413.港と歓楽街


 翌日の夕方。


 ニードアルン号は、ハミルトン公国の東端の港町『セーバイ』に到着した。


 大型船も停泊しやすい機能的な波止場が整備され、湖岸には倉庫がいくつも建ち並んでいる。領主の力の入れ具合がひと目でわかるな!


「セーバイは商人に対する税が安めで、交易船がたくさん集まるんだ」


 と、アーサーの解説。そして人が集まるところには当然、それを受け入れる施設もあるわけで……


「うおおお!」

「勝つぞ勝つぞ勝つぞ!」

「今日はためにためてきたんだ……!」


 当直ではない組の船員たちが財布を握りしめ、鼻息も荒く歓楽街に突撃していく。荷降ろしを担当する組の船員がそれを羨ましそうに眺めていた。(一見不公平だが、この突撃していった組は出港時に積み込みを担当することになる。)


「……じゃ、僕らも行こうか」

「おう」


 歓楽街に消えていった船員たちを見送り、アーサーも下船。俺とレイラもそれにならった。



 まずは俺たちも歓楽街――ではない。この街の聖教会に、挨拶と情報共有などをしに行く。



「なんと! 吸血鬼が野放しで……!」


 吸血鬼どもの討伐を報告すると、この街の司教は随分と心を痛めていた。


「こちら、この街の犠牲者の家族に宛てた、報告の手紙です。機密保持の観点から、2週間後に配達をお願い致します」

「承りましょう」


 俺が手紙を何通か差し出すと、節くれだった手でそれを恭しく受け取った司教が、眉間のシワをさらに深くして物悲しげに目を伏せた。なんだか、俺みたいな現場人間とは違うタイプの苦労をしてそうだな……


「それで……司教様、魔王子や夜エルフの件はご存知かと思いますが、ここセーバイではどのような進展が?」


 アーサーが話を振る。お、ちょうど俺も聞きたかったやつだ。入港時に聖検査もなくて、けっこうガバい印象を受けたが……夜エルフは一掃できたのか?


「お恥ずかしながら、アーサー殿、状況は芳しくありません」


 司教は極めて渋い顔で答えた。


「セーバイは非常に人の出入りが激しい街です。そしてそれが生命線でもあります。街を完全封鎖しての聖検査は、領主の強い抵抗にあい頓挫しました」


 なんだとォ……?


「一応、出生登録帳に記名のある市民については、聖検査を実施してあります。ですがご覧の通り、船乗りや旅人、流民までもがあふれている街ですので……彼らに関しても可能な限り身分を検め、抜き打ちでの検査も続けていますが、あぶり出しはできておらず……」


 ……まあ、仮に夜エルフが潜んでいたとして、その程度のぬるい検査に引っかかるとは思えないな。


 この聖教会に来る途中も、街は大層賑わっていた。ただし事前にアーサーから忠告を受けていた通り、治安もそこそこ悪く、無謀にも俺から財布をスろうとした小悪党までいた(たぶん手首を痛めただろうな)。


 怪しげな薬商人や水商売の客引き、道端には物乞いの姿も散見された。前線近くの公都トドマールもけっこう酷かったが、こっちは、街そのものに活気があるだけに、光と影がはっきり分かれている印象だ。


「街のマフィアもなかなか厄介でして、流民を積極的に雇い、使い捨ての駒にしております。ならず者の出入りがますます激しいのが現状でして」

「衛兵隊は?」

「賄賂で頼りになりません」

「領主は……?」

「マフィアを手下として扱っておりましてな、もっぱら、汚れ仕事をやらせているようです。街に何者が紛れ込もうとも、税収が上がるなら問題ないと考えているフシがありますな」


 フゥン……? その中に闇の輩がいたとしても?


 ナメてんのか?? ブチのめしてやろうか???


「アレックス」


 アーサーがぽんと俺の肩を叩いた。


「ダメだよ。証拠がないと動けない」

「わかってるさ」


 俺は不満を隠さずに、フンと鼻を鳴らした。


『しかし以前、マフィアの巣窟にカチコミをかけたことがあったではないか? あのノリではいかんのか?』


 アンテが面白がるような、騒動を期待するような声で問う。


 アレは、工作員が潜んでいることが確定していたからできたんだ。仮に空振りだったら、マフィアどもが領主に泣きついて、大層面倒なことになっていただろうさ。


 聖教会の諸々の業務は多大な寄付金で成り立っているが、領主だって払いたくて払ってるわけじゃない。減らす理由はいつでも求めている。


『なるほどのぅ、住民への弾圧とでもかこつけて寄付金を減らしてやろうと』


 そういう動きをするかも、って話だ。そもそも、聖教会は『人類の庇護』と『人類の敵への対処』において多大な権限を有しているだけだからな。この領域から外れると途端に弱い。そうでもなきゃ、聖教会が内政干渉し放題になっちまう。


『内政干渉してはいかんのか?』


 うーん、かつてはそういう時代もあったらしいが、政治への干渉力を強めると、逆に聖教会も政治の影響を受けるようになって、構成員がそっち方面に多大な労力を割かなきゃいけなくなったり、朱に交われば赤くなって腐敗したり、結果的に人類の敵への力が弱体化したから、現在の不干渉スタイルに収まったんだそうだ。


 まぁ……現地民や領主との折衝がある、聖教会の各支部の代表者は、今でも政治とは無縁ではいられないけどな。


「一応、治療費の値上げ交渉などで領主を揺さぶってみましたが、それ以来、教会の裏手に生ゴミや糞便が山ほど捨てられるようになりましてな……ほとほと参っております」


 司教がハァ~~~っとクソデカ溜息をついた。なるほどね、マフィアの使い方ってワケだ。


 ナメてんのか? やっぱり破壊するしかないのでは……?


「アレックス」


 アーサーが俺の肩をぽんと叩いた。ハァ~~~。わかってるって。



          †††



 結局、余所者の俺たちにどうにかできる問題ではなかったので、そのまま聖教会を辞した。モヤモヤする~!


「アレックスたちは、このあとどうする?」


 アーサーが左腕の小盾を撫でながら尋ねてきた。


「うーん、軽く街を見て回って、……宿屋に戻るかなぁ。あんまり観光って気分じゃないかも、ガラも悪いし」

「まあそうだね。刺激的な街ではあるんだけど、こういう情勢ではねぇ」


 アーサーが、道端に転がるゴミを軽く爪先で小突いた。


「前に来たときより、道が汚い……ここ大通りなのに」


 道の清潔さはわかりやすい治安の指標だよなぁ。しかし、その言い方では……


「『悪化』してると?」

「そうだね。僕はちょっと、街をぶらついて色々探ってみようかな……」


 とりあえず船に戻って着替えるかなぁ、とつぶやくアーサー。


「アーサー、奥さんは?」

「ああ、この街――っていうかハミルトン公国にはいないんだ。あれはノッシュ=ウゴー連合、都市国家郡での決まりだから」

「なるほど」


 だから気持ち、肩の力が抜けている感じがしたのか。『良き父』『良き夫』のアーサーじゃなくて、今は『ひとりの男』アーサーって雰囲気だ。


 アーサーが奥さんや子どもたちを愛しているのは、きっと事実なんだろうけど。


 使命感、あるいは義務感とでもいうべきか。求められている役割に、枠に、全力で自分をはめ込んでるように見えるのは、たぶん気のせいじゃないんだろうな……。


「案内とかしなくていい?」

「美味しい飯屋が知りたいくらいかな」

「ああ、ならその店がいいよ。ここの鶏肉の揚げ物は絶品なんだ」


 ピッとすぐ近くの店を指差すアーサー。マジか。うまそう……あとで来よ……。




 そんなわけで、アーサーともここで別れる。宿屋はいつものように、聖教会の近くのいいところを押さえているので問題ない。


「ちょっと街を見て回ろうと思うんだけど、いいかな?」

「はい。こういうところも面白いですね、ごちゃごちゃしてて」


 レイラは無邪気に笑った。歓楽街とか、なんか教育に悪そうって思っちゃうけど、レイラも年齢的には大人だしな……。子ども扱いしそうになるのは俺の悪い癖だ。


 夕闇が迫り、さらに混沌とし始めた街を歩く。ランプや松明の明かりが至るところに掲げられ、人々が通りで入り乱れる様は、まるで街そのものが寝静まることを拒否しているかのようだ。


 清掃が行き届いていない道の悪臭を押し流すように、酒や香辛料が多めな料理の匂いも漂ってくる。夏の暮れ、鼻をつくキツめな香水、それを吹き散らす熱気を帯びた風――街の様相に酔いそうだ、俺もこういう猥雑さには慣れていない。レイラも歩きながら、クラクラしているようだった。


「ギャッ!」

「相手が悪かったな」


 そして俺のポケットを狙った指をメキッとひねり上げる。マジでスリが多いなぁ。ギャンブルで素寒貧になる前に、財布をスられて無一文になる船員がいなけりゃいいんだが。いやギャンブルで素寒貧になるのもダメだが。


『この街は大変に猥雑でよろしい場所じゃが、これからどうするんじゃ? 連れ込み宿にでも行くか? それともあそこの、半裸の踊り子のいる酒場なんてどうじゃ』


 行くわきゃねーだろ!!


 検挙されてないなら、夜エルフが絶対隠れ潜んでると思うんだよな。


 だけど、この街に関しては有効な手がかりがあるわけじゃないから……これまでの工作員どもの魂はほとんど粉砕してるし、奴らが提供した情報の中にはこの街のモノは含まれていなかった。


 ゼロの状態から探し出してブチ殺すとなると、どこから手を付けていいのか分かんねえ。情報の大切さを痛感しているところだ。



 これは……気は重いが、使わざるを得ないかな。



 有用なを……。



 ――などと考えながら、胸元のロケットペンダントを弄びつつ歩いていると、いつの間にか繁華街を抜けていた。住宅が増えてきて、人通りも少なくなりつつある。


「そろそろ引き返そうか」

「そうですね」


 レイラが微笑んで、指を絡めるように手を握り直してきた。……ちょっと心拍数が上がるのを自覚しながら、俺も笑い返したが。



 キンッ、と微かに響いてきた金属音に、思わず弾かれたように振り返る。



 これは――剣戟の音だ!! 裏通りか!?



「レイラ――」

「見に行きましょう」


 俺が提案するまでもなく、レイラも一転、真面目な顔で腰の細剣バルバラに手をかけてうなずいた。『荒事かい?』とバルバラの苦笑するような念話も聞こえてきた。


 俺もアダマスをいつでも抜けるようにしつつ、走る。酔っぱらい同士の度が過ぎた喧嘩くらいならまだいいが、強盗とかなら見過ごすわけにはいかねえからな……! 


 さらに剣の音。それほど離れてはいない、すぐ近くだ!



 そして、道を駆け抜けた先で、俺たちが目にしたのは――



「お嬢さん、もう大丈夫だ。安心なさい」



 道にへたり込んだ半泣きの女性と、彼女を介抱しながら優しく微笑みかける立派なあごひげの老人。



 そんなふたりをかばうように、ガタイのいい獣人が拳闘の構えを取り、氷のような美貌の女が短剣を抜き、屈強な男ふたりが剣を手に立ちはだかっている。



 そして彼らを取り囲む――顔を布で隠した、あからさまに悪そうなごろつきども。当然のようにコイツらも剣や棍棒で武装している。



「さあ、シュケンさん! カークさん!」



 老人が立ち上がり、杖でごろつきどもを示す。



「奴らを懲らしめてやりなさい!」



「「はい、ご隠居様!」」と口を揃えて答え、肩を怒らせる屈強な男ふたりに、ごろつきどもが気圧されて後ずさる。




 ――なんだこの状況!?

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