408.祈りの先は


 魔王城上層、上位魔族の居住区にて。


「暇だにゃ……」


 手持ち無沙汰でぼんやりしていたガルーニャは、思わずつぶやいてから、ハッと口を押さえる。


 危なかった。下手に暇アピールすると、他のメイドに面倒な仕事を押し付けられるかもしれない。


「ちょうどよかったわね」


 が、時すでに遅し、ヌッと顔を出したのはヴィーネだ。


「暇なら掃除を手伝ってちょうだい。はいこれ、モップね」

「にゃーっ!」


 そんなわけで、モップがけをすることになった。まあ、足腰の鍛錬になるので悪くはないが。


 それに――掃除場所がジルバギアス殿下の私室なら、喜んでやろうというものだ。


「…………」


 せっせとモップをかけるガルーニャに、棚のホコリを払うヴィーネ。壁際の収納棚をガラッと開けると、予備の武具や吊るされた礼装などが、どこか寂しげに見えた。


 みな、主人の帰りを待ち侘びている――


 今の自分のように。


「「はぁ……」」


 ぴったりと同じタイミングで溜息をつき、はたと顔を見合わせるヴィーネとガルーニャ。そのままどちらからともなく笑ってしまう。


「やっぱり……落ち着きませんにゃ」

「そうね……まだ1ヶ月しか経ってないのよね……」


 徐々に、笑顔が抜け落ちていって――ヴィーネの表情は晴れない。


「……夜エルフの方々も、大変だって聞きましたにゃ」

「ええ。今はその話で持ちきりよ。前線に接した地域からの撤収率が、1割を切ったって……大陸の東の果て、平和ボケした後方に潜伏してるヒトたちは、まだしばらく生き延びられるかもしれないけど……撤収はもう絶望的ね……」


『毒母』ネフラディアの暴挙により、特に前線に近い地域ほど夜エルフ狩りが激化しつつある。


 同盟圏の後方に身を潜めた夜エルフたちは、前線に近づけば近づくほど、聖教会の警戒が厳しくなるため迂闊に動けず、それでいて諜報網がズタズタに破壊されてしまったため、日焼け止めや変装道具の補給も難しい……


 ジリ貧と言わざるを得なかった。夜エルフたちも、一丸となってこの状況を打破する方法を模索しているが、結果は芳しくない。作戦行動中の諜報員・工作員たちの生還を、絶望視する声すら挙がっているほどだ……



 そしてそんな環境に……ジルバギアスも放り込まれてしまった……。



「……まあでも、殿下なら大丈夫でしょう」


 ヴィーネは、空元気を出して笑ってみせた。


「レイラがいるし、人化できるし、何よりヴィロッサさんがついてるのよ?」


『剣聖』ヴィロッサ。夜エルフの伝説――凄腕の工作員。


「あのヒトがいれば百人力よ。きっと殿下も無事に戻ってこられるわ」


 きっと……と、目を伏せるヴィーネの言葉は、祈るようでもあった。


「そう……ですにゃ」


 ガルーニャも同じだ。結局、無事を祈ることしかできない。


「できれば、みーもついていきたかったんですがにゃ~」

「この情勢下でそう言えるなんて、本当に忠義者ねガルーニャは……」


 ヴィーネが呆れたような感心したような声で言う。


「私はちょっと無理だわ……潜入なんて、絶対ボロが出ちゃうもの」

「にゃはは。それを言うなら、みーもですけど」

「うーん。難しいわよね……殿下の成長が著しすぎて、ほんとに私にできることなんてタカが知れてるし。昔は、この身を盾に~なんて言ってたけど、今じゃ時間稼ぎにもならないでしょうし……」

「にゃはは……」


 力なく笑うガルーニャに、ヴィーネは、今さらのように(しまったな)と思った。一応は上級使用人であり、生活魔法などでも色々とジルバギアスの役に立てる自分とは違い、純粋な護衛にくかべとして配下になったガルーニャは――ジルバギアスの急激な成長で、本当に立つ瀬がなくなってしまったからだ。


 モップを握るガルーニャの手は、白いモフモフの毛が擦り切れるほどに酷使されていた。勤務外の時間は、全て鍛錬に費やしているのだ。


 拳聖を目指して――少しでも、ジルバギアスの役に立つために。


「…………」


 極論、ガルーニャには戦闘力がなくとも、いざというときの転置呪の対象になるという大事な役目はあるのだが。


 それを指摘するのは野暮だし、酷というものだ。それを口に出さない程度には、ヴィーネはガルーニャのことを可愛く思っている。


「ご主人さまが帰ってくるまでには――」


 と、モップから一瞬手を離したガルーニャが、ヒュバババッと鋭い突きを連続して放つ。


「――もうちょっと、強くならないとにゃぁ……」


 そしてモップが傾く前に握り直し、溜息をついて、何事もなかったかのように掃除を再開する。


(……けっこう仕上がってるのね……)


 メイドの中でもトップクラスの近接戦闘力を誇るヴィーネをして、一瞬反応が遅れるほどだった。


「ご主人さま……どうかご無事で……!」


 意表を突かれて固まるヴィーネをよそに、ガルーニャはモップで床を拭き拭きしながら、耳を伏せてチラッと扉の外を見やる。


「奥方様も……心配してますにゃ……」



 ――ジルバギアスの私室から、少し離れたところに。



「神々よ……どうか……」


 大公妃プラティフィアの私室はある。


 暗い中、香を焚きしめて、一心に祈りを捧げる母の姿が、そこにはあった。


 ジルバギアスの初陣のときのように、闇の神々を祀る祭壇が作られている。だが前回よりも遥かに大規模なもので、おびただしい骨と皮により構成され、もはや部屋の空間の大部分を占めていた。


 床にそのままひざまずき、ただただ祈るプラティフィア。


(どうか……あの子を、無事にお帰しください……!)


 ゆらゆらと陽炎のように魔力が揺れている。まるで神官が光の奇跡を起こそうとするかのような、厳かな気配。


(あの子に仇なす、あらゆるものに災いあれ……!)


 ただし、光は奇跡をもたらすが、闇は呪詛をもたらす。プラティフィアは、ジルバギアスに降りかかる全ての苦難を呪おうとしていた。


(あの子が無事に帰ってこられるのなら……何を差し出しても構いません……私の力も、魔力も……!)


 ぐっ、と祈る手に力がこもる。


 ――ジルバギアスが生まれたばかりの頃は、あの子を魔王の座につけ、レイジュ族の名誉を挽回し、他の王妃たちに復讐をするつもりでいた。


 今は――少し違う。レイジュ族の地位向上、他の王妃たちへの復讐、それらはもちろん目標のままだが、優先順位が変わった。


 ジルバギアスに、強く、健やかに育って欲しい。


 それが先だ。自分にとって一番大事なのは、復讐でも一族の栄光でもない。


 あの子自身なのだ……!


(私には、もうあの子しかありません。あの子が無事に帰ってこられるなら、この命でも差し出します……!!)


 なので、どうか。


(闇の神々よ……あの子に加護を……祝福を……!!)


 プラティフィアはただ真摯に、祈り続ける。


(ジルバギアス……どうか、無事でいて……ッ!!)


 泣きそうな顔で、胸の内、悲痛に叫ぶプラティフィア。



 祭壇に供えられたおびただしい数の頭蓋骨が――



 戦場で討ち取られたかつての勇者や神官たちが、それを虚ろな眼窩で眺めていた。




          †††




 ――燦々と照りつける太陽。


 透き通るような湖面に映り込む、青い空に白い雲!


「イヤッホゥ!」


 俺は、三角の帆を張った板状の小舟――セイルボートを操り、ザッパァと白い波をしぶかせながら、湖面を滑走していた。


「ハハッ、随分うまくなってきたじゃないか!」


 別のセイルボートで並走するアーサーが、金髪をなびかせながら爽やかに笑う。


「もうマスターしたと言っても過言じゃねえ!」


 いやぁ! 楽しいなァこれ!! 舟遊びなんて初めてだけど、こいつァ最高にエキサイティングだ!


「おっ、言うねえ! ならあっちの岬まで競争だ!」


 帆の角度を調整し、風を捉えて加速しながらアーサー。


「おう! 受けて立つぜェ!」


 そんな俺たちを、砂浜のパラソルの下でジュースを飲みながら、レイラとアーサーの奥さんが見守っている――



 というわけでどうも、勇者アレックスです。



 アウリトス湖北部の島で、絶賛休暇を満喫してまーす!!

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