425.実力者たち


 ――夜明けを迎えたニードアルン号。


「うおおおッ!」


 朝焼けに照らされた甲板で、ゆったりと自然体で構えたご隠居に、虎獣人のヒェンが勢いよく組み付いた。


「ほっ」

「ぬあぁ!」


 が、ご隠居の手により、呆気なく投げ飛ばされてしまう。俺の目から見てもヒェンの突進はなかなかの勢いだったんだが――すげえな。


「もう1本!」

「うむ」


 すぐに立ち上がって、再びヒェンが挑みかかる。派手に投げ飛ばされた割には、あまりダメージは受けてないみたいだ。獣人ゆえの頑丈さか……いや、動きにご隠居と同じ系統の術理を感じる。投げ飛ばされたあとの衝撃の逃し方とかも学んでいるのだろうか? コツがあるなら俺も知りたいな。


「ほっ」

「ぬぐぁッ!」


 今度はジリジリと接近してご隠居を制圧しようと試みたヒェンが、足を払われて膝を突かされた上、腕の関節を極められて動けなくなってしまう。


「いや~すごいな」

「まったくだね……」


 船守人として甲板で待機していた俺とアーサーも、感心しきりだった。アーサーは半ば呆れているような気配すら漂わせていたが。


 ヒェンの気迫とクッソ悔しそうな顔を見るに、ご隠居に忖度して手抜きしてるわけではなさそうだ。パワーと瞬発力に長けた獣人を、老人がいなして投げ飛ばしてしまうなんて、自分の目で見なければ信じられなかっただろう。実際、俺も話には聞いていたけど、半信半疑だったし。


 やっぱりご隠居、只者じゃねえな……! 若かりし頃は相当な腕利きだったに違いないぜ。


「ここよな。重心の落とし方が甘い」


 組み付いた状態でご隠居のレクチャーが始まっていた。ご隠居がヒェンの腰をペシペシと叩く。


「お主は力が強いゆえ、自らの力に踊らされておる。いざというとき、力みすぎて腰が浮くのが悪い癖よ。もっとどっしりと構えよ」

「はい、師父」


 ぐっ、とヒェンが腰を落とした。


「うむ。これでかなり手強くなった。……ただ今度は、足捌きが疎かであるな」


 ご隠居が目にも留まらぬ早業でスッと脚を組み替え、ヒェンの膝裏を押す。カクンと膝を突かされたヒェンが、「不覚……ッ!」という顔でめちゃくちゃ悔しそうにしている。


「うーん、お見事」


 俺も思わず見入ってしまう。……ただこれ、ヒェンが爪で引き裂いてきたり、組み付きながら噛みついてきたら、ご隠居はどうするんだろう? ヒェンはヒェンで、虎獣人には彼ら独自の格闘術(爪や牙の運用も含む)があるはずだが、なぜ熱心にご隠居に師事しているのか、気になるところだ。


「よし、次はハンスだ。来なさい」

「はい!」


 ヒェンと一通りの組討を終えて、今度は舷側で待機していたヒョロい青年が、緊張気味に進み出る。ご隠居一行の影が薄い、ハンスという若い男だ。


 というか、ヒェンはご隠居に弟子入りして無理やりついてきたって考えれば、立ち位置もわかるんだが……ハンスはどうして旅の仲間に入ってるんだ? ご隠居の正体を知った今では謎すぎる。もしかして、ああ見えてジゼルみたいに裏方としては優秀だったりするんだろうか。


「ふんッ」

「ぎえッ!」


 うおっ開始早々めっちゃ容赦なく投げ飛ばされたァ――ッ!!


「甘い! 足運びからしてなっとらん、気が弛んどる! お主はピクニックにでも来たつもりか!? もう1回だ!!」

「すいませんッ!」


 うおっいきなりめっちゃ厳しくなるじゃん……!


 ヒェンのときは割とにこやかだったのに、険しい顔でビシバシとハンスをしごき始めるご隠居。線の細いハンスが壊れてしまわないか、心が折れてしまわないか、見ていてこっちが心配になるくらいだったが、意外にも、ハンスは歯を食いしばって必死に食らいついていた。思ったより根性はありそうだ……


「あ、ありがとうございました……」


 日が割と昇り、船員たちの多くが起き出して甲板が賑やかになったあたりで、稽古は終了した。ハンスはヘトヘトで全身痛そうにしているが、ご隠居は汗すらかいていない。


「うむ。精進するように」

「はい……!」

「やあやあ、今日も手厳しかったねえ。ほら、水でも飲みなよ」


 ヨロヨロと船室に戻っていくハンス。見守っていたシュケンが水筒を渡しながら、励ますように肩を叩いていた。


「いやーすごいですね、ご隠居様」


 同じようにカークから水筒を受け取って一服するご隠居に、俺は声をかけた。


「ほっほ。体を鍛えておかねば、長生きはできんよ」


 いや体を鍛えるって次元じゃなさそうなんですが……


「その格闘術、相当に洗練された術理があるみたいですけど、何かの流派だったりするんです?」

「左様。おう……我が家に古来より伝わる対人制圧術よ」


 なんか途中で口ごもりながらご隠居。どうした?


「人を傷つけず無力化することに主眼を置いた格闘術である」

「なるほど……」


 殺すためじゃなく活かすための技ってことか。平和的だなぁ……


「さっきのヒェンとの組討なんですけど――組み付いた状態で噛みつかれたり、爪で引っ掻かれたりしたときは、どう対処するんです?」


 俺は気になっていたところを、声を潜めて尋ねてみた。


「ほっほっほ。良い着眼点だ」


 ひげを撫でながら笑ったご隠居は、


「――実際のところ、どうにもならん」


 ……いやならんのかーい!!


「基本的に、人族同士での戦闘を前提とした格闘術なのだ。普通の獣人族のように、勢いよく飛びかかってくれば、相手の力を利用して投げ飛ばしてやればよいが」


 簡単に言うけどなかなかの難易度だよな……ご隠居はできるんだろうけど。


「一応、戦場で甲冑を身にまとった状態での組討術などもあるにはあるが……先ほどのヒェンのように、じりじりと接近されて組み付かれ、転がしたり関節を極めたりする前に噛みつかれたら、お手上げであるな」

「なるほど~」


 逆に言えば、獣人でありながら、瞬発力一辺倒じゃないご隠居の術理を学んでいるヒェンは、格闘家としてかなり手強いってことだな!


 だからご隠居に師事してるんだなぁ、と合点がいった俺は、船べりで休憩していたヒェンに目をやった。……めっちゃムスッとした顔で視線を返された。


「ご隠居様、もしよかったら、俺にも一本稽古をつけてくれませんか?」


 興味が抑えきれなくなったので、軽い気持ちでお願いしてみる。


 すると、ざわっ、と甲板にいた船員たちがどよめいた。


「うお……」

「まじかよ……」

「勇者だ……」


 どうしたみんな、めっちゃ恐れ慄いてるじゃん。いくらご隠居が実力者だからってビビりすぎだろ――なあアンテ?


『うむ、うむ! そうじゃなぁ!! とんだ腰抜けどもよ!!!』


 アンテがめちゃくちゃ愉快そうに笑っている。にしても、なんでアーサーまで額を押さえてるんだ?


「ほっほ、もちろん良――」

「お待ち下さい、ご隠居様。ここは私が」


 快諾しようとしたご隠居を手で制し、カークが一歩前に出る。


「…………」


 肩を怒らせ、威圧的な視線。――なるほど、ご隠居一派なら、当然こいつも同じ対人制圧術を修めているわけか。


 ご隠居に相手をしてもらいたいなら、まず自分を倒していけ――と、そんな雰囲気を感じ取った。


「ははっ」


 いいぜ、こういうノリは嫌いじゃない。俺は鞘を取り外し、アーサーにアダマスを預けながらノリノリで格闘術の構えを取った。


 ゆらり、とカークもそれに応える。ご隠居のそれと同じ構え。甲板上、野次馬と化した船員たちがさぁっと波が引くように下がっていく。



 睨み合う、俺とカーク――



「…………」


 やべえ。


 動けなくなっちゃった。


 このカークって男、相当にな。


 どこに打ち込めばいいかは、なんとなく、わかる。だけど、どんな反撃が飛んできそうかも、だいたいわかる。


 で、たぶん、このままガチでやり合ったら、お互いタダでは済まされなさそうな感じがする――そしてそれを、カークも察している。


「…………」


 だから睨み合ったまま、動けなくなってしまった。一応、大怪我してもアーサーがいるから治療は可能だけど、こんな余興じみた稽古で力を使わせるわけにはいかないし、かといって手抜きするのもなんか違うし……。


「ほっほっほ。拮抗しておるようだな」


 ご隠居がニコニコしながら、俺たちの間に割って入った。


「カークさんは下がっておきなさい。……さあ、相手になろう」


 にこやかに、それでいて不敵に笑うご隠居が、クイクイと手招きした。


 ……カークとは逆だ! 自然体で佇むご隠居、一見、どこにでも打ち込めそうな気さえする……!! 俺は攻撃的な構えを取りながら、隙を窺うが――


「……ふむ。そちらも変わった構えだ」


 ご隠居がふと、興味深げな顔をした。



 ヒヤッとした。



 言われて気づいた。俺の構えは――魔族流と獣人流が混じったものになっている。魔王国では、ずっとガルーニャやソフィアと稽古していて、人族の汎用格闘術なんか使えなかったから……!


「……獣人族の知り合いに、手ほどきを受けてまして」


 俺はそう言って笑いながら、汎用格闘術の構えに切り替えた。


「ふッ!」


 そしてそれ以上ボロを出す前に、全力でご隠居に殴りかかる! 小細工抜きの、胴を狙った一撃――


「ほほっ」


 やべ手加減抜きで当たる、と思った瞬間、ご隠居がひらりと身をかわし、俺の懐に潜り込んできた。押される――まるで岩みたいだ!? 押し返そうとした刹那、世界がぐるんと一回転。


「いでっ」


 気づけば、俺は甲板に転がされていた。すぐさま跳ね起きようとしたが、ご隠居の膝がスッと俺の胸板を押さえてきて、身動きが取れない。


「……参りました」

「ほっほっほ。こちらもヒヤッとしたぞ、素晴らしい気迫であった」


 ご隠居が笑いながら手を差し出し、俺を引き起こしてくれる。


 いやぁ~~~……。


 スゲェ! マジでつええ!


「ご隠居様……まさか拳聖だったりしません?」


 高齢だし、人族でありながら格闘を極めてたりしない? 種族が違えど武を極めた例を、俺は知っている。あり得ない話じゃない……!


 俺が尊敬の眼差しを向けると、ご隠居は苦笑しながら「いやいや」と首を振った。


「それほど大したものではない。それに――」


 ご隠居がパチンと指を鳴らすと、メラッと一瞬、その指先に火が灯った。


 銀色ではない。火だ。


「――残念ながら、物の理には嫌われておる」


 魔法使いか……! 流石、王家直属になるような腕利きは違うな……!!


 聖教会所属だったり、魔王国にいたりすると感覚が狂っちゃうけど、魔法使いって同盟圏じゃめちゃくちゃレアな存在だからね……ホントはね……


 聖教会にいけば必ず会える勇者や神官より、よほど珍しいと思う。


『魔力弱者は不便よのぅ』


 アンテが意地悪くせせら笑った。ホント、切実に、な。松明をつけたいときとか、焚き火を起こすときとか、俺は今でも前世の火属性が懐かしくなるよ……


 ……っていうか。


「ご隠居様、その気になれば相手を燃やせますよね……?」


 俺が指摘すると、ご隠居はニヤリと意味深に笑った。


 さっき、組み付かれた状態でヒェンに爪や牙を使われたらどうしようもない、って言ってたけど、それ以前にどうとでも料理できるワケだ、本気を出せば……


 軽装の魔法使いと見せかけて、至近距離から奇襲しても格闘術でいなされて、魔法でトドメ刺されるってエグいくらい強いな。……同盟圏では。


「いやぁ……参りました。もしよかったら、またご指導ください!」

「ほっほっほ。もちろんいいとも」


 ドサクサに紛れてお願いしたら、快諾された。


 やったー! あの関節極める技とか、投げ飛ばされたときの衝撃の逃し方とか教えてもらおうっと!




 そうこうしている間にすっかり明るくなって、ピリピリした雰囲気の船員たちが忙しげに動き回り始めたので――これから岩礁が多い水域に入るって話だったしな――稽古は終了。


「いやぁ本当に、びっくりするくらい強かったな、ご隠居様!」


 俺は船員たちの邪魔にならないよう、船守人の定席であるデッキチェアに寝転がりながら、隣のアーサーに嬉々として話しかけた。



「うん……ホントにね……」



 アーサーはなぜか、遠い目をしていた。



「なんであんなに強いんだろね……」



 なんでって、そりゃあ……達人だからでは?



 首をかしげる俺をよそに、ニードアルン号は陸地に船首を向ける。



 まもなく次の港町――バッコスに到着しようとしていた。

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