427.湯煙と血煙


 ――ぽた、ぽた。


 レイラの手から、白く濁った液体が滴り落ちる。


「はぁ……ん」


 悩ましげな、熱っぽい吐息。色白なレイラも、このときばかりは全身を紅潮させ、額には大粒の汗を浮かべていた――


「あっつい……!!」


 ――肩まで、熱々のお湯に浸かっていたので。


(……こんなときにわたし、何してるんでしょう)


 めっちゃ熱い温泉の中、だらだらと汗を流しながらレイラはふと疑問に思う。


 そこはバッコス名物、アウリトス湖とバッコスの街並みが一望できる、小高い丘の上にある露天風呂だった。


 バッコスは山々に囲まれた地形で、地面を掘れば熱い湯がそこかしこから噴き出すらしい。とろみのある白く濁った湯は、肌荒れ防止や腰痛改善、疲労回復など様々な効能があるそうで、肩まで浸かると全身から汗が噴き出してくる。水分補給しつつ、出たり入ったりすると美容と健康にいいそうだ。


『いや~いい湯だねぇ』


 呑気なバルバラの念話こえ。レイラの隣では刺突剣【フロディーダ】も一緒に浸かっており、バルバラも温泉気分を楽しんでいた。


『そうですね……!』


 念話で答えながらも、レイラは浮かない表情。


 夕日が沈みゆく、麗しのアウリトス湖――ではなく、反対側の、燃えるような赤色に染まりつつある山々へと視線を向ける。


 あの山の中腹に、山賊たちのアジトの古代遺跡があるらしい。


 数時間前、アレクはアーサーやご隠居一行とともに、山賊討伐に向かった。レイラも途中まで見送りに来たが、人化状態では物理戦闘力が皆無で剣聖に不意打ちされるとひとたまりもないため、大事を取って居残ることになったのだ。


 なのでこうして、温泉宿で暇を潰している。


 お肌がトゥルットゥルのプルップルに! 綺麗になれますよ~! というのが温泉宿の売り文句で、そう言われると温泉に入らざるを得なかった。たとえドラゴンでも美しくありたいという欲求には抗えないのだ……だからこそ、ご先祖も人化の魔法なんてものまで編み出したわけだが。


「むぅ……」


 しかし、落ち着かないものだ。アレクが帰ってきたら精一杯ねぎらってあげたいとは思うが。


(山賊なんて……本気のブレスを使えれば一発なのに……!)


 ぶくぶくと顔半分まで湯に沈みながら、悔しげに歯噛みするレイラ。


 遺跡だか何だか知らないが、どんなところに何人隠れ潜んでいようとも、竜形態でブレスをブチ込んでやれば一網打尽にできる。仮に剣聖がいたとしても、剣を抜く暇さえ与えずに丸焦げにしてくれる……!


 だが、レイラが正体を隠している今、それはできない相談だった。


『通りすがりの謎のドラゴンってことにして、今からでもコッソリ焼き払いにいけないかな……』


 山を睨むレイラの目つきが、にわかに不穏な気配を帯びる。


『いやいや! それはマズいって!』


 レイラの傍ら、刺突剣がカタカタと震えた。


『変身するところや、飛ぶところを見られたらどうするんだい!』

『それは……隠密の魔法でどうにか……』

『ブレスを吐くときはめちゃくちゃ目立つでしょ!』

『…………目撃者ごと消します!!』

『なおさらダメだよ!!』


 バルバラが顔を手で覆う姿が目に浮かぶようだった。


『一瞬でケリはつきますから……』

『確かに一瞬で終わるだろうけど! アレクたち、たぶんもう現地にいるよ?』

『やっぱりダメですか』

『見られず片付けるのは無理だろうねえ。アレクに討伐されちゃう』

『アレクの手にかかって死ねるなら本望です……♡』

『そういう問題じゃないって!』


 まあ、わかってる。レイラも半分冗談だ。


『アレクが悲しむのでやりません。アレクの糧にはなれるでしょうけど』

『そんなことになったら、あいつが壊れちゃうよ……アタシだって、アレクがレイラを手にかけるとこなんて見たくないし』


 ハァ~と溜息をつくバルバラ。


『真面目な話、ドラゴンが同盟圏で、人族や獣人族を蹂躙するのは世間体的によろしくないだろうね』


 むぅ、と唇を引き結ぶレイラ。


 以前、レイラが湖賊を容赦なく焼き払ったことがあるが、あれはあくまで人族の魔法使いに擬態してのことだった。たとえ相手が無法者であろうとも、ドラゴンが人族に襲いかかって無慈悲に焼き払うところを見られたら――ドラゴン族に対する恐怖と憎悪を煽りかねない。


 ジルバギアスがホワイトドラゴンを連れて同盟圏に追放された、という話が広まりつつある現状、そのような目立ち方をするのはいくらなんでもヤバい。


『……わたしの同族たちって、今頃どうしてるんでしょうね』


 同盟圏に入ってからしばらく経つが、ホワイトドラゴンを見かけたためしがないし話も聞かない。夜エルフの諜報網さえホワイトドラゴンの動向を追えていない以上、よほど人目を避けて過ごしているらしい。


『会いたい?』

『いえ、それほどでは。父の記憶にある顔ぶれは、懐かしく感じますけど……』


 ドラゴンは孵化してからしばらくは、両親とともに過ごす。同じ頃に生まれた幼竜がいれば一緒に育てられるが、そうでなければ、身体的にも魔力的にも脆弱すぎるので、ある程度成長し自我が固まってから他のドラゴンと交流するようになるのが一般的だ。


 レイラには幼馴染になれる竜がいなかったため、隔離されて育てられた。父の知り合いとも軽く顔を合わせたことがあるくらいで、ほとんど交流はなく。


 体が育ち切る前に、闇竜の裏切りがあり、囚われの身となってしまった……


『父や母の友達ですから、きっと悪いヒトたちじゃないんでしょうけどね』


 そして自分の無事を知れば、喜んでくれるに違いないだろうけど。


『今の私にとって、家族といえるのは……アレクだけですから』


 逆に、今の自分の状況を知られれば、面倒な干渉を受けかねない。


 そして、あの心優しいアレクのことだ。他のホワイトドラゴンから「レイラを自由にしてやってくれ」なんて頼まれたら、どういう反応をするか――


『嫌ですからね、そんなの』


 湯の中で、両膝を抱えるようにして座るレイラの手に、力がこもる。


『どこまでだって、アレクについていくんですから』


 たとえその先に、どのような結末が待っていようとも……!


 ――と、そこまで考えてから、自分がアレクの山賊討伐にはついて行けておらず、温泉でぬくぬくしていることに気づく。


「むぅぅ……!!」


 ぶくぶくぶく、と息を吐いて急速に機嫌が悪化していくレイラ――


「ふふ。やっぱり恋人さんが心配?」


 と、そこで、艶っぽい女の声。


 レイラの横、少し離れたところに、露天風呂の縁に腰掛けて涼む美女がいた。


 微笑ましげにレイラを見つめる彼女の名を、『ジゼル』という。ご隠居一行の紅一点だ。アレクいわく『只者ではない』、実際腕利きの諜報員らしい彼女だが、やはり戦闘はそれほど得意ではないようで、レイラと同様に居残りを選んでいた。


「……はい。どうしても」


 顔を上げたレイラは、小さくうなずいた。


 心配かどうか、と問われれば、それはもちろん心配だ。なにせ相手はただのならず者集団ではなく、剣聖がいる可能性があるのだから。


『これが、ジルバギアスとしての出陣だったら、心配しなかったんですけど』


 剣聖――武を極めし者にして、魔力弱者の極致。白兵戦では無類の強さを誇るものの、魔法に対しては気の毒になるほど脆弱だ。多種多様な呪詛を操るジルバギアスの敵ではない。


『第7魔王子はホントに強かったからねえ……』


 バルバラがしみじみとつぶやく。当事者が言うだけに説得力が凄い。神官や導師の強力な援護があってなお、ジルバギアスは剣聖や拳聖の猛攻を退けてみせた。


 しかし今のアレクは、魔王子ジルバギアスではなく勇者アレックスだ。その魔力は魔族時よりも大幅に劣化しており、人化の魔法を維持し続けているせいで、さらに力が弱まっている。


 アーサーたちも一緒なので【名乗り】や【転置呪】、【禁忌】といった強力な手札が切れない。唯一、死霊術は使えるが、剣聖相手に有効とは言いづらい……


 の達人たるアレクに、滅多なことはないとは信じているが。


『それでも、戦場に絶対なんてありませんし』


 その点、レイラが飛んでいってブレスで焼き払えば、剣聖に奇襲されて斬られるなんてことは『絶対に』起きないわけで……


「むぅぅ……!!」


 熱い湯の中にいながら、ガタガタと震えだすレイラ。それは、この場で人化を解いて飛んでいき、山賊どもをサクッと消し炭にしてやりたいという衝動に必死で抗うがゆえだった。


 しかし、頭に血が上ったせいか、なんだかクラクラしてきた――


「あら、いけない。のぼせちゃうわよ」


 ジゼルが立ち上がって、レイラを背後から抱えて湯から引きずり出す。


「あ……すいませ、ん……!?」


 背中にむにゅっと当たる、とてつもなく豊満で柔らかな感触に驚かされるレイラ。


「はいこれ、冷たいお水よ」

「ありがとうございます……」


 露天風呂の縁に腰掛け、ジゼルがコップに注いでくれた水を飲みながら、レイラは思わずしげしげと観察してしまう。


 人間の肉体の凹凸には、これまでほとんど気を払ってこなかったが……。


(改めて見るとおっきいですね……)


 主に自分と比べて。


 しかし普段のジゼルは、そんな印象はなかったというか、服を着ているとあまり目立っていなかったような気も――いや、敢えて、普段は目立たないようにしている、のだろうか?


 それにしてもサイズが違うと、感触もあんなに違うんだ、と衝撃を受ける。


 魔王城にいた頃は、同僚たちと大浴場で裸の付き合いがあったものだが、主に獣人や夜エルフ(とリリアナ)というスレンダーな種族ばかりだったので、レイラはこれまでおっきいやつを見たり触れたりしたことがなかった。


(人類は、ここからお乳を出して赤ちゃんを育てるんですよね)


 もにゅ、もにゅ、と自分のものにも触れてみる。ドラゴンは卵生なので、本来は備わっていない器官だ。


(…………やっぱり大きい方がいいんでしょうか)


 主に性能的な意味で。先ほど、『家族といえるのはアレクだけ』と語ったレイラだが……


(家族……赤ちゃん……)


 むぅぅ、と唸るレイラ。そういえば、人化の魔法を習得した【色欲の悪魔】は今頃どうしているのか……



          †††



(変わったよね……)


 一方で、神妙な顔で自分の胸を揉んだり、遠慮なくこっちを観察してきたり、唸ったりしているレイラを、ジゼルも面白おかしく見守っていた。


 色々な意味で目立ちまくっている勇者アレックスに比べ、その恋人のレイラは地味な存在だ。引っ込み思案、というわけではないのだが――基本的にアレックスに首ったけで、その他の存在は眼中にない、という印象を受ける。


 今日だって、揃って居残りするという状況にならなければ、ほとんど口をきく機会もなかっただろう。


(強力な魔法使いって話だけど)


 見かけじゃわからないものね、と内心ひとりごちる。


 アレックスとレイラに関しては、もちろん、船の乗組員たちから話を聞いている。口の軽い者が漏らしていたところによると、アレックスはああも陽気に見えて、実は闇属性の使い手らしい。話した直後に他の船員から殴られていたので、本当は口止めされていたのだろう。


 もちろん、ご隠居たちには報告済みだ。どのみち今日の戦闘で目撃することになるはずなので、大した情報ではないのだが――闇属性の勇者。希少というか、前代未聞な存在であることに違いはない。


 それに対してレイラは、秘術を操る強力な光属性の魔法使いで、遠距離から船の帆を焼き払う程度のことはできるらしい、と聞いている。ただ、治癒の奇跡などは使えないそうで、神官でもないようだ。


 それ以外のことは、船員たちも全く知らなかった。どこの出身なのか、なぜニードアルン号で旅をしているのか、何を目的としているのか。


 普段のお気楽な様子とは裏腹に、底知れない。まるでぽっかりと黒い穴が開いているかのように、肝心な情報が欠落している――


(ま、勇者であることは確かだから)


 アレックスに関しては、ジゼルはあまり心配はしていなかった。なんというか自分たちと若干似たような匂いがする。もしかすると裏方の人間なのかもしれない、とは薄々感じていて、ならばあまり探りを入れない方がいい、とジゼルは判断していた。


 ――下手に聖教会の虎の尾を踏みたくないし。


 それより、未だに謎の多いレイラに、個人的に興味を惹かれていた。


(だって面白そうなんですもの)


 せっかくの機会だし仲良くなっておきたいわ、と思いつつ口を開く。


「ねえ、その剣ってやっぱり大切なものなの?」


 レイラの傍らの、やたらと立派な造りの刺突剣を示して、尋ねてみる。


 脱衣所で全裸になりながら、当然という顔で剣だけ手にして風呂場に入っていったときは、ジゼルも呆気に取られたものだ。この露天風呂は、宿屋の部屋に付属している貸し切りのもので、他に客はいないので遠慮はいらないとはいえ――いや、だからこそジゼルだって、ナイフのひとつさえ装備していないというのに。


 これでレイラが剣の達人だというならば、「むむ、常在戦場。流石ね」と感心するところだが、いちいち所作が鈍くさいというか、お世辞にも剣の腕が立つようにも見えなかったし……


「これは……はい」


 胸から手を離したレイラが、刺突剣に視線をやりながら、儚く微笑む。


「友人の形見なんです」

「……そう」


(思ったより重めのが来たわね――)とジゼルは思った。(想定外だわ――)


 なんであたしっていつもこうなのかしら、と密かに嘆息するジゼル。


 ジゼルは自他ともに認める腕利きの諜報員だが、実は、よく見立てを外すことでも有名だった。(○○に違いない!)と思った事柄の半分くらいは外れる。軽い気持ちで相手の懐に踏み込んだら、思わずデリケートな部分に触れてしまって大慌て、なんてこともザラだ。


(前の街でも、アークディーカン商会に決定的な証拠があるに違いない、って思ったらなかったし。悪代官に色仕掛けしてみたら、愛妻家で見向きもされなかったし)


 結局、持ち前の隠密と鍵開けの技術で、代官屋敷の金庫から重要書類をかっ払うという力業で解決したわけだ。


 見立ては外しまくるが、その場その場で臨機応変に、確かな腕前と根性でどうにかするのがジゼルのスタイルだった。


「生前、お風呂好きだったそうなので、せめて温泉気分だけでも味わってもらいたいな、と思って……一緒に入りました」

「なるほど……。きっと、喜んでくれてると思うわ」

「はい。大満足です」


 なぜか確信に満ちた状態でうなずくレイラ。


(やっぱり変わった娘だわ……)


 こっちはこっちで底が知れないわね……と気持ちを新たにするジゼル。


 まあ、だからこそ面白いわけだが……


(ご隠居たちが帰ってくるまで、まだまだ時間はあるでしょうし)


 交流する時間はたっぷりある。


「ねえねえ、アレックスとあなたって、どういう馴れ初めなの?」

「えっ!? えっと、それは、その……色々とありまして……」


 赤くなってわたわたするレイラに、愉快そうに笑うジゼル。



 ――ジゼルは、山賊剣聖に関しては、それほど心配していなかった。



 あのアレックスに、英雄と名高いアーサー。強力な魔法戦士がふたりいる上、実戦経験豊富な優れた剣士のシュケンとカークもついている。ご隠居も魔法使いだし――


(まあ、滅多なコトにはならないでしょう)


 流石に剣聖相手なので、多少は被害が出る可能性もあるが、ジゼルとしては最終的にやんごとなき方が無事ならそれでいいのだ。


(今頃どうしてるかしらね……)


 馴れ初めをどう話したものか、うんうんと悩むレイラを尻目に、チラッと山の方を見やる――




          †††




「でァりゃああァ!」


 ズガンッ、とアダマスを叩き込まれた山賊の頭部が弾け飛ぶ。


 撒き散らされる生臭い脳漿と鮮血――


「おらァ剣聖とやらはどこだァ! さっさと出てこんかい!」


 俺はアダマスの血糊を払いながら叫んだ。俺たちを取り囲んだ山賊どもが、怯えた顔のへっぴり腰で下がっていく。


「武器を捨てて投降しろ! 下っ端なら生きながらえる可能性はあるぞ!」


 隣で、アーサーも盾を掲げながら叫んだ。


「――ただし抵抗するならば、この場で漏れなく死んでもらう! 逃げられるなどとは思うな! 【絶対防衛圏アーヴァロン!】」


 古代遺跡をまるごと包み込む光の結界――アーサーも本気だな。



 と、いうわけで、どうも勇者アレックスです。



 日暮れとともに山賊のアジトに殴り込んだよ!

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