424.王の在り方


「ぶぇっふ、えほっえほっ、何やってるんだよアレックス!!」


 盛大にむせたアーサーが、レモン水まみれの口元を拭って叫んだ。


「え? 何って……」


 ――肩を軽く叩いただけだが?


 いやでも、ちょっと馴れ馴れしすぎたかな……俺が一方的に親近感抱いてるだけで、そこまで親しいわけでもないし……。


「すいません、目上の人に対して、少し礼儀を欠いてました」


 反省した俺は、ご隠居に軽く頭を下げる。


「少し? !?」

「ほっほっほっほっ!!」


 さらに目を剥くアーサー、腹を抱えてめっちゃ笑うご隠居。


「いや、いや! 構わん、構わんよ!!」


 ご隠居は笑いながらバシバシと俺の背中を叩いてきたが、アーサーは両手で額を押さえてから、天を仰いで腕をわちゃわちゃさせている。


「待って! 待ってよアレックス! さっき僕に『確認』したよね!? あれは何だったんだい!? この方を誰だと思ってるの!?」

「え? 誰って……」


 そりゃあ――。俺は声を潜めた。


「公王直属の秘密諜報員……だろ? 地方役人の監視の任を受けた……」


 だよね? ……え、ひょっとして、違うんですか……?


「うむ、アレックスくん! その通りだ!」


 ぽかんと口を開けて絶句するアーサーをよそに、ご隠居が深々とうなずいた。


「事実、我らの、公王直属の秘密諜報員で構成されておる!」

「やはりですか……!」


 本人から言質が取れちまったなァ! しかしこんなに堂々と宣言しちゃっていいのか……? あ、俺のせいか!


「まあ――ここだけの話ではあるが、な」


 ご隠居は立派な白ひげをしごきながら、ぱちんとお茶目にウィンクしてみせた。


「しかし、セーバイの街で有名になりすぎたせいで――フフッ――この船のみなも、すっかり堅苦しくなってしまってなぁ。アレックスくんのように気さくに接してくれた方が、こちらとしても助かるのだ。ぜひともその態度を貫いてほしい」

「おっ……そういうことなら、任せてくれよ! 俺そういうの得意だから!」


 期待の眼差しを向けられたので、俺もキラッと爽やかな笑顔で答えた。そう言ってもらえるとやりやすいぜ!


「うむ。ありがとう」

「いえいえ、とんでもない。いや、よかった~! 実は、ご隠居様ってもっとすごいお偉いさんなんじゃ? と不安になっちゃって」

「ほっほっほ」

「アレックス……」


 アーサーが呆れたような声を漏らし何かを言おうとしたが――そのまま眉間を揉み解しながら、口をつぐんだ。



(――このとき、アレックスの背後では、ニヤリと笑ったミルトのご隠居がアーサーに向けて、唇に人差し指を当てる仕草をしていた。)



「なぁに、ここにおるのは、『公王』の権力を笠に着て威張っておるだけの、ただの老いぼれよ……」


 フフ、とどこか自嘲気味にご隠居。朗らかな表情はそのままに、仄暗い毒気が滲み出る――


 どうしたんだろう。公王のこと、実はあんまり好きじゃないのかな?


「それはさておき、アレックスくんには礼を言いたかったのだ」


 と、毒気を一瞬で霧散させて、ご隠居が俺に向き直った。


「聞けば、アークディーカン商会に勤めていた夜エルフを見つけ出し、仕留めたのは君だそうだな。あれのおかげで商会も代官所も混乱に陥り、我々も随分と動きやすくなった。ありがとう」

「それこそとんでもない。自分にできることをしただけなんで」


 正直、商会の件はついででしかなかったからな。街の病巣を取り除くことができたのは、他でもないご隠居様たちの頑張りのおかげだ。


「でも、お役に立てたなら何より」

「うむ。君とアーサーくんのような勇者と、旅路をともにできるのが心強い。また何かあったら、そのときは頼むよ。……そんな機会なぞ、ないに越したことはないが。ほっほっほ」


 ご隠居は朗らかに笑いながら去っていった。アーサーが「ふぃぃ……」とやたら情けない溜息をついている。さっきから、いったいどうしたお前?


『んっふっふっふ……』


 そしてアンテが、何やら不穏な笑い声を漏らす。


 なんか、周りの様子が変なんだが? おいアンテ、何がどうなってる? 気づいたことがあるなら共有しろよ。


『んん! いや……我も確証を得ているわけではないのでな……お主に妙な先入観を持たせたくない。ハッキリとわかったら教えるゆえ、安心するがよい……ふひっ』


 ホントだろうな~~~?


 こういうとき、イマイチ信用ならねえんだよな……まったく。


 困った奴だぜ。




          †††




 ハミルトン公国より、北へ、北へ――険しい山脈を越え、荒野や平野を抜け、いくつもの街を飛び越えた先に、その都はある。


 帝都・クーロン。


 カイザーン帝国の中枢だ。


 壮麗で、合理的で、画一的な都市だった。区画整理が行き届いており、全ての道が格子状に配されている。裏道や脇道というものは一切存在せず、建ち並ぶ家屋のデザインから、建材、窓の配置、さらには庭木の本数、垣根の刈り込みに至るまで、あらゆるものが一定の秩序のもとにその存在を許されていた。


 万物を統制下に置くという、為政者の確固たる信念――いや、執念を感じさせる街並みだ。


 帝都というだけあって、街は活気で溢れている。人々は白を基調とした清潔な衣に身を包み、市場には食物が豊富に取り揃えられ、街の各所にある噴水からは透き通った水がこんこんと湧き出す。


 どんな小さな道も清掃が行き届いており、浮浪者やごろつきなどの姿は、もちろん見られない。中心部の大学では官僚候補の学生たちが優れた教育を施され、美術学校では画家の卵たちが日夜修練を積んでいる。劇場では昼夜を問わず歌劇が上演され、観客でごった返していた。文化的にも成熟しきった街――


 しかしその発展ぶりとは裏腹に、クーロンの歴史は浅い。中心部を貫く、一直線の運河が示す通り、何もなかった荒野にゼロから構築された都市なのだ。


 3百年ほど昔、帝国が近隣諸国を併合しその領土を大幅に拡大した時代、時の皇帝は塗り替えられた版図の中心地、無人の荒野に遷都することを熱望した。


 そこが国のちょうど中心である、という、ただそれだけの理由で。


 幸か不幸か、帝国にはそれを実現させるだけの富と力があった。まず巨額を投じて建設されたのが、この大運河だ。痩せた土地に大量の人を住まわせるには水流と物流のふたつが必要不可欠だった。


 大運河の完成を見届ける前に、遷都を決めた皇帝は崩御し、都市建設の開始は次代皇帝の即位を待たねばならなかった。


 最終的に、帝都クーロンが完成したのは、さらにその次の次の世代。2百年ほど前のことだ。それから歴代の皇帝たちが、ほんの少しずつ自分好みに、それでいて当時の設計思想を乱さぬよう帝都に手を加えていき、今では国内はおろか大陸でもトップクラスの大都市に成長している。


 しかし元は、人が住まうことのできない領域だ。痩せた土壌は耕作に適さず、人口を満たすだけの食糧を生産できない。滅多に雨の降らない乾燥した気候は、生存に必須の水資源をもたらさない。


 それらを全て力づくで解決するのが、大運河だ。国内の他の川や湖を枯らしてまで引き込まれた水で、このクーロンの地を潤し、国中からかき集められた穀物、肉、酒や嗜好品の数々を運び込む。


 帝国の一握りのエリートと、その下僕たちだけが居住を許された地上の楽園――国内の富と力と資源、その全てが結集する街。


 この都市を、ただ維持するためだけに、日々膨大な資源が浪費されている。


 帝都クーロンは、まさしく帝国の頭脳であり、心臓であり――そして贅肉の塊でもあった。



 そんな帝都の中で、一際目を引くのは皇帝の居城たる『浮遊宮殿』だろう。



 帝都の中心部、運河をまたぐ巨大な橋の上に、さらに白亜の城がそびえ立っているのだ。城のサイズに比して橋の華奢さは異様で、遠目にはまるで城が空中に浮かんでいるかのようだった。


 ゆえに、人呼んで『浮遊宮殿』。


 城を支える橋はほのかな燐光を放っており、見るものが見れば、それが本来ならば城壁などにかけられる、守りの魔法であることに気づくだろう。


 戦略拠点をより堅固にするために使われる希少な魔法が、ただ幻想的なデザインを実現させるためだけに、構造強度を上げる目的で投入されている――小国の王や貴族が目にすれば、それだけでめまいを起こしかねない光景だった。


 帝都クーロンという、ただでさえ浮世離れした都市において、さらに余人の立ち入ることが許されぬ空中に鎮座する宮殿。そしてその最上部には、ガラス張りのドーム状の天井を持つ、室内庭園とでも呼ぶべき空間があった。


 内部は、宮廷魔術師の火と水の魔力により、季節を問わず常春の過ごしやすい気温に調節されている。色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞い、小鳥がさえずる。慎ましやかに生い茂る果樹、たわわに実った果実はどれも観賞用で、その甘い香りと鮮やかな色彩を楽しむためだけのものだ。


 眼下の都市を地上の楽園とするならば、ここはまるで天国のようだった。名実ともに、俗世から隔絶された領域――



 そして、この空間まるごとが、とある人物の『私室』なのだった。



 庭園の中心、柔らかなソファに横たわり、女官のマッサージを受けながら書類に目を通す年齢不詳の男。おそらくは中年だが、化粧で見目麗しく整えているため随分と若く見える。最上級の絹の衣に身を包み、その頭には金銀宝石の冠が燦然と輝く。



 そう、この男こそが、カイザーン帝国のヒエラルキーの頂点に君臨する者――



 皇帝リーケン=ホッシュトルン=リョード=カイザーン、その人だ。



「アレーナ王国が滅んだか」


 まるでテノール歌手のような美声でつぶやいた皇帝は、興味を失ったように書類を放り捨てた。女官のひとりがしずしずと拾い上げる。


「はっ。魔王軍に国土を蹂躙され、国軍は戦力の9割をすり潰され壊滅。国王モンクアッカ7世も討ち死にとのこと」


 しわがれ声で答えたのは、でっぷりと肥え太った老宰相だ。


「呆気ない幕引きであるな。これで大陸中央部きっての武闘派を豪語していたとは、笑わせる」


 口紅を塗った唇を吊り上げ、冷ややかな笑みを浮かべる皇帝。


「いや、小国の割に、よく粘ったと評すべきではございませんかな?」


 老宰相はおどけてみせた。いずれにせよ、同情や憐憫とは無縁で、冷笑じみた空気は皇帝とともにしている。


「……そちらは?」


 老宰相が手にしたままの書状に目をやり、皇帝は頬杖をついて問うた。


「例によって、聖教会からの書状にございます」

「また乞食どもか」


 うんざりした表情になりつつも、一応は目を通そう、とばかりに手を差し出す皇帝に、老宰相はうやうやしく書状を手渡した。


「……ふん。やはりくだらぬ」


 が、途中まで読んで鼻を鳴らし、そのまま御自らの手でビリビリと書状を破り捨ててしまった。女官たちが拾い集める。


「口を開けば寄付金のことばかり、浅ましさに嫌気が差すな。これで、多少は成果を上げているならば、まだ支援のしがいもあるのだが」

「左様にございますな。同盟軍も聖教会も腑抜けております。魔王軍にいいようにしてやられてばかり……」


 ――視線を交わす皇帝と老宰相。ある種、予定調和な空気でもあった。


「やはり、我が帝国が立つしかあるまい」


 皇帝の言葉に、老宰相はうなずいた。


「今の同盟には、『盟主』たりうる者がおりませぬゆえ」

「盟主、か。もはや聖教国にその資格はなし」


 スッ、と眼前に手を掲げる皇帝。


 魔力が揺れる。


 指先に集う。



「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】」



 ――その手に、銀色の光が灯った。



 しばし、手の中で銀色の光を操り、花々や鳥の姿を描いて遊ぶ皇帝。


「古い枠組みなど、もう要らぬ」


 フッ、と銀色の光を吹き散らして、ゆったりとソファに身を沈めながら言い放つ。


「余と、余の帝国こそが、新たな盟主に相応しい」

「左様にございます」

「して、その後の経過は?」

「光刃教徒の育成は順調にございます。まもなく癒者ヒーラー兵団も大隊規模になるかと」

「すばらしい」

「そして先ほど報告が入りましたが、一昨日、南東部の山岳地帯に潜んでいた猫系獣人族の集落が発見され、現地軍団がこれを強襲。一匹残らず殲滅したとの由」

「すばらしい!」


 皇帝はパンと膝を叩く。


「余の帝国に、魔王軍の潜在的協力者は要らぬ。今後とも掃討を徹底せよ」

「心得てございます。――続いて、老朽化した地方軍団の装備更新ですが、こちらは順調とは言えませんな」


 老宰相が、いかにも困ったような顔をした。


「度重なる同盟軍の敗退により需要が急増、鉱物資源の価格が高騰していることもありますが、単純に手に入りづらくなっており、職人はいても材料が不足しているのが現状にございます」

「ふん……国内の目ぼしい鉱山は、もうほとんど掘り尽くしたからな」

「ええ、左様にございますな……目ぼしい鉱山は」



 どこか白々しく語った皇帝と老宰相は、再び静かに視線を交わす。



 その、あまりにも冷ややかな、鋭いナイフのような空気に――



 たおやかな笑みを浮かべて侍る女官たちも、思わず顔をこわばらせた。



の用意は?」

「順調にございます。近衛兵団は明日、帝都を出立し現地へ向かいます」

「よろしい。からの返事は?」

「まだにございますな。はてさて……ただ単に遅れているのか、傀儡の自覚が足りていないのか、それとも――」


 老宰相はニコリと微笑んだ。


 それはもう、恐ろしいほどに寒々しく。


「ふん。いずれにせよ、やることはほとんど変わらぬ」


 そう言って、皇帝はソファ横のテーブルへと視線を転じた。



 そこには――地図が広げられている。



 広大なカイザーン帝国を中心とした、周辺諸国も含めた地図が。



「ふふ……」



 真っ赤な唇をつり上げる皇帝――しかし、彼の視線の先にあるのは、愛すべき彼の帝国ではなかった。



 その、わずかに南。



 ――ハミルトン公国。



「また、ひとつの国になるときが来たのだ」



 山脈で帝国と隔てられた彼の国は、鉱物資源の宝庫であり、母なるアウリトス湖への入り口でもある――



「そして余は大陸に覇を唱え――帝国が、魔王軍を討ち滅ぼす」



 皇帝は、笑った。



 美しく、清々しく。



 自らの正義を信じて疑わぬ顔で。

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