431.虎視眈々


 青白い肌の男が、虚無の庭に座り込み、球状の空を見上げている。


 ぼんやりと映り込む、茶髪の浅黒い青年の顔――


 勇者アレックス。


 どうやら仲間たちと連れ立って、無法者の住処に殴り込んだようだ。アウリトス湖沿岸の、どこかの街。それほど規模は大きくない街のようだったが、それにしても目と鼻の先の遺跡を無法者が占拠しているとは。治安が悪いというより、領主の軍勢が機能していない?


『興味深いな』


 天球に映り込むヴィジョンはあまりにおぼろげで、音も聞こえない。


 だが、そんな環境でも、どうにか最大限に情報を得ようと試みている。


 脱出は、とうの昔に諦めた。この、自分を閉じ込めている『牢獄』は、どれだけ暴れても壊せそうになかった。


『…………』


 とりわけ半透明なこの腕では。そもそも剣がないので話にならないが、物の理は、今の自分には微笑んでくれそうにない。


 あわよくば、無法者との戦闘でこの『牢獄』が破壊されないものかと期待したが、そう上手くはことが運ばなかったようだ。


 わかってはいたが、勇者アレックスは強い。そして今の同行者たちも。無法者どもは、脆弱な人族のならず者とはいえ、鎧袖一触に蹴散らされてしまった。


『それに、この状況で脱出できたところでな……』


 周囲に勇者や魔法使いが何人もいるようでは……


『逃げ切れる算段は薄い』


 自分が忌まわしい霊体ゴーストになっていることも考慮する必要がある。物陰や隙間に隠れられれば御の字だが、聖属性の魔法を流し込まれて無事でいられるかはわからないし、霊体がどれほどの速さで移動できるかも未知数。



 ――だが、それでも。



『必ず……!』


 歯を食い縛って、男は――ヴィロッサは、再び空を見上げた。


 天球に映り込む、ブレながらも移り変わっていく風景。


 空模様。同行者の顔、唇の動き、種族、服装などなど……。


 可能な限り、情報を拾っていく。



 ――ヴィロッサにとって最も大切なもの。



 それは、夜エルフという種族の繁栄であり、森エルフへの復讐だ。


 魔族への忠義も、剣聖としての誇りも、工作員の矜持も、全てはそのためにある。


 いや、。 


 昏い瞳で見上げる空。


 おぼろげに浮かび上がる、勇者アレックス。


『……この情報だけは、何としても伝えなければ』


 超人的な理性で、今にも暴れ出しそうな怒りと憎しみを抑え込む。


 常に冷静であれ。


 夜エルフの剣聖、武を極めし者と持ち上げられることの多いヴィロッサだが――剣聖である前に、工作員だ。



 そして工作員の使命とは。



 ――機密を持ち帰ること。



『まだ……まだその時ではない』



 ぎりっ、と実体のない手に、力がこもる。



『ジルバギアス……ッッ!』



 泡沫のような魂の牢獄で。



 伝説とまで謳われた工作員が、虎視眈々と、機を窺っている。



          †††



 どうも、山賊討伐を終えて、バッカスの街に戻ってきた勇者アレックスでーす。


 山を降りる途中、縄をほどいて逃げ出そうとした奴がひとり斬り殺された以外は、特に何事もなく帰ってこれた。街にたどり着いたときにはもう深夜だったけど、結構な数の住民が篝火を焚いて俺たちを待っていたようだ。


「うおーっ討伐隊が戻ってきたぞ!」

「山賊を連れてる! 勝ったんだ!」

「ありがとう! ありがとう!」


 山賊どもに街道を塞がれて死ぬほど困っていただけに、住民たちにはめちゃくちゃ感謝された。


「アレクー! 無事でよかったです~!」


 俺も、やけにお肌がトゥルットゥルになったレイラに出迎えられて、今は抱きしめられている。


「ただいま! 心配かけたな」


 いや、レイラ! すげーお肌がトゥルットゥルのもっちもちだ……! 正直、戦いから戻ってきたあとにこれは効く……。


『ここの温泉よかったみたいだよー』


 バルバラが念話で教えてくれた。へぇー! 本当にいい温泉だったんだなぁ。俺も汗かいちゃったから、あとで入れるなら入ってみたい。


「アレク、大丈夫でしたか?」

「うん、特にどうということは――」


 うなずいて答えようとした俺の脳裏を、例の簡易ダークポータル遺跡がよぎる。


「…………」

「何か、あったんですか?」

「いや、どうということはなかった。うん」


 俺は口でそう言いつつ、レイラの首に手を伸ばし【キズーナ】に触れる。


 色々と情景などを圧縮して伝える――


『――えええええ!? なんですかそれ!?!?』


 レイラが、見たこともないくらい唖然とした顔で、目を白黒させていた。気持ちはわかる。そりゃびっくりするよ。


『我でさえたまげたくらいじゃからの……』


 遺跡が占拠されていなければ、気づかずスルーしていたと考えると……山賊にも、ある意味感謝しなきゃいけないかもしれない。


「クソーッこいつらのせいで……!」

「俺の息子は衛兵だったんだ!」

「テメェらのせいで薬が届かなくて、おっかぁが体調崩しちまったぞ!」


 と、見れば拘束されて引っ立ててこられた山賊たちが、殺気立った街の住民に取り囲まれている。


「湖賊なら全員縛り首だよなぁ……!」

「縛り首なんて生ぬるい! 焼き殺そうぜ!」

「薪木持ってこーい!!」


 うおっと物騒な方向に! 気持ちはわかるけど!!


『大人しく投降すれば命は助けてやる!』というアーサーの呼びかけに降参した山賊たちは、「話が違うんですけど!?」とばかりに俺たちを見ている。


「まあまあまあ、みなさん、ちょっと聞いてくださいよ」


 俺はそんな住民たちの間に割って入った。


「こいつらの親玉、山賊の頭目は――話の通り、確かに剣聖でした!」

「「ほう」」

「しかも、なんと! ただの剣聖ではなく……上等な魔除けのお守りまで持っていたのです!」

「「なんだって……!」」

「罪なき人々を斬り捨ててきた、冷酷無比な極悪人! みなさんの中にも、家族や知り合いが犠牲になった方がいることと思います……それも全て、この極悪剣聖の仕業だったわけです! 剣の腕に、魔法への耐性。まさに無敵と言っても過言ではない、強敵でした……!」

「「うんうん」」

「山賊のアジトに乗り込んだ俺たちの前に、奴は悠々と姿を現し、改心するつもりはないと言い放ちました。そうして問答無用とばかりに交戦! 奴に剣を振らせる暇は与えぬとばかりに、こちらも魔法を放ちました! 光や炎が殺到し、奴を包み込んで……しかし爆炎が晴れたとき、奴は無傷で立っていた……!」

「「おおお……」」

「だが! それに負けてはいられない! 剣聖でありながら無辜の人々を手に掛けるという暴挙! 許していられようか、いや、そんなはずはない! そこで義憤に駆られたこちらのご老人が!」


 バッ!! とご隠居を示す。


「全身全霊を込めて、極大の火球を放ちました! そしてなんと、無敵を誇る剣聖の魔除けを――打ち破ったのです!!」

「「おおお……!!」」


 住民たちが尊敬の眼差しを向けると、うむうむとうなずいたご隠居が「ふっ!」と空に火球を放ってみせた。


 ドーンッと火の玉が夜空を照らす。どよめく群衆。わあ、綺麗だな。戦場で合図によく使われるやつだけど、平和な後方で見たら別物みたいだ。


「頼みの綱の魔除けが破られてしまえば、奴にもう勝ち目はない! 再び殺到する光と炎の奔流!! 自身を無敵だと思い込んでいた悪の剣聖は、無様な悲鳴を上げ、しかし逃げる間もなく真っ黒に焼き焦がされ! 終いには断末魔の叫びとともに、木端微塵に砕け散って、遺跡を汚す焦げ跡に成り果てたわけです……!!」

「ハッハァ!」

「ザマァみろだぜ!」

「地獄に落ちろ!」


 住民たちもやんややんやと騒いでいる。


「そして、親玉がやられてしまえば、悪の剣聖のおこぼれに与ってばかりで自分じゃ何もしてねえ腰巾着のクソ雑魚どもには為す術もなく! 大便小便を漏らし、泣いて鼻水を垂らしながら、みっともなく命乞いしてきたわけですねえこれが。俺たちも、その場で生かすか殺すか迷ったんですが、こいつらがあまりにも熱心に、『命に代えても詫びる』『街の皆さまにご迷惑をかけた分は償う』って言うんでねぇ……そうだな、お前ら!?」


 俺がそうやって水を向けると、バッと地面に這いつくばった山賊たちが「へえ! その通りでさぁ!」「申し訳ねえ! 申し訳ねえ!」と謝り出した。


「一部の反抗的だった山賊は、俺たちが責任を持ってブチ殺したんで、安心してくださいよ! ここにいるのは骨なしの情けない野郎ばっかり、こんな連中に薪木を使うのも馬鹿らしいや。薪木は冬に取っておいて、こいつらは生かして鉱山で強制労働、せいぜいこの街に貢献させましょう」


 俺がなだめるように言うと、話に聞き入り、かつ実行犯が無惨に死に果てたと知って溜飲が下がったらしい住民たちは、ほんの少し落ち着きを取り戻していた。


「けっ、そうだな。こんな奴ら燃やしたって臭えだけだ」

「親玉が無惨におっ死んだならよしとするか」

「おう! おめえらバリバリ働けよ!」


 小石を投げられたり、ツバを吐きかけられたりしてるが、焼き殺されるよりはマシだろう。山賊たちはひたすら謝り倒していた。


『こんな連中、わざわざ助け舟を出さずとも、焼き殺してやった方が愉快じゃったんじゃがのぅ~。勇者としての約定を違える禁忌も犯せたというのに』


 アンテが不満そうに言う。


 いや……正直、こいつらが焼き殺されても、自業自得なんで「まあ仕方ないな」くらいにしか思わないんだが……。


『じゃあ大した力にはならんの』


 ぶっちゃけ住民たちがこれでも止まらずに、私刑する流れだったら、俺は静観するつもりだったよ。でも、一応『投降したら生かしてやる』って言ったのは事実だし、最低限の義理ってことでな。


「真面目にやれよ」

「「へい……!」」


 俺が去り際に声をかけると、衛兵隊に引っ立てられていった山賊たちは、深々と頭を下げていた。



 よし、これにて一件落着!



 もう真夜中だけど、温泉にでも入りに行くかぁ!




――――――――――――――

※ぼちぼち世直し編(仮)も前半パートは終わりへ……。

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