432.船旅の行方


「さようなら~!」

「ありがとう~!」

「お元気で~!」


 翌日、俺たちはバッコスの住民たちから、めっちゃ感謝されながら出港した。


 いやぁ、いいことをすると気分がいいな!


 ……いいことをすると、気分がいいなぁ。


 さらばバッコス。いつか絶対、戻ってくるぜ……


 そう思いながら、港で手を振る住民たちに、舷側から手を振り返す俺。


 簡易ポータルの件を抜きにしても、また訪れたい街だ。温泉がめっちゃ良かった。俺の肌もトゥルットゥルのもちもちだぜ!


『レイラと一緒にお楽しみじゃったのぅデュフフ』


 お前ものぼせるくらい入ってたじゃねえか。


「いやぁ、ご隠居様が一緒だと退屈とは無縁だねえ」


 いつものようにおひさまの照る甲板で、船守人の定席デッキチェアに寝転びながらアーサーが言った。アーサーもトゥルトゥルだ。


「だなぁ。ここのところ、船旅は順調だもんな……」


 しみじみと相槌を打つ。幸い湖賊も出ないし、魔物にも襲われない。船守人だけしてたら、めっちゃ暇だったろうな。


 ご隠居といえば、今日は俺たちみたいに甲板にデッキチェアを持ち出して、日向ぼっこしながらうつらうつらしていた。


 流石のパワフル爺さんも、昨日は山登りからの、山賊討伐からの、山を降りて住民たちの歓待というフルコースで疲れたんだろう。


 シワだらけのご隠居まで、温泉のおかげか気持ち肌がもちもちになっててウケる。


 ただ――


「うむぅ……」


 険しい顔で、何やら呻いているご隠居。安らかな寝顔とは言いづらい。どうしてあんなに……悲しそうな顔をしているのか。


 ご隠居のそばには、いつもシュケンかカークが控えているんだが、今日はハンスも一緒だった。航行中は船室に引っ込んでることが多いから珍しい。まあ、船室に閉じこもるには、今日はあまりにも爽やかな陽気だ。


 ゴツいヒゲ面のカークも、ヒゲがツヤツヤで肌のコンディションもよくなってて笑っちゃいそうだ。……ただ、ハンスだけはいつもと様子が変わらないように見える。温泉には入らなかったのかな?


 ――と、目が合った。軽く会釈されたので、俺も返す。


「ふん♪ ふふふんふん♪」


 そんな俺たちの視線を遮って、めっちゃウキウキな様子で甲板を練り歩く船長。


「いつにもましてご機嫌だなキャプテン」

「わかりますか勇者殿!」


 ガバッと振り返る船長。うおっめっちゃ食いつくじゃん俺の独り言に!!


 いかにも何かを話したそうなオーラを、全身から放出しているッ!


「どうしたんだ?」


 話を聞いて欲しそうだったので、要望に応えてあげることにした。


「それがですねぇ! 見てくださいよ、これこれ!」


 船長に手招きされたので、船首の方に歩いていくと……


「ご覧ください! バッコスの街に、腕利きの彫刻家がいましてね! 新たな船首像が手に入ったんですよ……!!」


 ババーン! と両手で指し示す船長。


 船首には立派な、羽衣を着た美女の像が据えられていた。


「おお! これは見事な木彫りの像だな!」


 確か、もとは幸運の精ニードの像があったけど、クラーケンに襲われてもぎ取られちゃってから、何もない状態が続いてたんだっけ。


「ええ、そうなんですよ! こちら――風の精サードの像です!」


 へぇ~風の精サードの像なんだ。


「いや~~~以前、森エルフのヴァンパイアハンターさんにご乗船いただいたとき、風の精霊様の素晴らしい風で信じられないような快速を出せましたからな! それにあやかりたいと思いまして……」


 船長はウキウキで話していたが、ふと顔を曇らせる。


「ただ……少し悩んでいるんですが、『ニードアルン号』という船名をどうするべきなのか……」

「あー船首像が変わったわけだしなぁ」

「もともと、この船はアルン号だったんですよ。でもクラーケンに襲われたあとに、幸運を授かるべくニード像を船首に据えたのでニードアルン号と改名しまして。で、またクラーケンに襲われて、今度はニード像を失い。こうしてサード像をお迎えした今、サードアルン号に変えるのが筋ではないかと……」

「確かに……難しいところだな。一度改名してるってことは、改名には不都合はないんだろう?」

「ええ。母港の船籍登録で、手続きに少々お金がかかるくらいですね。まあ要らない出費といえばそうなんですが……乗組員の中には縁起を担ぐ者が多いですし、かくいう自分もそうなので」


 やっぱ船乗りは、特にそういうの重視するよね。


「うーん、勇者的な意見になっちまうけど、士気に関わるなら変えた方がいいんじゃないかな。多少のお金では代えられない価値があると思う」

「ですよねぇ」


 船長はうんうんとうなずいた。


「じゃあ、やっぱりサードアルン号ですかね! これからは!!」


 肩の荷が下りたような、晴れやかな顔をする船長。


 きっと、彼の中では改名する方向に傾いていて、誰かに背中を押してもらいたい気分だったんだろうな。



 そんなわけで、ニードアルン号はサードアルン号と名を改めることになった。



 船長も悩みが解決したみたいだし、やっぱりいいことをすると気分がいいなぁ!



「ほほう……」


 と、隣にいつの間にかハンスがやってきて、しげしげと船首像を眺めていた。


「見事だ。風にたなびく羽衣を、木彫りでここまで表現するとは……今にも動き出しそうな躍動感も素晴らしい」

「だよなぁ。巨匠アレナンジャロの影響を受けてんのかな。ヴェールの表現はヨンマルティーニっぽい」


 相槌を打つと、ハンスが「!?」という顔で俺を二度見してきた。


「く、詳しいので?」

「いや……詳しいってほどでは……」


 魔王の宮殿に支配地からブン捕った作品がいくつか置いてあったし、ソフィアにも美術史を教えられてたし……


「失礼。あまりそういうのには興味がない方なのかと」

「まあ、自分で所蔵しようとは思わないかな……作品そのものは素晴らしいとは思うけど。ハンスは好きなのか?」

「そう……ですね。それなりに。彫刻家になりたいと思っていたことも」

「へぇ~。ってことは、心得もあるんだな」


 俺も彫像なら作れるぜ! 骨製ならなァ!! ガハハ。


「今からでも目指さないのか? 彫刻家」

「色々と厳しそうです。……それで生きて行くのは、特にね」


 まあ同盟圏でハンスほどの魔法使いなら、引く手数多だろうしなぁ。現にご隠居のお供なんてやってるわけだし。


「芸術家が食べていけるくらい、平和な世の中になってほしいもんだ」

「まったくですね……」


 しみじみとうなずくハンス。……俺はふと思い立って、スンッとさり気なく匂いを嗅いでみた。


「うわっなんだいきなり」


 あ、バレた。


「すまんすまん。風呂入ってないのかなぁと思って。でも汗臭くなかった」

「な、なぜいきなり風呂?」

「肌がトゥルトゥルになってないから、温泉入ってないのかなって……」


 俺は自分のほっぺたをつんつんと指でつついてみせた。俺、トゥルトゥル。お前、トゥルトゥルチガウ。


「あ、ああ、これは……」


 自分の頬に触れて、何やらあたふたした様子のハンスは、


「温泉には、入りましたよ? でもほら、熱かったので。自分熱い湯は苦手なので。だから、みなほどには湯の恩恵に与れなかったのかと」

「あ~なるほど。確かにアレ熱かったよな」


 好みは分かれそうだ。それに熱いと知っているってことは、ハンスも湯に浸かりはしたんだろう。


「わっはっは、ごめんごめん。いくらなんでもいきなり匂いを嗅ぐのは失礼すぎたよな! 気づかれないようにって思ったんだけど普通にバレたわ」


 とりあえず笑って誤魔化せ!! と俺が大笑いすると、ハンスはポカンとしてから苦笑した。


「なんというか……アレックスさんは陽気だ。こちらまで元気をもらえる」


 船べりに寄りかかって、遠い目をしながら。


「アレックスさん、悩みとかなさそうですよね」


 ……えっ、いきなり何!?


「あるが!?」


 めちゃくちゃあるが!?


 何? いきなりバカにされてんの俺!?


「あるんですか」

「そりゃあるよ!」

「失礼。すごく陽気な方なので……」

「陽気に見えても悩みのひとつやふたつはあるだろ~人間なんだから」


 ま、人間じゃなくてもあるけどね……。


「たとえばほら、見てみろよ」


 俺は振り返って、デッキチェアでうつらうつらしているご隠居を示した。


「普段は好々爺っぽく振る舞ってるけど、あんなに苦しそうな寝顔をして……やっぱ色々あるんだろうさ、悩みとか」


 長い人生、酸いも甘いもあっただろうしなぁ。


「そう……ですね」


 うぐっ、と何やら言葉を呑み込んだハンスが苦々しくうなずいた。


「……そもそも、現役勇者であるアレックスさんに、悩みがないはずがありませんでしたね。失礼を通り越して侮辱でした、申し訳ない」

「あ、いいよ、別にそこまで謝らなくても。それくらい、俺が陽気に見えたってコトだろ? それなら俺も明るくしてる甲斐があったってもんだ。……いや、こんな言い方すると、俺が意識して振る舞ってるみたいだけど、こういう性格だから!」


 わっはっは、と笑っておく。


「辛気臭い顔をして悩んだからと言って、解決するわけじゃねえからなぁ……」


 俺は、晴れやかな空を見上げながらつぶやいた。


「どのみち、悩むときは死ぬほど悩むことになるんだ。なら、普段はせめて、明るく生きたいよな。その余裕があるなら。……って俺は思うわけ」

「なるほど……至言ですね」

「ハンスも何か悩みごとがあるのか?」


 俺、こう見えて前世も込みだとそこそこ生きてるから、相談には乗るぜ?


『先輩風というかオッサンくさいのぅ』


 やめろ! そんなふうに言われたら傷つくだろ!!


 まあなんか、ガラにもなく説教臭くなってる自覚はあるけど今!!!


「悩みごとというか、……そうですね。ご隠居様をはじめ、周りに立派な方が多いものですから」


 ハンスは恥じ入るような、どこか苦々しげな笑みをぎこちなく浮かべた。


「自分の至らなさというか……自分は何をやっているんだろう、もっと他にできることがあるんじゃないか、と思うことがあります。それこそ、言っても仕方がないことなんですが」

「ああ~わかるわ。理想の自分とは程遠い、みたいな……」

「まさに、それですね」

「……これも気休めの言葉でしかないんだけどさ。『自分は完璧で最高だ!』なんて思ってる野郎より、よっぽど未来があるよ。自分の至らなさは伸びしろって考え方もあるし、伸びていくために努力してるなら、なおのこと。周りが立派な人ばかりなのは、恵まれてると思うぜ? 見習っていけばいいんだよ」


 そう言いつつ、ご隠居を見た。


「俺も、ご隠居様はスゲーなぁって思う。なれるなら、あんな爺さんになりたいもんだよなぁ……」


 あんな長生きできないだろうけど……。


「爺さん……」


 フフ、とハンスが笑う。


「そうですね。ちょっと元気が出ました、ありがとうございます」

「や、無責任にフワッフワなことばっか言ってすまん! でも元気が出たならよかったよ。まあお互い、これからも頑張っていこうぜ!」


 俺はハンスの背中をバンッと叩いた。「おぅふっ!」と呻いてつんのめるハンス、おっと、ちょっと力が強すぎたかな。うおっなんだよカーク、めっちゃこっちを睨んでくるじゃん……リラックスしろよ……。



 そんなわけで、若者と心温まる交流をする俺を乗せて、船は悠々と進んでいく。



 目指すは公国の西南端、国境近くの港町――『カェムラン』。



 俺とアーサーが出会うきっかけになった最初の水死体。吸血鬼の犠牲者マーティン(仮名)の故郷でもある。



 彼のおぼろげな記憶から、遺族に向けてしたためられた手紙も預かっていた。



 ――遺書、届けないとな。


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