429.劇物につき


「マジかよ……!」


 失われた悪魔召喚の儀式魔法が、こんなところに!?


 俺は全身がカッと熱を帯びるのを感じた。期待と、高揚と、――おぞましい禁忌の気配に、否応なく心が震え上がる。



 悪魔召喚。



 初代魔王がダークポータルなんてシロモノをブチ開くまでは、悪魔のメイン顧客は人族だったと言われている。300年ほど前までの話だ。


 悪魔召喚の儀には、多大な犠牲が伴う。具体的には、複数名の生命力の、不可逆の喪失。つまり生贄だ。次元の壁をこじ開けて別世界のモノを呼び出すには、当然そのくらいの代償が必要だったわけだ。


 で、そんな儀式を強行してまで悪魔と契約したがるヤツに、ロクな人間がいるはずもなく。悪魔契約者は、人類社会に様々な害悪をもたらしてきた。


 ――人類の守護者たる聖教会は、もちろんそれを許さない。


 悪魔祓いエクソシストと呼ばれる対悪魔・対契約者の専門家が組織され、徹底的な討滅が試みられた。そして悪魔召喚の儀は禁忌とされ、この世界から悪魔と、悪魔を呼び出すための術式を根絶やしにすることに、全精力が注がれた。


 その甲斐あってか、300年前の契約者騒ぎを最後に、悪魔関連の事例は確認されなくなり。


 悪魔祓いエクソシストは解散し、悪魔関連の資料も禁忌とされ、全てが闇に葬られた――


『が、それからたった100年後に、対魔王戦争が始まったと』


 そうなんだよなぁ。


『魔界でもかなり長いこと、呼び出しがなくなって契約もできない期間が続いたからのぅ。あれ聖教会のせいじゃったんじゃな』


 あ、現世と魔界じゃ時の流れが違うもんね……俺たちにとっては100年でも、悪魔からしたらもっと長かったのか。


『だからこそ、初代魔王が魔界を訪れたとき、これ幸いとばかりにカニバルの奴めも協定を結んだんじゃろうが』


 ……そこにつながるのかぁ~~~!!


 ま、まあ、何はともあれ……聖教国の神秘局も、収集した悪魔関連の資料はガチで全廃棄したらしくて、しかも関係者も全員が死没していたから手がかりすら残されてないみたいでさ。


 同盟軍が追い詰められるにつれ、「やっぱ悪魔召喚の儀は、禁忌扱いで封印くらいにしておいて、廃棄まではしない方がよかったかもね……」って後悔する声も出てきたそうだ。


 仮に召喚の儀式魔法が残されていたとしても、俺が夜エルフにおふくろを殺されたみたいに、魔王軍の悪魔兵に身内を殺された勇者や神官は「悪魔なんざ死んでも頼るかボケェ!」って猛反発すること必至だろうけど……。


『人類の守護者が、人類を生贄に差し出すわけにもいかんじゃろうからなぁ』


 だな。とはいえ死にかけの老神官が集まって、命を差し出すくらいのことはしそうだけどな。今の情勢なら。



 ――で、それを可能とするモノが、俺の眼前にある、と……!!



 やべえ、どうしよう。


 悪魔との契約がどれだけ有用なのかは、俺がこの身をもって証明している。魔族が好き放題にできているのも、悪魔契約で魔力を底上げできているからに過ぎない。


 同盟の勇士たちが契約できるようになったら――たとえば、アーサーあたりが悪魔と契約できたら、いったいどんなことになるか!!


 ちら、と振り返れば、アーサーは剣の柄に手を置いて、縛り上げられた山賊たちに目を光らせているところだった。


 今すぐにでも、アーサーにこの魔法陣のことを知らせたくなる――


『待て、落ち着け、落ち着くのじゃ』


 アンテが、俺だけに見える幻として姿を現し、俺の頭をぽんぽんと叩いた。


『気軽に明かせるようなシロモノではないぞ、これは』


 ……確かに、生贄を必要とするような邪法をこの場で明かすのも危険か。アーサーだけならともかく、ご隠居たちまでいるし、ご隠居がつながっているであろう公王もイマイチ信用ならないし……


『ああ、いや、いくつか誤解があるようじゃな。まずこの魔法陣は、悪魔召喚の儀式魔法ではない。簡易ダークポータルじゃ』


 ……つまり?


『悪魔を呼び出すのではなく、魔界へつながる門を開くのよ』


 そっちか。俺が本家ダークポータルでやったみたいに、門に突入して悪魔と契約しに行かなきゃいけない、と。……魔界のどこにつながるんだ?


『それはわからん。我が見る限りでは、魔界のどこかとしか。ゆえに、仮に起動したところで、どの悪魔と契約できるか――いや、そもそも悪魔と出会えるかどうかすら博打になるじゃろうな』


 ……俺がアンテに出会えたのは、【案内の悪魔】オディゴスのおかげだもんな。


『あやつがおらねば、相性のいい悪魔に出会えるとは限らず、契約すらままならんじゃろうよ』


 オディゴス……懐かしいな。中庸の悪魔というだけあって、悪い奴ではなさそうだったけど……なんだかんだでクッソ魔王国に貢献してるんだよなアイツ……。


『次にこの魔法陣。生贄ではなく、周辺の地脈などの魔力を蓄積して、起動するもののようじゃ』


 ……生贄が必要ない、ってコト!?


 何だよそれ!! 最高じゃないか!!!


『人命が失われずに済むのは、お主としては嬉しいじゃろうな。ただし見たところ、これ起動するの数百年に1回とかそのくらいじゃぞ』


 えぇ……。


『悪魔単体を呼び出す召喚ではなく、魔界につながるポータルじゃからの……必要な魔力は桁違いよ』


 ……がーんだな。出鼻をくじかれた。


 え、じゃあ、あとどのくらいで起動するんだコレ?


『わからん……とりあえず今すぐ起動しそうな感じはせんが……とりあえず触れてみたらどうじゃ』


 言われるがままに、俺はかがみ込んで、魔法陣にそっと触れた。


 少しだけ、魔力を注ぎ込む。……スンッ、と吸い取られた。


 さらにちょっとだけ。……あっという間に吸われるな。


 余裕がありそう、というか、何というか……底知れないぞ。


「ぬぅ……!!」


 思い切ってガッツリと魔力を込めてみる。これで起動しちゃったらお笑い草だが、良くも悪くもそんな気配はなかった。まるで地面に空いた大穴に水やりでもしているみたいに、注ぎ込む先から吸い取られていってキリがない……!!


 おい、アンテ! ウンともスンとも言わねえぞ! 今の俺が出せるギリギリの力を込めてみたけど、どれだけ足しになったのかもわかんねえ!


『ふーむ。我もわからんのぅ、どれくらい魔力を貯めとるのかもよくわからんし、どれくらい貯まったら起動するのかも見当がつかん』


 ダメダメじゃねえか!


『だって我も起動したことないしこんなの』


 それもそうか。


 でも、今試してみて、人間が魔力を注ぎ込むことが可能なのはわかった。



 ってことは、だ。



 数百人がかりで、四六時中交代しながら魔力を注げば――もっと早く起動できるんじゃないか?


『……理論的には、可能じゃろう』


 なら!! やっぱりこのポータルのことを知らせないと! 


『いや、待て、待て。お主、まず肝心なことを忘れておる』


 ……なんだろう。忘れてることなんてあったかな?


『そもそも同盟圏では、ダークポータルの存在すら知られとらんじゃろ』


 あ。


『この遺跡は簡易ダークポータルじゃ。お主が聖教会なり何なりに知らせるとして、まずダークポータルの概念から説明せねばならん』


 そういや……そうだった。


 魔族の間では、ダークポータルの存在があまりに自明だからすっかり忘れてた。


 俺も、ソフィアやプラティに教えられるまで、魔族がどうやって悪魔と契約していて、現世にポンポン悪魔兵を投入しているのか、知りもしなかったんだ。


『なぜそれを知っているのか? と疑念を持たれるであろう。お主の正体に直結する情報だけに、致命的な結果を招きかねんぞ』


 ……いやでも、そこは説明する必要ないんじゃないか? この間オフィシアの部下の、アウトルクとかいう工作員が聖教会に生け捕りにされたじゃん? もう死んでるかもだけど。あそこから情報漏れてるんじゃないかな?


 そうでなくとも、ダークポータルの情報は、リリアナあたりが持ち帰っていて、聖大樹連合から聖教会にもたらされていてもおかしくはないぞ。


『ふむ。確かにその可能性はあるの』


 なら、よくねえか?


 俺としては、この遺跡は、なんとしても人類に有効活用してもらいたいんだ。


 今日明日の話じゃなくてもいい。あまり考えたくないが……俺が、ジルバギアスが失敗したときの保険だ。


 ぶっちゃけ俺が魔王国を滅ぼせなかったら、人類にはほぼ勝ち目がない。だけど、この遺跡があったら――悪魔と契約するチャンスがあったら。それは人類に残された唯一の逆転の機会になりうる……!


『お主の気持ちはわかる。そして、その考えもおそらく正しい。じゃが……』


 アンテの手が、俺の髪を撫でた。今は、角がない頭を―― 


『我の懸念は三つある。まず、どんな形でこの遺跡の情報を伝えるにせよ、聖教会はほぼ確実に、情報をもたらした者に興味を持つであろうこと』


 ……まあ。それは、なぁ。


 いったい何者だ、って話にはなるだろうよ。


『聖教会に追われる理由を、これ以上増やしたくはなかろう? という点がひとつ。次に、先ほどお主も言及しておったが、聖教会の反応が予測できんことじゃ』


 先ほどっつーと……ああ。


 対悪魔過激派か……。


『お主が望んでおるように、聖教会がすんなりと有効活用に乗り出せるかどうかは、未知数じゃろ?』


 ……確かに。生贄が必要ないとわかれば、上層部や神秘局あたりは間違いなく乗り気になるだろうけど……


 悪魔に対して深い恨みを持つ連中は、感情の問題だからな。ヴァンパイアハンターたちに、「吸血鬼と仲良くやろうぜ!」って持ちかけるようなもんだ。


 俺に置き換えるなら、夜エルフとか緑野郎とかと手を組めば、力が稼げる『かもしれなくて』、魔王軍を倒せる『かもしれない』――ってことだろ?


 ………………死ぬほどイヤだけど、俺の場合は、力を得られるなら、どんなにイヤなことでも我慢する。


 けど、確定じゃなくて不確定なのが何とも言えねぇし、死ぬほどイヤだから死んでも受け入れない! って連中がいてもおかしくはない、とも思う。そしてそんな奴らがどんな行動に出るかは――わからない。


『この魔法陣――物理的にはただの石じゃぞ。砕かれたら修復は難しかろう。そして三つめじゃが、聖教会の他に、周辺諸国の情勢もある。これはお主にとっての直接のリスクではないが』


 公国と帝国のこと言ってる?


『そうじゃ。聖教会も万全を期して秘するではあろうが、万が一情報が漏れ出たら、新たな火種になりかねんぞ』


 ただでさえ、帝国は公国に色々ちょっかいをかけてるって話だったもんな。


 数の力マンパワーさえあれば起動可能な、魔界につながるポータルが公国に存在するなんて知られたら――野心が抑えられなくなるかもしれない。


 いや、話を聞く限り、今の帝国なら手中に収めようと躍起になりそうだな。


『その場合、人類総体で見れば戦力は強化されそうじゃがな。いや、むしろよくよく考えれば、聖教会より有効活用できるかもしれんのぅ? どうじゃ、帝国にタレコミを入れんか?』


 ぬぬぬ……! 俺の中の勇者がすげえ嫌がってる……!!


 冷静に考えれば、そうだな、確かに帝国に委ねれば戦力強化にはつながりそうではあるが……! 


 話を聞く限りでは、帝国は帝国のために力を使いそう、という印象しかないんだよなぁ! しかも公国を制圧した上で、だ!


 そんな奴らに悪魔の力を委ねたくねえ~~~! 人類の生き残りのため、と考えるなら、その犠牲も許容すべきなのかもしれないが……!


『くふふふ、悩め悩め、存分に悩むがよい。これは何とも上質な禁忌よのぉ! おっほっほっほっほォ!』


 楽しんでんじゃねーぞクソ大魔神コラァ!!


『まあ真面目な話、人族がどれだけ束になって頑張ったところで、ポータルの起動に何年かかるかわからんのじゃが』


 それは……そう。


 でも塵も積もれば、だろ?


『そうじゃが、本家ダークポータルのことを考えてみよ。あれほどの、神々の争いがもたらした次元の歪みがあって、初めて成立するものぞ? おそらくこのポータルは起動したところでわずかな時間しか維持できんじゃろうが、それにしても定命の者が動かそうとすれば、どれだけの魔力を必要とすることか……』


 まあ、でも、やるしかねえだろ! 総力を上げて!


 ……で、総力を上げるとして、そこそこの魔力の持ち主をガッツリ動員できる組織と考えたら、ここらじゃやっぱ聖教会か帝国かの二択……。


 …………。


 クソッ、どうしろってんだ!


 これは、このポータルは、人類の希望たり得るものなんだ!


 有効活用しなければ、できなければいけない! 失敗は許されない……!




「アレックス! どうしたんだ、そんなところで」


 と、背後から声。


 振り返れば、祠にアーサーがてくてくと入ってきていた。歩きながら、興味深げに祠の内部を見回している。


「これは……なんの遺跡なんだろうね?」

「さ、さあ? 俺も色々考えながら、見てたところなんだよ」


 平静を装いながら立ち上がる俺。


 隣に並んだアーサーが、ふと足元の紋様に目を留めて、小首を傾げた。


「……魔法陣? なのかな。見たことない文字だけど、古代エルフ文字……?」

「いや、エルフ文字ではなさそうだ」

「アレックス、エルフ文字もイケる口だったりする?」

「まあ、ちょっとくらいは」

「へえ! 博学だね。ドワーフ文字とも違うようだし、何なんだろう」



 今度は逆に、アーサーがしゃがみ込んで地面の魔法陣を撫でる。



 そして。



「やっぱり魔法陣っぽく見えるね。ほっ!」



 ――いきなりドバッと魔力を注ぎ込んだ。

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