416.夢現の剣聖


 ――夢を見ていた。


 目の前に女性がいる。自分は横たわっていて、彼女は、自分の上に浮き上がっているようだった。


 何か、くもりガラスのような半透明な壁が、自分たちを隔てている。彼女はその向こう側で、必死に何を訴えかけていて……壁を叩き、泣き叫んでいるようで……


 自分はただそれを、ぼんやりと眺めているような……


 そんな夢だった。


 あれは、誰だったのだろう。見覚えがある気がした……


 …………そうだ、思い出してきた、彼女は。


『オフィシア……』


 指導教官になったことがある。彼女がまだ新米だった頃。


 もう、何十年も昔の話だ。当然ながら、指導以来ほとんど会ってもいない。


 あんなに必死になって、何を伝えようとしていたんだろう、と……。


 ぼんやりした意識の中、疑問に感じていたヴィロッサは――


 突如として、水底から引き上げられるような感覚とともに、



 覚醒した。



          †††



「ん……ぅ……?」


 どうやら自分は、まだ寝転がっているようだ。見覚えのない天井。


 自分は……いったいどうなっている? 状況がよくわからない、まだ思考が明晰ではない……ふと横を見れば、ベッド脇に角を生やした少年の姿。


「殿下……」

「まだ動くな。悪いが万全じゃないんだ」


 身を起こそうとする自分を制し、沈痛の面持ちで言うのは――魔王子ジルバギアスそのヒトだ。


 ……そうだった、自分は雷に打たれて、ドラゴンから落ちて……


 それで……記憶が曖昧だ。確か、殿下が転置呪で治療するため、早めに身代わりの人族をさらってくるとか、そんなことを仰っていたような。


 ――まだ終わってないのか? ジルバギアスを責めるわけではないが、純粋に疑問に思った。


 次に目を覚ますときには全快しているに違いない、と確信していたのだが、どうやら治ってはいないようだ。何か、不測の事態でも起きたのだろうか? 己の状態すら把握できないくらい、自分は酷いことになっているらしい……


「実はとんでもない事態になった」


 深刻な顔でジルバギアスが言う。


「どうやら何者かが、俺の出立にあわせて、『魔王子ジルバギアスがホワイトドラゴンを連れて同盟圏に追放された』旨を、事細かに書き記したビラを前線にバラ撒いたらしい」

「なん……!?」


 なんだと。一気に目が覚めそうな内容だった。


 ジルバギアスを危うくするのはもちろん、それで魔族探しが始まれば、大陸全土の諜報網まで脅威に晒されかねない!


「そ、それは……!」

「なので、一気にレイラに乗って、同盟圏のはるか後方まで飛ぶことを優先したわけだ。今はアウリトス湖あたりに潜んでいる……この湖は知ってるか?」

「ええ……一度、あの辺りを旅したことがあります……」

「そうか。少し頃合いを見計らって、お前の治療用の人族を小さな集落から見繕ってくる。だからそれまで耐えてくれ……すまない」

「いえ……お手数をおかけして申し訳ありません、殿下……」


 忸怩たる思いに駆られる。殿下をお守りするために、同盟圏まで付き従ってきたというのに、なんという体たらく……!


「謝ってくれるな」


 ジルバギアスは、くしゃっと切なげに顔を歪めた。


「お前は何も悪くないんだ……何も……」


 しばし、沈黙。


「ところで……ひとつ教えてほしいんだが、『アークディーカン商会』って名前に聞き覚えはないか?」

「アークディーカン……ああ、あります」


 ヴィロッサとて、諜報網の全貌を把握しているわけではなく、主だった傀儡組織しか知らないのだが、例外的にその名はピンと来た。


「自分の後輩が潜入していた商会で、木材や家財を扱っていたはずです……湖の物流に大きな影響力があるので、何かと情報を得るのに便利でして……傀儡化は難しかったため潜入で済ませた、と……自分も昔、あの商会の輸送船に相乗りしたことがあります……」

「……ああ、思い出したぞ。そうか、ヴィロッサの昔話を聞いたときにチラッと出てきた名前だったか……」


 ぽんと膝を打って、得心した様子のジルバギアス。


「しかし、今はどうしていることか……潜入していたのはもう20年以上前の話ですから。まだ帰還はしていなかったはずですが……」

「そうか……その後輩、名前はわかるか……?」


 なぜそんなことを? と疑問に思ったが、渋る理由もないのでまず答える。


「ヴェロッサです。商会では、ベネットという名で通していたはずですが……」

「ヴェロッサ? 名前が、なんだか……」

「自分と似ている、と?」


 ヴィロッサは、フフッと照れたように笑う。


「甥です。腕は確かですよ……」


 自分に憧れて工作員になった、歳の離れた甥っ子だ。


「そう、か……」


 ジルバギアスは、何やら感情を押し殺したような無表情で、うつむいた。


「……まさか、接触しようとお考えで……? アークディーカン商会といえば、ハミルトン公国の、セーバイでしたか。我々は、近くまで来ているのですか……? あの街は、身を潜めるのには向いているかも知れませんが、規模が大きな都市には、相応の危険も伴います……殿下だけでは……特に今の情勢下では……」

「いや、もちろん接触できれば心強いが、それは――と思っている」


 何やら笑顔を取り繕って、ジルバギアス。


「とりあえず、今は傷を治そう。眠っていてくれ……」

「…………わかりました」

「ありがとう……」


 ジルバギアスの声が遠く響く。再びヴィロッサはうつらうつらし始める。


 夢現ゆめうつつの中で、出発前の、長老たちとの会話が蘇った。


『――ならんぞ! お主をむざむざ魔族の道連れになどさせられるものか!』

『お主単独なら、どのような死地でも安心して送り出せよう……しかし足手まといがいるとなれば話は別だ』

『場合によっては、その魔王子のせいで、無為に死を選ばねばならぬのだぞ?』


 ジルバギアスいう世間知らずの足手まといがいては、どのような不測の事態が起きるかわからない。それに対応しきれるかどうかも……


 魔王子にお供するからには、ジルバギアスが死んで、自分だけが生きて帰るわけにもいかなかった。魔族や、特に魔王からどんな誹りを受けるかわからないからだ。


 そしてジルバギアスを生かそう、逃がそうとして、自分が生け捕りにでもなったら目も当てられない。ヴィロッサは優秀で経験豊富な工作員であり、機密情報も山ほど抱えているから……


 ヴィロッサという逸材を、そのような形で喪いたくない――と、長老たちはそう言っていた。


 だが。


 長老たちの反対を押し切って、ヴィロッサは同行することにした。


(殿下は……我々にはなくてはならない存在だ)


 魔族らしからぬ上位魔族。聡明で見識が広く、どの種族にも――ホブゴブリンも含まれるのが玉に瑕だが――寛容で、凡百の魔族とは一線を画した存在。


 殿下のお陰で、いったい何名の同胞が救われたかわからない。リリアナが脱走した以上、魔王国に戻っても、昔ほどの恩恵には与れないだろうが――


(それでも、殿下は、我ら夜エルフのさらなる発展に必要不可欠な御方……)


 将来性と、柔軟な思考力、何より人格にヴィロッサは惚れ込んでいた。剣の道にも理解を示し、剣槍という新たな戦術を生み出したりと、そういった部分でも贔屓しているのは否定できないが……



(必ず、魔王国にお帰ししなくては……)



 薄れゆく意識の中で、使命感を抱く。



(この命に代えても……殿下だけは……)



 どうか無事に。



 そして――なぜかまた、オフィシアの顔を思い出した。



 必死に訴えかけるような眼差しを。



 その唇の動きを。





『 に せ も の 』





 ――そこで意識が途絶えた。


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