417.毒蔓草と花


 ――ヴィロッサを呼び出した翌朝ってのは、たいてい目覚めが最悪だ。


 久々に故郷が焼かれる夢を見た。なんだろうな。俺の心が勝手に、感情の均衡でも保とうとしてるんだろうか? いずれにせよクソみてえな気分だぜ。


「おはようございます」


 先に目を覚ましていたレイラが、俺のことを労るように微笑んでいた。……うなされていたのかもしれない。未だにレイラには、シケたツラを見せたくないな、なんて思っちゃう俺だ。


「うん……おはよう」


 深呼吸して、ベッドから起き上がる。窓からは朝日が差し込み、街の喧騒も聞こえてきている。……今日もいい天気だ。




 昨夜は、オハンナを家まで送り届けてから、聖教会近くの宿屋に戻った。それで、ヴィロッサの魂を呼び起こして……うん。あとは知っての通り。


 それにしてもアークディーカン商会、やっぱり一癖も二癖もあったか。悪評を買いかねないあくどい真似をしているのは、傀儡商会ほど夜エルフの影響力がないからなのか、それとも悪評を上回る利益を生み出しているからなのか。


 ヴィロッサの甥っ子がいるかもしれないとわかった以上、座視はできねえな。


 ――今後、俺はどう動くべきなんだろうか。


 身支度をしながら、ふとそんなことを考える。追放された直後は、同盟圏における夜エルフ諜報網の壊滅がひとつの大きな目標だった。だが、幸か不幸かビラがバラ撒かれた影響で、大陸全土で闇の輩狩りが始まりつつあり、セーバイみたいなどうしようもない街以外では、順調に夜エルフの駆逐が進みつつある。


『お主が奔走する必要が、徐々になくなりつつあるというわけじゃな』


 そういうことだな。まあ、大陸の東端とか、魔王軍の脅威が遠くて平和ボケしきった地域では、前線ほど真剣に闇の輩狩りが行われるかわからないって問題もあるんだが……。


 いずれにせよ、前線付近の諜報網が壊滅すれば、大陸東端でいくら諜報活動に勤しもうとも、集めた情報を魔王国に届ける術がない。『諜報』という一点において、夜エルフ諜報網はすでに壊滅したと言っても過言ではないのだ。


 今後の戦争において――同盟軍は、補給の乱れや物資集積所の破壊工作など、諸々のトラブルには以前ほど頭を悩まされずに済むだろう。


『では、お主の同盟圏での役割は終わり、本格的に休暇と洒落込むかのう?』


 アンテがからかうように言う。


 ハハッ、わかってるくせによ。


 俺がこれ以上、積極的に手を出さずとも、魔王国の地と繋がりを断ち切られた毒蔓草は、緩やかに枯死していくだろう。


 ならば、俺がやるべきことは? 魔王国を倒すため、同盟軍を支援するため、残りの時間で俺にしかできないことがあるとすれば?



 ――それは同盟諸国に根付き、芽吹いた毒の花を、刈り取っていくことだろう。



 そんなことをつらつら考えながら部屋を出ると、端っこの部屋から出てきたミルトのご隠居と鉢合わせた。


「ああ、おはようございます」

「おはよう。今日も爽やかな陽気だ」


 昨夜の怒りっぷりが嘘のように、好々爺然として微笑むご隠居。


 実はご隠居一行も、この宿を取っていたらしい。聖教会御用達で値段はそこそこ、サービスもそれなりだが、何と言っても治安がいい(何せ聖教会の真横だ)。もっと高級で華やかな宿屋は、それこそセーバイには掃いて捨てるほどあるが、ご隠居は質実なものを好む金持ちのようだった。


 みなで近所の酒場に向かう。この酒場が、付近一帯の宿泊客の朝食を一手に引き受けるシステムらしい。


「うん。おいしい」


 焼きたてのパンに夏野菜のスープ、こんがり焼いたソーセージ、薄めのエールにレモンの果汁をしぼったやつ。量もたっぷりあって大満足だ。レイラは焼きたてパンがお気に入りのようで、両手で持ってはぐはぐと頬張っている。


「おっ……見ろよハンス、あの給仕さん。べっぴんさんじゃないか、あとでお茶に誘ってみないか?」

「えっ、いや……べっぴんさんだけど、オラ、そういうのは……」


 近くのテーブルで、ご隠居一行の軟派な曲刀使いが、同じく一行の影が薄い青年を肘で小突いて、コソコソと話しかけていた。


 一応、彼らとも軽く自己紹介はしている。


 あの軟派な曲刀使いはシュケン。30手前くらいで、いつも不敵な笑みを浮かべており、自信満々な態度に恥じぬ剣の腕前を誇る。昨夜の大立ち回りは記憶に新しい。その剣技を買われてご隠居の護衛になったようだ。


 そんな彼に絡まれて赤面しているのは、ハンス。自己紹介で会釈したくらいで会話もなく、引っ込み思案っぽいので、どういう人物かはよくわからない。ただ田舎出身で、うっかり者っぽいということは聞いている。野暮ったい服装や、下手くそな敬語を聞く感じではそんな雰囲気だが、理知的な眼差しと少々ちぐはぐな印象を受けた。


「こら、シュケン。あまり未来ある若者を誑かすな」


 スープを飲みながら、いかめしい顔でたしなめるのはカーク。30代半ばくらいのよく鍛えられた男で、いかにも腕っぷしが強そうだ(実際強い)。自他ともに厳しい努力家で、用心棒というより軍人のような堅物というイメージ。もしかしたら元軍人かもしれないな。


「うめぇ、うめぇ」


 ソーセージをバクバクと喰らい、おかわりまで頼んでいる虎獣人はヒェン。ハミルトン公国の少数民族、森虎族の出身らしい。ご隠居のことを『師父』と呼んで敬っているようだ。気難しいタチらしく、ご隠居一行以外の人族にはあまり心を許していない感じがする。「なんで師父呼び?」と尋ねたら、「ご隠居様は達人なのだ」としか答えなかった。


「ほっほっほ」


 そして当のご隠居は、ハンスを挟んでおちゃらけるシュケンとたしなめるカークの漫才をニコニコしながら眺めていた。まさかと思うが、獣人に体術で勝てる老人だったりするのか? この御老体……


 そういや、商会を探りに行ったジゼルって女の姿を見ないな。ヴィロッサの甥がいるんだったら、結構な手練であることが予想される。無事だといいんだが。




「――みなさん、ごきげんよう!」


 と、突然、酒場にハープを抱えた旅装束の男が入ってきた。


「この爽やかな朝の空気とともに、私の歌声をお楽しみください!」


 どうやら吟遊詩人のようだ。いそいそとおひねり用の器を置きつつ、酒場の一角でハープを奏で始めた。



「おお 麗しのハミルトン公国!


 剣のごとく 天を衝く


 ディコスモウの 山々より望むは


 洋々たる 碧きアウリトス――」



 公国の民謡らしく、隣国カイザーン帝国との間を隔てる険しい山脈と、アウリトス湖の美しさを称え、その地に住まうハミルトン公国の人々の、陽気だがちょっと頑固な気質を面白おかしく歌っていた。


 住民にとって馴染み深い曲のようで、酒場で朝食を摂っていた客たちも、ニコニコしながら聴いていたが――



「――ときの公王 オラニオ公 稀代の名君と名高く


 古き盟友 カイザーン帝国と手を取り合い


 前グラハム公の治世より 公国はますますに栄え――」



 民謡の替え歌なのか、統治者を褒め称えるような歌を吟遊詩人が歌い始めたあたりから、酒場の雰囲気がちょっとおかしくなりはじめた。


 ニコニコして聴いていた客も真顔になったり渋い顔をしていたり。ムスッとした顔でさっさと食べ終えて、酒場を出ていく者までいた。今の王はあんまり人気じゃないのだろうか?


 ってか、俺も何気なく聴いてたけど、今の王様らしいオラニオ公を持ち上げるのはいいとして、何かと前王グラハム公を引き合いに出して、地味に下げてるのって……色々とマズくないか……?


「ぬぅぅ……」


 あっ、なんかカークが歯を食いしばってプルプルしてる。ナイフとフォークを握りしめて、今にも椅子を蹴倒し立ち上がりかねない雰囲気だ。


「おいおい、そんなカッカしなさんなって」


 その肩をシュケンが掴んでなだめているが、カークは吟遊詩人を睨み殺さんばかりで、制止されていることにも気づいてなさそうだった。……当の吟遊詩人は、酒場の雰囲気が悪くなり始めたあたりで、知らぬ存ぜぬとばかりに目を閉じて歌っており、危機を察知できていない。


「これ、カーク。落ち着きなさい」


 食後の茶を飲んでいたご隠居が、声をかけたのと同時――


「ええい、黙りやがれ!」


 客の一人が怒鳴り、デザートの果物の皮を吟遊詩人に投げつけた。顔面に生ゴミが直撃し「わっ」と悲鳴を上げ、演奏を止める吟遊詩人。


「さっきから聴いてりゃ、デタラメばっかり言いやがって! グラハム陛下が退位されて、オラニオ代王になってから、税は重くなるわ賊はのさばるわロクなことがねえじゃねえか!」

「そうだそうだ!!」


 他の客もそれに同調する。


「そ、そんなこと私に言われても……」


 詰め寄られて、しどろもどろな吟遊詩人。


「なーにが古き盟友カイザーン帝国だ! 最近、帝国の奴らがのさばり始めて、こちとら商売上がったりだぜ……」

「さては帝国の回し者だなオメー!」

「出て行けー!!」


 おひねりどころかゴミや罵声を投げつけられて、吟遊詩人は這々の体で酒場を出ていった。


 う、うーん……。


 アウリトス湖の北部は政治的にちょっと荒れ気味ってアーサーから聞いてたけど、思ったより一般庶民もあったまってるみたいだな……?


『吟遊詩人で支配者にとって都合のいい情報を広めるのは、昔からよくある手じゃからのう。いつもうまく行くとは限らんが……』


 ぬふふ、とアンテが愉快そうに笑う。情勢が混沌とすれば混沌とするほど、アンテは大喜びだからな……手に負えないぜ。


「ふん……」


 先ほどまで額に青筋を立てていたカークは、溜飲が下がったのか、鼻を鳴らしパンの残りをむしゃむしゃとかじっている。ご隠居は飄々とした態度で、茶を飲み干して一息ついていた。



          †††



「それじゃ、行ってくるね」

「はい! 気をつけて」


 食後はレイラと別れ、俺は単独行動で街に出る。アークディーカン商会に接触するためだ。


 レイラは、ひとりだと特にやることもないというか、あんな可憐な少女がセーバイの街をうろついてもロクなことにならないので、宿屋でお留守番だ。ちょっと申し訳ない。今頃部屋でバルバラとボードゲームで暇潰しでもしているんじゃなかろうか。


 旅装束に着替え、わざわざフード付きのマントをまとった俺は、さぞかし胡散臭い旅人に見えることだろう。裏路地で人化の魔法を使い直し、髪色や顔つきも変えた。『ジルバギアス』の顔面はデキがよすぎるんだよなァ……もうちょっとこう、前世に近づけて、芋っぽい感じの顔にしてみた。


 ……我ながらちょっと悲しくなってきたな。


「さて、アークディーカン商会は、と……」


 気を取り直して、現在地を確認。アークディーカン商会は、中心街から外れて、港に近い一画に商館があるらしい。俺はフードをかぶり直し、足早に路地を行く。


 先ほどの酒場での一幕と、以前より風紀が悪化しているというアーサーの話を前提に街を見ると、なるほど、治世が乱れているのだろうと改めて思わせられた。


 繁華街を抜ければ、客向けの愛想笑いも抜け落ちて、住民たちの表情も浮かないというか、どこか殺伐とした雰囲気を漂わせている。道端にはうずくまった浮浪者や、物乞いの姿も散見された。その横を、朝っぱらから酔っ払った男がふらふらと通り過ぎていく。表通りはキラキラと華やかだが、ゴミは片付けられないままで、裏通りに足を踏み入れれば衛生状態はなおのこと悪い……


「おお、魔族よ! 魔王子ジルバギアスよ!!」


 と、曲がり角で、いきなりそんな声が聞こえてきて、思わず注意を引かれる。しわがれた老人の声。


 見れば、髪もひげも伸び放題で、ボロ布をまとった老人が、地べたに跪いて天を仰ぎ、喚き散らしていた。


「魔王国こそが真の支配者なのだ! この、腐りきった世の中を正し、新たな秩序をもたらせるのは、魔王国しかない!!」


 濁った瞳の老人はお世辞にも正気には見えず、通行人たちは見ないふりをするか、あざ笑うかのどちらかだった。


「魔王子ジルバギアスが同盟に訪れた! これは福音である! 彼の者は、魔王国の使者であり、破壊と創造をもたらす救世主なのだ!」


 おいおい……。


 言うに事欠いて、爺さん……。


「おお、人族よ! 魔族の支配を受け入れよ! 聖教会も貴族も国王も、みな、金の亡者だ! 魔族を悪者に仕立て上げ、我々を欺こうとしているのだ……!」


 老乞食の『主張』を、通行人たちは聞き流しながらも、「ま、あながち間違いじゃねえかもな」「金の亡者なのは確かだ」などと冷笑していた。


 ……色々と、聞き捨てならねえ。


「おい爺さん、魔族なんてロクなもんじゃないぞ」


 無駄だとは思いつつ、俺は老乞食が置いたおひねり用の器にコインを放り込みながら、声をかけた。


「……何を言う! お主は聖教会に騙されておるのだ! 魔族は力で全てを判断する公平な種族だ! 既得権益としがらみに縛られた、醜き人族とは違うのだ!」


 いや……実力主義なのは確かだけどよ……。


「魔族は人族のことを、家畜くらいにしか思ってねえよ。魔力弱者はまとめて殺されるだけだ」

「聖教会の戯言を信じるな! そう言って我らの危機感を煽り、寄付金をせびり取ろうとしているだけなのだ!!」

「俺は、前線で戦ったこともある。魔族なんてホントにろくなもんじゃねえんだ」

「ええい、聖教会の犬め! 忌々しい、貴様のカネなどいるか!!」


 器に放り込んだ俺のコインを放り捨て、老乞食はドンと俺の胸板を押しのけた。


「ああ! 忌々しい! 魔族よ! 魔王よ! 魔王子ジルバギアスよ!! この地に来たれ! そして腐りきった世を破壊し、新たな秩序をもたらしたまえ……!」


 よだれを垂らしながら、天に向かって咆哮する老乞食。


「なあ、今の代王と、魔王ってどっちがマシかな?」

「さあな、案外魔王の方がマトモな統治者だったりしてな」

「魔王軍が来りゃ、貴族も平民も全員同じ扱いになるんだろ?」

「それはそれで愉快だな」


 通行人たちの、そんな冗談交じりの会話が聞こえてくる――



 夜エルフ工作員の成果のひとつが、これだ。



 前線から遠く離れた地域の人々は、工作員がせっせと流した魔王国や魔族に対する好意的な噂、あるいは逆に聖教会や同盟諸国を貶めるデマに、毒されている。


 夜エルフどもが撒き散らした毒の種。


 芽吹き、咲き誇る、悪の花。


 どうにかしなければ、とずっと感じている。魔族の脅威、その理不尽さ、聖教会や同盟諸国の窮状、それらが本当の意味で伝わっていない。



 何か、手を打たなければならない――



 聖教会や同盟諸国が打てないような手を、俺が。



 魔族の真の脅威を、平和ボケした後方の人々にも知らしめるような手立てを。



『ふふ……わかっておるくせに』



 魔神がささやく。



『お主が魔王子として、血の雨を降らせればよいだけではないか』



 ……俺は、聞こえないふりをした。



 老乞食を放って、足早にその場を去る。



 裏路地を抜けて、湖が見える湖岸にまで出てきた。メモを頼りに住所を照らし合わせ、そしてたどり着いた。


 いかにも高級な、ギラギラした感じの商館に。


「あの~、ここ、アークディーカン商会ですかね?」


 俺はヘラヘラとした笑みを顔に貼り付けて、フードを取りながら入り口の用心棒に話しかけた。


「……なんだ、お前さんは」


 俺を頭の天辺から爪先までジロジロと観察した用心棒が、胡乱な目を向けてくる。


「実は、手紙の配達を頼まれてましてぇ」


 俺は胸元から、しっかりと梱包されたゴツい封筒を取り出した。


「この商会にいらっしゃる、ベネットさんにお届けを、と……」


 俺の言葉に、用心棒が何とも言えない複雑な顔をする。



「……アイツなら、しばらく前に商会の金を着服して消えたよ」



 ほう?



 。読み通りだ。



 この情勢下で、商会に身を置いたままのはずがないとは思ってたぜ。

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