423.勇者の名推理


 どうも、勇者アレックスです。


 ……いや、魔王子ジルバギアス、か?


 


 じっと手を見る――暗くてわからない。


 俺の瞳でも見通せないくらいに。


 どこまでも黒くて深い闇……


『なぜだ?』


 背後。かすれた声。


 振り返ろうとしたが、金縛りみたいに体が動かない。


『なぜ、殺した?』


 ひたひたと歩み寄ってくる気配。


 真後ろから、それは、俺の耳元に。


『なぜ――おれを殺した?』


 そっとささやく。


 氷のように冷たい手が、俺の首を掴む――



          †††



「…………」


 ぼんやりと薄目で、明るい天井を眺めていて、俺は目覚めたことを自覚した。


 日が高いな……なんだか窓の外も、いつにも増して賑々しく感じられる。


『むぅ……』


 ふと視線を動かせば、向かいのベッドで、レイラとバルバラがボードゲームに興じているのが見えた。真剣な表情で盤面を見つめるレイラに、空中であぐらをかき考え込んでいるバルバラ。


 なんか胸のあたりがぽっかりと空虚に感じると思ったら、珍しく人化したアンテがお菓子をつまみながら観戦している。


『ここは……これだ!』


 長考の末、バルバラが駒を指差し、つっと移動させる仕草。


 霊体なので物理的干渉が難しいバルバラの代わりに、アンテが駒を動かす。


「むむ。それなら……わたしはこうします」


 レイラがすぐに次の手を返すと、『あっ!』とバルバラが額を叩く。


『しまった! 英雄と王子が!!』

「ふふふ♪ どちらを切り捨てるか……選ばなければいけませんよ♪」

『なぁぁぁん!!』


 頭を抱えて空中でひっくり返るバルバラ。そんな彼女とバッチリ目が合った。


『あ、やっと起きたね。おはよう』

「おはよう」


 俺は笑って、体を起こした。


「おはようございます。お疲れだったみたいですね」

「お主にしては珍しい。いや、今の姿ならそうでもないかの」


 にこやかに笑うレイラに、お菓子をつまんでいた指をペロッと舐めてから、人化を解除し俺の中に戻ってくるアンテ。


 うむ。やはりこの圧迫感だよな。


「もう昼過ぎだったりする?」


 俺は窓から顔を出し、天を仰いで日の傾き具合に驚いた。


「うわぁ、めちゃくちゃ寝ちゃった。夕方、出港だったよな?」

「はい。でも、ちょっと音を立てても目を覚まさないくらいだったので、ぎりぎりまで寝かせてあげようって話になったんです」

「そっか……ありがとう。疲れてたのかな」


 肉体的にも、精神的にも。夢見も悪かったしな……どんな夢、見てたんだっけ。忘れちゃったな。


 記憶が薄れて消えていくこの感覚――


 あまりに馴染み深い。これも忘れ去れたらいいのにな。




 ――それから、にわかに慌ただしく、俺たちは荷物をまとめた。今日の夕方、ニードアルン号は出港し、次の街に向かうことになっている。


『しかし、夕方に出港とは変わってるね。普通は早朝じゃないかい?』


 服を畳んだり鞄の中身を詰め替えたりする俺たちを尻目に、ふわふわ浮かびながらバルバラが言う。


「普通は早朝に出港するもんだな。ただ、今回に限っては、次の目的地が半日くらいの距離で、しかも岩礁が多い水域なんだと。だから現地に着くのは、明るい時間帯が望ましいんだってさ」

『ああ……早朝に出港しちゃったら、現地には夕方に着いて危ないってワケ』

「そうそう。到着時間が朝方になるよう、調整しているそうだ」

『なるほどねぇ』


 そんな会話をしつつ手早く荷物をまとめた俺たちは、宿をチェックアウトして近所の酒場で食事を摂る。


 しかし、外に出てみると……なんというか……


「公国万歳!」

「公王陛下ばんざーい!」

「ハミルトン公国に栄光あれー!」


 街が浮かれているというか、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。酒場なんて、裏町でもないのに昼間から酒呑みで溢れかえりそうだ。


「どうしたんだ、今日は祭りか何かなのか?」

「おいおい兄ちゃん、知らねえのかよ!」


 俺の独り言に、隣の席の赤ら顔のオッサンが答えた。


「なんと、悪代官のエディンゴがクビになったんだぜ!! しかもアークディーカン商会の会長と仲良くブタ箱行きだとさ! それでみんなお祝いしてんだよ!」

「え、マジで!?」


 びっくりした。悪代官に悪徳商会長、俺も気にはなっていたが、まさかの急転直下だな! オハンナの生家、タミクサー商会が背負わされた法外な借金は、今日が一方的に返済期限と定められていたはずだが……いったいどうなったんだろう。


「どうしてそんなことに? 何があったんだ?」

「聞いて驚け! 悪代官は、公王陛下の名において罷免された……!」


 公王の名において……? 現公王のオラニオ公か?


「というのも、ことの始まりは今朝、タミクサー商会のところに、アークディーカン商会が借金取りに来てな――」


 グイグイとエールをやりながら、赤ら顔のオッサンは語る。酔っ払ってるせいか、いまいち要領を得なかったが、話をまとめるとこんな感じだった。



 ――今日の朝っぱら、タミクサー商会に、アークディーカン商会が衛兵隊を引き連れてやってきて、借金のカタに店舗や家、倉庫の資材に至るまで全ての財産を差し出すよう要求したらしい。


 タミクサー商会側は、法外な高利子が記された契約書は偽造されたものであるとして、これを断固拒否。アークディーカン商会は構わず衛兵隊をけしかけ、無理やり従業員たちを引きずり出そうとしたそうだ。


 が、そこで待ったがかかった。


「それが、ゴータム=ミルトを名乗る謎の老人でなぁ……!」


 ここで出てきたか、ミルトのご隠居!


 いかにもカタギじゃない怪しい女を調査に送り出していたし、何か一枚噛んでいるに違いないとは思っていたが……!


 ともあれ、ご隠居はお供とともに、衛兵隊の前に立ちはだかった。契約書は偽造されたもので、代官とアークディーカン商会長の癒着を示す決定的な証拠がある、と主張し、何やら書類を掲げたそうだ。


 アークディーカン商会は「何をバカな」とこれを一蹴。さらになぜかそのタイミングで、件の代官まで大慌てで現場に駆けつけてきて、なりふり構わぬ様子で衛兵隊にご隠居一行の拘束を命じたらしい。


 ――かくして、大立ち回りが始まった。衛兵隊が数に物を言わせ、ご隠居一行を取り押さえようとしたが、これがもう強いのなんの。お供たち(おそらくシュケンとカーク)が衛兵隊を千切っては投げ、千切っては投げ。なんとご隠居本人さえ、衛兵を何人も投げ飛ばす活躍を見せたとか。


 そして、衛兵たちの大部分が戦意を喪失したところで、お供のひとりが何やら別の書類を掲げてみせ、さらに空中には魔法の光で国の紋章が投影された――


「そしたらよぉ! 突然、領主軍の兵士と、騎士様たちがわんさか駆けつけてきて、そのまま代官と商会長を叩きのめして拘束しちまったのさぁ!!」


 その場で、公王の名において悪代官エディンゴが罷免されること、エディンゴの判決の正当性が疑われたため諸々の手続きが凍結されること、そして新たな代官の着任とともにこれまでの判決が再審されることなどが宣言されたという。


「つまぁり! オハンナちゃん家も、今は利息を払わなくてよくなったのさ!」


 アークディーカン商会側の契約書が本物である、とした悪代官の判断が凍結されたため、すぐに返済する必要がなくなった。そもそもアークディーカン商会長も拘束されてしまい、借金取りを主導する者もいない。突然、商会長というクビを落とされたアークディーカン商会は、今頃大混乱だろう。


 かくしてオハンナの家は首がつながり、悪者たちは成敗され、大団円といえる結果になったわけだ……次の代官が過労死しそうという点に目を瞑れば。


「いやぁ~~~おれも途中から現場で野次馬してたんだけどよぉ! あの魔法の光の紋章! アレは間違いなく公王家の印だぜ! まさかあの爺様の正体が――」

「おおい、みんな!!」


 と、酒場の店主の叫びが、オッサンの言葉をかき消した。


 見れば店主が、店の奥からエールの樽をごろごろと転がしてきている。


「今日はめでてぇ日だ! 記念に、エールはおかわり自由にするぞーッ!!」

「「……うおおおおおおッッッ!!!」」


 太っ腹な宣言に、酒呑みたちの歓声が響き渡り、鼓膜が破れそうだった。


 俺が話を聞いていたオッサンも、ジョッキを片手に駆け出していく――


「なんだか、外が騒がしいなぁとは思ってたんですよね」


 酒場の喧騒をよそに、上品に昼食を口に運びながらレイラがうなずいた。


『そしてそんな騒がしい中でも、お主は高いびきをかいておったというわけじゃ』


 なるほどなぁ。やっぱ疲れてたのかな。


 にしても、俺が眠りこけている間に、そんな怒涛の展開になっていたとは……


 あのご隠居が、全ての鍵を握っていたか。オハンナに事件の解決を安請負した、謎に自信満々なあの態度。腕利きすぎる用心棒に、明らかに素人ではない諜報員じみた女のお供――


 ああ、全ての疑問が解決したぜ……!


 俺、これ知ってる! 昔ソフィアに勉強させられたとき、色々読ませられた本の中にあったやつだ!



 ご隠居の正体、それは――




 公王直属の、地方を監視する高級官吏に違いない!!!




『何じゃ、それは?』


 歴史的によくある制度さ。地方の腐敗を防ぐため、中央から派遣される監視官ってやつだ。


 多くの場合、中央の統制が利きづらい広大な国土の国で見られる制度で、ハミルトン公国みたいな小国では珍しいんだが……


 歴史を紐解けば、確かハミルトン公国は、隣の大国・カイザーン帝国から分離独立した国家のはずだ。帝国からそういった制度を継承していてもおかしくはない。


 そして現公王オラニオ公は、お世辞にも国民に支持されているとは言い難く、国内の政情も不安定だ。国民の不満を解消し、地方の汚職や腐敗を一掃するために、各地に監視官を派遣しているんだろうな。


 やたら腕の立つシュケンにカーク、そして明らかにその筋の人員であるジゼル――あいつらもみんな、公国の諜報関係者に違いない。そしてミルトのご隠居も今は一線を退いた大御所なんだろう。あの歳で獣人が心酔するほどの体術の使い手となれば、只者じゃないのは火を見るよりも明らかだ。


 王家の信頼も厚く、政情不安を打開するために、このたび監視官として大抜擢された――ってとこか。


『ふむ、そう考えれば、まあ辻褄は合うか』

「なるほど、そういうことだったんですね!」

『やっぱり普通の人じゃないとは思ったんだよねぇ』


 俺の結論をアンテたちとも共有しつつ、つつがなく遅めの昼食は終わった。



 荷物を抱えて、港に向かう。ぼちぼち日が傾き始めたので、あんまり遅くなったらニードアルン号に置いていかれちまうな。



 行きがけに、タミクサー商会もチラ見してみた。


 ――オハンナとその父親が、従業員たちと一緒に、笑顔で店舗を掃除していた。今まで嫌がらせの嵐で、汚物を投げられたりゴミを捨てられたり、どれだけ掃除してもキリがない状況で諦めきっていたんだが……やっと解放されたんだな。


 大して何もしていない俺が改めて声をかけるのも、なんだかおこがましく感じられたので、そのまま素通りしていく。


 いやぁ、この頃は後味が悪い出来事ばかりだったから、悪者たちが一掃されて気分がいいな!!


『ま、この街の病巣がすべて消え失せたわけではないがのぅ。以前よりはマシになったじゃろうな』


 そういうことさ!




 ――ってな感じで、足取りも軽くニードアルン号に乗船。


「いいか、お前たち! あくまでも『いつも通り』を心がけるように!」

「「ういっす!!」」


 なんか船長が珍しく、訓示みたいなことをしていた。船員たちも心なしか緊張気味に見える。


 どうしたんだろうな? 今回は行き先が岩礁の多い水域とのことで、やっぱり神経を使うんだろうか。


 ひとまず船室に荷物を置き、レイラとしばしの別行動。いつものように甲板の上、船守人の定席に行くと、舷側に寄りかかったアーサーがひらひらと手を振ってきた。


「やあアレックス。例の一件は聞いたかい?」

「ああ……代官と商会のやつ?」

「そうそう。いやぁ、びっくりしたね……まさかこんな形の幕引きになるとは」


 髪をファサッとかき上げて、おどけてみせるアーサー。いやホント、俺もびっくりだよ。


「あ、これ飲む?」

「いただこう」


 アーサーが魔法でキンキンに冷やした水に、レモン果汁を加えた飲み物を差し出してきた。ちょうど喉が渇いていたので、ありがたく頂戴する。


 ふたりで舷側に寄りかかり、茜色に染まりつつある空を眺めながら、一服。


「聖教会にはできない斬り込み方だったよなぁ……」

「まさしく。僕、現場に居合わせたんだけど、なんというか度肝を抜かれたよ」


 へぇ、タフだな。アーサーも俺と同じく、一晩中寝ずに動き回っていただろうに。


「俺なんか眠りこけてて、さっき事の顛末を聞かされたところだよ」

「あはは、まあ昨日はハードだったからね。司教様も大張り切りの反動で、爆睡してたよ。出発前の挨拶に伺ったけど、死んだように眠ってて全然起きなかった」


 ピクリともしないので、ちゃんと息をしているか不安になって、鼻に手を当てて確認しちゃった、とアーサーは笑う。


「そいつは傑作だ」


 司教様も、昨夜は大活躍だったもんなぁ……あのときは張り切ってたけど、流石にご老体にはキツかったか。


 ……ご老体と言えば。


「その、もしかしたら、俺が勘違いしているかもしれないから、一応確認しておきたいんだけどさ……」

「何をだい?」


 くい、とレモン水のカップを傾けながら、アーサー。


「正体について、だよ。ミルトのご隠居様は……その、?」


 公王の直属の、高級官吏の監視官的な?


「そう。


 神妙な顔で肯定するアーサー。


「身分を隠して……地方の腐敗とかに目を光らせて、正すところは正す、みたいな。そんな活動をされている?」

「そうそう、まさにその通り」

「やっぱりか~~~!」

「あ、でも、あまり大きな声で言っちゃダメだよ」


 アーサーがシーッと唇に指を当てる。


「……有名になりすぎたらまずいとか?」

「そうだね。民衆へのアピールという側面もあるけど、あまりにも知れ渡っちゃったら、今度は奇襲性がなくなるから、その加減が難しいんだとか……」

「ああ、だろうなぁ」

「だから、『みだりに話題にしないように』とお触れを出しているらしいよ。と言っても、どうせ話す人は話すだろうから、それでちょうどいい塩梅になるだろうと」


 なるほど! そんなお触れが出てたのか。


 だから道行く人々の会話に耳を傾けても、なんかこう、みんな表現をぼかしている感じがして、いまいち要領を得なかったんだなぁ!


「ちゃんと考えられてるワケだ。現公王もあんまり評判がよくないみたいだし、現状を打開するため色々と頑張ってるんだな」

「うん。うーん? ……そう、だね?」


 ちょっと首を傾げながら、アーサー。


 はて? 何か的はずれなことでも言ったかな?


「……まあ、いずれにせよ、あんな高齢で体を張ってらっしゃるんだから……すごいことだよ」

「それは確かに」


 ミルトのご隠居、司教様に負けず劣らずのパワフル爺さんって感じだもんな。


 俺、ああいうタイプの、使命感に突き動かされてるような人に弱いんだ! 勝手に親近感を抱いちゃう……!!



「――ほっほっほ。ご老体などと、まだまだ若い者には負けませんぞ」



 と、背後から突然、朗らかな声。うおっ、マジか!?


 振り返れば、噂をすればなんとやら、ミルトのご隠居その人がいるではないか!


「あっ、……これは失礼を」


 レモン水のカップを船べりに置いて、やたらとかしこまるアーサー。「よいよい、楽にしなさい」とニコニコ笑うご隠居。


「なんで、ご隠居様がこの船に……?」

「我々も、次の目的地には船で向かおうと思っておったのだよ。そしてこの船の航路がちょうどよかったというわけだ」


 ひげをしごきながら、ご隠居はとくとくと語る。なんだか、自然に人を和ませるような、落ち着いた声の人だよなぁ。


 それにしても奇遇だ、まさか同船することになるとは……次の街でも、何か一波乱ありそうな予感……!


「それにしても、現場で衛兵を投げ飛ばしたってのは、本当なので?」


 獣人のお供、ヒェンが師父と敬う程度には『できる』みたいだが……


「ほっほっ。まあ4、5人ばかしのぅ」

「現場で見てたけど、凄まじい活躍ぶりでした……」


 しみじみとうなずいたアーサーが、肩の力を抜いて、レモン水をぐいっと煽った。


「今となっては、呑気に見守っていた自分が信じられないと申しますか、あまりにも能天気が過ぎたと申しますか……」

「ほっほっほ。あの程度の手合には遅れを取らぬゆえ、安心するとよい」


 あくまでも朗らかに、心底楽しそうに笑うミルトのご隠居。頼もしくて何よりだが……アーサーの気持ちもわかるぜ。


 笑って好き勝手させるには、ちょいと歳なんだよなぁこの御仁。こういう歳のとり方をしてみたいもんだ……と思ってしまって、俺は苦笑した。我ながら苦すぎる笑みだった。



「爺さん……やり手なのはわかるけどさ」



 そんな感傷じみた思いを振り払うように、俺は軽い調子で――



「あんまり無茶しちゃダメだぜ? もっと自分を労らないと」



 ――ポンポンッとご隠居の肩を叩いた。



「!?ブフォァ!!」



 そしてなぜか俺の隣で、アーサーが盛大にレモン水を噴き出した。




 ん??




 どうした???





――――――――――――――――

※次回アレク「俺、何かやっちゃいました?」

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