浴びせられ次々に血の池に沈められていく――
「があぁあぁッ!」
手足の腱を斬られ、無力化された執事服の工作員だけが元気に喚いていた。
「陛下! 一応信じましたけど、本当に信じていいんですよね!?」
謁見の間の制圧が終わって、ゼロストロング卿が、剣の血糊を拭きながら今さらのように不安そうな顔をする。
張り詰めた表情のオラニオだったが、必死さを感じさせるゼロストロング卿の言葉に、道化じみた真紅の衣を脱ぎ捨てながら思わず苦笑した。衣の下には、シンプルだが仕立てのいい宮廷服を着ていた。
「信じがたいだろうが、今の私の言葉に嘘偽りはない。残念ながら、近日中に帝国の宣戦布告という形で裏付けられるだろう」
緩みかけていた空気が、その言葉で引き締まる。
「それと……私のことは、オラニオで構わない。私にとって、いや私たちにとって、『陛下』といえばグラハム陛下だろう? 私は、一時的にグラハム陛下から、玉座を預かっているに過ぎないからね……」
自嘲するように、オラニオは笑う。
「まあ、それでも王は王でしょう?」
おどけたように、ゼロストロング卿。
「今は、貴方様のために剣を振るいましょう……陛下」
アームストロング卿が跪くと、他の者たちもそれに続く。
「ありがとう。では、グラハム陛下が戻るまでは、私も王らしく振る舞うとしよう。……その、本来の意味でな」
苦笑する一同。
――本当に、王の器ではないんだがなぁ。
道化なら得意なんだが、とオラニオは胸の内でつぶやいた。
(叔父上……早くお戻りになられてください……!)
こんな自分に対しても、臣下の礼を取ってくれたアームストロング卿たちに報いるために、最善は尽くすつもりだが――
これからの情勢は自分にはちょっと荷が重い……!
それから、ほどなくして。
帝国が宣戦布告もせずに国境地帯に攻め込んできた、との一報が届き、オラニオは頭を抱えることになった。
――――――――――――――
※これまで剣聖や拳聖など○聖の総称がありませんでしたが、不便なので『武聖』とすることにしました。
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