434.予見可能性
ハミルトン公国北西部、カイザーン帝国との国境――
両国を隔てる山脈の切れ目、山間部のなだらかな丘陵地帯には、帝国につながる石畳の街道が伸びている。
普段なら行商人や旅人が行き交い、そこそこ賑わっているのだが、ここ数日はどこかピリピリとした空気が流れており人影もまばらだった。
なぜならば、帝国領に万を超える大軍勢が集結しているからだ。
「あいつらさぁ……公国に喧嘩売ってんのかな」
公国側の砦、見張り櫓にて。
帝国軍を監視しながら、カトバスという名の兵士はぼやいた。
あの大軍勢は、あくまで軍事演習のために集まったものである、というのが帝国側の言い分だった。国境線にちょくちょく騎兵が偵察に来るくらいで、今のところは大きな動きはない。
「さあな。仮に喧嘩だとしたら、買ったら高くつきそうだ……」
カトバスの相方、弓矢を担いだ兵士が、口元を歪めて苦々しげに答える。
この砦の守備兵は500あまり。長年国境に睨みを利かせてきた防衛施設だけあって、結界や装備などはそこそこ充実しているが、流石にあれほどの軍勢に攻め込まれたらひとたまりもない。
「……頼むぜマジで」
カトバスのつぶやきは、誰に向けたものか。言った本人にもわからない。
ただ――カトバスも相方も、漠然とした胸騒ぎを覚えていた。
帝国はこれまでも、軍事力を見せびらかすように、数年おきに国境で軍事演習を行ってきた。だが今回は、過去に例がないほど規模が大きい。
「アレ……本当に、演習なんだろうな?」
カトバスは不安げに相方を見やった。
「そりゃあ……そうだろ。そういう話だ」
落ち着きなく弓を撫でながら、相方。
「だけど……普通さ、演習なら、敵と味方にわかれて色々やるじゃねえか。あの人数だし」
「……そうだな」
「だけどアイツら、まとまったまま、全然演習らしいことしやしねえ」
「…………」
「なんかアレだと……まるで、公国に向けて布陣してるみたいじゃねえか……」
カトバスのぼやきじみた言葉は、口に出した途端、ゾッとするほど真実味を帯びたように思えた。
――と。
遠目でもそれとわかるくらい、ド派手で巨大な馬車が、滑るように軍勢の前に進み出て停車するのが見えた。
「なんだあの成金趣味な馬車」
カトバスは呆れたようにつぶやくが、一方で相方の弓兵は、ゴシゴシと目をこすっていた。
「おい、どうした?」
怪訝そうに、あるいは不安そうに、カトバス。彼は知っていた。相方の弓兵は猟師の家の生まれで、目が非常にいいことを。
「おかしいな。俺の目がバカになったんじゃなけりゃ、あの馬車の上――」
カトバスにも、ぼんやりと見えていた。二階建て馬車の上部、なんか台座みたいなところに人が立っていて、演説するような素振りをしているのが。
「――あそこにいる男、なんか、王冠みたいなのかぶってるように見えるんだが」
おおおおお、という地鳴りのような歓声が、相方の言葉をかき消す。
大軍勢が発したものだ。オウ、オウ、オウと三度かけ声が続き――
ここ数日、停滞し続けていた帝国軍が、ついに動きを見せる。
「……なあ」
「……ああ」
「……あいつら、こっち向かってきてるよな」
「そう、見えるな」
「おい! 国境越えるぞ!」
「おいおい……冗談だと言ってくれ……!」
頼むから何事も起きてくれるな――そう思いながら監視を続けるふたりだったが、祈りも虚しく、帝国軍は。
国境線を、越えた。
髪を逆立てて、顔を見合わせるカトバスと相方弓兵――
「……敵襲! 敵襲――ッ!」
相方弓兵が、見張り櫓の鐘をカランカランと鳴らした。だがそうやって知らせるまでもなく、砦中の兵士たちは異変には気づいていたようだ。
にわかに、慌ただしい気配に包まれる砦。
カトバスも縄を伝い、半ば飛び降りるようにして見張り櫓から地上に戻った。事前に決められていた通り、厩舎へ走り、愛馬の手綱を取ってひらりとまたがる。
――カトバスは、伝令兵だ。
「おおい! 閉門は待ってくれ!」
砦の門は早くも閉じられようとしていた。間一髪で門の隙間をすり抜け、近隣の町へと馬首をめぐらせ、街道をひた走る。
「ハイヨォ! かっ飛ばすぞ!」
国境に異変があれば、全速力で報せる――それがカトバスの役目だ。
激しく揺れる馬上、カトバスは不安げに砦を振り返った。火や光の攻撃魔法が飛来し、砦の結界に捻じ曲げられては、あらぬ方向に飛んでいくのが見える。
結界は正常に動作し、砦を守ってくれているようだが――あれほどの大軍勢の攻撃を受け止めることは、想定されていない。いったい何時間、いや何分もつか……。
そして自分は、伝令のためにこうやって逃れられたが、仲間たちは――相方の弓兵はどうなってしまうのか。
「……クソッ!」
手綱を強く握りしめて、前に向き直るカトバス。
可能な限り早く敵襲を報せ、援軍を連れて戻ってくる。
それが、彼にできる精一杯だった――
†††
それから間もなくして、カトバスは近隣の町に無事到着し。
帝国襲来の報が、公国中を駆け巡ることになるのだった。
†††
一方その頃。
ハミルトン公国の首都、『ミトハン』にて。
キコ……キコ……キコ……という奇妙な音が、宮殿の回廊に響き渡っていた。
それは、車輪が回る音だ。
「よっ、ほっ、はっ」
男がいた。
ド派手な真紅の衣を身にまとい、帝国風の薄化粧で若作りをした中年。
男は、ひとつの車輪に椅子がくっついたような、奇妙奇天烈な乗り物にまたがり、バランスを取りながら回廊を進んでいる。
「いやぁ、楽しいねぇこの一輪車ってやつぅ! 量産しよっかな!?」
うっほほーい、と奇声を発しながら、ペダルを踏み込み加速する中年。
道化じみた派手な服を身にまとい、宮殿の回廊で一輪車を乗り回すヤベー奴。
だが、何よりもヤベーのは、その男の頭に――冠が輝いていることだった。
「陛下。あまりスピードを出されますと、またすっ転びますよ」
一輪車のあとについて歩く執事服の男が、どこかバカにするような慇懃無礼な口調で言った。
「大丈夫だってぇ! 余は運動神経抜群なんだぞぉー! もうだいぶん慣れたし、別に転んでもそんな痛くないし!」
へへーん! と笑いつつ、おどけた調子で答える一輪車の中年。
しかし、そのままズルッと滑りコケて、ビターンッと回廊の床に叩きつけられた。
「あ痛ぁ! ……う~~~っ、なんだこの乗り物は! ふざけているのかっ! 全然おもしろくないぞ!」
憤慨しながら跳ね起きて、「このっ!」と一輪車に八つ当たりし始める。が、蹴り飛ばした拍子に脛を痛打し、「あ痛ぁ!」とまた悲鳴を上げた。
情緒不安定な中年男性。
その名を、オラニオ=オードリー=ピノッキオ=ハミルトンという。
――ハミルトン公国の現国家元首、公王その人だ。
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