420.巧妙な擬態


 ――セーバイ、夜の繁華街。


 夜風に当たりながら、のんびりと裏通りを歩く男がひとり。


「よお、ベネット。今日はもう上がりか?」

「おうさ、ちょっと早めにな。今日はもう酒呑んで寝らァ」


 通りすがりの犬獣人に声をかけられ、手をひらひらさせながら気さくに答える男の名を、ベネットという。


 またの名を――ヴェロッサ。


 この男が、実は夜エルフであることを見抜くのは、どんな腕利きの探偵でも困難と言わざるを得なかった。


 ぱっと見は40過ぎのくたびれたオッサン。ちょっと角っぽい顔つきに、がっしりとした筋肉質な体躯は、エルフ族の細身な印象からはあまりにかけ離れている。加齢を感じさせる肌の質感も、特殊メイクでは出しにくい自然さ。伸ばしっぱなしのあごひげに、薄くなった頭頂部も……あまりに自然。夜型生活が続き、比較的色白である点を除けば、どこからどう見ても人族だった。


 いや、見かけだけではない。タバコも吸ってなければ、香辛料塗れでもないのに、犬獣人と普通に付き合えている時点で明らかだが体臭も人族のそれだ。


 ヴェロッサは、ただの諜報員ではない。


【人化の魔法】を習得した数少ないエリートなのだ。もう10年単位で人化を使い続けており、そのお陰で人族として程よく老けてきている。付き合いの長い人間ほど、ヴェロッサが異種族のスパイだとは思うまい。


 普通の夜エルフと違って化粧をしたり日焼け止めを塗る必要がないので、人前でもガンガン水を浴びたり肌を晒したりできる。共同井戸でバシャバシャ顔も洗えるし、何なら『友人知人』と真っ昼間に湖へ泳ぎに行ったことさえあった。


 もはや、聖属性以外に、ヴェロッサの正体を炙り出せるものは存在しないと言っても過言ではない――


「~♪」


 口笛を吹きながら、ゆったりとした足取りで歩みを進めるベネット。いかにも脳天気な風を装っていたが――


(ヴィロッサ叔父上からの手紙! 本物なんだろうか? 早く読みたいなぁ!)


 その実、まるで年若い少年のように、期待と興奮に胸を弾ませていた。一抹の不安も覚えながら――


 懐にしまい込んだ封筒を、そっと服の上から撫でる。職場に出勤後、しばらくして「お前に手紙らしいぞ」と届けられた、厳重に梱包された封筒。封蝋のカラスの紋章が目に飛び込んできたとき、何食わぬ顔を装うのに苦労した。


(しかし、いったい何の用事なんだろう……)


 もし情報を求めてのことなら、アークディーカン商会を抜けた今の自分はほとんど役に立たないし、その他の支援にしてもどれだけのことができるか――。


 もともとアークディーカン商会に潜入していたヴェロッサだが、闇の輩狩りの活発化を受け、セーバイの街で最大勢力のマフィア『フーゼンダスト・ファミリー』の元に身を寄せている。


 商会ではそこそこの地位だったが、今ではしがない裏カジノのディーラーだ。いくら読み書き計算が人並み以上で、情報収集や分析が得意でも、商会の帳簿を誤魔化してトンズラこいた奴なんて信用できないし、重要な仕事を任せるわけにはいかない。


 なので、裏カジノのディーラーくらいしかなかったわけだ。幸い人化しても手先は器用なままだ……


(まあ、雲隠れの説得力だけはあったな)


 我ながら、念には念を入れて準備しておいてよかった、と思うヴェロッサ。


 いきなり蒸発しても不審に思われないよう、10年以上前から商会の小金を着服し続けてきた。そして今回、魔王子ジルバギアス追放の報を聞いた直後に、予め用意していた決定的証拠を、あまり仲がよくない商会員にわざと発見させ、彼が告発するであろうタイミングで姿をくらましたのだ。


 証拠を掴まされた商会員は、自分が能動的に悪事を暴いたのだと信じて疑わず、今頃鼻高々だろう……


 ちなみに、着服したカネはすべて使わずに貯めていたが、塵も積もれば何とやらでそこそこな金額となり、マフィアへの手土産にちょうどよかった。




「ただいま、と……」


 誰に言うとでもなく。逸る気持ちを抑え、屋台で飲食物なども買いつつ、たっぷり時間をかけて現住居の安アパートにまで戻ってきた。フーゼンダスト・ファミリーが所有する物件のひとつで、住民はほぼ構成員と関係者だ。


 酒やつまみには手をつけず、小さなテーブルを埃ひとつない状態に掃除してから、慎重に手紙を開封するヴェロッサ。


「ふむ……」


 やはり、敬愛する叔父の字ではない。しかし最後に叔父の字を見たのはもう何十年も昔の話だ。書き方が変わったか、あるいはわざと筆跡を偽装しているのか……? もしそうだとしたら、何のために?


 わからない。保留する。もしも他人のなりすましだった場合は、自分と叔父の情報が知られている上、封蝋の紋章まで使われているのが不気味でならない……


(符牒は……不自然な点はなし、と)


 中身は表向き、当たり障りのない近況報告だった。『久々に旅に出ることにした、機会があったらそちらにも寄りたい、また会えたらいいな』というような文章がつらつらと書いてある。


 だがそこに、夜エルフ諜報員の符牒が巧妙に隠されていた。『高貴な人物のお供として、自分も同盟圏に潜入することになった』というメッセージが読み取れる。


(高貴な人物……まさか、ジルバギアスとともに叔父上まで……!?)


 いったいなぜ!? 魔王子とはいえ末子、ヴィロッサほどの傑物が命を賭けてまでおりをする価値があるというのか?


 ――つい先日まで、アークディーカン商会から得られた情報をせっせと魔王国に送っていたヴェロッサだが、逆に魔王国の情報はほとんど入らない上、連絡員を介していたので半年~1年遅れになることもザラだった。


 ゆえに、ジルバギアスの個人的な治療、ましてやシダール派のことなど知るはずもなく……


(手紙が本物だった場合、叔父上がジルバギアスを連れてくる可能性があるのか)


 こんな情勢下だからこそ、敬愛する叔父との再会は心強かったが、オマケがあまりに邪魔すぎる。


(追放刑の期間内は、諜報網をはじめとした魔王国側の支援は受けられない決まりだが……この非常時はそうも言ってられないし、諜報網もほとんど瓦解してるし、まず生き残りを優先ってことなんだろうか)


 叔父が自分に何を求めているのか、果たして今の自分はそれに応えられるのか……わからない。不安は増すばかりだ。


(わからないと言えば、結局『コレ』は何なんだ……?)


 同封されていた小さな骨片を手のひらの上で転がしながら、首を傾げる。


 人化しようとも中身は残虐で夜エルフだ。それが人骨であることは、触れた瞬間にわかった。ただ問題は、何のために入れられていたのかがわからないことだ。文面には『お守りを入れておいた、大切にするように』としか書いておらず、符牒も特になかったため意図が見えない。


(どの部位だ……?)


 形状からして指の骨のようだが……どの指かがわかれば、何かメッセージが浮かび上がってくるかもしれない。


(……いや、ダメだな。第二関節らしいことはわかるが、流石にそれ以上は……)


 念のため、商会員時代の拡大鏡を持ってきて、じっくりと観察してみた。


(……素材そのものは古そうなのに、傷がまったくと言っていいほど入っていない。骨密度も不自然なほど均一で、人骨というより模型……人工物みたいな印象を受けるなぁ……)


 そこで、ピンと閃く。


(これ、まさか魔族の、【骨を操る魔法】で作られたものでは……?)


 魔法で形成された骨片ならば、この作り物じみた雰囲気も納得だ。そしてなぜそんなものを同封していたのか、理由を考えるなら――答えはひとつしかない。


(魔王子は確かに同行しているという証……!)


 かつ、ここまで手の込んだことをするからには、ほぼ間違いなく自分を訪ねてくるという予告……! そうとしか考えられない。


(微妙に、魔力が込められている感じがしないでもないが……)


 魔力感覚が極端に鈍い人化状態なので、よくわからなかった。夜エルフの姿に戻ればもっと読み取れたかもしれないが、ここで人化を解除してしまうと、魔法をかけ直したときに十数年分の自然な加齢を再現できる自信がない。


 明日、いきなり若返ったりしたら不自然なので、この街に留まり続けるならば、なるべく人化は解除したくなかった。


「むぅぅ……」


 よくわからないな、とひとまず骨片と手紙は封筒に戻し、部屋の壁に立てかけていた剣を手に取るヴェロッサ。


「……ふっ! ……ふっ!」


 静かに、その場で素振りを始めた。


 剣の修業でもあり、考えをまとめたり、気持ちを落ち着かせたりするときの、ヴェロッサなりのルーチンだ。この頃は商会も辞め、ぐうたらな適当おじさんを演じているので、まさか部屋でひとりストイックに剣の素振りをしているなど、周囲は想像だにしていないだろう。


(この情勢下、叔父上ならどう行動するか……喉から手が出るほど助言が欲しかったが、叔父上本人から話を聞けるなら本望だ)


 ――あまりにも先行きが不透明だった。商会での地位は捨てざるを得ず、諜報員としては役立たずになってしまい、どころか諜報網自体も魔王子探しの煽りを食らってズタボロになっている。


 自分たち工作員は、生きて再び魔王国の地を踏めるかさえわからない。


(帝国の連中はうまくやってたが……無事だろうか)


 隣国、カイザーン帝国。国民の大多数が人族で、森エルフの影響も少なく、製紙・印刷技術が発展しており、『新聞』と呼ばれる情報誌を発刊する大商会がある。


 無論、夜エルフはそこにも食い込んでいた。皇帝の耳に入る情報を捻じ曲げたり、同盟や聖教会の評判を貶めたり、国民に魔王軍を過小評価させたり、帝国内での獣人差別の風潮を助長したりと、不和の種を撒き散らすという点で途轍もない成果を上げていたが――


(こと、闇の輩討伐に関しては聖教会は強引だ。敏腕記者として名を馳せていた工作員の記事を、近頃はとんと見なくなった。おそらく……)


 無事、雲隠れできたならいいが、聖教会の手に落ちたならば悲惨だ。自分は直接のつながりがないので、たとえ情報を抜き取られても危険はないと信じたいが。


 そうでなくとも、夜エルフ諜報網の中でも指折りの『成果物』だっただけに、それが失われた損失は計り知れなかった。


(どうしたものか……叔父上、どうしたものでしょうか?)


 胸の内、不敵に微笑む叔父の虚像は、頼もしくはあっても、答えてはくれない。


 ヴェロッサも必死で次なる一手を考えているが、横の連携はダメ、個人の行動も著しく制限される、帰還もままならないとなれば、正直手詰まりだった。


 このままセーバイの街に身を埋めたまま、人族として老いさらばえていくしかないのか……? そんな不安に駆られるよるもある。


 こんなとき、『伝説の工作員』とまで謳われる剣聖ヴィロッサなら、どんな一手を打つのか。この頃は、いつもそのことばかり考えていた。


(私も、叔父上のようになりたい)


 目に力を込め、剣を振り下ろす。弱気な心を斬り捨てようとするかのように。


 幼い頃からの憧れだった。凄腕の工作員にして、夜エルフでありながら剣聖に至った武人。人化の魔法と、剣聖の力を披露してもらったときの衝撃――大木を一刀のもとに切り裂いた叔父の姿は、今でも鮮烈に記憶に焼き付いている。


 そこそこ魔力が強いヴェロッサが、魔族の上級使用人の道を捨てて、厳しく危険な工作員を選んだのはヴィロッサへの憧れがあってこそだった。


 人化の魔法を習得したのも、剣の修業を始めたのもそうだ。ヴィロッサと同じように、人化している間は一切魔法を使わない誓いも立てている。日常生活で小さな魔法の火も起こせず、いちいち火打ち石を使わなければならないのは不便極まりなかったが、それでも物の理に嫌われないため、剣聖への道を閉ざさないため我慢している。



 ――憧れだけで、剣聖や弓聖になれたら苦労しない。



 そんなふうに冷笑する同僚もいたが、ヴェロッサは、関係ないと考えていた。


(根っこが憧れだろうと、情熱だろうと、使命感だろうと――物の理はそんなことを気にしないはずだ)


 御託を並べる前に、剣を振れ。


 あるいは弓を引き、矢を放て。


 必ずしも報われるとは限らないが、武を極め『聖』へと至った者はみな、物の理に敬意を払い、愚直に努力していたことだけは間違いない。


 自分にもし、剣聖としての力があったなら――活動の自由度は飛躍的に上がっていたはずだ。少なくとも、しみったれた裏カジノのディーラーごときに身をやつしてはいなかった。


(ないものねだりでは始まらない)


 そんな体たらくでは、憧れの叔父に顔向けできない。


(ないなら、この手で掴み取るまで)


 幸い、人族に比べれば時間はある。老化がいよいよキツくなってきたなら、人化をかけ直して肉体をリセットしつつ、名前を変えてやり直せばいい。その頃には、今のこの街の知人もたいていボケるか死ぬかしているはずだから。


(私は――叔父上のようになりたい)


 部屋でひとり、額に汗を浮かべながら、真摯に、愚直に剣を振り続ける。


 その姿を見て、夜エルフの工作員だと思う者はひとりもいないに違いなかった。


 あるいは、ヴェロッサが一番心惹かれたのは、ヴィロッサの武人としての側面だったのかもしれない――


「……ふぅ」


 喉が渇いた。一旦素振りはやめて、水を飲むヴェロッサ。なんとなく、部屋の壁に立てかけていた小さな鏡を見やった。化粧の必要がないとはいえ、夜エルフ工作員としては、ないと落ち着かないのが鏡だ。


 自分がどのように見えているか、常に意識する必要があるから――鏡に映り込んでいるのは、雑然とした狭い部屋の中の、40過ぎくらいで、だらしない無精髭とボサボサな髪のオッサン――



 違和感を、抱いた。



 背後の壁に、何か――



 もやのような、影が浮かび上がってはいないか。



「――!?」



 ぞわ、と背筋が粟立つ気配。弾かれたように振り返れば。



『ゥ……ァァ……』



 アパートの壁をぬらりとすり抜けて、半透明の霊体が入ってくるではないか!



(馬鹿な、ゴースト!? なぜこんな街中に!?)


 墓場や戦場の近くでもないのに! 咄嗟に、アンデッドへの対処法として火を放ちそうになったが、魔法を使わない誓いを立てていたため、どうにか堪えた。


(どうする!?)


 今の自分は、魔力的に脆弱極まりない人化状態だ。こんな薄っぺらなゴーストだろうと、下手に触れられたらどんな呪いをもらうかわからない。


 人化を解除して火の魔法を使えば、撃退はおそらく容易い。だが夜エルフの若い体に引きずられて若返ってしまうだろう。森エルフに比べれば大幅に劣化したとはいえ夜エルフも長命種の端くれ、短命種の老化を数年単位で再現するのは一苦労なのだ。


(逃げる……しかない、のか!?)


 なんでウチにこんなものが! と毒づきたくなった。一番厄介なのは、近隣の住民がビビって聖教会に助けを求めることだ。みな、脛に傷がある者ばかりで勇者や神官を嫌っているが、アンデッドが出没したとなれば話は別だろうから。


 そして勇者がやってきて、アンデッド討伐のついでとばかりに、自分たち住民にも聖属性の魔力を浴びせかけてきたら、せっかくの擬態が剥ぎ取られてしまう! 人化すれば太陽も光も(ほとんど)平気だが、聖属性だけは欺けない……!


(やるしかない……か!?)


 諸々のリスクを勘案すれば、今の老け具合を必死に魔法で再現するのが一番マシかもしれないという結論に至ったヴェロッサが、人化を解除しようとした――



 その瞬間。



『ォ……ォォ……』



 小さくうめいたゴーストは、机の上に放置されていた封筒へにじり寄り。



 そのまま、中に吸い込まれるようにして――消えた。



「……は?」



 思わず、ぽかんと口を開けて、素の声を漏らした。



 シンプルに、何が起きたのか理解できなかった。



 だから、だ。反応が遅れたのは。



 ズガンッと轟音を響かせ、壁から突き出る無骨な刃。




「【光あれフラス】」




 人化した夜エルフは、光では傷つかない。




 この、忌々しい、




 ――銀色の光を除いては。

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